絆創膏「どっちが勝つと思う?」
階段からグラウンドを眺めて座る野薔薇は膝に肘を付いて、さもつまらなそうに唯に声を掛ける。けれど、目線はグラウンドで組み合う2人に向けられたままだった。
そんな野薔薇を隣から一瞬見て、唯もまたグラウンドに目を落とす。
「優勢に見えるのは…伏黒くん、かな?でも、狗巻先輩。たぶん、上手くかわしてるように見える。下手したら擦ってもいないかも」
武器は使用せずの組手。押しているのは体格もある伏黒だけど、棘もただ後ろに下がっているだけには勿論見えない。
「やっぱりそう見える?何だかんだで伏黒が狗巻先輩のペースに巻き込まれて行ってる気がする」
「あ、狗巻先輩そう言うの上手いよね!」
大好きな狗巻先輩の話題にぱっと笑顔が花開く唯が呟けば。こちらを振り向く野薔薇と目が合う。
「じゃあ、私狗巻先輩にジュース1本」
野薔薇がニヤリと笑った。予想外の展開に、唯は言葉に詰まる。
「……え?!何言って…、!!」
後ろで笑う声が聞こえた。
「んじゃあ俺も!狗巻先輩で!!」
「えぇっ?!虎杖くんも何言ってるの…っ!?」
後ろを見れば笑う虎杖。
「ちょっとは同級生信じてあげなよー」
「じゃあ唯は伏黒ね」
「え、それは違っ!否乗らないよ、そんな賭け」
唯は頬を膨らませてプイッとそっぽを向く。
「ーー…あ。ほら」と、グラウンドに目を移す野薔薇に。
「あっ」「あー!」
虎杖と唯の声が重なる。
瞬間、姿勢を低くして相手の目線から外れた棘は、やや後ろに回り込み伏黒の足を引っ掛けた。バランスを崩した伏黒が棘の手で回される。
「棘、一本!」
真希の声を合図に勝敗が決まる。
「よっし!じゃ、私ファnタグレープで!」
「ありがとね。俺、コーラ」
野薔薇が笑って唯を見た。追って虎杖も笑って注文をする。何処まで本気で冗談なんだか分からない2人に。
「絶対買いませんー!!」
唯も冗談混じりに溜息を吐く。
三角に折った膝を抱えて口をへの字にして2人を見た。
「何してんだお前ら…」
歩きながら眉間に皺を寄せてこちらを見る伏黒。
野薔薇からタオルを受け取り額の汗を拭う。
「野薔薇ちゃんと虎杖くんが私をいじめる」
言った唯と2人を見比べると、さも興味なさ気に目を伏せた。「あんまいじめんなよ」と一応付け足して野薔薇の前に置かれた自分の荷物の横に座った。はぁ、と溜息の後荷物と一緒に置かれたスポーツドリンクのペットボトルに手を伸ばす。
ーーと、捲った袖から手首に見慣れない痕が見えた。
「あれ、伏黒くん怪我してる?」
然程の怪我でもないけれど、血が滲んだ手首はやっぱり痛そうだ。伏黒も甲に近い手首を見る。
「このくらいなら別に大した事ない」
気にした風もなくペットボトルを口に運ぶ。
確かに、普段任務で怪我も多い私たちにとってそんな大した傷でもないけれど。
唯は自分の鞄からハンカチと少し大きめの絆創膏を取り出した。
「ちょっと待ってて」
言って立ち上がり、すぐ後ろにある近くの水道に走ってハンカチを濡らした。
戻ってグラウンドを背に、伏黒の前にしゃがんで座る。
「ほら、見せて」
手を伸ばして、伏黒の手を取った。
「…否、本当ただの擦り傷だし」
と、困ったように腕を引く伏黒の手を、唯なりに引っ張ってみた。
「小さい傷でも痛いのは痛いよ。痛みに強くてもそれは関係ない。家入さんの所行く程じゃなくても、やっぱり処置はしとくに越したことはないよ」
顔を上げて伏黒を見れば、その手は案外軽く引き寄せられる。
本心から気にしていなさそうに見えるけれど、よくよく見ればまだ血は止まっていなかった。
唯は濡れたハンカチで簡単に傷口を拭いて軽く抑える。
はい、とハンカチを伏黒自身に渡して、抑えておくように伝えて。唯は絆創膏を袋から出す。子どもの怪我ではない、鍛錬の時や任務の時はこのちょっと大きめの絆創膏が一番役に立つので、いつもスマホと一緒に持っている。
「はいっ」
濡れたハンカチを伏黒から受け取り、膝に置く。微かに血が滲むハンカチ。
絆創膏の剥離紙をちょっとずつ剥がして手を伸ばすと。
無言で傷口を見ていた伏黒が不意に顔を上げた。
「…………?」
唯は不思議に思い、伸ばしたその手を止める。顔を上げて伏黒を見た瞬間、背中に温かいものが触れて。あ、と小さく声が漏れて、心臓が大きく鳴った。ふわりと、嗅ぎ慣れた優しい香りを感じて頬が赤くなる。
唯の肩口から首元を掠めて包み込むように白い腕が伸びて。唯の指先に男性の白く長い綺麗な指が絡む。
「こんぶ」
「…狗巻先輩っ!」
首だけで振り向けば、やっぱりその人がいた。目深に被ったネックウォーマーに、真っ直ぐなマッシュヘアー。紫がかった深い色の瞳が唯の肩越しに首を傾げて覗き見る。
「高菜」
真っ赤になって固まる唯を、紫の瞳がねめつけるように見ていた。
ーー怒ってる?
口を開こうとしたが、それよりも早く伸びた棘の指が唯の手から絆創膏を奪った。剥がし掛けた剥離紙を全部めくって、伏黒の手首に絆創膏を貼り付ける。
「明太子」
伏黒の手首の絆創膏を小さくぽんっと叩く。
「ツナー」
やや不機嫌そうに伏黒を見る棘。
伏黒は狼狽しながら絆創膏を見て、顔を上げて視線を棘に移した。
「…ありがとうございます」
「しゃけ」
言って唯の胸元へと腕をやり、ぎゅっと抱きしめる。行き場のない絆創膏の剥離紙を片手で握り潰して、唯の首元に顔を埋めた。
「狗巻先輩…、あの…?」
「こんぶ」
伏黒くんの向こう側に座る同級生を見れば、割と気にしてなさそうな野薔薇ちゃんと、そんな状況に困って笑う虎杖くん。
真っ赤になって俯くしか出来ない唯には気にも止めず、棘は顔を上げて伏黒を見る。目が合った伏黒は、バツが悪そうに明後日の方を向いて目を逸らした。
「コラ棘。後輩をあんまいじめるなよ」
「困ってんぞ。1年ズ」
棘は歩きながらこちらに来るパンダと真希を振り返る。
「おかかー」
俯く唯をもう一度覗き込み、棘はネックウォーマーを少しだけズラして、唯の頬に唇を寄せた。回していた腕を離して立ち上がる。
「…………っ!!」
言葉もなく、更に耳まで赤くする唯に、棘は悪戯に笑う。
「ツナマヨ。明太子」
伏黒の前に座ったままの唯に手を差し出した。ドキドキと胸を鳴らしながら、唯は棘の手を取る。その腕に力が入り引っ張り上げられるように唯が立ち上がると、そのまま唯の手を掴んで階段を登り出す。途中で唯の鞄を手にした。
「棘!何処連れてく気だ?」
「こんぶ」
ツナツナ、と軽く振り返り、全員に手を振る棘。
「高菜」
そう告げてまた、歩き出した。
階段を登り切ってしばらく進む。今日はもう夕練に戻る気はないらしい。
人通りの少ない校舎へ続く道すがらやっと唯を振り返り見た棘は、やっぱりちょっと不機嫌そうに目を細めていた。
「いくら。高菜」
握っていた唯の手を無理矢理に引っ張れば、軽い身体は難なく棘の胸元に引き寄せられる。
「狗巻先輩…何で怒ってるんですか?」
「おかか」
「怒ってますよね?」
「明太子」
顔を上げれば、ネックウォーマーのチャックに手を掛ける棘。下ろされたチャックから見えるのは、呪印の刻まれた歪む口元。ゆっくりと唯の顔に近付き、噛み付くように唯の唇に触れた。
「おかか」
「こりゃもう戻らんな」
と、小さくパンダが呟く。横で真希も盛大に溜息を吐いた。
「ドンマイ伏黒」
野薔薇がぽんっと、伏黒の肩を叩いた。
「否、別に俺は…」
「怒られちったね、狗巻先輩に。ドンマイ」
「だから、俺は別に気にしてないっ」
虎杖が笑って伏黒を見た。
「次からは唯に絆創膏もらって、俺が貼ってあげっから。コーラ1本な?」
「しゃーない。私も貼ってやるわよ。喜びなさい。ファnタグレープ1本ね」
「はぁ?」
End***