それは眠らない街、錦栄町の片隅で品田辰雄が眠りについていた深夜2時。突然空間を切り裂くような高い音が鳴り響き、品田は叩き起こされる。音の鳴る方を見ると、机の上に置かれた携帯電話が暗闇の中で浮かび上がっていた。布団を被ってやり過ごそうとしたが、いつまで経っても鳴りやむ気配がない。うんざりした顔で頭を掻きながら、品田は諦めて布団から出た。二つ折りの携帯を片手で開くと、「れおくん」と友人の名が表示されている。
多少強めに通話ボタンを押して電話に出ると、背後にはザーザーとひどく耳障りな風の音。
「何、獅子クン??」
時間わかってる?と不機嫌なのを隠さずに言うが、電話の向こうにいる相手はそんなことに気づく様子はない。
「品田…知らない駅にいるんだ…ここはどこだ?」
いつも通り実家から自宅のある名古屋駅に向かう電車に乗り、いつまで経っても駅に着かないと思っていたら、見覚えのない車窓の風景に驚き、着いた駅で降りてしまったというのだ。
「知らないよ。駅員さんに聞いたら?」
「…無人駅なんだ」
声が明らかにしょんぼりしている。その姿を思い出し、品田は怒りを忘れて、同情を覚え始めていた。
「仕方ない貴族だなあ…。帰り方調べてあげる。なんて駅?」
「きさらぎ…」
一旦電話を切ってから乗り換え案内で「きさらぎ駅から名古屋駅」と検索してみたが、「目的地の地名を確認してください」と表示されてしまう。「きさらぎ」を漢字に変換してみたが、結果は変わらない。怪訝な表情のまま、品田は綾小路に電話をかけた。
「名古屋にきさらぎなんて駅なかったよ。…もしかして酔ってる?」
「今日は飲んでない!」
「県外に出ちゃったのかなあ…。周りはどんな感じ?なんかヒントない?」
「改札は自動じゃない…街灯もないからよくわからないが山と田畑…典型的な田舎って感じだ」
よくある田舎の無人駅という感じだろうか。綾小路の説明から言って、そんな長時間乗っていたようには聞こえなかったが…。それともお互いが何か聞き間違いや言い間違いをしているのだろうか?
「うーん…ちょっと高杉さんにも電話して聞いてみる」
そういうと、不満げな綾小路の声を無視して、品田は電話を切った。
深夜なのにも関わらず、高杉は僅か3コールで電話に出た。
「こんな夜中にどうしたんだ…」
声は微かにかすれている。品田はあまり前置きを置かず、
「高杉さん、きさらぎって駅知ってる?」
「あ?何駅だって?」
「きさらぎ駅。きさらいか、いさらき?とにかくそんな感じの名前の駅」
「知るかよ。…お前、今そこにいるのか?」
そうじゃなくてと品田は綾小路から経緯を説明した。深夜に電話がきたこと。どうやら知らない駅にいること。乗換案内ではエラーが出てしまうこと。
「もしかしたら俺が獅子くんの言ってた駅名を聞き間違いしてたのかなって。高杉さんは心当たりない?」
「知らねえな。つうか、それなら貴族サマが警察に電話させたらいいだろ。110番したら最寄りの警察署につながるんじゃねえのか?」
「おお!さすが高杉さん!」
「まったくよ…人騒がせなお坊ちゃんだな」
「仕方ないよ。全然違う電車乗って気が付いたら知らないところにいるってすごい焦るんだよ。俺も高校の時部活の遠征試合で誰も起こしてくれなくて、気が付いたら県をまたいで神奈川に…」
「わかったわかった。今度聞くから」
高杉は寝かせてくれ、と言葉を残して返事を待たずに電話を切ってしまった。
「獅子クン、どうなった?」
「電車もこない、誰もいない。終電も過ぎた感じだな」
綾小路の声はすっかり弱弱しいものになっていた。
「あのさ、高杉さんに電話したんだよ」
「心当たりあるって?」
「ないけど、『警察に電話すればいい』って」
「はあ?…ほんっと大の大人が二人もいて、使えないな!あのね、電話して何て言うんだよ。警察はタクシーじゃないんだぞ」
「そんなこと言ってる場合?」
「それに…」
「綾小路ぃぃ!」
大きめの声で電話口に叫ぶと、再び取り戻した威勢もしぼんでしまったのか
「わかったよ…一旦切る」
また叱られた犬みたいな声で電話を切った。
そのまま寝てしまってもよかったが、なんとなく寝付けずに布団に横になり、薄暗い天井をみていた。すると携帯がまた鳴り響き、品田は慌てて飛び起きた。通話ボタンを押すや否や、耳に当てるまでもなく、綾小路の怒声が飛び込んでくる。
「品田ぁ!どうしてくれるんだよ!!」
「どうしたの?」
「どうもこうもないよ!お前たちのせいで警察の人に怒られたじゃないか!」
「しょうがないよ…俺だって未だに獅子くんが家にいてしょうもないドッキリしてるんじゃないかって思ってるし」
「僕がこんなに困ってるってのに…帰ったら覚えてろよ…あ」
「どうしたの」
「太鼓の音だ…鈴も…聞こえるか?」
綾小路が辺りの音を聞かせるつもりなのか、押し黙る。しかし、鈴や太鼓どころか、風の音すら聞こえない。どうだ?という綾小路に
「全然」
「まったく…そのオンボロ携帯も帰ったら買いなおしてやるよ」
(虫の声とか、そういえば電話じゃ聞こえない音があるんじゃなかったっけ)
そう考えはしたものの、それを指摘したらまた拗ねてしまいそうなので、黙っていることにした。
「ホームの端に階段がある…降りようかな」
「降りてどうするの?」
「線路の上を歩こうと思ってね」
「線路の上とか危なくない?」
「さっきからずっと待ってるのに電車の一本も来ないんだぞ。あれが終電だったんだよ」
「太鼓の音は?」
「少し大きくなってるか…?まあ、でも今日は武器も持ってるから、向かうところ敵なしだよ」
「…俺寝ていい?」
「真っ暗なんだぞ!話し相手になれよ!」
怖いなら虚勢張らなきゃいいのにと思ったが、彼の状況を思うと同情から少し言うのは憚られた。
「獅子クンさあ…」
「うわ。…ああ、うん、わかった」
不意に綾小路が驚いた声をあげる。そして誰かと会話しているような声がぼそぼそと聞こえてきた。
「何。どうしたの」
「いや、線路の先に年寄りがいて、「線路を歩くと危ない」って言われたんだ」
「人いたの?」
「もういない」
「随分足の速い人だね」
「そんなわけないんだ…脚が片方しかないのに」
「脚が片方?どうやって立ってたの、その人」
「言うな…考えたくない。ほんとなんなんだ、ここは…」
ふと品田は綾小路が線路に降りてから結構な時間が経ったことに気づいた。都会なら二駅分くらいでもおかしくない時間だ。
「まだ隣の駅に着かないの」
「まだだ…結構歩いた気がするんだけど」
「いい運動になるじゃん」
「お前はいいよな。気楽でさ」
「まあ、家にいるからね。めんどくさい電話で起こされてるけど」
「普段からご飯おごってやってるだろ…こういう時暗い役に立てよ愚民」
不安と疲労と苛立ちで、電話越しにも綾小路の機嫌がどんどん悪くなっているのがわかる。しかしそれも品田にとっては知ったことではない。
「…切ったっていいんだよ、こっちは」
「切ったって死ぬほどかけ直すからな…寝られると思うなよ」
「電源落としてやる」
「まあ、待てって…」
「ごめんなさいは?」
「は?」
「「夜中に叩き起こされたのに嫌な顔せずアレコレ調べてくれた人を愚民呼ばわりしてごめんなさいは?」」
「…ごめん」
「まあいいや。なんか見えてきた?」
「トンネルがあるな…「伊佐貫」って書いてある」
「いさぬき?トンネルに電気とかは?」
「真っ暗だ。向こうも見えない」
「中に入るの?」
「入るしかないだろ…お前には聞こえないかもしれないけど、太鼓の音が近づいてるんだよ」
「じゃあ電車に気を付けてね。トンネルの中だとすれ違えないから」
「わかった」
それから数分。気を紛らわすために他愛ない会話を続けていた。綾小路の声はトンネルの壁に反響して聞こえる。時折太鼓が…というが、やはり何も聞こえなかった。一応「いさぬき」という地名についても調べたが、こちらも該当する地名は見つからなかった。
「やっと出口だ…」
「結構長かったね」
「あれ?」
綾小路の拍子抜けした声が聞こえる。
「どうしたの」
「出口のところに誰かいる」
「人?」
「警察か…ってなんだよ、お前!!」
急に、声に怒りがこもった。話し相手になってやってるし、いろいろ調べてやったっていうのに、怒られるいわれはないだろうと、品田は憮然として
「は?」
「性格悪いな、品田ぁ!」
「だから何が?」
「散々どこかわからないとか言って、トンネルで待ち伏せて、ボクを揶揄ってたんだろ!」
待ち伏せ?つまり彼の目の前には自分がいる?いやそんなはずはない。品田は電話がくるまで寝ていたのだし、そもそも今も自宅にいるのだ。
「お前…役者になれるよ…ヘラヘラ手まで振っちゃってさあ」
恨みがましい声が、少し、遠のいて聞こえる。おそらく目の前にいる誰かに叫んでいるのだろう。
「ねえ獅子クン、戻ろう!!そっち行っちゃダメだって!」
ありったけの声で、もう電話から離れてしまった彼の耳に届くように呼び掛ける。
「……」
彼は答えない。
「獅子クン!獅子クン!聞いてる!?獅子クン!」
喉がひりつくほどの声で、必死に叫ぶ。けれども聞こえてきた声は綾小路の声ではなかった。
『おつかれさまでした』
「は?」
それは紛れもなく、自分の、品田辰雄の声だった。
あの夜が、綾小路獅子を見た最後だった。
おわり
おまけ
ヘラヘラと笑う品田をにひとしきり罵詈雑言を浴びせた後、綾小路獅子は品田の運転する車に乗り込んだ。
「お前車持ってたのか」
「借り物だよ、獅子くん」
「結構錦栄町から近いの?お前が来れたってことは」
「そうでもないよ。今日は隣の駅のビジネスホテルがあるから、そこに泊まればいいよ」
「まったく…ボクのことを散々ドッキリか?って言ってたくせに、お前の方がドッキリをしてたんじゃないか」
「…」
「大体ここはどこなんだよ」
「比奈だよ。獅子くん」
「ひなぁ?聞いたことないな…おい、これどこに向かってるんだ?どんどん山の中に入ってるじゃないか」
「……」
「おい!」
腕を掴んで、綾小路は慄く。
「…お前…誰だ?」
声も、姿かたちも、品田辰雄そのものだというのに、目の前にいる人物は明らかに品田ではない。そう直感する。
「これからはずっと一緒だよ、獅子くん」
その生き物は微笑むようにぐにゃりと顔をゆがめた。