もうすぐ死んでしまう私と君のお話 10 一緒に※死ネタを含むオリジナルです。
自己責任でご覧下さい。
何でも許せる方向け。
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虚を突かれた。
言葉の意味は理解出来ても、頭の中に全くそれが入ってこない。
「茗荷の呪術師は、長くは生きられないんだって」
彼女の目にもう流れる程の涙はなかった。ほんの少し目尻に涙を溜めて、真っ赤に腫らした目でただ棘を見ていた。家入さんにも五条先生にも言われた、と付け足して呟く。
棘は思わず、触れていたその手をぎゅっと握る。温かい手だった。柔らかくて小さな、女の子の手。
「呪力を使うとね、なんかすごく疲れちゃうんだ」
力なく微かに笑った彼女は、もう、あの作り笑顔ではなくて。
「…たぶん私の身体は…、もうすぐ私の呪力に耐えられなくなる…」
言葉が出てこなくて。
ただ、ただ彼女の笑顔を見ることしか出来なかった。寂しそうに笑う、たぶんこれが唯の本当の笑顔。
ーー喉が、微かに痛んだ。
強力な術式は反動が大きい。
抱いていた不安が現実になっていく。
「狗巻先輩の呪言に似てますね」
恵の言葉が頭を過る。
それは自分が一番よく知っていたはずなのに。
自分と似た術式を使う彼女に。
自分なら、
気付いてあげられたはずなのに。
棘はただ静かに、彼女の言葉に耳を傾ける。
視界が揺れた。一瞬でも気を抜いたら溢れそうになる涙を、奥歯を噛んで必死に堪えて。
この小さな身体で、
今もいっぱいに頑張っている彼女の前では、
絶対に泣かない。
「ありがとう。最後まで聞いてくれて」
と、小さく呟く唯。
感謝される事なんて何一つない。おかか、と棘は首を振る。
「ツナ?おかか?」
聞いた問いに、唯は思い迷う。
「…どうかなぁ…。先の事はわからない。呪術師になる事を望まれて育った私には、退学して帰る家なんて元からないんだ…」
困ったように眉根をひそめる。
茗荷の家は名家だった。狗巻の家と違い、術式を持つ者として大切に育てられて来たであろう事は入学当初から一目瞭然。可もなく不可もなく、全てを卒なくこなす唯の体術や所作、座学の成績を見ればそれはわかる。唯の背負って来た物。そして唯が、今までその期待に応えて来たであろう事も。
棘とは真逆の境遇で育った彼女だが、元より特殊な学校だ。ここ以外に居場所はない者はたぶん少なくはない。
悟の言う退学は優しさか、或いは…。
考えながら、唯は言葉を続ける。
あ、と一瞬瞳が輝いた。
優しく、朗らかに笑う。
「…でも、一緒にいたいな。棘くんやみんなと。高専で」
遮光カーテンから入る光が柔らかく、とても綺麗で。俯いて棘を見る唯の顔に影を落とし、儚げな彼女を照らす。
「しゃけ」
一緒にいたい。高専で。
たぶんそれは、みんな同じ気持ちのはず。
「ツナ」
触れていた手を離して、それを彼女の頬に伸ばすと、唯は棘の手に自分の手を重ねた。
すぐ目の前に、手を伸ばせば届く距離にいる唯は、こんなにも温かいのに。
折り曲げていた足を伸ばし、ゆっくりと唯の顔に近付く。
もっと触れたくて。
その存在を確かめたくて。
手に入れたくて。
ネッグウォーマーを少しだけズラして、唯のその唇を塞いだ。唯は静かに瞳を閉じる。
唇がまたゆっくりと離れると、彼女ははにかんで笑ってくれた。
**
日常がまた、始まる。
何でもない日々。
唯は翌日学校を休んだ。昼過ぎには許可をもらい、すぐに復学する事が出来た。元より身体に傷を負った訳でもない。気怠さが微かに残るのみだった。
それからも時折任務は入り、全員が揃わない日も間々あったが、相変わらず海外の憂太を除けば繁忙期を抜けて教室には4人(?)揃っている日も増えた。その間唯は一度だけ先輩の任務のサポートに出た。1回だけ、お札に書かれた術式を使った。
「暑いなぁ、真希」
「暑い。暑苦しいな…ウゼェ」
言われて唯は顔を上げる。
「今日は今年初の猛暑日だって」
自分の椅子に座り、机の端に置かれたチョコレート菓子を一粒頬張る。夏にピッタリの溶けない焼きチョコレートだ。手にも付かない。
「違ぇよ。お前ら距離近いんだよ…。毎日毎日暑苦しいな」
わざとらしく溜息を吐く。
けれど真希の顔はニヤリと笑っていた。
「お前ら、分かりやすく何かあったろ」
パンダも笑う。
唯も棘も、特に否定もしなければ肯定もしない。真希にはお見舞いにきてもらった事は話したし、知っている風だった。
「いくら」
言って隣に座る棘は、唯の机に開かれた課題のノートを懸命に写している。真希とパンダを一瞥してから、棘はさも面倒くさそうにまたノートに目を移した。
「あんま棘を甘やかすなよ、唯」
「えぇ…でもほら、昨日まで棘くん任務だったし」
「しゃけ!」
棘は顔を上げずにひたすら手を動かしているが、聞いてはいるらしい。唯は苦笑いでそれを見る。
あれから日常がまた始まった。
変わらない、何でもない日々が。
棘はあれからまた何も言わなかったし、あの日以来何もない。
ただ、ほんの少しだけ距離が縮まって。
今まで通りみんなと過ごして。座学も実技も、1年生との訓練も相変わらずで。そして唯は真希からまだ一本も取れない。
そんな日々の中で、時折棘と一緒に寮に帰る。時折一緒に放課後を過ごしたり、ご飯を食べたり。ふたりでいる時間がほんの少しだけ長くなった。
ただ、それだけ。
ちらりと隣の棘を盗み見ると、俯き加減で手を動かしている。長い睫毛が影を作り、綺麗な髪が微かに揺れていた。
視線に気付いたのか、棘は不意に頭を上げる。
「ツナマヨ」
目が合うと、その表情が柔らいだ。
自然と唯も頬が緩む。
胸がぎゅっとして、心臓が高鳴る。
はぁと何度目かの溜息が聞こえて、唯は我に帰った。
「だから、そこ!イチャつくな。棘は早く終わらせろ。いい加減昼練行くぞ」
「そんなんじゃ…!」
「先行く?俺ら先行った方がいいか?」
えぇ、と唯が呻き棘を見る。
課題は後数行程と言う所か。
「後ちょっとだし…、みんなで行こうよ」
「…たかなぁ」
唯が見上げれば、真希とパンダが顔を見合わせる。笑ってこちらを見た。
「しゃーないな。待っててやるから、早くしろよ」
「しゃけ」
唯も笑ってチョコレートをまた、口に入れる。
真希とパンダを見た。憂太はいつ帰って来るんだろう。久しぶりにメッセージ入れてみようかな。
幸せだなぁ。
こんな日常が、続くといいな。
笑って、目を閉じる。
目を閉じると。
また少しずつ何かがこぼれ落ちて行く。
残りはもう、わずかだと。
掬うことも拾うことも許されない。
ただここにあるわずかな何かを。
最期まで。
君と一緒に。