おもちゃの指輪「すごい!本物だー」
久しぶりに来た雑貨屋さんの店頭。
カプセルトイの前にしゃがんでじっくりとそれを眺める。
“ おにぎりんGU ”
風の噂には聞いた事もあった(テレビで見たのかもしれない)が、本当に存在するんだな。
…と。
唯はおにぎりNぐの写真をじっくりと眺める。
普段からゲームセンターにはあまり行かないから初めて見た。
しゃけ、梅干し、明太子、ツナマヨ、いくら。
どれもほとんどが聞き覚えのある“語彙”だ。
「ツナマヨがいいなぁ…」
言って唯は顔を顰める。
ツナマヨは、狗巻先輩の好きなおにぎりの具だ。唯にもよく「ツナマヨ」と声を掛けてくれる。たぶんだけど、狗巻先輩は嫌な時や不快な時にに「ツナマヨ」は使わない。…たぶん、だけど。
肯定の意味ならしゃけも捨てがたい。いくらもキラキラしていてまぁかわいい。明太子もよく聞くからありだ。
…梅干し、は何故か聞いた事がないけれど。
まぁ、そうして考えれば確率的には4/5は当たりだ。
唯は鞄から財布を取り出した。
鞄の中には財布と、さっき雑貨屋さんで買ったペンやメモ帳などがまてめてビニール袋が入っている。
300円か…、と機械に描かれた金額表示を確かめた。最近のカプセルトイは結構高い。そして完成度も高い。
唯は財布を取り出して小銭入れを開いた。中を確認すると、百円玉が2枚と十円一円玉が5枚程。
…足りない……!!
千円札ならいくらかあるが。
さっきお店で小銭を使ってしまった事を悔いた。
小さく唸ってそのまま左右を確認するが、ゲームセンターでもない場所に当前両替機は存在しない。代わりに目に入ったのは近くの自販機だった。
「ジュースかぁ…」
別に喉も乾いていないんだけど。
コーヒーか紅茶でも買おうかな。
とりあえず用事は済んだから、後は寮に戻るだけで、この後は特に用事もない。お茶なら部屋に置いておいても良いだろう。
ーーと。
そこまで考えてふと、我に返る。
何やってるんだろ。
たかがオモチャだ。
欲しくて仕方がなかったグッズでもない。
そもそもだが、おにぎRIんぐは狗巻先輩には一切関係がない。
唯はもう一度カプセルトイの機械を見てため息を吐く。ちょっと残念な複雑な気持ちに、ひとり小さく笑った。
「…帰ろ」
不意に、カプセルトイの機械が影になる。
隣りに人が立つ気配を感じた。
邪魔にならないように立ちあがろとしたが、それより先にその人は距離を詰めて唯の隣りに座り込んだ。
「明太子」
言ってお互いの肩が触れた。
「………?!」
聞き慣れた語彙に顔を上げれば、マッシュルームカットの亜麻色に黒のマスク。
緑のベストにワンショルダーのバックを背に、唯の目線に合わせて膝を折っている意中のその人。
見慣れない私服に一瞬唯の反応が遅れた。
「狗巻先輩…っ!!?」
カプセルトイを見て思いを爆ぜていたその人がーー、いきなり目の前に現れて、唯は言葉を失う。
考えてみれば、高専からあまり距離のない雑貨屋だ。話をしていても時折話題になるくらいには生徒の馴染みの店だった。
どくどくと煩くなっていく心音とともに、冷や汗がどっと出るような感覚。
頭の中が真っ白になる。
「ツナ」
挨拶なのか、真横にいる狗巻先輩はぱたぱたと唯に手を振って見せた。
吊り目がちで涼しげな目元が、それだけでも彼の綺麗な顔を物語っている。ついでに私服もオシャレだ。
その目元がほんの少し笑った、気がした。
おにGIりんぐのカプセルトイをちらと見る。
「すじこ」
言って唯を振り返った。
「………!?」
目の前にあるのはおにぎりの指輪のカプセルトイ。座り込んでまで見ているのだから、突っ込まれて当然だ。
「あ。なんか、可愛いなぁって…思って…」
ハハっと乾いた笑いで誤魔化す。
不自然だったかもしれないが。
狗巻先輩の事を考えて見ていたなんて、口が裂けても言えない。
言えないけれど。おにぎり…と言えばやっぱり誰でも狗巻先輩の顔が浮かぶだろう。
隠し切れてもいないかもしれない。
狗巻先輩は、カプセルトイの写真に触れた。指した指先は、ツナマヨの指輪。
「ツナマヨ?」
悪戯にその顔が笑って唯を見る。
本物の意味が篭ったであろう「ツナマヨ」は初めて聞いた。
否、そうじゃない。
何で先輩はツナマヨが欲しいって知ってるんだろう。
「…いつから見てたんですか?!」
慌てる唯。
そんな唯を笑って、
「いくら」
と、適当にはぐらかす狗巻先輩。
結構初めの方から見られていた事に、唯は顔を赤くする。
「高菜?」
欲しいの?と、尋ねる柔らかな声。
嘘を吐いても仕方がない現実に、唯はしぶしぶ頷いた。
「どうしても欲しい訳でもないんですけど。このラインナップならツナマヨがいいかなって」
言いながら唯は立ち上がる。
「まぁ、小銭がなくなっちゃったので今日は諦めます」
ーーけれど。
狗巻先輩の手が立ち上がる唯の腕をぎゅっと掴んだ。軽く腕を引っ張られる。
座ったままの狗巻先輩は、唯を見上げた。
片手でポケットからスマホを取り出すと、画面に視線を移して指を滑らせていく。
それから然程の間を置かずに、画面を唯に向けて見せた。
[ ツナマヨをプレゼントしたら
この後デートしてくれる? ]
画面に書かれた文字の衝撃に大きく目を見開く唯。小首を傾げた狗巻先輩の顔が、向けられたスマホ画面の横から驚く唯の顔を楽しそうに覗いていた。
ツナ、とスマホの画面をもう一度触って、再び唯に向けた。
今度はメモではなくて、見覚えのある可愛いロゴが目に入る。
「あ!これ、駅前のクレープですか?」
最寄りの駅にあるクレープ屋さんのクーポン券だ。
「しゃけ!」
ぐっと親指を立てる狗巻先輩。
「行きたいです!」
狗巻先輩とデート出来るなんて願ってもないチャンスだ。わくわくした気持ちで唯は答える。
狗巻先輩は見上げた唯の腕を引っ張った。ツナツナ、と誘われて唯がその場に座ると、ショルダーバッグから財布を取り出す。
百円玉を三枚取り出して、慣れた手付きで機械に投入した。
「高菜」
笑うでもなく、真剣な顔でカプセルトイの機械を見る狗巻先輩。
指先がレバーにかかる。
「明太子!」
言いながらレバーを回した。
たぶん、大した事じゃない。でもその指が、何だかスローモーションのようにゆっくりとして見えた。気がした。
がごん。
と、音を立てて落ちたのは丸いカプセルではなくて三角おにぎりの形をしたプラスチック。
唯と狗巻先輩はカプセルの出入り口をふたりで凝視した。
「しおむすび」
「おにぎりですね!」
何だかドキドキする。
もしツナマヨが入っていたら、狗巻先輩とクレープデートに行けるなんて。
おにぎりのカプセルを手に取ったのは狗巻先輩だった。ペリペリとテープを剥がしていく。
唯は静かにそれを見守っていると、狗巻先輩はほんの少し唯から距離を取り、向き直って片膝を付いた。
「………??」
人も疎な道の端。
狗巻先輩は顔を上げて唯を見たかと思うと、まるで王子様のプロポーズのようにおにぎりを差し出す。
「ツナマヨ」
手に持っているのは指輪の箱…ではなくおNIぎりんぐのおにぎり形のカプセル。片膝を付くそのポーズも、あからさま過ぎていつもの悪ノリだろうけれど。
唯はドキドキしながら差し出されたおにぎりを見る。
ぱかっと、音を立てて開いたそこには、
ーー赤いしわくちゃの丸があった。
まさかの1/5の確率。
「……梅干し、ですね…」
狗巻先輩の語彙にはないおにぎりの具だった。
蓋を開けた狗巻先輩からはそれが見えているのか見えていないのか。
声を上げたのは唯だった。
狗巻先輩は蓋の開いたおにぎりカプセルをひっくり返してまじまじとその指輪を見る。
「…おかか…!!」
少しムッとした表情で梅干しに文句を付ける狗巻先輩。
唯は思わず笑みを浮かべる。
「残念でしたね…でも、」
梅干しも可愛いです。
と、言い掛ける唯の言葉を止めて、狗巻先輩はもう一度財布を取り出す。
「あ、ぃ、狗巻先輩…?」
百円玉をまた3枚取り出してカプセルトイの機械に投入した。
唯は小さく声を上げる事しか出来なかった。
「ツナマヨ」
言って再びそのレバーを回す。
がこん。
さっきと同じように音を立てて落ちて来たのは、また三角のおにぎりの形のプラスチックだった。
「しおむすび」
「…ですね」
デジャブのように、再びふたりでカプセルの出入り口を凝視した。
狗巻先輩はおにぎりカプセルを手に取る。ペリペリとテープを剥がして唯を見た。
「こんぶ?」
「ツナマヨ…だといいですね。でもせっかくなので、梅干し以外なら何でもいいですけど…」
狗巻先輩はそれに頷いてから、カプセルを開く。
ぱかっと、カプセルが開く音。
中に入っていたのは、
赤いしわくちゃの丸ーー。
「梅干し!」
唯が声を上げる。
また、狗巻先輩の語彙にない1/5の確率だった。
「…おかかー!!」
また、ムッとして機械を見る狗巻先輩。梅干しのカプセルを閉じて無意識に唯に渡す。
それから間髪入れずにショルダーバッグに手を掛けた。
「先輩?!否っ、もう大丈夫です!!2回もやってもらったしっ」
今度は慌てて唯がその手を止めた。
「ツナマヨ?!」
声を上げる狗巻先輩。
「ツナマヨ、は…欲しかったけど、もう充分です。梅干しがふたつもあるので」
言って渡されたおにぎりカプセルを見せる。
そもそも冷静になって考えてみれば、ツナマヨが出なくてもお互いが同意すればクレープは行ける。
「梅干しって…。狗巻先輩は言わないけど、可愛いからこれでいいです」
ーー狗巻先輩がくれたものだから。
それだけで充分だった。
と、言い終えてふと自分の失言に気付く。
顔が急に熱くなった。
「ツナ」
ほんの僅か、目を見開いて表情を変えた狗巻先輩。
でもすぐに、唯の言葉にクスクスと笑い出す。
唯の頬がまた一気に熱くなった。
「そんなに笑わないで下さい…」
むくれて目を逸らす唯。
肩を揺らす狗巻先輩は、そんな唯に腕を伸ばした。ぽんぽん、と小さな子どもをあやすように頭を軽く叩いて撫でていく。
「いくら」
ごめんね、と笑う狗巻先輩。謝る気はなさそうだけど。
「ツナ」
ぱかっと、おにぎりカプセルの開く音が聞こえて、唯は顔を上げる。
狗巻先輩はおにぎりから梅干しの指輪を取り出して、カプセルだけをポケットにしまった。
もう一度片膝を付いて、唯を見る。
唯の左手をそっと持ち上げた。
「ツナマヨ」
薬指に、ゆっくりと指輪をはめた。
目を閉じて俯く狗巻先輩。
長い睫毛がとても綺麗で。色素の薄い髪が揺れた。
マスク越しに、その唇が唯の薬指の指輪に触れる。
「………っ」
音もなく落とされた狗巻先輩の唇。
静かに紫の瞳を開いて、唯を見上げた。
どくどくと煩く脈打つ唯の心臓。
狗巻先輩は、唯の持っていたもうひとつのおにぎりカプセルを奪うように持って行った。
もうひとつのおにぎりカプセルから梅干しの指輪を取り出すと、自分の左手薬指に嵌めて見せた。
「明太子」
“ お揃いだね ”
赤くなる唯の頬を撫でて笑い掛ける。
あ、と声はないが、狗巻先輩は思い付いたようにスマホを取り出した。
また、何かを打ち込んでいく。
画面を唯に見せて、優しく微笑んだ。
[ 今からデートしてくれる? ]
End***