君を口説きに来てるガランと空いた教室を眺める。
全員揃った所でたったの4人だけど、今日は唯の机ひとつしか埋まっていない1年生の教室。
唯が任務に出ている間に、緊急で任務が入ったらしい。昨日任務から帰ったら3人で揃って出てしまっていた。メッセージはあったけれど仲間外れみたいでちょっと寂しい。
早々にお昼を食べ終えて時計を見るが、真希さんたちとの昼練までにはまだ時間があった。スマホを片手に時間を潰す。
午後からは忙しい特級の担任も出てしまうようで本格的なぼっちだ。2年生の実技に合同で参加させてもらうらしい。
足音と人の気配で振り返る。
「ツナー?」
見なくても声で誰だか分かるその人は、ネッグウォーマーを目深に被ってドアの前にいた。ひらひらと唯に手を振る。
「狗巻先輩」
「明太子」
唯しかいない静かな教室に足を踏み入れ、狗巻先輩は隣までやって来る。
「ツナツナ?」
言われて唯はきょとんとする。
えぇーと…。
そんな唯に目元を細めて、隣の机をトントンと人差し指が叩いた。
「あ!どうぞどうぞ。虎杖くんの席ですが」
「いくら」
椅子を引いて狗巻先輩はそこに座る。
ありがとう、だろうか?
「今日は私しかいませんよ?」
唯は笑って狗巻先輩を見る。
吊り目の瞳は紫がかった深い色で、マッシュヘアーのその人は、口元をネッグウォーマーで隠しているがそれでも整った綺麗な顔だと理解出来る。まつ毛が長くて、白い肌。小柄だが男性らしいシルエットだ。
「みんな任務に行ってしまいました。ひとりぼっちです」
「しゃけ」
しゃけは○で、おかかは×。
伏黒くんや2年生の先輩たちは普通に会話している風で羨ましい。虎杖くんと野薔薇ちゃんはなんとなくと言っていたけれど、唯もまだそのなんとなくを脱する事が出来ない。
まるで外人さんと話しているみたいだと最近気付いた。
「何かありましたか?」
「おかか」
きょとんとする唯を虎杖くんの椅子に座ってただ見るだけの狗巻先輩。
目が合えば、その紫の瞳を細めて微かに笑ってくれる。自分にただ笑いかけてくれると言うだけで、何だか恥ずかしくて、唯は少しだけ目を逸らした。
「誰かに用事でもありましたか?」
「おーかか」
唯は時計をもう一度確認するが、まだ時間はありそうだ。
「ツナマヨ」
言った狗巻先輩に、唯もなんとなく笑ってみるけれど。
やっぱり首を傾げた。
「…すみません。やっぱり、よくわかんなくて…」
何かあればジェスチャーなどで上手く運んだりもするけれど。何も用事がないここでのツナマヨは正直よくわからなかった。
唯は机の中からルーズリーフを一枚取り出す。
机に置かれたままの筆箱から、シャーペンを手に取った。狗巻先輩は唯の動きを覗き込むように前に倒れる。
「ツナ」
言われてもやっぱり分からない。
「えっと、しゃけが○で、おかかが×」
「しゃけ」
それをルーズリーフに書いてみた。
後、唯が聞いたことのあるおにぎりの具は、
「ツナマヨ、ツナ、明太子…いくら、すじこ?」
思いつくままに縦に並べてに書き出してみる。
狗巻先輩は横から高菜、昆布…、といくつか上げてくれた。それも書き取る。
「こんな感じですかね?」
「しゃけしゃけ」
それを見せながら、虎杖くんの机に置いた。シャーペンを手渡す。
「何か○×みたいに意味があるのなら、教えて欲しいです」
唯が顔を上げて見ると、狗巻先輩は目を見開いて驚いた様子を見せる。
息を吐いて、唯を見た。
「…高菜」
その様子に、少しだけ困った狗巻先輩の声に。何だか悪い事を言ってしまったみたいで気まずくなり唯は目線を逸らした。
「あ…。先輩と…もう少し、お話してみたくて…。ダメ、でしたか?」
静かな教室にはふたりの影しかなくて。時計の針が進む音がやけに響いていた。
少しの間があって、シャーペンのノック音が聞こえた。カサカサと、シャーペンが紙に走る音がして顔を上げる。
おにぎりの具はひっくり返されて、狗巻先輩は裏面を唯に見せるように机に置いた。
“ おにぎりの具に意味はない ”
「………?」
唯が首を傾げると、もう一度シャーペンが動く。いつも唯が使っているシャーペンを、先輩が動かしているのが何だか不思議な光景だった。
“ 意味がある言葉は話せないんだよ ”
言われた唯は目を見張る。
そうか。言われてみればそうだ。
肯定否定も細かな意味はない。
当たり前の事。
「…そう、ですよね。ごめんなさい」
「おかか」
言って狗巻先輩はやんわりと首を振ったけれど。
喉に苦いものを感じた。わざわざそれを、この人に説明させてしまった事実に申し訳なさでいっぱいになる。
唯が俯くと、またすぐにシャーペンの音がした。唯もルーズリーフを見る。
“ パンダがニュアンスとかジェスチャーとか ”
“ 顔とか見てるって前に憂太に言ってた ”
顔を上げた狗巻先輩は、唯の表情を確認するように見た。目が合うと、笑って頷いてからまた手元に向かう。
“ 俺も唯と話したい ”
その文字に、唯の心臓が大きく脈打った。
そこで一旦狗巻先輩の手が止まる。シャーペンを揺らしながら何かを考え込む様子の狗巻先輩。
ドキドキと言う心音を隠して見ていると、目線を上げた狗巻先輩と一瞬視線が絡む。
何も言葉が出ずにただ見ていると、先に目を逸らしたのは唯ではなくて狗巻先輩だった。
伏せたその目線を追って、唯は先輩の手元を見る。
“ だからもっと ”
“ 俺を見て欲しい ”
その言葉に唯はただ瞠目する。
心音が煩くて。顔を上げる事が出来ずにいると。
目線の先の紙の端に、シャーペンが置かれた。その手が唯に伸びる。狗巻先輩の大きな両手がゆっくりと唯の頬を捕らえて、無理矢理に顔を持ち上げられる。なすがまま振り返った目の前には、あの深い色の綺麗な瞳が揺れていた。
逃げる事は出来ない。その目から視線を逸らす事さえ許されない距離。
「…狗巻、先輩…?」
小さくその名前を呟けば。
真っ直ぐな瞳は視線を逸らす事なく、唯に囁く。
「ツナマヨ」
少し掠れた声がした。
深い意味は持たない言葉。
でも、唯の胸に何かが伝わった気がした。
唯は顔を真っ赤にして硬直する。
そんな唯に狗巻先輩は目を細めて静かに笑った。
唯の頬に触れて捕らえたまま、ネッグウォーマーで隠された口元を唯の耳に寄せてそっと囁く。
「…ツナマヨ」
唯に合わせて屈めた腰に、傾けた首。
静かに囁かれれば、唯は恥ずかしさで動けなくなる。
「………っや、ぁ」
唯が目をぎゅっと瞑ると、不意に先輩の手が解かれた。唯は耳を抑えてうずくまる。
顔が熱い。耳まで真っ赤になっているのが自分でもわかる。心臓が壊れそうなくらいに激しく脈打っていた。
「な、に、するんですかっ!!」
狗巻先輩を見れば、悪戯に笑っていた。
まだ胸がドキドキと煩い。狗巻先輩の声が頭の中で何度も何度も思い出されて繰り返される。しばらく治りそうにもない。
「こんぶ、たかなぁ」
「謝ってもダメです…」
狗巻先輩から目を逸らす。
ニュアンスで何となく汲み取るが。
恥ずかしくてまともに顔を見る事が出来ない。
「ツナマヨ」
「…もう、それはいいです」
「ツナマヨー」
笑って顔を覗き込まれるが、その視線から逃れるように目を逸らす。
諦めたのか狗巻先輩は、机に向かいルーズリーフをひっくり返し、裏面のおにぎりの具に1つだけ落書きをして唯に手渡す。
ツナマヨの横に小さく、
“ ♡ ”
唯に笑い掛ける狗巻先輩。
確かツナマヨが一番好きなおにぎりの具だったと聞いた気がする。
きっとこの言葉にも固定された意味はないんだと思うけれど。
「ツナマヨ」
唯は真っ赤な顔をまた、狗巻先輩から逸らした。
End***