呪い 洗い物を済ませると、僕はソファに腰を下ろした。転がっていたリモコンを手に取ると、つけっぱなしだったテレビのチャンネルを変える。本当ならリモコンにも置き場があるのだが、ルチアーノが適当にザッピングした後に、ソファの上に置きっぱなしにしてしまうのだ。僕も後から使うわけだし、面倒だからそのままにしてしまっていた。
夏が始まってしばらく経つが、テレビはまだ特番ばかりだった。レギュラー番組が放送されているチャンネルもあるが、見ていない番組の長時間放送だったりする。一通り放送を調べてみるが、目ぼしいものはひとつもない。テレビを消そうかと考えて、僕はあることを思い付いた。
テレビには、衛星放送というものがあるのだ。こっちは昔のドラマや映画など、マイナーな番組が放送されるチャンネルが多い。思い出した時に見てみると、意外とおもしろい番組がやっていたりする。今日のように見るものがない日には、衛星放送に変えてみるのもいいと思った。
放送を切り替えると、選局ボタンを押してチャンネルを変える。ゴールデンタイムだと言うのに、映っているのは昔のドラマか映画だった。たまに見かけるバラエティも、マイナーそうな旅番組などである。ボタンを押しながら映像を流し見していると、気になる光景が視界に映った。
それは、少し昔の映画だった。かなり有名なものらしく、タイトルは僕にも見覚えがある。荘厳な音楽がかかっているところから、シーンはクライマックスに差し掛かった辺りなのだろう。学校の制服を着た男女が、夕暮れの道を歩いていた。
カメラが切り替わると、真っ白な部屋が映し出された。目の前にはベッドが置かれていて、高校生くらいの女の子が横たわっている。優しく手を握っているのは、主人公らしき制服の男の子だ。不意に顔を上げた女の子の瞳には、澄んだ涙が煌めいていた。
そう、この映画は、オーソドックスな余命ものである。女の子は余命一年の申告を受けていて、ほとんど病室から出られない生活を送っているのだ。主人公の男の子は、何らかの理由で彼女と関わるようになったらしい。
明らかな時間制限のある状態で、二人は交流を続けていく。男の子は女の子に惹かれ、女の子も男の子に惹かれていった。しかし、彼らを待っているのは、女の子の死という別れである。泣きながら死を恐れる女の子を、男の子は泣きながら支えていた。
悲しげな音楽のかかる映像を、僕は冷めた瞳で見つめる。実を言うと、僕は余命ものというジャンルが、あまり好みではなかったのだ。テーマそのものが古くから使い古されていて、あまり新鮮味を感じない。それに、今の僕にとっては、死別を非現実的なものとして受け止められなかったのだ。
リモコンを持ったまま動きを止めていると、僕の背後から足音が聞こえてきた。お風呂から上がったルチアーノが、僕を呼ぶために部屋に入ってきたのである。テレビに映る光景に気がつくと、冷めきった声で口を開いた。
「なんだよ。君は、こんな悪趣味なもんが好きだったのか?」
「違うよ。昔有名になった映画だから、なんとなく見てただけ。僕だって、こういうのはあんまり好まないよ」
トゲのある言葉を突きつけられて、僕は慌てて言葉を返す。死別をテーマにした量産型映画なんて、絶対にルチアーノの機嫌を損ねるだろう。死別の悲しみと絶望を、彼は誰よりもよく知っているのだ。
「そうかよ。僕はてっきり、君がこの手の映画を好むのかと思ったよ。そうだとしたら、僕は君を軽蔑するけどね」
「辛辣だなぁ。言っておくけど、世の中にはこういう映画を好きな人もいるんだよ。否定するのは、相手を選んでからにしてね」
冷めた会話を交わしながら、ルチアーノは僕の隣に腰を下ろす。僕がすぐに否定したことで、決定的な機嫌の悪化は防げたようだ。こういうことがあるから、ルチアーノとの生活は気が抜けない。
そうこうしている間にも、画面の中の映像は、次の展開へと進んでいた。女の子が自らの死期を悟り、男の子に遺言を遺すシーンだ。瞳から大粒の涙を流しながら、女の子は男の子に願いを託す。その台詞の内容は、やっぱりありきたりな言葉だった。
「この女も、無責任なことを言うよな。『貴方だけは生きて』なんて、残酷にもほどがあるぜ」
テレビに視線を剥けたまま、ルチアーノは小さな声で語る。何気ない様子を装っているが、内心では思うことがあるのだろう。心の奥底を考えて、僕は何も言えなくなってしまう。僕の戸惑いに気がついているのか、ルチアーノは淡々と言葉を続けた。
「『生きてくれ』なんて、残された方にとっては呪いでしかないんだぜ。この男は、愛した女を失ったまま、何もなくなった世界を生き続けるんだ。そんな絶望を味わうくらいなら、死んだ方がましなのにな」
感情を押し殺したような声色で、ルチアーノは饒舌に言葉を紡ぐ。それが彼の本心であることは、これまでの経験から理解できた。彼は愛した家族を失って、死という形の解放を願ったのだ。でも、その儚い願いは、ついぞ叶うことがなかった。
「ねえ、ルチアーノ」
声をかけると、彼は静かに視線を向けた。感情の無い瞳に見つめられて、僕は一瞬だけ口を開くことを躊躇ってしまう。呼び掛けたからには、思いきって尋ねるしかない。覚悟を決めると、僕は大きく息を吸った。
「ルチアーノは、死が救いだと思ってるの?」
大方予想はしていたのか、彼は静かに表情を変える。悲しみを湛えたような、弱々しい笑顔だった。真っ直ぐに僕を見つめると、表情と同じくらい弱い声で言う。
「思ってるよ。絶望を埋める一番の薬は、この世から消えてなくなることだからな」
重い返答に、僕は口を閉じることしかできなかった。これから、僕が何を語ったところで、彼の気持ちは変わらないのだろう。彼の魂に染み付いた絶望は、そんな甘いものではないのだから。
返事を拒むように、僕はソファから立ち上がる。ルチアーノも分かっているのか、何も言っては来なかった。リビングを抜けて自分の部屋に入ると、僕は静かに涙を流す。
ルチアーノは、永遠の命を持つアンドロイドだ。それに対して、僕はただの人間である。僕とルチアーノが一緒に暮らしたら、確実に僕が先に死ぬのだ。その時、僕はルチアーノに、どんな願いを託すのだろう。
いつかは、僕もルチアーノに呪いをかけてしまうのだろうか。そんなことを考えてしまって、溢れる涙が止まらなくなった。