処刑場にて　ざぁ、と冷たく乾いた風が砂を巻き上げる。昼は灼熱の地となる砂漠も、月明かりに照らされた今は肌寒いほどだ。リンクは処刑場をぐるりと囲む外壁の上に腰を下ろした。小さな体でここまで登るのは苦労したが、ここからでないと見つかってしまう。何度かずり落ちたために擦り剥いた膝に滲む血を手でぬぐい、リンクは処刑場中央で鎖に繋がれた男を見下ろした。
　ガノンドロフ。
　ゲルドで100年に一度生まれる男。圧倒的な力をその原動力とし、ハイラルを統べることを目論んだ砂の王。
「何だか、あっけないや」
　かつてここではない世界で、この世界の彼ではない彼と対峙した。もちろんガノンドロフはリンクが別の世界で何をしたかは知らない。別の世界で己がこの小さな子どもに倒されていることなど、この賢い頭の中の想像の一つにもないだろう。
「あの時ぼくとゼルダ姫を殺していたら、こんなことにはならなかったのにね」
　拭ったはずの膝に新たな血が滲み出す。彼を倒すために流した血の量はこんなものではない。時を操りこの世界と未来の世界を行き来し、見たこともない敵と戦い傷付いたはずのこの体は、時を戻されたことによって元の綺麗な体に戻っていた。今リンクのこの小さな体にある多くの傷は、彼とは無関係のもの。タルミナであったり、他の場所であったり、ハイリア人として生きることもコキリの森に帰ることも出来ないリンクが各地を彷徨って出来た傷だ。否、一つだけ、彼に関わる傷がある。
　夜風がリンクの服をはたはたと揺らしてゆく。露わになった内腿に、蚯蚓腫れのようにひきつれた痕が見える。もう痛みは全くないはずなのに何故かズキリとして、リンクは顔を顰めた。と同時に、大きな岩に鎖で繋がれたガノンドロフの咆哮が聞こえる。遠くて何を言っているのかまではリンクにはわからない。世への恨み言か、呪いか。野望を小娘と餓鬼に阻まれた憤怒を力に変え、鎖を引きちぎろうとしているのだろうか。
　ふと、彼の目がリンクを捉えた。遠くて暗くてほとんど顔が見えないはずなのにそのハッキリと存在を主張してくる鋭い目線に射抜かれて、リンクはぐっと太腿を押さえた。動悸が激しくなる。あの夜と同じだ。抗うことの出来ない太く大きな腕で両の足を掴まれ、暴れようと動いたら真正面から顔を殴られた。鼻血が喉を焼く苦しさに咳き込むリンクをお構いなしに、彼はゲルドでたった一人しか持ち得ない剣を引き抜き、刺した。あまりの痛みに気を失い、気がついたら彼の姿はどこにもなく、脱がされた服は剣と盾と共に枕元に置かれていた。どうしようもない気持ち悪さと体中の痛みに、リンクは寝かされていたベッドの上で何度も吐いた。いくら吐いても誰も来ず、とはいえ人を呼ぶことも出来ず、汚れたベッドはそのままに痛む体を無理矢理動かしながら服を着た。その時気付いたのが内腿の傷。爪で深く引っ掻いたような、刃物で切り付けたような傷。何故こんなところに？と不思議に思ったが、答えはすぐに検討がついた。そういうことなのだろう。
　そしてその傷は、今もリンクの体に残され、今こうしてあの夜の記憶を鮮明に思い出させている。
　ガノンドロフが何か言っているようだったが、リンクには聞こえない。処刑人達がこちらに気付くと厄介なので、身をかがめてその場に隠れた。早く殺してしまわないと。力のトライフォースがいかなるものか、それを宿した彼がどれほどの力を保持していたか、この世界にそれを知る者はリンク以外いない。時間をかければかけるほどに、危うくなるのは処刑場の方だ。この場にマスターソードがあるのなら今すぐ降りて彼を斬ることもできるが、リンクの背にマスターソードはないし、扱える体でもない。
「早くしないと。彼をみくびっちゃダメだ」
　リンクの声は処刑場には届かない。ガノンドロフの腕に込められた力が強まるのを感じる。トライフォースを解放されたら、もうここにいる誰もに勝ち目はない。
　処刑人の一人が剣を構えた。賢者の力で、果たして彼が殺せるのだろうか。
　リンクはガノンドロフをじっと見据えた。砂を巻き上げ風が鳴いた。剣が彼を貫いた時、彼の手にあるトライフォースとリンクの手にあるトライフォースが一瞬共鳴し光ったことを、リンクは見逃さなかった。