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    多々野

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    多々野

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    モブ看護師から見たスウ
    融合戦士を気味悪く思っている一般人の、一人称視点の話です。融合戦士に対するネガティブな表現を含みます

    ##小説

    最後の人私は火を追う蛾に入って結構長いほうだから、”普通の人”だった頃のスウ先生を知っている。若くて意欲のある医師で、物腰が柔らかく接しやすいから看護師にも患者にも人気があった。火を追う蛾の中ではその真っ当さがむしろ少し浮いていたけれど、彼自体は、地球上のどこにでもいそうな医者だった。

    でも、あの悪名高いメビウス博士の手術を受けたあと、スウ先生は変わった。ずっと目を閉じているのに何もかも見えているみたいな、得体のしれなさがあった。噂で聞いた話だと、心が読めるとか、未来が見えるんだとか。流石にそんな突飛な話、信じられる? 噂の真偽はともかく、口数が減り、表情の変化が乏しくなったのは確かだった。崩壊獣の因子が混ざることで、彼の中で何が変わったんだろう。そもそも、なぜ手術なんて受けたんだろう。あの異形の敵、大勢の人を殺して私たちから家族や友人を奪った崩壊獣を体の中に入れ込むなんて、考えるだけでおぞましさがこみ上げる。実際、看護師仲間ではスウ先生を怖がったり、気味悪がったりする人もいる。かく言う私も融合戦士に対して忌避感を抱いていることは否定できない。だって、動物の尻尾や角が生えていたり、体が氷より冷たい人って、人間って言えるんだろうか。頭に獣の耳が生えているとか、フィクションだから可愛いのであって、実際見るとグロテスクだってことを最近知った。人前で言わないだけで、多くの人が内心では彼らを化け物と思っている。でもそんな化け物に守ってもらわないと、私たちはもう一人も生き残れないというのが現実だった。

    スウ先生は、目を閉じてるのはヘンだけど(見えなくなったわけではないらしい)、奇妙な見た目をしていないから、私は差別的な態度を表に出してしまわないかという心配はしなくて済んだ。
    「これ、B023号室の患者さんの経過観察記録です。先生が外に出ていた間の」
    私は先生にデータが入ったチップを渡した。十三英傑、なんて名前が噂で聞こえてきた頃、スウ先生は以前にも増して不在がちになっていた。正直例の『惨劇』以後、ますます人手が足りていなくて困っているのだが、彼には医者としての仕事以外にも、やることが沢山あるらしい。
    「ありがとう。……状態はあまり良くないみたいだね」
    スウ先生は電子カルテを見て、眉根を寄せた。私は控えめに提言する。
    「こう言ってはいけないのは分かりますが、この方はもう……」
    あと私たちにできることは、苦痛を和らげることくらいだろう。私にさえはっきり分かってしまうほど、その患者の状態は悪かったのだ。
    先生は返事をせずに、ただ眉間の皺を深くして、包帯が巻かれた左手首を、右手できつく握り締めた。そんなに力を入れたら痛いんじゃないかと思うほど強く。それは時折見せる、彼の癖だった。それからふと、私のほうへ顔を向ける。
    「こちらに顔を出せていなくてすまないね。君は疲れていないかい」
    こちらを案じる声に、お気遣いありがとうございますと断って、私は答える。
    「平気です。慣れていますから」
    総合病院に勤めていた頃と、やっていることは大して変わっていない。不治の病の割合が多過ぎるのと、状況が日増しに悪くなっていくことを、とっくの昔に麻痺した心でやり過ごせばなんと言うことはなかった。それより、と私は続ける。
    「先生こそ、お疲れのように見えますよ」
    目の下のくっきりと濃い隈は、彼の苦悩を表しているように見えた。
    先生は苦笑して、「うん」とだけ答えた。そしてカルテを閉じ、「やはり、一度様子を見に行くよ。今行って大丈夫かい」と訊いた。私がはい、と答えると、彼は白衣を薄い肩に引っ掛けて部屋を出て行く。諦めが悪いのは、元来の性格なんだろう。ああいう人がここでやっていくのは大変だろうなと、私は遠い国のニュースを聞くときみたいにぼんやりした頭で考えた。

    それから最後の日までは、あっという間だった。私は運良く(あるいは運悪く)最後まで生き残った中の一人だった。最後というのは、終焉の律者とかいうのが来ていて、それで本当に最後なのだと聞いたから、そう思っている。火を追う蛾の内部告知では次のように言われている。終焉の律者を月で迎え撃って、もし、万が一勝ったらそれでハッピーエンド、というのが一番目のシナリオ。二番目のシナリオは、終焉を一時的に撃退して、その間に逃げ延びること。地球の今ある文明を捨てて、生き残った人間の全員が休眠ポッドに入ってコールドスリープし、人類が「滅亡し終わった」あとに目覚めるという算段らしい。三番目は、月での足止めが失敗して、あっという間に終焉が地球の人間を皆殺しにするバッドエンド。もちろん、後ろにいくほど可能性が高い未来だ。
    避難所の全員に、休眠ポッドの使用意思を問う文書が配られた。数は十分にあって、私たちはこれにサインさえすれば、何万年かの眠りを手にできる。チープなSF映画みたいだと笑ったが、実際にぎっしり並んだ休眠装置を映像で見ると、ギラギラと光る銀色のカプセルのあまりの迫力に笑いも引きつり、私はやっと自分の将来を考え始めた。とはいえ、迷うほどのことは思いつかなかった。だって、これから生き延びて、全く知らない景色で目覚めて生きるのって、楽しいの? 家族も故郷もとっくに失くしている。友達もいなくなった。これからに期待することなんて、正直ないじゃない。だから、私は結局それにサインをしなかった。そのあと、私は看護師として、月から帰ってきた融合戦士の応急処置を担う救護班に志願した。月から帰ってこれる人がいるのか知らないけれど、眠らないなら、仕事をするくらいしかやることもない。センチメンタルに世界の終わりを眺めてもいいけど、ここは地下で景色は見えないし、地上は砂漠だし。

    融合戦士たちが月に赴いた後、廊下で偶然会ったスウ先生に呼び止められた。
    「きみ……」
    スウ先生は珍しく瞼を開けていて、マゼンタの瞳が私を見ていた。先生は月に行かなかった。彼には彼にしかできない重大な仕事があるらしい。
    呼び止めてくれたのは、たぶん私がコールドスリープを選ばなかったことを気にしてくれているのだろう。眠ることを選んだ人たちは、既にあの銀色の筒の前で準備しているはずだから。
    「私なら大丈夫ですよ。最後までいつも通り仕事をするだけです」
    私がそう言うと、スウ先生は眉を下げ、「頼もしいよ」とだけ言って微笑んでくれた。
    「それで、先生はまだこれから、別の仕事があるんですよね」
    私は長い付き合いからの気安さで、あえて少しフランクな調子で訊いてみる。スウ先生は目を瞬かせて、へにゃりと笑った。
    「ああ。いつ終わるともしれない、大仕事が残っているんだ」
    先生は笑って言ったけど、あんなに身を粉にして働いてきて、まだ働くなんて、私にはちょっと信じられない。やっぱり、一般人とはつくりが違う。最初から普通なんかじゃなかったんだ。私はなんだか可笑しくなって、笑いの混じった呼気が口から漏れる。
    「頑張ってください。スウ先生」
    「ありがとう」
    医局での雑談みたいな軽い応酬。たぶん私は数時間後に死ぬから、これが最後の会話になるんだろう。スウ先生もきっとそれを分かっていた。それでも私たちは、結局、いつも通り会釈をして別れた。

    やはり、いい人だ、としみじみ思う。彼みたいな人が生き延びて頑張ってくれるなら、どうかマシな結末が待っているといい。私は久々に、未来に希望があることを願ってみたくなる。
    少しの未練が最後に私を振り返らせた。白衣の裾と灰色の長い髪が角に消えていくのが見える。私は人生最後の思い出として、その瞬間の景色を頭に焼き付けようと、その残影に目を凝らした。
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