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    こちらにも一応あげておきます。の石千。結婚して数年で千羽ちゃんが死んでる。

    祈る夜空の星落ちて「けほっ……」

    乾いた咳が部屋に響いた。寝台の側に座る男は吸飲みを差し出し、咳の主が細い腕でそれを受け取った。一口、二口、吸飲みの水を口に含んで喉を潤した女は、かつては目を見張るほどに美しかったのだろう。しかし、今はその面影を残しながらも誰の目から見ても明らかなほど青い顔をしている。

    「ごめんなさい……いいえ、ありがとうございます、浅葱さん」
    「なに、気にすることはないよ千羽君。それより、少し落ち着いただろうか」

     浅葱と呼ばれた男は静かに首を横に振る。流れるように千羽と呼んだ女の手をとると、彼は慎重に握りしめた。そんな男に、握って折れるほど柔くはないと彼女は笑いかける。それでも彼はその言葉を笑えずにいた。それほどまでに彼女に残された時間が長くはないことを知っていたのだ。彼女もまた、そのことには薄々気づいていた。
     医師からは経過は良好だ、と告げられてはいたが一向に良くならない咳と増える起きていられない時間、──それから、目の前の浅葱の瞳がこんなにも悲しい色に染まる理由なんて、一つしかないのだから。
     互いに、その事実から目を逸らすように言葉を重ねる。時折千羽の言葉の中に喘鳴音が混じり、その都度浅葱は彼女の背を擦る。そうして幾程の時間が過ぎたのだろう、暗くなった部屋の中に灯りが揺れる。ふと千羽が外を見ればそこには星空の欠片が見えた。広い広い石動家の本邸の中でも、彼女の療養する部屋はその片隅にある。彼女がそう望んだのだ。たくさんの人に囲まれるよりも、穏やかに過ごしたいのだと。灯を絞った其処からは、星空がよく見えた。

    「ねぇ、浅葱さん。私、我儘を言ってもいいかしら。私、星空が見たいのです」
    「……しかし、今日は風がある。君の体には、あまり」
    「お願いします。どうしても、貴方と一緒に、空を見たいの」

     冷たい夜風が吹く中に連れ出すことを浅葱は拒否していたが、どうしても、という千羽の言葉に折れざるを得なかった。寝台からなんとか体を起こした彼女に外套を着せ、車椅子に載せて毛布を膝にかける。そうして二人連立って庭へと出れば、そこには満点の星空が広がっていた。今にも落ちそうな星々に、千羽ははしゃいだ子供のように手を伸ばす。まるで星を捕まえようとするように。

    「ふふ、けほっ、けほっ。綺麗な星空ですわね。手を伸ばしたら、掴めないかと思いましたが……、こほっ」
    「千羽君、あまり無理をしないで欲しい。だって、君は──」

     浅葱は、思わず零れ落ちそうになった言葉を飲み込んだ。それを見る千羽は、はっとした表情でごめんなさい、と謝った。

    「つい、はしゃいでしまいましたの。……久しぶり、でしたから。こうして、浅葱さんと外に出られるのも」
    「……いや、いいんだ。それより、お気に召してくれただろうか」

     彼の言葉に、首を縦に振って返事をする。それを見た浅葱はゆっくりと歩き出した。星明りに照らされた庭は、絵画のように美しかった。季節の花が咲き誇る石動家の庭を散策するのはいつぶりだっただろうか、と千羽は思案する。生まれたばかりの子どもたちを抱いて歩いたあの日はそう遠くないはずなのに、今はもうずっと昔のように思えた。しばらくの後に彼は歩みを止める。石動家の庭の中の隅、高い木々も咲き乱れる花々もないここは、しかし、彼女の望んだ星空が一等良く見えた。眩いばかりの星々に、千羽は思わず目を細める。

    「眩しいくらいの星空……。ああ、私、ここがお庭の中で一番好き。整えられた美しい庭園も好きだけど、ここはどこよりも、ゆっくりと時間が流れるようで」

     ふぅ、と一つ息をついて彼女は浅葱に語りかける。出会って、想いを告げて、祝言を挙げて夫婦になって。夫婦として過ごした時間はたったの数年だったが、二人が重ねた時間自体は短いものではなかった。その一つ一つの思い出を手繰り寄せるように二人は語らい合う。その声に苦しさはなく、穏やかに流れる時間はまるでいつまでも続くように思えた。
     だが、そうあってほしいと願う時間ほど、長くは続かないことも二人はわかっていた。知っていたはずだった。
     時は来たと、薄氷を割ったように急に千羽が咳き込む。その口が、抑えた手が、膝にかかった毛布が赤く染まる。浅葱は慌てて彼女の顔を覗き込むが、その顔に最早命は感じられなかった。

    「千羽君!」
    「あさぎ、さん」

     千羽は主治医を呼ぼうとする彼の袖を掴んで静止する。もうこれ以上、命の砂時計が流れ落ちるのを止めることができないのは、彼女が一番良く理解していた。

    「あさぎさん、聞いて。きっと、これがもう最後、だから。私ね、わたくし、……貴方を愛して、良かった。あなたを信じて、よかった。……私を愛してくれて、ありがとう。貴方は約束を守ってくれたのに、何一つ守れなくて……ごめんなさい」
    「もう、いい。喋ってはいけない。それ以上は」
    「あさぎさんが、いてくれたから。あなたはずっと、待っていてくれたのに、おいていってしまうの。ごめんなさい、だけど本当に……」

     浅葱は声を震わせ、車椅子から崩れ落ちそうになる千羽を支える。それはともすれば残された微かな命の灯りに縋っているようにも見えた。その姿は、千羽が懸命に堪えていた未練を掻き立てるのに十分すぎるほどだった。

    「ああ、いやだわ。私だって、しにたくない。あなたを、子どもたちを、置いて行きたくなんてないのに……。ごめんなさい、ごめんなさい。貴方を置いていく私を、どうか……」

     言葉の最後は口から落ちた血に紛れてしまって言葉にならなかった。千羽は暗転しそうになる視界を、どうにか頭を振って持ちこたえる。どうかまだ、この命を連れて行ってくれるなと彼女は浅葱の手を握りしめた。

    「浅葱さん、私、貴方を愛しています。今も、この先もずっと。だから、だからこそお願い。子どもたちを、護ってください。私がただ一つ貴方に遺していくものを、愛して……。私を、忘れてもいいから……」

     千羽の放つ残酷な呪いのような言葉に、浅葱の言葉は悲鳴になった。手から温もりが消える。命の温度が消えてゆく。頼む、どうか逝かないでくれと祈るように握りしめる掌は、弱々しいまま握り返されることも解かれることもなかった。

    「あい、して、ます……あなただけを、とこしえに」

     小さく紡がれた言葉を最後に、彼女の鼓動は止まった。X月XX日の星空の下に、或る男の絶叫が響く。置いて行かないでくれと叫ぶその声はけれど、その抜け殻に届くことはなかった。
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