ぼくのもの駅の改札を抜けて表通りに出る。
一番大きな南の正面口で狗巻先輩と待ち合わせだった。
普段は高専にいるから忘れがちだが、ここは東京。やはり人も多い。唯は待ち合わせスポットの噴水から少し離れて、出入り口近くの壁に背を預ける。
思った以上に早く着いてしまった…。
待ち合わせなんて、たぶん初めての事だ。
同じ寮に住んで同じ学校に通う私たちには、待ち合わせる必要もないから。
見上げれば、雲ひとつない青空が広がるお出かけ日和の休日だと言うのに。
午前中に少しだけ聞き込みに同行して来た帰り道だった。呪術師の意見が欲しいと言われて、私なんかで良ければとお返事したが…まさか休日出勤だったとは。明日は代休をもらってもいいのだろうか。
特殊な学校だと自覚はあるけど、こうして過ごしていると普通の高校生みたいだ。待ち合わせなんて青春してるみたいで、やっぱりわくわくする。
スマホを見れば時刻は12時前。
待ち合わせは12時半だから、まだ40分もある。
私は小さくため息を吐く。
LNEから狗巻先輩のトークを開いて「着いたよ」とだけ絵文字付きで打ち込む。すぐに既読が付いて「早い〜」と返事が来た。
…今どこに居るんだろう。
まぁ、後40分。
30分程度なら、スマホで時間を潰せるくらいには私も現代っ子だ。
10分か、15分くらいが過ぎた頃。
何気なく顔を上げる。
朝が早かったからお腹も空いたし、近くにコンビニもあった。ランチに行くつもりだけど、飲み物くらいならいいかな。まだ待ち合わせまでは時間もある。
狗巻先輩からはその後連絡もない所を見ると、こちらに向かっているんだろう。
スマホをポケットに入れて歩きだす。
少し歩いた所で不意に呼び止められた。
「こんにちは」
後ろから声を掛けられて振り向くと、見知らぬ男性。
「…さっきからずっといるよね。ひとり?」
軽く優しい声だった。
大学生くらいだろうか。
「誰かと待ち合わせ?」
言った男性は、人好きのする笑顔でこちらに歩み寄る。ナンパと言うのだろうか。さすが都会だ。
無視して踵を返し歩きだすと、後ろから食い下がるように着いてきた。
待って、と言われて止まりはしないけど。
「君さ、呪術高専の子じゃない?」
その言葉に目を見開いて立ち止まる。
「…?お知り合い、でしたか…?」
「あー、いや。以前知人が呪術高専に依頼した事があって。少し立ち会っただけなんだけど…」
男の顔をまじまじと見るが。思い出せない…。
どんな立場の相手かわからないので、失礼のないようにと一応身構えるが。
「そう…なんですか。すみません、覚えていなくて」
「いやいや〜。こんなかわいい子が呪術師なんだなぁ…と思って印象に残ってたんだよね」
一応、謝っておく。
礼儀として謝っておくけど。正直よくわからないが、とりあえず相手をするのもだんだん面倒になってきた。
「また会えるなんて、ラッキーだよ。暇ならお茶でもしない?近くに美味しいお店知ってるよ」
唯は無言で男を見る。
結局の所、ナンパされている?
「いえ、待ち合わせをしているので…ごめんなさい。失礼します」
一応軽く頭を下げる。
「あ、じゃあ連絡先だけでも交換しない?折角また会えたんだし」
「いえ…その、知らない方とは…」
「ええ〜いいじゃん。今度遊ぼうよ」
人通りはあるが、みんな他人には興味がないのかスマホを片手に素通りしていく人も多い。又は、あえて見て見ぬふりをされているのだろうか。
「結構です」
「じゃあ、僕のを教えるよ。気が向いたら連絡くれない?」
「いえ、結構です」
きっぱり断って背を向ける。
そのまま歩き出した。
2、3歩歩き出すと、男性もまたそれに着いて来た。唯の手首をぎゅっと掴む。迷惑だと不機嫌を顔に出して振り返る。
力を入れて振り払おうとするけれど、簡単には離してくれないらしい。呪術を使えば簡単に振り解く事も出来るけれど。流石にそんな事は出来ない。知り合いかと思って下手に出たからか、正直しつこい。
「怒った?ごめんね〜」
なんて軽口を叩く男性に、イライラする。
「離してくださ、」
「おかか」
言い掛けた彼女の言葉を、横から遮る声が聞こえた。
そちらを見れば、彼女の手首を握る男性の腕を掴んで、静かに狗巻先輩が立っていた。
ラフな私服にグレーのウレタンマスク。見るに明らか、不機嫌そうに男を見ていた。
男性が目を白黒させている。
「明太子」
離せ、と言っているんだと私は気付くが。
困惑した様子で狗巻先輩を見る男性。
その人の腕を掴んだ狗巻先輩の手に力が入る。音を立てそうなくらいに力を込めて握ると、男性が顔を歪めた。
「……いっ!」
すぐに彼女の腕は解放された。
狗巻先輩が男性を無言で睨む。
男性はバツが悪そうにその場を去って行った。
「こんぶ?」
首を傾げて彼女を覗き込む狗巻先輩は。
心配はしてくれているが、何だかまだ不機嫌そうだ。
「大丈夫」
笑って見せる。
大丈夫。
とは言え、田舎から出て来た自分はやはり、ひとりで人の多い場所に来るのはやはり疲れる。
「ツナマヨ」
声に反応して頭を上げると。
視界が暗く遮られる。
「……?!」
ふわりと香る、その香りに。
抱き締められていると気付くのに、そんなに時間は掛からなかった。
「…あ、えっと…先輩?」
人の目も少なくない駅前の表通り。
一気に顔に熱が昇る。
「ちょ…無理です…」
狗巻先輩の胸に手を当てて少し押し、離して欲しい意志を告げる。
「おかか」
少し低い声で、ダメだと返ってくる。
背中に回された腕に、力が入るのを感じた。
電車のホームの放送や、歩行者信号の音。
何を話しているのかわからないが、人の声がたくさんと、街ゆく人の足音と。
街中の、雑音がやけに大きく響くように耳に入る。
恥ずかしくて顔を上げる事が出来ない。
力で敵わないのも唯は知っていた。
成すすべもなくそのままでいると、唐突にその時が来た。
狗巻先輩は急に腕を離して、唯を解放する。
…少しだけ寂しい気もした。
周囲の人は誰もこちらを気にする様子はなく、日常を過ごしている。
狗巻先輩は唯の顔を覗き込む。
彼の瞳は反射して、唯だけを映していた。
はぁ、とやはり不服そうにため息を吐き、マスク越しに、その唇が唯の頬に触れる。
「高菜」
ダメ、だと。
言われている気がするのは、気のせいではないと思う。唯はまた、頬を赤くする。
“ 自分のもの ” だと。
狗巻先輩は何事もなかったように唯の手を握り、歩き出した。唯は慌ててそれに着いて行く。
唯がぎゅっとその手を握ると。
狗巻先輩もぎゅっと、握り返してくれた。
End***