虹、凪それは依存か束縛か
頭が割れそうな程の痛みを感じて目が覚めた。
と、同時にすぐ異様な雰囲気に気が付く。
何の気配もしない。
確かにもう太陽は高く空に昇り、ジャンやジジイは出払っている時間帯だろう。
しかし凪の気配もしない上、生活音や邸周辺の生き物の気配までしないのは流石におかしい。
目を瞑りなんとか頭痛をやり過ごしながら、俺は凪を探しに階下へ降りた。
台所。いない。
居間。いない。
風呂。いない。
庭。いない。
部屋。…いた。
凪を見つけると同時に邸一帯何の気配もしなかったことに合点がいく。
…今のこいつはとてもではないがまともな状態ではない。
部屋の隅に座り込み、周囲には乾いたばかりであろう洗濯物が散乱している。
目線は何に焦点をあわさることもなく宙をさ迷っており、その両眼からはとめどなく涙が溢れている。
腕はだらりと床に投げ出されているが、両の手首から先にかけては血まみれで今尚だらだらと血が溢れでている。…自傷してできた傷なのだろう。よく見れば血こそ出ていないものの身体のあちこちに引っ掻き傷のようなものも見える。
極めつけに、凪の全身からは抑えようともしていないどす黒い空気が滲み出し、まるで毒のようにこの部屋を中心に邸周辺を埋め尽くしている。
凪はこういった発作的なものを数十年に一度起こす。
俺は何度か経験したことがあったからこそ『異様な雰囲気』として耐えられる程度だったのだろうが、邸周辺の生き物には耐え難い毒気だったのだろう。
じっと見ているだけでは埒があくはずもないので、一声かける。
「凪。こっちを見ろ。」
カルマ、とではなく、元々の呼び名である なぎ、と声をかけた。この状況ではその方がいいだろう。
声に反応した凪がゆっくりとこちらを向く。
目があった瞬間、頭痛が更に酷くなり思わず崩折れそうになるが、なんとか耐え、凪から視線を外さないようにした。
凪は俺を認識すると無表情を歪ませ、更に涙を流しながら近付いてくる。
「…ム、ジカ……もう、…」
そこまで絞り出した凪の口を塞ぐように、俺は肩口に凪の顔を押し付けしっかりと抱き締めた。凪の身体が俺にぶつかるほんの少しの振動でも激痛は全身を駆け巡り、倍増し頭に返ってくる。
一呼吸おいた後、凪の血塗れの両手もゆっくりと俺の背に回される。衣が汚れようが、頭が痛かろうが、この際そんなことは気にしていられない。
「…虹、見捨てないでくれ…。孤独はもう…耐えられそうにない…虹……ムジカ…!」
「…凪よ、俺はお前をもう一人になんてさせるつもりはねえ。永劫お前の隣で居座ってやる。お前が罪に押し潰されそうなときは変わってやることはできねえが、いくらでも支えて立ち直らせてやる。孤独に凍えるときは満足するまで抱きしめてやる。
…俺様はいつまでもお前の味方だ。凪。」
そう言い、抱き締める力を強めると、言葉のかわりに小さなくぐもった嗚咽が肩口から聞こえてきた。
誰に対しても礼儀正しく、優しく、誠実で、取り乱す様など見せたことのない凪は端から見ると四瑞の一人という肩書きに相応しい完璧な存在に見えるのだろう。
だがこの男にも到底人には言えない苦悩、見せられない醜態があるのだ。そしてそんな凪の姿を俺だけは知っている。
俺以外の誰も知らない。
頭の髄が痺れるほどのえもいわれぬ優越感と愛しさが沸き起こり、
俺はたまらず凪のつむじに口付けを落とした。
耐えがたいほどだった激しい頭痛は、いつの間にか消えていた。
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大昔、まだ虹と凪が出会ってなかった頃、虹はどこまでも広がる空の頂で、凪は暗く深い海の底で一人孤独を生きていた
元来二人で一つである虹と凪、孤独は次第に共鳴し、引き合う力となった
共鳴した孤独は二人の身体に消えない印を刻み付けた
後に出会い、共に過ごしている今でもどちらかが抑えきれない孤独を感じると
片割れの印に激痛が走り、もう片割れの危機を伝えるという