彼は本当に全てを愛していた。
そして同時に自身の全てを憎んでいた。
友人が悲しんでいたら隣に寄り添い、愛する人が苦しんでいたらその身を包み込んでやる。
誰かが一人でいるのが耐えられなかったのだ。
彼が自ら手を引いて輪の中へ連れていき、その一部となると自身は消えていく。
それが彼の生き甲斐。
時には共に歩んでいくこともあっただろうが、目的地に辿り着くと振り返ればもうそこに彼はいない。
進んできた道には一人分の足跡しかなく、どこまで一緒だったのか、いつからいなくなったのか分らないほど、そこには影も形もなかった。
みんなに幸せになって欲しいと言った彼はその中に自身が入っていないことを知っている。
まるで自分は皆を幸せにする為に在るような、大層な責務を負っているように振る舞う彼が、皆は好きで、愛していて、そして憎んでいた。
なまじ何でもこなす彼だったので助けと成り得てしまったのが悪かったのだろうか、助けることしか頭にない彼は助けられることなど微塵にも思っていないようだった。
人を幸せにする、その使命を負った彼は人々を助けて回り、彼に助けられた人は次々と一時の幸せを手にしていった。
その男は初めて誰かに愛されることを知り、人々からたくさんの愛を貰い幸せの絶頂にいた。
ふと、男は思い出したように辺りを見渡す。
自分をここへ導いたのは誰だっただろうかと思考を巡らせていると、そこにはかつて差し伸べられた最初の愛があった。
たくさんの愛を知った男はその最初の愛こそ男を彩っている大きな彩色だったにもかかわらず、その愛はひび割れ、欠片となり、色褪せてしまっていた。
大衆に飲まれ時を感じさせるその欠片は、もうそこに彼はいないことの証明でもある。
彼はどうすれば人が幸せになるのか、どこまで行けば人が幸せになるかを知っていた。
彼を幸せにしたいと思った人間も居ただろう。
しかし強欲すぎるそのエゴは相手より先に自身が幸せになることを許しはしなかった。
何故なら誰かを幸せにすることが彼の何よりの幸せであったからだ。
自身の役目を終え、去っていくことで彼は幸せになるのだろうが、残された人間は再び幸せから遠ざかってしまうだろう。
その事を彼は生涯知る由もない。
これからも使命を果たし続ける彼はまるで死に場所を求めているようで、自身に罰を与え続けるだろう。
誰かを幸せにしないと生きていられない彼は自身の幸せを求めて彷徨っている。
いつの日か解放されることを望んで。
自身のエゴを押し付けるその行為は罪を重ね、彼の行く末は地獄か、それともそこではない何処か。
終着点の見えない旅を続ける彼が落ちた先こそ、彼にとっての真の幸せの在り処なのかもしれない。
究極の自己犠牲。
それこそが彼の最大の罪。
償われることは無いその罪は彼の背に重くのしかかり、落ちるには容易であった。
漸く彼が落ちる頃には人々を幸せにしたと満足し、身勝手にその両手を広げて空を仰ぐ。
青く澄み渡った空を見上げ、目を閉じれば太陽の眩しさに瞼の裏が赤く光る。
全てが終わったのだと、全身の力を抜いて落ちていく彼を誰一人として掴むことは出来なかった。
幸せを手にした彼は真っ暗な闇へと落ちていったのだ。
闇が彼を喰い、彼はその全てを享受した。