叫名「おやすみ、大聖」
大聖人形のゴワついた布地をひとなでする。
この人形を宝物だと言う僕のために大聖がわざわざ探してくれたものだ。瓦礫に埋まってボロボロになっただろうに、なぜかピカピカになって返ってきた。(大聖は僕の手当もしてくれた! 本当はすごく優しいんだ)
その日から、僕の宝物はこの世でたった一つしかない宝物になった。
※
「おやすみ、大聖」
少し鼻声で名を呟かれる。術をかけておいた人形を通して、洟をすする音も聞こえた。
リュウアーが寺に入ってからしばらくはこの調子だ。布団の中でグスグス泣いているらしい。
――ガキだなァ。
師匠とも離れて心細いのだろう。それでも、修行をやめたいとか師匠の元に帰りたいとか言わないあたりが強情っぱりのリュウアーらしい。
悟空は長安の方角を眺めて片頬笑んだ。
※
「大、聖、」
思わず口に出た。体が弱ると気も弱っていけない。小さな子どもみたいだな、と独りごちる。
時折火鉢の炭がぱちりとはぜる。遠くから響く読経の声をぼんやりと聞いているうちに眠ってしまった。
翌朝目を覚ますと、枕元に桃が置かれていた。時期外れの桃はよく熟れているようで、甘い香りが小さな坊に満ちている。それはかつて心躍らせた、あの旅を思い起こさせた。
――どうして。
リュウアーはくしゃりと顔を歪めた。
※
「大聖こっち!」
「呼ぶのが遅ェ! あと隠れてろって言ったろ!」
悟空は派手な音をたてて妖怪を蹴り飛ばし、リュウアーを脇に抱えてするすると崖を登っていった。
取経の旅に出てみてわかったことだが、リュウアーは以前にも増してじっとしていない。妖怪だの困っている人がいるだのと聞くとすぐに飛び出して行く。悟空が「一番狙われているのはお前だ」と何度言ってもやめない。その結果、毎度すんでのところで悟空が救出に入ることになる。こう度重なると文句の一つも垂れたくなるというものだ。
「大人になったら少しは落ち着きがでるもんじゃないのか」
「大聖だって落ち着いてはないじゃない」
「あァ!?」
「ちゃんと呼んだでしょう」と膨れるリュウアーに悟空は言葉を詰まらせた。
そう、ちゃんと手遅れになる前に悟空を呼ぶようになったのだ。
リュウアーは人形のことに気づいているだろうに、悟空に何も言ってこない。見守るためとはいえ、ずっと聞いていたのはさすがにばつが悪く、尋ねることができないままでいた。もっとも、当のリュウアーはこれまでに大聖人形に何度泣き言を漏らしたかしれず、それを全て聞かれていたのかと思うとあまりに恥ずかしくて言い出せたものではなかっただけなのだが。
とにかく、と仕切り直すとリュウアーを向かい合うように座らせた。
「何があっても守ってやる。だからって危ない真似はするな」
――たぶん二度は助けてやれない。ならば二度とあんな目に合わせないようにするまでだ。
いつになく真剣な悟空の表情にリュウアーはたじろいで小さく頷いた。素直に従う様に満足したのか、悟空は「じゃあ行くぞ」と出立の支度を整え始めた。
リュウアーは座ったまま悟空の背をじっと見ていた。体の中で何かがぐるぐると暴れ、脈はどくどくと耳の中で響いている。何となくこの音を聞かれてはいけない気がして、リュウアーは懐の大聖人形を慌てて袂に移し替えた。