エイプリルフール「明日は、君ひとりで過ごしてくれ」
僕の元から帰るとき、ルチアーノは真面目な顔つきでそう言った。彼にしては珍しい、改まった態度である。胸に引っかかるものを感じて、僕も真面目に聞き返してしまった。
「どうしたの? そんなに改まって、何か大事なことでもあるの?」
僕の問いを受けて、彼はきひひと笑い声を上げる。にやりと口角を上げると、嬉しそうな声色で言った。
「君も、ずいぶん察しがよくなったものだな。そうだよ。明日の任務は、命がかかるものなんだ」
察しがいいなんて言われているが、分からないはずがないのだ。彼は、最初から僕に気づかせるつもりでこのような言動をしているのだから。
「命がかかってるって、ルチアーノは死なないでしょ。大袈裟なんじゃないの?」
「大袈裟じゃないぜ。死ぬことは無くても、壊れたら面倒なことになるんだから」
僕の言葉を聞いて、彼はくすくすと笑う。なんだかからかわれているような気分になるけど、機嫌を崩したくないから指摘はしない。
「それもそうだね。気をつけて」
「ああ、無事に帰って来れるよう、祈っておいてくれよな」
やはり演技じみた態度で、ルチアーノは言葉を続ける。遠ざかっていく後ろ姿には、言い様の無い違和感が残されていた。
翌日は、昼過ぎまで眠ることにした。今日はせっかくのオフだし、個人の用事も何一つ無い。二度寝するには絶好のチャンスだ。あまり自慢することではないが、僕は眠ることに対して多大な才能がある。起きる理由がなければ、いつまでだって眠っていられるのだ。
布団を口元まで引き上げると、微睡みの中に身を委ねる。普段は早くに起こされてしまうから、惰眠を貪ると言うことができないのだ。朝の陽気を感じながら、うとうとと眠りと覚醒の合間を漂う。春になったからか、部屋の中はぽかぽかと暖かい。幸せを感じているうちに、意識は少しずつ薄れていった。
微睡みの中で、僕は夢を見ていた。ベッドに横たわる僕の元に、ルチアーノがやって来るのだ。彼は静かに室内に入ると、ベッドに肘をついて寝顔を眺める。その様子を、僕は微睡みの中で感じていた。
しばらくすると、ルチアーノは布団の中に潜り込んできた。僕の隣に、彼の子供らしい温もりが並ぶ。春の陽気の中では、その熱は少し暑苦しい。全身がじわじわと熱を持ち、汗が流れ始めた。その感覚は夢とは思えないほどにリアルで、でも、決して不快ではなかった。
とはいえ、そんな状況になってしまえば、長くは眠っていられない。数分もしないうちに、身体は熱に耐えきれなくなった。意識が眠りから引き戻されて、僕はゆっくりと目を開ける。視界に入った光景に、言葉を失ってしまった。
そこには、ルチアーノが横たわっていたのだ。布団の中にうつ伏せに潜り込んで、僕の顔を見つめている。にっこりと微笑みを浮かべると、彼は何事も無かったように呟いた。
「おはよう、寝坊助さん」
僕は、まじまじとルチアーノの姿を見つめた。寝起きの惚けた思考では、その姿が本物なのか確信が持てなかったのだ。昨日の会話が本当なら、彼は今頃任務に当たっているはずだ。こんなところにいるはずがなかった。
「ルチアーノ…………? どうして、ここに…………?」
寝惚けた声で答えると、彼はケラケラと笑い声を上げた。特徴的な笑い声に、彼が本物であることを確信する。僕が混乱していると、彼は甲高い声で言葉を続けた。
「君は、全然気がついてないんだな。今日が何月何日なのか、カレンダーで見てみろよ」
僕は思考を巡らせた。寝起きの頭をフル回転させて、今日が何日なのかを確かめる。確か、昨日見たテレビ番組は、今日が年度末だと語っていた。年度が変わったということは、今日は四月の一日なのだろう。
「ああっ……!」
そこまで考えて、ようやく答えにたどり着いた。大きな声を上げる僕を見て、ルチアーノは驚いたように口を開ける。そんな彼に向かって、僕は自分の推理を伝えた。
「もしかして、エイプリルフールの嘘だったの……? 今日は危険な任務に行くから会えないって」
ルチアーノの口元が、にやりと意味深に持ち上がる。その反応を見て、僕は正解を確信した。彼が僕に伝えたのは、エイプリルフールの嘘のつもりだったのだ。
「やっと気づいたのか。全く、君は困ったやつだな。あんなにイベントにこだわってるくせに、肝心な当日に気づかないんだからさ」
にやにやと笑みを浮かべながら、ルチアーノはからかうように言う。そんなことを言われても、僕が気づくはずなどなかった。だって、三月三十一日の嘘は、エイプリルフールに入らないのだ。
「分からないに決まってるよ。エイプリルフールの嘘をついていい日は、四月一日だけなんだから。三月の終わりに嘘をついても、エイプリルフールにはならないんだよ」
教えるように言うと、彼はぽかんと口を開ける。しばらくすると、気を取り直したように口を閉じた。
「そうなのか。それは悪かったな」
全然反省してない態度だ。呆れを通り越して、なんだか脱力してしまう。それにしても、と思い、僕は身体を起こしながら言葉を続けた。
「でも、良かったよ。ルチアーノが危険な任務を受けることにならなくて」
隣で胡座をかいていたルチアーノが、驚いたような表情を見せる。光を反射する緑の瞳が、真っ直ぐに僕へと向けられていた。
「なんだよ。君、もしかして心配してたのか?」
「当たり前でしょ! 恋人が危険な目に合うかもしれないんだよ。心配にだってなるよ」
顔を合わせると、彼は恥ずかしそうに顔を伏せる。小さな声で言った。
「それは、嘘じゃないよな」
「嘘じゃないよ。人を傷つけるような嘘は、エイプリルフールのルールに反するから」
隣からは、何も言葉が返って来なかった。言い方が悪かったのかとも思ったが、そうではないらしい。ちらりと視線を向けてみるが、怒っている様子は一切なかった。
ルチアーノは、どこまでエイプリルフールのルールを知っているのだろうか。僕が教えたわけではないから、細かいことは知らないのだろう。きちんと教えて上げた方がいいのだろうかと、心の隅で思うのだった。