紙面の中のヒーロー国際警護機構東京支部によると、昨夜未明、警護官二人がネージュと見られる女を発見するも、女は電磁警棒による抵抗の末、逃走した。美術館からは絵画が一点、持ち出された形跡があった。セキュリティシステムをどのように突破したかは不明。事件当時、館内は厳重な警備体制が敷かれていたが、国際警護機構東京支部は体制やシステムに不備がなかったかを改めて確認するとしている。……
スクラップが好きな子なんて珍しい、とよく言われたものですが、私が本当に好きだったのはスクラップではありません。
――今日も、ネージュが一面に出てる。
私は一人、嬉しくなって微笑みました。
怪盗ネージュは、私の大好きな怪盗でした。警護官と大立ち回りを繰り広げ、奪われたものを取り返してくれる正義の怪盗。子ども時代の私は、すっかり夢中になりました。
私は、ネージュを取り上げた新聞や週刊誌の記事を集めて、スクラップブックを作るようになりました。ネージュに会いたいという気持ちよりも、記事でネージュがどのように書かれているかを読みたい気持ちが勝っていました。そういう意味では、スクラップ好きでもあったのかもしれません。
「美貌の女怪盗、五億相当の宝石盗み出す」
「中国富豪の館、盗難被害 ネージュの鮮やかな手口」
「四十年振りに帰って来た絵画 手紙には『ネージュ』のサイン」
こんな見出しを見るだけで、私は嬉しくなりました。ネージュが褒め称えられているように思えたのです。
スクラップブックはどんどん埋まり、二冊目、三冊目と増えていきました。私はそれをどこへでも持ち歩き、暇ができると見返して楽しみました。
「あら、スクラップね」
とあるカフェを訪れた日のことでした。私は母と買い物へ出かけ、初めて見たその店にたまたま入ったのです。
「新聞が好きなの? この店にもよく、新聞記者さんが来るわ」
愛想のいいカフェの女性が、にこにこと私に話しかけて来ました。私は、スクラップブックを見られて少し恥ずかしくなり、赤くなってうつむきました。
「この子は、あの『ネージュ』に夢中なんですよ。スクラップはネージュの記事ばかりなんです。これで五冊目よ、呆れるでしょ」
母が代わりに答えました。私はますます恥ずかしくなり、スクラップブックを閉じました。
女性は、少し高い声で言いました。
「まあ、そんなに応援してくれてるファンがいるって知ったら、きっとネージュさんも喜ぶと思いますよ」
これからも頑張ってね、と声を掛けられ、私はようやく顔を上げました。目が合ったカフェの女性は、頬を紅潮させて、とても活き活きとして見えました。
その女性の言葉に嘘はないように感じられ、私は彼女とその店を気に入りました。店の名前はミネット、マスターの女性はルナ・バーネットと言いました。私は彼女を、ルナお姉さんと呼びました。お小遣いを握りしめてカフェへ行き、カプチーノやココアを飲みながらスクラップブックを眺める時間が、私の週末の楽しみになりました。
「新しい記事を持って来たよ。バロック時代の彫像、盗まれる。怪盗ネージュの仕業か――だって」
私は、カウンターに座り、ルナお姉さんにスクラップブックを広げて見せました。
「あら、ネージュも随分忙しいことね」
ルナお姉さんは、いつもニコニコと話を聞いてくれました。同じ趣味を持っているわけでもないのに、ルナお姉さんには何でも話すことができました。
「その彫像、盗難届が出されていたものなんだって。ネージュはそれを取り返してくれたんだね。すごいなあ」
あとね、と私はマグカップを手に取りました。
「ネージュの正体を予想した週刊誌の記事もあったよ。スタイルがいいからモデルの誰それじゃないかとか、身軽だから新体操の選手じゃないか、とか言われているみたい」
ネージュが誰だろうと、みんなのヒーローなのは変わりないのにね。
カプチーノをすすろうとして、私は、ルナお姉さんがじっとスクラップブックを見つめているのに気が付きました。
「どうしたの?」
私が尋ねると、ルナお姉さんはぱっ、と顔を上げました。
「いいえ。……その記事は、切り抜いて来なかったの?」
「うん、ネージュの活躍が書いてあるのや、ネージュのことを褒めてあるような記事は好きだけど。正体を探るとか、そういうのはちょっとね。何だかネージュに悪いし、秘密のままであって欲しいっていうか……」
ルナお姉さんは、にこりと微笑みました。
「そうよね。正義の味方や魔法使いの顔は、分からないままの方がいいかもしれないわね。その方がずっと、夢を見ていられるもの」
ルナお姉さんに気持ちを分かってもらえたように感じて、私は少し嬉しくなりました。
「――それにしても、新聞や週刊誌をいくつも見て、ネージュの記事を探すのは大変なんじゃない?」
そうでもないよ、と私はスマートフォンを取り出しました。
「新聞は図書館で全部見られるから、コピーを取ってるし。あと、週刊誌はこれ、使ってるの」
「雑誌の読み放題サービス?」
「これで、ネージュって検索して、結果に出て来たものをメモして、必要な週刊誌だけ紙で買うの」
「画面で見られればいいや、とは思わない?」
うーん、と私は唸りました。
「何ていうか、やっぱり紙で手元に取っておきたいんだよね」
「電子書籍もあまり読まないタイプ?」
「うん、図書館でよく借りるし、気に入ったら本屋さんで買うよ」
ルナお姉さんは笑って言いました。
「それじゃ、そのスクラップブックはあなただけの『財宝』ね」
そう言われた途端、スクラップブックが今までとは違って見えました。隠れた趣味、少し恥ずかしい趣味だったものが、貴重な記録のように思えて来たのです。
「何十年か後には、プレミアがつくかもしれないわよ」
「プレミアがついたって、売らないよ。手放せるわけないもの」
ルナお姉さんと私は、スクラップブックを眺めながら、穏やかな時間を過ごしました。そんな週末が何度か続いた、ある日のことでした。
「――お母さん、スクラップブック、知らない?」
私がよほど血相を変えていたのか、母は、何があったの、と聞き返しました。
「無いの。五冊とも、いつものカバンに入れてあったはずなのに」
家中をひっくり返すような勢いで探し回りましたが、スクラップブックは見つかりませんでした。
「スリにでもあったのかしら」
母は、ため息をつくばかりでした。私は涙が止まらず、朝まで泣いて過ごしました。翌日はいつもならカフェに行く日でしたが、ルナお姉さんと笑ってお喋りをする気にはなれず、私は一日家で過ごすことにしました。
両親は仕事へ行き、私は一人で家に残りました。ぼうっとテレビを見ながら、母の言葉が頭の中をぐるぐると巡っていました。
スリ、つまり盗みにあったのなら――それを取り返してくれるヒーローがこのフランスにはいるではないか。
私は、ぱっと身を起こしました。
机やタンスをひとしきり探って、私は便箋と封筒を見つけ出しました。それを持って机に向かい、私は「怪盗ネージュ様」と文面を書き始めました。
ネージュのスクラップブックを何冊も作っていたこと。それが盗まれたかもしれないこと。ネージュに取り返して欲しいこと。
ネージュ宛の手紙は完成しました。しかし、読み直しているうちに、私は「だめだ」とたまらなくなり、便箋をビリビリと破いて捨ててしまいました。
ネージュ本人に、ネージュのスクラップブックを何冊も作っていたのを知られるなんて、そんな恥ずかしいことは他にありません。何より、ネージュに気味悪く思われるかもしれない、それを取り返せだなんて、失礼にあたるかもしれない。そう思うと、私はネージュに手紙を出す気にはなれなくなりました。
しかし、だからといってどうすればいいかも、やはり分かりませんでした。しょげ返ったまま、日々は過ぎていきました。
次の週末がやって来ると、私は新品のノートを入れたカバンを持ってミネットを訪れました。
「いらっしゃい。カプチーノにする? それともココア?」
ルナお姉さんは、いつものように笑顔で言いました。
ココアを頼んでカウンター席につき、私は真新しいノートを取り出して開きました。
「あら……五冊目、まだ続きじゃなかった?」
ルナお姉さんは、私の手元に気が付いて言いました。
「スクラップブック、実は全部、無くなっちゃって。どこかに行っちゃった。『財宝』だから、盗まれたのかな」
私がわざと笑ってみせると、ルナお姉さんは気の毒そうに眉を下げました。
「あんなに頑張っていたのに……」
「いいの。また新しいスクラップブックを作ればいいから」
「でも……」
大丈夫、と私は頭を振りました。
「もう、いいの。ネージュが私のヒーローなのは、スクラップブックがなくても変わらないから」
ルナお姉さんは、ビスケットをサービスしてくれました。
「この新しいノートの最初の記事は、どんな記事になるかな。ネージュが大活躍した記事、早く見つかるといいんだけど」
そうね、と答えながら、ルナお姉さんはどこか上の空でココアをかき混ぜるのでした。
それから何日か経った日のことでした。私の家のドアベルが何度も押されました。母が返事をすると、相手は警察の者だと名乗りました。
私と母は顔を見合わせました。何も悪いことをしていなくとも、警察と聞けば誰しも身がすくむものです。
玄関のドアを開けると、警察官だという男性が、分厚い封筒を抱えて立っていました。
「先日、署に自首して来た男がいましてね。何でも、この家からノートを五冊、盗んだというんですよ」
盗まれたというノートを見て、私は、あっ、と声を上げそうになりました。それは、私のスクラップブックだったのです。
「事実関係を確認するために、お宅をちょっと調べさせてもらうことになります」
「それが終わったら、そのノートは戻って来ますか」
私は、勢い込んでその警察官に聞きました。もちろん、との回答を得ると、私は万歳をせんばかりに喜びました。
「スクラップブック、戻って来たよ!」
数週間後、私はミネットに駆け込んで言いました。
「本当? よかったじゃない!」
ルナお姉さんは、お祝いにケーキを出してくれました。
「よかった、もう戻って来ないかと思った。……あれ?」
私は、五冊目のスクラップブックの裏表紙に、何か書いてあるのに気が付きました。
何と書いてあるかを読み取った瞬間、私は飛び上がるほど驚きました。
『これからも私の活躍に期待していてね。ネージュ』
――ルナお姉さん、大変!
私の叫び声を聞きながら、ルナお姉さんはどうしてか微笑むばかりなのでした。