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    【Web再録】ルナ/ネージュ+夢女児本「白雪と月に出会った日」より
    7.船上のビスクドール

    #ファンノク
    funnock
    ##ファンノク

    船上のビスクドールこの人形と同じ姿をしたあの人は、今頃どうしているのでしょう。せめて健やかでいてくれるように、と、私は毎日彼女を撫でるのです――。
     
    「お誕生日に、お前だけのお人形さんを作ってあげよう。どんなのがいいかな」
     私の両親は人形職人、私の家は人形の工房兼小売店でした。
     小さい女の子の姿を模した、可愛らしい伝統の人形――ビスクドールやフランス人形と言えば通りがよいでしょうか。それは十九世紀に隆盛を極めたとされていますが、私が子どもの頃には職人の数は少なくなっていました。その分、手作りの人形は価値が高いとされ、資産家たちは人形を手に入れようと躍起になったと言います。
     そんなことは露知らず、幼い私は人形に囲まれた毎日を送っていました。今から考えれば、贅沢な時間だったと思います。その上、父が誕生日に、私だけの人形を作ってくれると言ったのです。
    「じゃあ、こういうのがいい」
     私は、紙にクレヨンで絵を描き、両親に見せました。
     それは女の人の絵でした。ピンク色の髪を二つにくくり、シルクハットを頭に乗せ、黒いドレスを身につけ、薔薇の眼帯をしていました。
     母はすぐに分かって、微笑みました。
    「あら、ネージュちゃんね」
    「そう、ネージュちゃん。怪盗の、ネージュちゃんのお人形さんが欲しいな」
     父は、少し難しい顔をしていました。今なら、その理由が分かります。人形職人の主な取引相手は裕福な資産家たち、つまり怪盗を敵視する人々です。怪盗を模した人形を作れば、取引に差し支えかねない、と思ったのでしょう。しかし、しばらく考えた後、父は、「よし」と頷いてくれました。
    「ネージュは、たいそうな美人さんなんだってね。今までで一番、綺麗な人形を作ってあげようじゃないか」
     わあい、と幼かった私は、無邪気に喜びました。
     怪盗ネージュは、男性ばかりだった怪盗界に彗星の如く現れた、美貌の女怪盗でした。ネージュのおかげで大切なものを取り戻せた、という人はたくさんいました。私はネージュが大好きで、「ネージュちゃん」と呼んで憧れていました。
     ネージュに憧れた少女は、私だけではなかったのでしょう。あるときから、ネージュの姿を模した、布でできたぬいぐるみが出回るようになったのです。またたく間にそれは売り切れてしまい、オークションではとんでもない高値で取引されたと言います。
     けれど、私は、ネージュのぬいぐるみを欲しがることはありませんでした。やはり、人形が好きだったのです。顔が陶器でできた、人間のような髪の毛や手足のある人形が。
     それに、ネージュのぬいぐるみはたくさん売られていても、人形なら世界に一つしかありません。私は、ネージュ人形が出来上がる日を心待ちにしていました。
     ついにやって来た私の誕生日、両親はハッピーバースデーの歌を歌いながら、大きな包みを渡してくれました。
     リボンがほどけて出て来たものを見て、私は思わず立ち上がりました。
    「ネージュちゃん!」
     つやつやとしたピンク色の髪、きらきらとした瞳、ひらひらとしたドレス。黒い手袋や踵の高い靴と言った、細かいところまで再現されていました。薔薇の眼帯などは、これが人の手で作れるのかと信じ難いほど、精巧にできていました。
    「ありがとう、大事にするね!」
     両親のにこにことした笑顔に見守られ、私はネージュ人形を抱きしめました。
     お祝いの料理を食べた後、両親は私を買い物に連れ出してくれました。買い物をしてから、夕方に休憩として、とあるカフェに立ち寄りました。
    「あら、ネージュね」
     注文を取ってくれた綺麗な女の人は、私のネージュ人形を見て言いました。
    「パパとママが作ったの。今日、私のお誕生日だから」
     ネージュ人形を掲げて見せると、女の人はにっこりと笑いました。
    「それはおめでとう。すごいわ、そっくりじゃない。よかったわね」
     私は、嬉しくなりました。
     それから数ヶ月が経ったある日のことでした。私は、その頃になってもネージュ人形を大事に持っていました。
    「今度の日曜日、お船に乗るよ」
     父が言ったのです。
    「お船?」
    「中国に、有名な大富豪さんがいてね。その人の持っている宝物をおひろめするパーティーがあるんだ。パパとママが、それに呼ばれたのさ。お前も一緒に行こうね」
     私は、目を輝かせました。
    「私、お船に乗るのなんて初めて!」
     待ち遠しい、待ち遠しいと思っていた日曜日はすぐにやって来ました。私は買ってもらったドレスに身を包んで、帽子をかぶりました。
    「お姫様みたいね」
     母が言うので、私は嬉しくなりました。
    「そうだ。ネージュちゃんも連れて行っていい?」
     父は、わずかに難しい顔をしましたが、「いいよ」と言ってくれました。
     パリから鉄道を乗り継ぐこと、数時間。私たちは、港街にやって来ました。初めてやって来た海の見える街は全てが珍しく、船に乗る前から私ははしゃいでいました。
     いよいよ、船に乗るときがやって来ました。白い制服を着た人たちが、船の入り口に立ってチケットをあらためていました。私たちは乗船客の長い列に並びました。
    「あの人たちは誰?」
     私は母に尋ねました。
    「警護官さんよ。お宝が盗まれないように守るの。いつもは紺色のお洋服だけど、お船に乗るときは白なのね」
    「怪盗が、客に紛れて入り込むかもしれないからな。警備も厳重なんだろう」
     両親が、三人分のチケットを女性の警護官に渡しました。
    「確認しました。よい時間を」
     白いパンツスタイルの制服がよく似合う、きりりとした女性警護官でした。私はうっとりと彼女を見つめましたが、行くわよ、と母に手を引かれて歩いて行きました。
     船内のパーティーホールは、シャンデリアが吊り下げられ、どこもかしこもきらきらと輝いて見えました。大勢の乗船客がひしめいていて、誰もかれも着飾っていました。
    「ああ、あの人は……。ちょっと、ごあいさつして来るよ」
     父が、母に私を預けて、その場を離れました。知り合いを見つけたのでしょう。私はネージュ人形を抱えたまま、母と手を繋いで立っていました。
    「おや、これはこれは。よくできたビスクドールですな」
     私は、どきりとして母の手を握りしめました。知らない男性が、話しかけて来たのです。
    「お嬢ちゃん。そのお人形さん、おじさんによく見せてくれないかい」
     いかにも裕福そうで、物腰の丁寧な男性でしたが、その目はずっとネージュ人形に注がれていました。私は怖くなり、母の後ろに隠れました。
    「すみません、この子は人見知りで」
     母は苦笑しましたが、やはり少し警戒しているようでした。
    「いやはや、無理もありません。このような人いきれではね。ですが、今どき珍しいビスクドールですから、是非拝見したいと思いまして」
     男性が食い下がるような気配を見せたので、母は私に促しました。
    「ちょっとだけ、見せてあげなさい」
     仕方なく、私はネージュ人形を持ったまま、腕を高く上に挙げました。男性は少し屈み込み、ネージュ人形を受け取りました。
    「ああ、ありがとう。これは、これは……。はて、これはもしや、パリ十三区に工房を構えるという、あの職人の手になる人形では?」
     パリの十三区は、私の家があるところです。母が答えました。
    「私たち夫婦は、人形職人をしておりますの」
    「おお、やはり! あなた方の作品は素晴らしい、上流階級のお嬢さん方の憧れですよ。どこかでとくと拝見したいと思っていたのですが、こんなところでお目にかかれるとは」
     男性は、ネージュ人形を持ち上げて、しげしげと眺めながら言いました。
    「……ねえ、そろそろ返して」
    「ああ、ごめんよ。はい、どうもありがとう」
     ネージュ人形を受け取ると、私はそれをぎゅっと抱きしめ、男性をにらみつけました。男性はそれを気に留めた風もなく、母に話を続けました。
    「どうですかな、この機会に人形作りをお願いしたいのですが」
    「生憎と、予約が半年先まで埋まっておりますの。人形の修理やメンテナンスも請け負っておりますし、今は新規のご予約は承っておりませんわ。本当に残念ですけれど、またの機会に……」
     母は丁重に断りましたが、「そこを何とか」と男性は粘ろうとしました。そのやり取りが幾度か繰り返された末、男性はようやく諦めて、私たちの前から去って行きました。
    「さっきの人は、知り合いかい?」
     あいさつ回りから戻って来た父が、母に尋ねました。私は、怒って言いました。
    「あの人、きっとネージュちゃんをとろうとしたんだよ」
    「ネージュの人形を?」
     母が父に正しく状況を説明し、父は「なるほど」と納得したようでした。
    「今は、これ以上の予約はとても受けられないからなあ。だが、人形作りを頼もうとしてくれる新しいお客さんがいるのは、ありがたいことだ」
     何がありがたいのか私には分からず、すっかり機嫌を損ねてしまいました。
    「あら、こんにちは」
     けれど、そのうち、顔なじみの家族連れ何組かと行き合いました。両親たちはお喋りを始め、私は年かさの子どもたちに、船の中でかくれんぼをしようと誘われてついて行きました。
    「いち、に、さん、よん……」
     自分が鬼になる番が回って来ると、私はネージュ人形に顔を隠して数を数えました。
     ぱっ、と顔を上げると、もう誰もいません。私は、子どもたちを見つけようと張り切って駆け出しました。一つ目の廊下の角を曲がった、そのときでした。
    「おっと!」
     先ほど、声をかけて来た男性でした。私は、出会い頭にぶつかりそうになったのです。
    「おや、さっきのお嬢ちゃんじゃないか。廊下を走ったら危ないよ。どこへ行くのかな?」
     私は急に怖くなり、足がすくんでしまいました。
    「……かくれんぼ」
    「かくれんぼをしていたのかい。みんなを探しに行く前に、おじさんとちょっとお話しないかい?」
     私は、首を横に振りました。
    「ちょっとの間でいいんだよ。そのよくできた可愛いお人形さんだけどね。何でも欲しいものをあげるから、おじさんと取り換えっこしないかい?」
     私は、先ほどにも増して激しく、首を横に振りました。
    「何でもいいよ、上等なお洋服や、食べ物でもいい。おもちゃでも何でもあげよう。だから、そのお人形さんを譲ってくれないかい」
     私が動けずにいる間に、男性はだんだんとこちらへ近付いて来ていました。今すぐ逃げたい、と思いましたが、どうしても足が動きませんでした。
    「さあ、何が欲しいか、言ってごらん」
     男性がネージュ人形に手をかけようとした、その時でした。
     私と男性の間で、白い何かがはためいたのです。
    「――失礼致します。お客様、こちらのお嬢様とはお知り合いでいらっしゃいますでしょうか?」
     はためいたのは、白い制服の裾でした。船の入り口でチケットをあらためていた凛々しい女性警護官が、私の目の前に立っていたのです。
    「国際警護機構の者です。僭越ながら、財宝の譲渡は正式な契約に基づいて行われるべきものと存じます。意思能力があるとは見なせない小さなお子様を相手に、譲渡を迫るのは――」
    「ああ、分かった。分かったとも。いいさ、警護官にまで見とがめられては、もう面倒だ。じゃあね、お嬢ちゃん」
     男性は燕尾服の裾をひらひらさせながら、その場を立ち去りました。
    「お姉さん、私……」
     私は、今頃になって涙が出て来ました。女性警護官は、ハンカチを貸して、涙を拭ってくれました。
    「怖かったわね。よく泣かなかったわ。えらいのね。あなたは、そのお人形さんを守ったのよ。強い子ね」
     女性警護官に頭を撫でられ、私はようやく泣き止みました。
    「それ、ネージュのお人形でしょう? よくできてるわね、そっくりだわ」
     私は、目をぱちくりとまたたきました。
    「お姉さん、ネージュちゃんと会ったことあるの?」
    「ええ、よく知ってるわ。毎晩、ネージュと会ってるわよ」
     女性警護官は、くすりと笑いました。
    「お姉さんは、警護官さんでしょう。やっぱり……怪盗は悪い人だと思う?」
     私は、恐る恐る尋ねました。
    「さあ、どうかしら。悪い人もいれば、いい人もいるわよ、きっと。あなたはどう思う?」
     私は、首をひねりました。
    「……分からない。でも、ネージュちゃんはいい人で、かっこよくて、綺麗だと思う」
     女性警護官は、ふふ、と微笑みました。
    「私もそう思うわ。――あら」
     そのとき、女性警護官の付けていた無線機から何か声が聞こえました。「了解」と彼女は答えました。
    「どうしたの?」
     私には、その女性警護官がなぜか、いたずらっぽく笑ったように見えました。
    「――怪盗ネージュが出た、って。私も行かなくちゃ」
     えっ、と私が驚いているうちに、母が私を呼ぶ声が聞こえました。
    「ママ?」
    「ああ、こんなところにいたの。船内は大騒ぎよ。何でも怪盗ネージュが宝石を盗んだ、とか。何をしてたの?」
     かくれんぼ、と答えようとして、気が付きました。女性警護官の姿がありません。
    『お客様にお知らせ致します。怪盗と見られる男女数名が当船内にて目撃されております。警護官が確保に向かっておりますので、お客様は今しばらくその場でお待ちください。繰り返します。……』
     船内放送を聞きながら、私は彼女がいたはずの場所を、じっと眺めるばかりでした。
     やはり、あの美しい人は怪盗ネージュだったのでしょうか。
     ――あなたはどう思う?
     ネージュ人形に尋ねても答えが返って来はしないと分かっていながら、私はあの日の不思議な出来事を思い返さずにはいられないのです。
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