MirrorsMirrors
ハングマンが俺と同じで両親が居ないってことを知ったのは、作戦が終わって直ぐだった。
祝杯で酒に酔ったフェニックスが「ルースターあんた知っている?あいつもああ見えて家庭環境アンタと似て苦労しているのよ、やっと少し距離が縮まってほっとしているわ」と笑顔で目線を送った先にいたのがハングマンだ。
あんな高飛車な性格で、自信家で自らエリートだと豪語し自負する彼が、死に物狂いでやっとここまで追いついた俺と同じような家庭環境だと聞かされるのは余りにも辻褄が合わなくて、流石に俺もフェニックスに「マジか!?」と少し裏返った声で返してしまったのを覚えている。
別に親がいないのはやましいことでも何でもなく、それは「そうなってしまった」のであって、世の中には様々な形の家庭があって、育つ環境も十人十色というのは充分に承知している。
ハングマンが天涯孤独かはわからないが、少なくとも自分と似たような環境で育ち、それでもアナポリスへ進学し、今のエリートとしての地位を築いている所に色々苦労してきた身としては妙な親近感を感じてしまった。
勿論俺が彼と全く同じエリートかどうかというのは置いておいて、それでも同じ空を飛ぶ仲間である彼が語らない背景にそういう事情があったことは、本人に直接聞くようなことではないにしろ、少しあの時の甲板で握手した彼との距離を心なしか俺の中で縮める要素になった。
「よぉ、雄鶏くん。今日はピアノ弾いて踊らねえの?」
自分の所属基地に戻る前日、あの作戦の祝杯パーティのような騒ぎがハードデックの中で繰り広げられていた。
酒も進み会話も弾んだのは致し方無いにせよ、既に3時間経っている。
いい加減に少し休憩を取ろうと思い、隅の席で携帯をいじっていた所、ハングマンが声を掛けてきた。
3時間も経っているのに相変わらずビール瓶を片手にセットされた髪の毛も乱れていない様子に、彼が今来たかのような錯覚を覚える。思わず瞠目してじっとハングマンを見つめてしまった。
「えーっと、お前、最初からずっといるよな?」
「そうだが?何か?」
涼しそうな顔でビールを煽りながらいつもと変わらない調子で変わらない答えがかえってきた。
「何か魔法かなんか使ってる?まだビール飲み続けてるのと、今日が最後なのに何であいつらみたいに乱れてないんだよ」
そうしてチラッと目線を先程までいた場所を見ると、ハングマンも釣られて目線をやる。
ビリヤード台の周りで騒ぐコヨーテやペイバックやファンボーイの手にはウイスキーが握られており、もうしっちゃかめっちゃかだ。
後でペニーの鐘が鳴らされて放り出されるのも時間の問題だろう。
「それなら俺も同じこと聞こうと思って」
ハングマンが目線をこちらに戻した。
「何でお前最後の日なのに乱れてないんだよ、もっとあいつらと飲んで騒げばいいのに」
「あ、あー。うん、それ、聞く?」
「別にやましい事があるわけじゃないだろ、アイツらと別れてまたこんな風に集まる事はほぼないと思うぞ」
それ、自分へのブーメランだぞ、ハングマン。と言いたかったが、俺なりにへべれけにならないのは理由がある。
これは小さい頃からの癖だ。
両親が居ない俺にとって家に帰れば1人なのは当然だし、自分の面倒を見れるのは他ならぬ自分自身しか居ない。
パーティは楽しいが酒で前後不覚になった時に誰が助けてくれるんだ。親兄弟が近くにいれば迎えに来て介抱して貰ったり、恋人が居れば同じ様に肩を預けたりできるだろう。
孤独の生活に慣れきっていればそれなりに自分自身を守る知恵が身につく。
酒に溺れてハメを外さないのはその知恵の一つだった。
「まぁ、所謂1人で生きてるからこその自己防衛手段かな」
「へぇ、興味深い」
ハングマンは俺の答えに満足したのか、口角を上げて笑う。
「そういうお前は?」
すかさず俺は質問を繰り返す。
「まぁ、同じ答えだと言っておくよ」
そういって彼はビールを軽く一口だけ煽った。あくまでも、少量だけ。
確かに言われてみれば彼が今まで馬鹿みたいな飲み方をしているのは見た事がなかった。
「お前、1人なの?」
彼の答えに思わず口が滑った。
ハッとして口を手で閉じたが遅かった。
ハングマンが孤独だとか俺と同じ境遇だとかを馴れ合うつもりは全くなかったし、聞くつもりもなかったのに。
「それ、どういう意味で?」
「あ、いやー、その...恋人、とか、その...お前ほら、モテるだろ。だから誰かいるならそんな答え返さなくてもいいのに、って...」
「恋人はいない。1人だ。それに、家族も、いない。」
次に口を滑らせたのは彼の方らしい。
話を逸らして恋人が居ないというのを聞いてしまったのは少し失礼な事をしたと思ったが、まさか自分が孤独であるという開示をハングマンからされるなんて思っていなかった俺は言葉に詰まってしまった。
「そ、そう、か...」
「孤独仲間が出来て嬉しい?」
妙に寂しそうな顔でハングマンが俺に笑いかける、何だその顔。泣きそうな顔で俺に笑うなよ。間違った質問した俺が悪いみたいじゃないか。
「お前は孤独じゃないだろ、ハングマン」
「それ、俺のセリフ。」
「おいおい、茶化すなよ。俺は別に俺と同じ境遇のお前をそんな風に見るつもりも無いし、ハングマンはハングマンらしく居てくれよ」
「俺はいつだって俺だよ、これまでもこれからも」
少し前まで泣きそうな顔だったハングマンはもう消えていて、一瞬でまたいつもの涼しい顔に戻っていた。
さっきのやり取りは幻か?一瞬だけ見せた彼の弱さは俺にもよく分かる。孤独で不安になるよな、縋るものがないから強くなきゃいけない。ハングマンがハングマンであり続けるのは自分に縋るしか生き残る道がなかったからだ。
「ハングマン、俺さ...この作戦が始まるまでお前のことちょっと誤解していたかも」
「救世主サマになってくれるなんて思ってもいなかったろうな?」
「いや、それは本当に感謝してもしきれないよ、改めてお礼を何百回言っても足りないくらい」
この日までに毎日の様にありがとうと言ったが、今日もまたありがとうを返した。
「冗談だ」と笑ったが、本気で何百回言っても足りない。彼は命の恩人だ。
「それで、誤解って話な、お前は本当は誰よりも優しいよ。」
「...なっ...」
ハングマンが息を呑むのが分かったが言わせてくれ。どうせ今日で最後だし。最後くらいくさいセリフ言っても許されるはずだろう。
「実はフェニックスからお前が1人ってのは聞いていて、別にそれがどうこうじゃないんだけど。お前と俺って似ているって、俺は思ってて」
自分でも饒舌になり過ぎているのは分かっている。酒のせいにしたいが生憎全然酔っていない、俺は今本心で喋っている。
「その孤独のせいで他人に優しくし過ぎて、それで強くあるために自分を奮い立たせているなら少し自分に優しくしたらどうだ?
口は悪いけど他人にかける優しさって多分やり方さえ分かれば自分に返せるから。俺が言えたことじゃないけど、偶には友人と息抜きしろよ。」
だから、さっきみたいな自分の孤独を曝け出した時に泣きそうになるのはやめてくれ。
そこまで言おうとしたが、流石に口を止めた。
ちょっとだけ年上の俺からの説教くさい話になってしまったかもしれない。
なんだか収拾がつかなくなって、俺の方が恥ずかしくなってきた。
思わず頭を掻くと、隣から小さな返事が来た。
「....ありがとう、ブラッドリー。」
一瞬だけ、確かに彼は俺の名前を読んだ。
彼はまたすぐにわざとらしく自分の腕時計を見ると、「こんな時間だ」と口に出して座っていた俺の隣のカウンターから立ち上がる。
「まぁ、なんだ....ルースター、確かにお前がいう様に、俺もお前も似ている。その内お互いにハメを外して酒を飲んで笑える相手が出来るといいな」
俺は明日早いんだ、じゃあな。と俺の返事を待たずにそれだけ言うと、何事もなかった様に手を振り、ハングマンはビリヤード台の周りにいる仲間たちに挨拶をして、早々に店を出て行ってしまった。
彼の背中を目線で追って見送る。
なんだかハングマンが居ないと張り合いがいが無いというか、気持ちが落ち着かないというか。それに最後にあんな表情を見せてきたのは正直言って反則だ。何故だか胸から迫り上がってきた空気を素直に俺はため息として吐き出した。
俺も会計をしてそろそろ出ようか。残りのウイスキーを手に取ろうとした所、さっきまでなかった紙のコースターの上にグラスが置かれているのに気がついた。
「?コースターあったっけ?」
思わず口に出た言葉をそのままに、手を伸ばしてコースターを取る。
まだ置かれて真新しいそれはグラスの水滴をあまり吸ってはいないようで、乾いた感触のままだ。
徐に裏返すと、そこには走り書きで何かのメモが書いてある。なんだ?
俺は眉間に皺を寄せてその独特な筆記体を読もうとコースターに顔を寄せる。
『3週間後、東海岸に任務で行く。せっかくだから2人で友人として飲もう、ハメを外して。』-Jake
メッセージに気づいた瞬間、あまりの衝撃に携帯をバーカウンターに押し付けそうになったが、すんでの所で手が止まった。ナイス、俺の理性。
このメッセージ、ハングマンか?!
ご丁寧にサインが書かれ、メッセージの下に電話番号とWhatsAppのIDが記載されている。
連絡しろってことか?
いや、でもさっき別れたばかりだし、妙な話をしたばかりだし、何なら何で東海岸に任務でくることをさっき言わなかったんだ、そっちの方が手っ取り早いだろ!だなんて色々ツッコミたい所は山々あるが、キザな彼らしい手段ではある。
これ、もしかして彼なりに職場の同僚としてではなく、改めて友達になって欲しいっていうお誘いか?
疑問が頭に上がるが確証はない、が、それでもコースターに書かれたメッセージは彼なりに俺を信頼して「一緒に馬鹿騒ぎしたい」って事だろう?
益々分からなくなって、混乱する頭を落ち着かせようと、右手は自然と携帯をバーカウンターに置いた。
そう、俺は、置いてしまった。
ーーーーーーーーーーーーーー
鳴り響く鐘を背中に浜辺を歩く。
少しの酒が入った身体には少し寒く感じる10月の風が今はなぜか心地よかった。
「また誰かヘマをしたんだろうな」
思わず笑みが溢れる、あの喧騒も暫くの間はお別れだ。
ルースターと甲板で握手をしてから、改めて彼の境遇を聞いたりしていた。
俺の境遇と似ていて違うが、根っこは一緒だ。何故だろうか、ルースターになら少し素の自分を曝け出しても笑って許してくれそうな気がしていた。もし彼が友人として俺のことを思ってくれる様になればと、思い少し身勝手なやり方だが、無理矢理番号を置いて来た。
ただの仕事仲間として留めておきたいなら電話番号は忘れて貰えばいい。元々所属も違うのだし、縁ってやつだ。
ちょっとやり方は失敗したかもしれないが、どこかでハングマンとしてではなく、ジェイク・セレシンとして対等に見てくれる人間を俺は探していたのかもしれない。
さっきルースターが返してくれた言葉は、彼らしい人にかける優しさに満ちていた。
ポケットの携帯が震えている。
もしかして、まさか、もう?と思い取り出して目をやると、ニワトリの絵文字と共にメッセージが届いている。
『ジェイク?なんでさっき素直に連絡先教えてくれなかったんだよ、お陰で財布がすっからかんだ』
さっきの鐘、あいつだったのか。
それに、俺の名前をテキストしてくれている。多分、友人として受け入れてくれたのだろう。思わず嬉しくてクスリと笑って来た道を振り返る。
俺は視線を携帯に戻すと絵文字を送り、メッセージを返した。そのままルースターは携帯を見ていたのか、何回かポンポンとやり取りが続く。
今までにない純粋にジェイク・セレシンとして軽いやり取りをする感覚に思わず顔が綻ぶ。
帰路に着く足取りも妙に軽くなった気がして少し歩速を早める。
この感触だときっと彼も今俺と同じ感覚でいてくれている筈だ。
3週間後、どんな話ができるのだろうか。
期待しすぎるのは良くないが、何故だかルースターが会ってくれるのはもうほぼ確信に変わっている。
他愛もないやり取りが続く携帯の先にいるであろうブラッドリーのことを考え、俺は携帯をそっと胸ポケットにしまった。
俺の携帯はまた1回、2回、と震えている。
その振動に俺の未来への期待も少しずつ震えて膨らんでいくようだった。
心地よい風は止むことなく俺の背中を後押しする様に優しく吹いている。