嘘つきジージーと蝉が鳴く。夏休み真っ只中の小学生がはしゃぐ声が聞こえる。生温い風がそよりと部屋を抜けて窓辺に吊るした風鈴が揺れる。外の明かりに頼った室内は薄暗く、窓一面に広がる青色はまるで額に収まった絵画のようだった。外は雲ひとつない青空で、まさにレジャー日和。今遊ばずして、いつ遊ぶ。夏の陽気に誘われて外へ繰り出すぞ!とはならず、及川と菅原は勉強会を開いていた。夏休みと言えど受験生。部活がない日は勉強だ。及川の部屋に折り畳みのテーブルを広げ、それぞれの得意教科を教え合っていた。参考書を共有しやすいようにL字に座り、黙々と勉強。つい先ほどまでは。
「ごめん、パーカー踏んで滑った」
「や、大丈夫」
今は、及川が菅原を押し倒し、すっぽり菅原を覆っている。きっかけは「麦茶、おかわり持ってくるね」と及川が立ち上がったこと。その足元には菅原を迎えに行く際に来ていたUVカットパーカーがあった。すべすべした素材のUVカットパーカーは滑りやすい。おまけに畳の上だと摩擦も少ない。つるりと滑ってすってんころりん。そばにいた菅原を巻き込んで、という具合である。幸いにも、及川が咄嗟に床に手をついたため菅原を押し潰すことはなかった。自分の下にいる菅原も、見る限りどこかを強く打った様子はなさそうだった。大事な時期に怪我をしたりさせたりするのは困る。及川はホッと胸を撫で下ろし、もう一度菅原のほうに目を向けた。
色素の薄い柔らかそうな髪が畳に散らばっている。及川の下にある身体は、スポーツをやっているだけあってしっかり筋肉がついているが、それでも及川よりは細く薄かった。こくりと動いた喉をつい目で追ってしまって、沸々と沸き上がる衝動をぐっと抑え込む。とりあえず、どかなきゃ。足元を確認し、身体を起こそうとすると、じっと及川を見つめるアーモンド型の少し吊った目に気がついた。真っ直ぐ及川を見据える視線にぎくりと身体が動かなくなる。
「なぁ、」
動きを止めた及川に菅原が声をかける。その声にはほんの少し揺らぎがあって、菅原が緊張しているのがわかった。
「今さ、俺のこと、どうにかしたいって思った?」
及川と菅原が務めるセッターというポジションはチームの司令塔だ。試合の状況はもちろん、相手の動き、チームメイトのその日のコンディション、さまざまなことを考えてトスを上げる。ゆえに、観察力に長けている。詰まるところ、及川の衝動も、菅原の緊張も、互いに伝わっていた。気が付くと心臓が早鐘のように打っていた。するり、菅原の手が伸びて及川の頬に触れる。菅原の手も及川の頬も境界がわからなくなりそうなくらい熱い。せっかく飲み込んだ衝動が再び迫り上がってくる。もっと触れたい。抱きしめたい。キスしたい。直接肌に触れてみたい。それは目の前の菅原も同じのようで、いつのまにか両腕が及川の首に巻き付いている。
「俺、今、スガちゃんのこと……」
衝動が破裂しそうなくらい大きくなったとき、カランと涼しげな音が響いた。突然の音に二人の身体が跳ねる。音の方向は机の上。氷だけ残ったコップが汗をかいている。氷が溶けたのだ。
及川は菅原の腕を解いて身体を起こし「本当にごめんね」と謝ってから、麦茶のおかわりを取りに部屋を出て行った。寝転んだままの菅原は「おー」と気のない返事をして、行く場がなくなった手で顔を覆った・
「嘘つき」