影日ワンライ 20241102【夕日】【星】定点観測地点冬の日没ははやく、頭上にひらけた夜空のどこにも気配をのこさず姿を消している。
2015年1月某日、目の前を行く集団からやや遅れて地下鉄入り口へ向かう月島蛍は、数メートル先を歩いていた日向翔陽が立ち止まり、遠くを見上げるのを視認して目だけで視線の先を追う。
新年会と称して市内飲食店に集合し、ひとしきり騒いだあとの帰路のことだ。
烏野高校男子バレー部OBメンバーとすこし離れて立ち止まった日向は強い目をして暗い夜空の一点を見つめている。
凍てついた冬の真っ暗な空には、強く光を放つ星がいくつも散らばっている。
その中でもひときわ青白く鋭い光を放つ星、シリウスをたぶん日向は見ているのだろうと月島は思った。日向が天体に興味がないことなどはわかりきっている。おそらくさっきまで星の名称すら知らなかっただろう。
きょうの会場は英国パブ様式のスポーツバーで、18時開始のVリーグの試合時間に合わせてセッティングされた。同じく烏野高校男子バレー部OBである影山飛雄が所属するチームで初めて正セッターとして登用される記念すべき一戦だということでずいぶんはやくから予定が組まれ、否応なく月島も参加することとなっていた。
OBメンバーほぼ全員が集合時間前に到着するなか、アルバイトの都合だとかで日向は遅れて会場へ到着した。
来年からの渡航、ブラジルでのビーチバレー修行の費用の一端を賄うためなのだという。高二でその話を耳にしたときは月島は日向に気が狂ったのかと云いはしたものの、至るべくしてそこへ至ったのだろうと妙に腑に落ちるところがあった。どこまでも前しか見ることができないバカさ加減に呆れつつも苛立ちを隠すことができなかったのを覚えている。
入場セレモニーがモニターに映し出されるちょうどその時に、日向は店内に走り込んできた。影山が選手紹介として大写しになった瞬間でもある。ビクリと足を止め、モニターを見た日向の硬い表情は、先に到着していたOBメンバーからの大歓迎を受けて一瞬で消えた。
シリウス、焼き焦がす者。
冬の大三角形の一角を成す一等星のうち最も強く光る、冬の夜空に青白く輝く恒星だ。
モニターから流れる映像、選手紹介で所属チームから影山につけられた二つ名なのだという説明に一同は笑いながらも称賛し、各自もまた思いつきを発表し合って盛り上がり、それは試合観戦を終えたあとも続いた。
まったくの快勝というわけではなかったが、影山のかなりの進化ぶりを目の当たりにした試合でもあった。腹立たしく思いながらも変に感情が高揚したようになるのもまた面白くなく、月島は二次会への参加を断りまっすぐ帰路へ着くべく地下鉄へ向かう集団のあとを追った。
立ち止まった日向は夜空を見上げて一瞬、くちびるを噛んだように見えた。
ゆっくりと視線を下げ、自身の靴のつま先に目を落とし、ちいさくまばたきをするのを月島は黙って見ていた。
高校卒業後、そのままVリーグ入りを果たした影山は来年開かれる四年に一度あるスポーツの祭典ともいうべき国際大会の主要メンバーとしてエントリーされている。
プロ選手として第一線で活躍をはじめ、世界へも挑もうとする影山を追う立場であるいまの日向の内心は知る由もないが、いまだ助走期間でしかない自分を歯痒く思うだろうことは客観的に見て明らかだ。
青白く輝く星を遠くに見たあとの、日向のはりつめた横顔を目にうつしながら月島は去年の冬を思い出す。
卒業式を数か月後に控えた高校からの帰り道だった。
会話もなく、日の落ちかけた薄暮のなかをただただ、分かれ道まで歩く影山と日向の姿は、あの頃の彼らの距離感を分かりやすく表していた。数メートル後ろを歩いていた月島は見るともなしにそれを見ていた。
左側を歩く日向に影山はときおり視線をやり、日向はそれに気づかないまま黙々と自転車を押しながら歩いていく。分かれ道で、じゃあな、と手をあげて自転車に乗り去っていくのを影山は顔だけそちらへ向けて見送り、じきに速度を上げて歩きだす。
相手が見ていないときに相手を見ているその様子を傍観者である月島だけが気づいている。日向を視線で追う影山はおそらく自分ではそのことに気づいてはいなかっただろう。いま目の前にいる日向だってそうだ。
影山にとって、日向にとって、どちらもより前へと牽(ひ)き合う存在であるという自覚もなく、ひらく距離に焦燥するのを腹立ちまぎれに月島は鼻で嗤う。
(おまえら、どっちも恒星だろ)
シリウス、そして太陽。
遠くあることでようやく目にすることができる強すぎる光。真空と暗闇、無音の世界からおとなうものがあるのだとすればそれは距離をとびこえて届くかがやき、光、それしかないのだ。
(まぶしくていやになるよね)
日向も影山も、他人から見れば星であることに変わりはないのに。
立ち止まった日向の横顔をチラリと見やると月島は声をかけるでもなく足早に追い抜き、地下鉄入り口の階段を静かに下っていった。
定点観測地点