どう考えてもお前だよ!という気持ちをもって読んでほしいお昼休憩のクダノボ青天の霹靂ってこういうことを言うんだと思う。
「私、お慕いしている方がいるんです」
二人揃っての早番、同じ時間のお昼休憩。
コンビニにご飯を買いに行くというノボリ兄さんにくっついて、二人並んでお昼を買いに外へ出た。「今日は私、カルボナーラの気分です」と笑む兄さんに「奇遇だね!ボクもカルボナーラの気分!」と同じものを買い込んで、休憩室で仲良く向かい合ってパスタを巻き始めた。午前中、そちらはどうでした?とノボリ兄さんから口火を切って情報共有が始まる。
朝の運行に不調は無し!絶好調でラッシュを乗り切って、10時を過ぎてちょっと落ち着いてきた頃、シングルの挑戦者がノボリ兄さんと相対し、華麗なノボリ兄さんが見られるとわくわくしていた所にATOが不調を訴え始めた。せっかく兄さんの勇姿をこの目に焼き付けようと管制室の特等席を陣取ったのに、最悪のタイミングでATOがグズりだしてしまったせいで泣く泣く直しに行かなければならなくて兄さんの凛々しい姿を見られなかったとか…。クラウドが迷子のポケモンを見つけて、抱えて練り歩いたら無事にトレーナーに会えて、大事な子だったからぜひお礼がしたいというその人を丁重にお断りしていたとか。そんなこんな午前中のボクの出来事を報告する。
まあそれはそれはとノボリ兄さんが大仰に相槌を打ってくれた。咀嚼しながらノボリ兄さんの言葉に耳を傾ける。午後の業務連絡から今日会ったお客さんの話、今晩のおかずに明日の天気のこと。それと、今食べているものの話。
「このカルボナーラはたまごが乗っているところが私気に入っております」
「いいよね、半熟たまご。たまご乗ってないお店もあるもんね」
「ええ!それも嫌いではないのですが、やはり濃厚な黄身も味わいたいじゃないですか」
黄よりは橙色に近いくらいのとろりとしたそれをパスタに絡めて嬉しそうに口に運ぶノボリ兄さん。ボクも真似して食べてみると口の中に濃いたまごの味が広がった。
仕事の話から他愛のない雑談まで互いに色々な情報を共有していたその時。兄さんとしてはそんな些細な話題のひとつでしかなかったのだと思うけど、投げ込まれたその言葉はボクとしては絶対的に聞き捨てならない、とんでもない爆弾だった。
「お慕いって、好きってこと?」
「はい、平たく言えば、そういうことですね」
あっけからんと言い放つ目の前のノボリ兄さんは平常そのもの。一方のボクは、まさか
ノボリ兄さんの恋バナを聞くことになるなんて思っていなかったものだから、頭の中はぐわぁんと揺すぶられて、二倍じゃくてんってこんな感じかなとかそんなことを考えてしまった。
ボクはノボリ兄さんのことが好きだ。その好きは家族愛、兄弟愛にはおさまらず、恋なんて可愛らしいものを超えて『情欲の対象として好き』まで至ってしまっている。いつからそんな目でノボリ兄さんを見てしまっていたのかは覚えてないけど、記憶にある最も古い頃からボクはノボリ兄さんしか見ていなかったし、自我に目覚めていない幼少期も、実家にあるアルバムをめくれば、ノボリ兄さん好き好きオーラ全開のボクと太陽のような笑みを湛えてボクと並んでいる幼き日のノボリ兄さんの写真が何枚も何枚もファイリングされているのを確認することができる。きっと生まれる前からボクはノボリ兄さんが好きだったのだと思う。さすがボク。
閑話休題。
共に生まれて幾十年。初めて聞くノボリ兄さんの恋バナは、ボクにとって恐れていた話題の一つである。ノボリ兄さんが恋をする、すなわちボクと二人きりの生活にお別れが迫っている可能性を示唆している。はっきり言って恐怖しかない。ノボリ兄さんはボクがいなくても生きていけるのかもしれないけど、ボクはノボリ兄さんがいないと生きていけない。生活力の問題じゃなく精神的な問題だ。間違いなく病むだろうというのは想像にかたくない。
でもノボリ兄さんの恋の相手が知りたくないといえば嘘になる。だってボクがノボリ兄さんを愛しているように、ノボリ兄さんだってボクに恋してる可能性も考えられるじゃないか!そうだったら両想い!ベリーハッピーエンド!
そのハッピーエンドにたどり着くためにはノボリ兄さんの好きな人(推定ボク)の話はむしろ避けては通れない内容だよね!
なのでここは話題を逸らさずにあえて話に乗ってみることにした。
「恋バナなんて珍しいね、ノボリ兄さん」
すると兄さんはボクを真っ直ぐ見据えて答えた。
「ええ。だって初めてしますもの」
でもちょっと照れくさいのか、頬をモモンの実色に染めるノボリ兄さん。とっても可愛い。でもここで愛くるしいノボリ兄さんにデレデレするわけにはいかない。緩みそうになる頬に喝を入れ、筋肉をキリッと引き締める。
「それで実は私、今度告白しようと思っていまして」
「えっ!こ、告白…!?」
続いたノボリ兄さんの言葉に、先程格好つけた口元が、早速驚きでまん丸になってしまった。待って、ちょっと想定外。昼休憩中、初めての恋バナで、告白の相談をされている…。ボクはてっきり「その人(想定ボク)のこういう所が素敵だと思っています」とかそういうカジュアルなお喋りをするものかと思っていたから…。えっ、想い人相手に告白の相談ってする?だってその人に告白するんだから、サプライズしようとかの相談だったら筒抜けだよね、ということは、しないよね!えっ待ってボク脈ナシ!?
「一応、私ちゃんと勝算もあるのですよ」
ふふんと誇らしげにノボリ兄さんは胸を張る。普段のボクならその愛らしい姿を、脳内のノボリ兄さん思い出ファイルに焼き付けて大満足!で完結なのだが、今は大混乱の真っ只中で、そんな余裕は一切ない。
「待って兄さん、勝算って何?」
「それはもちろん、晴れて両想いでお付き合いできそうという予感です」
両想いでお付き合い!!
目の前がまっくらになりかけた。待って、本当に待ってほしい。ノボリ兄さんがボク以外とお付き合いするなんて解釈違いなんだけど!いやはっきり言って地雷なんだけど!!
顔から背中から手のひらから、ものすごい勢いで冷や汗をかいているのを感じる。
「クダリ、先ほどからフォークが止まっていますが、大丈夫ですか?」
ボクの内心を知らないノボリ兄さんが、心から心配した目でボクを見つめる。『ボクのノボリ兄さんがボク以外とお付き合いする想像をしたら具合が悪くなった』と正直な告白は口が裂けてもできない。
お腹痛いんですか?と問われたので、そんなことないよと無理やりパスタを口に運ぶ。美味しかったはずの黄身の味が重くなった気がする。
(……いや、待てよ)
ここでふと気付いた。勝算があるというノボリ兄さん…、ということは兄さんから見て相手は兄さんに好意を抱いているように見えるのだろう。つまり傍目に見てもノボリ兄さんといい感じに見えるのではないだろうか。すなわち、ボクから見てもノボリ兄さんと仲睦まじく見えるその人こそ兄さんの想い人であろう!
ボクは、ノボリ兄さんがボク以外の誰かとお付き合いするなんて考えただけでも卒倒しそうなくらい狭量な人間だ。しかしそれはこの世の誰よりも、ボクが一番ノボリ兄さんのことを愛しているし、兄さんを幸せにできると信じているからだ。だからボク以下にしかノボリ兄さんを幸せに出来ないなんて奴に兄さんはあげられない、それがボクの宗教だ。
でももし、もしもその人がボクより勝ると、ボクよりもノボリ兄さんを幸せに出来るとしたら、ボクはこの身を引こうとも思っている。だってボクの幸せは、ノボリ兄さんが幸せになってくれることだから。ノボリ兄さんの笑顔のためなら、ボクは兄さんの目の前から消えてみせよう。器の小さいボクでも、最後くらいは格好良く引いてみせるさ。決してめのまえがまっくらになる前に逃げるとかそういうわけではない。
そう、相手がノボリ兄さんに相応しければの話だ。逆にこんな奴にノボリ兄さんは任せられないと判断したら全力でその恋を阻止するつもりだ。兄さんの恋心には悪いけど、明らかなダメ人間とノボリ兄さんを結ばせるわけにはいかない。兄さんが茨の道を歩くのを黙って指くわえて見てるなんて、ボクにはできない。ならば行動あるのみ!
「ねぇノボリ兄さん、その人ってどんな人?」
「えっ」
ボクの質問が予想外だったのかノボリ兄さんが目を瞬かせた。
「例えば、見た目とか性格とか、ポケモン勝負の強さとか」
ひとまずボクは恋敵の情報を集めることにした。敵を知り己を知れば百戦危うからずって言うもんね。だが相手のことを聞くと、なぜか途端にノボリ兄さんの歯切れが悪くなった。
「えっ!?え、ええと、そうですね…」
ちらちらとボクの方を気にしながら伝える言葉を選んでいるように見える。なんだろうこの動揺は。
そして頬をモモンからクラボ色に変えながら答えが紡がれる。
「見た目は、背が高くてすらりとしていて、手足も長くて、」
なるほどモデル体型。まあ兄さんもそれはそれは整った見た目をしているから、その兄さんと並ぶには丁度いいんじゃないかな。
「三白眼気味ですが顔も整っていて、笑顔が魅力的で、私だけではなく周りにいる皆がその笑顔を見ると嬉しくなってしまいます。時折やってしまった!という時は、失礼かもですがとても可愛らしくて、」
なんだろう、タラシなのかなぁ。皆に笑顔振りまくなんて、八方美人味があるよね。で、失敗した時も愛嬌ありで兄さんの母性を刺激してるんだ…。ちょっとだけボク、ノボリ兄さんの好きな人が不安になってきた。
「性格はとても優しくて、気配りもできて、とてもスマートで、公私共に私大変助けられております」
えっ!ちょっと待って!すごい言葉出てきた!
公私共に?!公!?えっ、ノボリ兄さんのお相手、お仕事でも関わってるってこと?!ええっ、待って待って待って仕事関係の人ってことはボクの知ってる人の可能性も出てきた!兄さんの会う仕事関係の人間なんて、9割ボクと一緒だからね!ええ?誰だ??モデル体型の、笑顔が素敵な八方美人(仮)
ダメだ、ちょっと脳が混乱してるのかな、全然そんな人思い出せない。
「それと、ポケモン勝負については、私に負けず劣らずの実力を持っていますよ」
ボクのパニックを知ってか知らずか、ノボリ兄さんはさらに情報を流してくる。えっそれでポケモン勝負も強いんだ。
「シングルでは私も早々負けませんが、ダブルですと、私が負け越していますね」
「ええ!?ノボリ兄さんが負け越してるの!?」
それ相手相当な実力者だよね!?ていうかノボリ兄さんとダブルで戦うっていつ?!えっプライベート?!ボクの知らない所で兄さんがダブルバトルしてるの!?そして負けてるの?!色んな意味で悔しい!!ダブルでノボリ兄さんが負け越してるって、ボクだってノボリ兄さんと手合わせしてダブルはちょっと勝ち越してるかな?って感じなのに、ボク勝てるかな…?もしも相手が悪い奴だったら「ノボリ兄さんが欲しければ、ポケモン勝負でボクを倒してみろ!」ってプランも練っていたから、ちょっと不安になってきた。ヤバい、ノボリ兄さん持ってかれちゃうかも泣きそう…。
そしてそんなに強い人ならボクにも覚えがありそうなんだけど、全然心当たりがない。
ノボリ兄さんが負ける相手…と思わず口をついて出ていたようで、あまり負け負け言わないでください、私も悔しいと思っているのですからと、目の前の兄さんがぷくっと頬を膨らませた。その可愛らしさに不安が吹っ飛びそう。
「さて、私はごちそうさまです。歯磨きをしたら、先にそのまま戻ってしまいますね」
不機嫌な頬を元に戻した兄さんの言葉に思わず、えっ!?と驚きの声が出た。ボクが悶々としている間にノボリ兄さんはすっかりパスタを完食していて、休憩時間も残り10分弱ほどになっていた。
「ま、待って、兄さん…!」
「貴方はまずお昼を食べ切りなさい。午後が持ちませんよ」
縋るような情けない声で呼びかけたが、立ち上がった兄さんにぴしゃりと退けられてしまった。確かにボクのパスタはまだ半分ほどお皿に残ったままで、お腹もまあまあ空きっ腹だ。でもとてもじゃないがこのモヤモヤを解消しないと食事も喉を通らないし、午後の業務も身が入らなくてミス連発待ったなしだ。
「ゴメン、ノボリ兄さん!これだけは教えて!」
もう数歩ほど先に進んでいた兄さんがボクの悲壮すぎる声に振り向いてくれた。
「兄さんの好きな人って、ボクの知ってる人…だよね?」
震える声で絞り出した質問に、ノボリ兄さんは銀の瞳を丸くした。でもすぐに優しく目尻が下げられた。そしてボクの元まで戻るとすらりと伸びた指をボクの顔に向けてピッと突きつけた。
「私のヒントをよーく反芻してみなさい。賢くて、可愛くて、スマートで、職場でも家でも私のことを助けてくれる、ちょっと三白眼気味のイケメンですよ」
いたずらっ子みたいにフフッと笑った兄さんは「私、相談に見せかけて口説いていたつもりだったのですが、上手じゃなかったみたいですね」とポツリと呟いてその場を後にした。