ノンアルコール・モヒート!(18) 藍湛がスーツに着替えて、一緒に家を出た。駅まで送ると言ったのに、結局店に送り届けられてしまった。
「また後で」
そう言った藍湛に、俺は笑顔を向けて「待ってる」と伝えてオープン業務に入った。五時にオープンしてすぐ、昨日泣いてた女子大生が飛び込んできた。お気に入りの席に座り、お気に入りのカクテルを飲みながら彼氏の惚気を話してくれる。
「それで、マスターは?」
普通、昨日の今日で進展なんてないと思う。いや、あったんだけど。のらりくらり躱していたら、続けて常連が二人か入店した。
重ねてカクテルを作っていたら、扉がまた開きそちらに笑顔を向ける。
「いらっしゃ………ぃ…」
そして俺は固まった。
最後まで、どうにか言えた俺を誰か褒めて欲しい。
店に来たのは藍湛だった。それはいい。しっかりスーツを着ている。スーツに疎い俺でもわかる、かなり上等な…それも別に構わない。休みに何を着ようが自由だからな。しかし、その手に持った薔薇の花束は何だ…?他にも何か箱を持っている。
緊張した面持ちで、此方に向かってくるんだけど。え、何、どういう事…?
ぽかんとしてしまい、カクテルを作る手も止まってしまう。
「魏………マスター」
名を呼ぼうとして、思い留まったらしい。気遣ってくれたのだろうか。カウンター越しで正面に立ち、一瞬目線を泳がせる。深呼吸して、しっかりと真剣な眼差しでを合わせ俺に花束を差し出してきた。
「君を愛している。私と共に歩んで欲しい」
そう言って脇に抱えていた箱をも差し出してきた。常連客三人の目が痛い。特に女子大生、視線がうるさい。
「……藍湛…」
やばい。何だこれ、プロポーズされてるのか…。何だかちょっと混乱してる。けど、ざわざわと全身が熱くなり耳元で鼓動が脈打つのがわかる。
「……嫌なら、これを突き返して。無礼でなければ…受け取って欲しい」
そう言ってカウンターに差し出された薔薇の花束と、ひとつの箱。丁寧に包装されたそれは、何かわからず目線で開封の是非問い、やはり視線で了承を得てから開封する。
「これは………」
ポートワイン。
しかも最上級のヴィンテージ・ポートだ。
基本的に男性から女性に愛の言葉を伝える時に使うものだ。『無礼』というのは、きっと性別の問題だろう。
藍湛なりに、考えてくれた…調べてくれた結果なのだろうと思うと胸と目頭がが熱くなる。大きく息を吸い込んでゆっくり吐き出し気持ちを落ち着かせた。
答えなんて決まってる。
「藍湛、これで俺に注文してよ」
驚きに目を見開かれる。藍湛にとって想定外の答えだったようだ。
「マスター、これで一杯作って欲しい」
藍湛の注文を受け、ヴィンテージ・ポートの箱を開ける。栓を開けたら、極上の芳醇な香りがした。しかし俺は、緊張で手が震えないようにするのが精一杯だ。
初めて、カクテルを作った時みたいだ。
ミキシンググラスにブランデー、ドライベルモットと開封したばかりのポートワインをそれぞれ注ぎ、バー・スプーンで軽くかき混ぜる。カクテルグラスにストレーナーをかぶせて静かにミキシンググラスから移動させる。
『モンタナ』だ。意味は『優しく愛して』という。臆病な俺を、優しく包み込んで愛して欲しいという願いからだった。
藍湛の前にコースターを置いて、グラスを出す。
「お待たせ致しました、モンタナです」
笑みを浮かべながら小首を傾げると、藍湛は目を瞬かせた。
常連客が見守る中、俺達は二人だけの世界に浸る。
「私は……」
「…なぁ、藍湛。そうやって俺にご馳走してよ、常連さんがたまにしてくれるみたいに。これからこの店に藍湛のボトルとしてリザーブする。だから、たまに注文してご馳走して。そうだなぁ…例えばうちに泊まりに来られる日の合図とかにしてみるか?なんてな」
藍湛は静かに聞き、言葉の意味を考えているようだ。
「君を、優しく…愛すると。約束する」
今度は俺が驚きに目を見開いた。…意味を知ってた?
「それ……」
藍湛は僅かに照れ臭そうに目を細める。カクテルグラスに注がれたモンタナを見て口を開いた。
「ポートワインを調べた時、知った」
俺は思わずカウンターを飛び出し、藍湛に飛び付くように抱きついた。飲めない癖に、俺の世界を知ろうとしてくれた事が嬉しかった。
「ヒュー!」
「おめでとう、マスター!」
思わず振り返り、常連客の存在を思い出す。俺は照れ臭さと祝ってくれる喜びに、へらりと笑って軽く手を振る。女子大生なんて、泣いてるし。
「魏嬰」
耳元で名を呼ばれ、振り返ると幸せそうな眼差しとかち合った。満面の笑みで頬に口付ければ、再び三人の常連客から歓声が上がる。
「藍湛、いっぱいに幸せにしてやるから覚悟しろよ」