ぬくもり怖い。
血のついた自分の制服をぎゅっと握った。
自分は呪術師になるんだと、思って生きてきた。
それが当たり前の日常で。
でも。
肩から胸にかけてザックリと切られた黒の制服。斬撃が来るとわかって、直ぐに後ろに引いた。反転術式で治してもらえたのは、この判断があったからだった。
もしあの時、前に踏み込んでいたら、
確実に死んでいた。
治療を終えて安静を言い渡されたが、その足で職員室に報告書を取りに行く。帰り道、教室にふらりと立ち寄った。
授業は終わって、誰もいない1年生の教室。
夕陽が眩しく、少ない机を照らしていた。
唯は制服を机に置いて、力なく椅子に座った。
適当に選んだつもりだったけれど、此処は自分の席だ。
新しい制服注文しなきゃ。
洗い替えはあったから、明日一日休んで明後日からはそれ着ようかな。
なんて、ぼんやりそれを眺める。
視界が揺れる。
次第に視野がくすんで、大粒の涙が溢れた。
怖かった。
頭では分かっていたけれど。
やっぱり、怖かった。
自分が死ぬのも怖い。
でも、…これがもし、自分の血じゃなかったらと思うと。恐怖で身がすくむ。
唯は俯く。
情けない。
机に蹲るように伏せた。制服が落ちる。
かたん、と音がして。
唯が頭を上げると、見慣れた顔がそこにあった。
狗巻先輩、いつの間にそこにいたんだろう。
涙で濡れた顔を隠して俯く。
「……こんぶ?」
言われた唯は俯くばかりで応える事が出来ない。
言った言葉に答えを求めるでもなく、狗巻先輩は静かに落ちた唯の制服を拾って、隣の席に座る。
ゆっくりと伸ばした彼の手が、唯の髪に触れた。優しくそっと頭を撫でる。
目が合えば、何を語るでもなくただこちらを見る優しい顔。
唯の瞳が揺れて。
また、大粒の涙がぽろぽろとひとりでに流れた。
「ツナツナ」
頭にあった狗巻先輩の大きな手が、もう一度唯の頭を撫でる。髪を優しく透くように、触れて。
俯いて涙を袖で拭う唯を、ほんの少し腕に力を入れて抱き寄せた。
「………っ」
肩を震わせて子どものように泣きじゃくる唯をぎゅっと抱き締めて背中をさする。
何度も、何度もさすってくれた。唯が落ち着くまで、狗巻先輩は静かにそこに居てくれた。
陽が沈み始めて、辺りが少しだけ暗くなり始めていた。
唯は狗巻先輩の腕を離れて小さく呟く。
「…すみません…先輩の制服、汚しちゃって…」
泣いた唯の顔はぐちゃぐちゃで、まだ目は真っ赤だった。狗巻先輩の制服は黒くてわかりにくいが、たぶん胸元が濡れている。
「しゃけしゃけ」
覗き込む狗巻先輩の顔は心配そうに唯を見ていた。
「高菜?こんぶ?」
「もう、大丈夫です。だいぶ落ち着きました」
深呼吸を一回して、目元を指で拭った。
「…ありがとうございます」
言った唯の頭に、狗巻先輩がもう一度触れる。
ぽんっと叩かれたかと思うと、ぐしゃぐしゃっと髪を掻き回された。
「……ぅ、ええっ、ちょ!狗巻先輩…っ?!」
顔を上げると、笑う狗巻先輩の顔があった。
「ツナツナ〜」
「もう、やめて下さいよー」
イタズラに笑う狗巻先輩に、唯も自然と笑顔が溢れた。唯はぐしゃぐしゃになった髪を整える。
狗巻先輩は立ち上がって、唯の制服に手を触れた。
血の付いた制服を見た彼の表情は、影になって見えなかったけれど。
片手で制服を持って、もう片方の手を唯に差し出す。
「ツナマヨ」
少しだけ躊躇ったけど。
唯は素直に狗巻先輩の手を取る。
温かい手だった。
唯の手をぎゅっと包む。
きっと不安や恐怖はずっと消えないけれど。
この温もりも、ずっと忘れない。
End***