日常でしかない朝目覚めると、隣に彼の背中が転がっていた。いつもなら私よりも早く目が覚めてランニングに出かけているのに、今日は珍しくこの時間になっても眠りこけている。
彼の規則正しい寝息を確認すると、起こさないようにそろそろとベッドを下りる。そのままキッチンに向かう。オーがどこからか持ってきたコーヒーサーバーに専用のポーションを入れ、タンクに水を注ぐ。昨日買ってきたパンを薄くスライスし、トースターに2枚入れる。フライパンに火をかけ、ベーコンを熱し、その上に卵をふたつ落とす。焼いてる間にキッチン横の小窓を開ける。夏が終わりかける時の涼しい風が室内に入ってくる。レタスをちぎり、その上に焼けたベーコンと目玉焼きを皿に盛る。チンと音がしてトーストが飛び出る。それぞれを別の皿に盛り付けると、サーバーからピーピーと音が鳴った。カップをふたつ取り出し、ひとつをサーバーの下に置き、スイッチを押す。
部屋の隅で充電中のdocの様子を確認し、「オーを起こしてきて」と頼む。docはピピッと返事をし、オーの寝る部屋まで滑るように飛んでいく。コーヒーカップを入れ替え、2杯目を入れる。テーブルにバターと角砂糖の入ったケースを並べると、オーが首を振りながらキッチンに入ってきた。カシャカシャと鳴る義足の後をdocが静かに付いてくる。
「なんだ、この…」
「あんたの分もあるよ」
「…ありがとう」
「まだ起きてないみたいだね、はいコーヒー」
「…エナドリはダメなんだっけか」
「ほどほどにしときなよ、あんたには長生きして欲しいんだから」
「あー…俺は別に」
「私がそうして欲しいんだよ、アジャイ様のエゴを受け入れな」
オーは文句を言いたげな、照れくさそうな、なんとも言えない表情のまま椅子を引いた。フォークとナイフを皿の横に置き、私も席に着く。
「…豪勢だな」
「別に、普通だけど」
「朝飯一緒に食うのは初めてか」
「いつもあんたが先に起きるから、そうね」
「ふーん」
そのまま2人で朝食にとりかかる。パンにバターを塗る。コーヒーに角砂糖を入れる(オーは信じられないほど入れる)。目玉焼きにナイフを入れる。黄身が外に流れ落ちる。窓から涼しい風が流れてくる。外はもう少し暑くなりかけていそうだ。
リモコンに手を伸ばし、テレビをつける。朝の情報番組が流れる。今日は午後から雨だそうだ。こんなに天気がいいのに。シルバはあくびをしながら席を立ち、ストロベリージャムを手に取ると、立ったままめいっぱいトーストに塗りたくった。席に座りながらトーストにかぶりつく。口の端から溢れたジャムがオーの口周りを僅かに赤くし、それでも入り切らないジャムが皿の上に垂れ落ちる。
私たちがあらかた朝食を片付け、オーが二杯目のコーヒーを入れ始めた頃、情報番組が終わった。続いてカントリーミュージックが流れ始める。流行りのギターだけの旋律に、見たこともない郷愁を誘う女性の歌声が響く。アコースティックギターの音色が心地いい。こういう音楽も好きだ。あの時私が必要だったのはこういう音楽じゃなかったけども。
「チカ」
「なに」
「弾いてみてくれよ」
「ギターは無理、ドラムならできるけど…これはドラムなしの曲だね」
「ドラムでいいだろ、ほら、俺は丁度持ってる」
そう言って彼は足元に居たdocを拾い上げ、私達の目線まで掲げる。docはそのまま彼の手を離れ、私の膝の上に収まった。
「うーん、じゃあ、まあ」
ドラムスティックがないので、手のひらでボンゴのようにdocを叩く。ボンボンといつもより低い音が、存外カントリーミュージックに合う気がした。調子が出てきたので、うろ覚えなまま歌詞を口ずさむ。楽しい。食べ終わったあとの食器もそのままだし、皿が受止めきれなかったジャムやパンくずが僅かに机を汚しているけど、あとで何とかすればいい。今はこの気持ちいい瞬間を取り逃さないようにしたい。
曲が終わるとオーがはにかみながら拍手した。嬉しそうだが、どこか遠い目をしている。
「ブラボー、プロにはチップを払わないとだな?」
「いらない、テーブルを拭いてちょうだい」
「アジャイ」
「なに」
「カメラを回し忘れた」
「撮りたかったの?」
「うん、いや、でも無理だったか」
「どういうこと?」
「死ぬなら今死にたいな」
私はdocの表面を優しくさすった。
「…死んで欲しくないっていったばかりなんだど」
「それなら完璧なんだ」
「完璧がいいの?」
「ああ、ええと…どうなんだろうな」
オーは眉間に深く皺を寄せ、頬杖をつきながら窓の外を眺める。
「ナビにはロケット事故で爆散して欲しかったのにな。…あの時は、あれが完璧だと思ってたんだよ」
「そう」
「ナビはロケット事故で死んだんじゃない」
「…」
「老衰で死んだんだ。それをつまらないと思っていた」
「うん」
「もしかしたら、つまらなくなったのかもしれない。どう思う?」
「わからないね。でもナビは、幸せだったと思うよ」
オーが目を見開きながらこちらに向き直った。窓から差し込む光が彼の彫りの深い輪郭をいっそうはっきりとさせる。カーテンがなびく。
彼はゆっくりと目を伏せながら、「そうか、幸せなのか」と呟いた。