I Don’t Feel Like Dancin’I Don’t Feel Like Dancin’
今日は気分が悪い。
特に理由はないが、生きている人間だしそういう日だってあるだろう。もう良い大人だから自分で自分の機嫌の取り方は熟知しているつもりだったが、今日の機嫌だけはどうしてもダメだ。
手に握られた少しぬるくなったコーヒーを見る。黒い液体に映り込んだ自分の顔はいつもの絶好調からは程遠い。
まばらに生えた髭を剃るのも面倒だし、どこに行くわけでも無い髪を恋人の為に整えるのも面倒だ。何ならもう一度ベッドに戻って何もせずに寝てしまおうかと思って朝のカフェインを取るのすら戸惑っている始末なのだから。
「お、やっぱ先に起きてたか、早いな」
ベッドルームから呑気な声を出しながら恋人がやってきた。
雄鶏よろしく朝に強ければ良いくせに、俺より先に起きることが滅多にないルースターはクタクタの髪の毛をかき上げながら大きな欠伸をしている。こっちは気分が乗らずに調子が良くないのに能天気なこって。
「おはよう、ダーリン」
「ん、」
腰に手を回されて首筋にくすぐったいキスをされるが「おはよう、ダーリン」とこちらも返すのも面倒で素っ気ない返事になってしまった。
「何?機嫌悪い?」
「んー、いや...」
図星だ。今俺は、お前の髭が邪魔でいつもならそのままキスしてやりたいその唇すら鬱陶しく思っている。
「絶対機嫌悪いだろ」
「そうだな、調子はよくないな」
「珍しい、あのハングマンが!」
勿体付けて顔を離してびっくりしたような顔を見せるが、わざとだ。
コイツは俺の事になると偶にやり過ぎになる傾向がある。証拠にほら見てみろ、調子が悪い俺を見つけて口角が上がりきっているじゃないか。
馬鹿にしているだろと指摘するのもアホらしくて、俺は「勝手に言ってろ」と捨て台詞を吐いてコーヒーに口をつけた。ぬるくて酸化して苦味が増したそれは、余計に今の気分を表しているようで、眉間の皺が深くなる。
「まぁ、理由は聞かないけど俺は気分が良いから勝手にさせてもらうから。」
「どうぞご自由に。」
相手をするにも相手が普段から陽気な奴だとこっちも体力がいる。それが余計にこんな気分の時は2倍くらいかかる。
もう諦めて1人でベッドルームに戻って再度眠りに落ちればこの気分は解消されるのだろうか。コーヒーを飲み干すのを諦めてカウンターにカップを置いた俺の後ろのリビングでルースターがゴソゴソと何かいじる音がする。
振り返って見てみれば、彼はリビングに設置しているレコードプレーヤーを大きな身体を丸めていじっていた。
「何してんの?」
「見れば分かるだろ、折角の休日だしスタートは良い音楽がないと」
「マジか...」
既にこんな気分なところに音楽をかけられて、ノリノリになられてはたまったもんじゃない。俺のベッドルーム行きは確定だ。
そうこうしている内にルースターは御目当てのレコードを見つけたようで、慣れた手つきでスリットから取り出してプレーヤーに置いている。逃げるなら今しかない。
「俺、ベッド行くわ。邪魔すんなよ」
そう言ってヒラヒラと手を振ってリビングから逃げようとした所、後ろからその手を勢い良く掴まれた。思わず振り返るとそこには満面の笑みのルースターがいた。
既にレコードプレーヤーからは曲が始まる前のカリカリとした音が響いている。
「何寂しいこと言ってんだ、ほら、踊るぞ」
「は、はぁ?!?!」
「良いから、踊るんだよ!」
リビングにはダサい曲が響き始めた。
ダサいっていっても、要するに昔の80年代のクラブダンス曲。俺も80年代の曲は好きだが、本当にそんな気分じゃない。それに踊るだって?何を言い出すんだ、ふざけんな、俺はベッドに行きたいんだ。
「おい、マジで離せよ!気分じゃない」
「〜♪♪」
聞いていない。いや、聞こうとしていないんだろう。
掴まれた手は握られていつの間にか腰に手を回されている。嫌だと身体を捻ってもそのまま腰を抱かれて動かされる。
「おい、ルースター、聞けって!俺本当に...」
「良いから良いから」
そのままルースターは曲に合わせてステップを踏み始めた。
否応が無しに動くルースターに合わせて俺の身体も揺さぶられるしかない。
でも本当にステップだとかダンスする気分じゃなくて、俺の足は引き摺られるようにルースターの動きに無理矢理合わせられている。
ダメだ、本当にダメだ。
マジで踊る気分なんかじゃ無いんだよ。
最後の訴えをしようとして俺は少し高い背のルースターの顔をチラッと見上げた。
目の前のルースターは俺を見ているでもなく、ただ目を閉じて今かかっているレコードの音を楽しむように笑っている。
俺の腰を掴む手は優しく、握る手はそれでいて力強く。
俺がどう思ってようが全く気にしていないんだろう、本当にルースターは自分の気分のままに俺を付き合わせて楽しそうに全身を動かす。
そうやってしばらく俺の目線にも気付かずにただ音楽に揺られて楽しんでいるルースターを見ると、唐突になんだか全部馬鹿らしくなってきた。
全部、そうだよな、どうでもいい。
ダサい陽気な音楽が空間に広がるし、目の前の恋人は妙なステップで身体を動かしているし、その変なステップに付き合わされて俺の身体も揺れている。
自分の状況を俯瞰してみればこんなに滑稽なことはない。本当に全部馬鹿馬鹿しい。
そう思うと、そもそも意味もなく自分の機嫌が悪いのも全くおかしな事の様な気分になってきた。
目の前の機嫌がいいルースターと機嫌が悪い俺。どっちも身勝手で結局は一緒じゃないか。
俺は観念して一つ息をつくと、絡められていた手を少し握り返し、相手の腰に手を添え返した。
「おっ、もしかして調子が良くなってきたか?」
俺の動きに気付いたルースターが目を開けて顔を覗き込んでくる。
「ほざいてろ、俺はいつでも調子いいだろ」
「やっぱりな、そう来ないと!」
よくよく聞けばレコードの選曲は悪くなかった。めちゃくちゃなステップで踊るルースターに身を任せる。本当に狂った雄鶏のダンスだ、可笑しすぎて笑えてきた。
「お前、っふふ...本当にさ...」
「偶にはいいだろ?こんなのも」
近所の人が窓から見れば大の男2人がリビングで手を取り合って踊り狂ってるんだから、通報モンだ。
でもまぁ、そんなのは良いかと思わせるような感覚が俺の中に広がる。今はもう諦めてこの流れに身を任せるのが何故だか最良の選択肢に思えた。
「あぁ、悪くない、悪くないよ。」
やけに陽気な音楽と目の前の恋人に身体を全部預ければ、余計な思考は魔法の様に消えていく。
レコードが終わるまで馬鹿をやるのもいいじゃないか。ルースターのニヤけた顔を見つめて俺も笑い返すと、そこからはもう2人でヤケになってふざけたステップを踏む。
確かに、偶にはこんな日もいいか。
終わりが見えるレコードの針が少し惜しくなって、俺はわざとプレイヤーの自動ターンのスイッチを入れた。
ルースターがそれに気付いたかは分からないが、笑って俺の手を更に引き寄せたからもう分かっているんだろう。
そのまま2人で疲れ果てるまで、踊ろう。
思考を捨てて今はただ、この音の波と陽気すぎる恋人の腕の中で笑う自分が何故だかとてつもなく幸せな様に思えた。