きらい姉妹校交流戦まであと少し。
初出場の1年生への特訓にも熱が入る日々だった。
学校のグラウンドを離れて、唯は1人校舎へ向かう道を歩く。鬱蒼と繁った雑木林が左右に広がる、神社の参道を思い出すような道だった。
何だか情けなくて。
悔しくて。
別に誰が悪い訳でもないのに、
ただ辛くなって。
その場を離れた。
そんな唯を、後ろから走って追いかけて来る足音が聞こえて。
きっと、棘だ。
唯はその場を走り出した。
走った所で追い付かれるのは目に見えているが。
それでも、その場から離れたくて。
でも、やっぱり幾らも進まない内に、棘が後ろに迫っていた。
「こんぶ」
ほんの少し距離を空けて、棘が唯を呼ぶ。
でも、立ち止まらない唯に、棘はその腕を伸ばした。唯の手首を握る。
「ツナ」
姉妹校交流戦に、唯は出場しない。深い意味はない。いざ別の場所で何かがあった時に動ける要員として出場を辞退しただけだった。加えて唯はさほど強くもない。…と言うのは言い訳でそもそもあまり興味がない。
でも、可愛い後輩と友だちの同級生がグラウンドで特訓をしていたから、何となくよく一緒にいて、特訓にも付き合っていた。
パンダが野薔薇ちゃんを投げて、受け身の練習をする。野薔薇ちゃんが上手く受け身を取れない時は、棘がそれを受け取り支える。
別に、なんて事ない。
特訓だった。
よくある事。
…でも。
みんなも慣れて来ると、次第に距離は縮まって行く。
野薔薇ちゃんと、何やら話し込む棘。
上手く受け身を取れなくて、倒れ込む野薔薇ちゃんに、手を差し伸べる棘。
今までだってそんな事はたくさんあった。憂太やパンダ、真希にも。
棘は優しいから、きっと体術を説明したり、受け身を教えてあげているんだと、思う。
「唯も、やるか?」
と、休憩する真希に聞かれる。
「今日はいいや。なんか疲れちゃった。先教室戻るね」
笑って見せる。
馬鹿だなぁ、と。
自分でも思った。
真希は、私の恋を応援してくれてた。
だからなのか、棘が他の女の子と親しそうにするのは…初めて見た気がしたから。
何だか胸がもやもやする気がして。
野薔薇ちゃんは可愛いし。
自分に自信を持っていて、
自分を磨く事を一番に考えてる。
真希に懐いていて。
唯にも優しくしてくれる。
すごくすごく、いい子だと思う。
大好きだ。
でも。
だからこそ。
こんなふうに嫉妬してしまう。
そんな自分が、大嫌い。
棘に手首を引っ張られて、思わず唯は立ち止まる。
「ツナ?」
振り向かずに俯く唯に。
棘は心配そうに声を掛ける。
どうしたのかと、繰り返す。
「何でもないよ」
醜い自分がすごく嫌で。
何でもないと告げてみる。
「おかか」
棘は勿論そんな言葉は信じないし、唯の手を離さない。
「何でもないよ!教室に戻るだけ」
唯は棘の腕から逃れようと腕を動かす。思い掛けず力んでしまい、その手を振り払ってしまった。
思ったよりも簡単に、棘の手は離れていった。
振り返って彼を見れば、目を見開いて、少し驚いたような顔をして唯を見ていた。
振り払われた行き場のない自分の手を、静かに見つめる。
瞬間、空気が変わった気がした。
顔を上げた棘は不機嫌を隠す事なく、目を細めて唯を見ていた。
「…ツナ」
もう一度、どうしたのかを繰り返す。
その目は真っ直ぐに唯を捉えて。表情のない棘の顔に、恐怖すら覚える。
棘は振り払われたその手をもう一度伸ばして、唯の手首をぎゅっと掴む。先までとは力が違う。痛いくらいに、握っていた。
耐え切れずに俯くけれど。
棘はそんな唯をずっと見ていた。
「ツナ?」
棘の顔を真っ直ぐにみる事が出来ない。
最悪だ。
棘は唯の手を強引に引っ張って、雑木林に足を踏み入れる。唯は動けなくて。素直にそれに従うしかなかった。
5〜6本程木を追い抜いた所で立ち止まり、棘は唯の手を離した。
「ツナ、高菜、おかか」
棘の言葉が胸に突き刺さる。
鼻の奥がつんとして。
涙が溢れそうにやる。
唇をぎゅっと噛んで、涙が溢れないように我慢したけど。
全部、
全部私が悪い。
棘は唯の頬に片手を添えた。
びくりと身体が反応して、思わず顔を上げる。
棘は何の表情もなく。
ただ唯を見ていた。
溜まった涙を、棘の親指がそっと掬う。
「ツナ、すじこ」
低い声で、呟いた。
瞬間、堰を切ったように涙が溢れて。
棘は鼻先まで覆われたネッグウォーマーのチャックをゆっくり開いた。
露わになったその口元が、次第に唯の顔に近付く。唯の頬を、溢れる涙を、ペロリと舐めて取る。生温かいぬるりとした感触。
何かを言い掛けて、でも棘は辞めた。吐息が掛かるくらいの距離から、唯を静かに見る。
叶わない。
棘が好きで。
大好きで。
唯を、こんなに想ってくれているのに。
「…ご、め、なさい…」
こんな自分が、大嫌いで。
「ごめん、なさい…」
棘が息を吐く。溜息のような吐息。
「ツナ?」
唯は目線を逸らす。
恥ずかしくて。こんな自分が情けなくて。
「…野薔薇ちゃ…可愛い、から…。その、」
言いながらまた、涙が溢れた。
これは嫉妬だ。
一方的で。醜くて。恥ずかしくて。
唯は声を絞り出す。
「と、げが…楽し…そうで…、見て、…られなくて…」
上手く言葉がまとまらなくて。
途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
棘は静かに、何も言わずに聞いてくれた。
「ごめ、なさい…。こんな私、…私、自分に自信がなくて、可愛くなくて…。こんな私、嫌…ぃ…」
嫌いだよね。
イヤだよね。
でも、その言葉は続かない。
「…嫌いに、ならないで…」
大粒の涙がぽろぽろと溢れていく。
棘は微かに口を開く。驚いたような、困ったような表情で眉を小さく潜めた。
唯の背に腕を回して、強く苦しいくらいに抱きしめる。
「しゃけ」
唯は棘にしがみ付く。
涙が止まらなくて。胸が苦しくて。
「…ごめんなさい…」
呟くと、また小さくしゃけ、と返ってきた。
不意に棘が顔を上げる。
目線で周りを確認してから、唯の口元に人差し指を立てた。
「おかか」
「……?」
まだ赤い目元に、軽く唇を寄せた。
「…ぁ」
と、思わず小さく声を上げる。
道の向こう側から、特訓を終えたであろう1〜2年生の声が聞こえて来た。
目配せがあって、棘は唯の背中に手を添えたまま、その場に座る。唯は木を背にして、棘に覆われて隠される形で、しゃがみこんだ。
それに一抹の疑問はあったけれど。
目線の先には、棘の口があった。普段は隠れている、呪印の入った口元。微かに、口の端を上げて笑っている気がして。
不思議に思って唯が顔を上げると、棘と目が合った。
もう一度、人差し指を口元に添えられる。
棘は耳元に唇を近付けて、掠れた声で小さく、
「おかか」
と呟いた。
その距離感に、一気に顔に熱が昇る。
まだ、同級生たちの声が少し離れた位置から聞こえた。
棘は唯の制服のボタンに手を掛ける。
襟の深い制服のボタン。間隔の広いボタンの一番上を外すと、唯の首元が露わになる。
「…棘……?」
戸惑う唯は小声で彼の名前を呼んだけど。
棘は構わず唯の首元に口づけた。
ちゅっと音を立てて、微かな甘い痛みが走る。
「……っん…」
それは唯の首元に、赤い痕跡をひとつ付けた。
その痕を、もう一度、二度と。愛おしそうに棘の舌が這い、撫でる。
「…や…めて……」
ぎゅっと目を瞑り、くすぐったいような、ぞくぞくするような快感を飲み込んで、唯は棘に訴える。
「…おかか」
棘はゆっくりと顔を上げて、唯を真っ直ぐに見た。熱を帯びたその瞳が、唯に近づく。
唇が塞がれて。舌先が唯の口内に侵入する。
思わず小さく声が漏れた。
End***
※午後の授業は遅刻した。