誘惑 人工の光に彩られた町の中を、周囲を見渡しながら歩いていく。二人分の荷物を詰めたキャリーケースが、ガラガラと賑やかな音を立てた。ルチアーノは先導するように前を歩き、僕の進路を確保してくれる。何度かタイヤを溝に引っ掛けながらも、少し早足で後を追った。
突き当りの角を曲がると、ルチアーノは一度足を止める。左右の建物を見渡すと、再び先へと足を進めた。今日の宿は彼が予約してくれたから、案内も任せっきりになっている。彼は直接マップにアクセスできるから、僕よりも手間がかからないのだ。
大会の前泊をしたいと言い出したのは、僕ではなくルチアーノだった。何度も遠征を重ねるようになって、彼は宿泊というものに慣れたようなのだ。気が向いた時に宿を用意しては、強引に僕を誘ってきた。
狭くなる通りを見ながら、僕は少し期待していた。ルチアーノが宿泊を誘う時は、大抵が夜のお誘いを兼ねているのだ。いつもとは違うスキンシップを取りたいと思った時に、彼はホテルの部屋を予約する。これまでの経験でそうと知っているから、期待してしまっても仕方ないだろう。
軽い足取りで背中を追っていると、彼は建物の前で足を止めた。目の前に立つ大きなビルには、ホテル名の書かれた看板が煌めいている。どうやら、ここが今夜の宿らしい。ルチアーノがこちらを振り向くと、淡々とした声で言った。
「ここだよ」
すぐに前を向くと、建物の中へと入っていく。自動ドアの先に続いていた空間は、よくあるホテルのフロントだった。室内は落ち着いた雰囲気に整えられていて、受付は対面式になっている。甘い雰囲気は少しもなければ、カップルが止まっている気配もない。安価なビジネスホテルといった装いだった。
受付を済ませると、ルチアーノは僕の元へと戻ってくる。明らかに子供の姿をした彼が話しかけても、受付の女性は何も言わずに対応していた。ルチアーノの認識阻害能力で、成人男性に見えていたのだろう。僕たちには日常茶飯事だから、僕も特には突っ込まない。
「五階だよ」
相変わらず淡々とした声で言うと、彼は足早に部屋へと向かう。僕の目の前まで来ていたのに、荷物は持ってくれなかった。キャリーケースを引きずりながら、僕はフロントを横断していく。エレベーターに辿り着く頃には、既に扉が開いていた。
当たり前だが、エレベーターの中も、大人数が乗れるように広々と作られていた。今日の宿泊先として選ばれたのは、普通のビジネスホテルらしい。わざわざ設備のない部屋を選んだということは、彼にその気はないのだろうか。勝手に期待していた自分が、少し恥ずかしくなってきた。
エレベーターを降りると、指定された部屋へと歩いていく。ルチアーノがカードキーをかざすと、部屋のロックが開く音がした。扉の先にある玄関は、思ったよりも広々としていた。靴を脱いで中に上がると、やはり大きめの部屋が出迎えてくれる。
ビジネスホテルだからなのか、ベッドはシングルが二つだった。正面に置かれたテレビ台には、引き出しと扉が取り付けられている。扉の中に設置されていたのは、冷蔵庫や金庫だった。壁際に荷物を置くと、僕はルチアーノに声をかける。
「やっとついたね。案内ありがとう」
ベッドの隅に腰を下ろすと、ルチアーノはチラリとこちらを見た。お礼を言われて恥ずかしいのか、頬はほんのりと赤く染まっている。わざとらしく足を組むと、少し投げやりな声で答えた。
「まあ、泊まりたいって言ったのは僕だしな。それくらい当然だよ」
盛大な照れ隠しに、僕は少し口角を上げる。わざわざ宿を取ったくらいだから、彼も宿泊に何かを期待しているのかもしれない。それが何かは分からないが、楽しんでくれてるならなんでもいい。
「僕が荷ほどきをしておくから、ルチアーノはお風呂に入っていいよ。着替えは、用意ができたら置いておくから」
キャリーケースを開きながら、僕はルチアーノに声をかける。さっきまで観光と食事をしていたから、後はお風呂に入って寝るだけだ。いつもルチアーノが先に入るから、今日もその通りに行動するつもりだった。
「そうだな。先に入ってくるよ」
大袈裟な仕草で腰を上げると、ルチアーノは部屋を出ていった。部屋と部屋を繋ぐ通路に出ると、ご丁寧に寝室の扉を閉めていく。彼の姿を見送ってから、僕は目の前の荷物に手を伸ばした。
四十五リットルのキャリーケースは、荷物でパンパンになっている。二人分の着替えの他に、デッキや僕のデュエルディスクも詰められているのだ。中の精密機器が壊れないように、両側を着替えで挟み込むように入れてある。先にデュエルディスクを持ち上げると、後ろのベッドの上に置いた。
デュエルディスクを取り出したら、後は着替えを取り出すだけだ。開かれたキャリーケースの中には、左右のスペースに分けるように寝間着と明日の着替えが仕舞われている。一着ずつ両手でつまみ上げると、皺を伸ばして畳み直した。寝間着はベッドの上に並べて、着替えは部屋の隅にあるソファの上に置く。
全ての着替えを畳み直した頃に、ルチアーノが部屋へと入ってきた。足音のした方に視線を向けて、僕は言葉を失ってしまう。目の前の立っている彼は、備え付けの浴衣だけを纏った姿だったのだ。両脇を縛る紐は緩んでいて、足元が少しほどけている。今にも素肌が見えてしまいそうな、無防備な姿だった。
「どうしたの? ずいぶん早いね」
慌てて視線を逸らしながら、僕は彼に声をかける。足音を立てながら歩いてきたルチアーノが、どかりとベッドに腰を下ろした。何をするでもなくデッキに手を伸ばす僕に、真上から声をかけてくる。
「シャワーだけだからな。そんなに時間はかからないぜ」
「湯船は張らなかったの? シャワーだけじゃ寒くない?」
「もう夏だぜ。寒いわけないだろ」
会話が終わると、一気に気まずさが襲いかかってくる。何もすることがなくなって、僕は寝間着に手を伸ばした。ゆっくり腰を上げると、ルチアーノを直視しないように気を付けながらリビングを横切る。
「じゃあ、僕もお風呂に行ってこようかな」
一言残してから、通路へと足を踏み出す。少し動揺していたから、無意識のうちに扉を閉めてしまった。
洗面所に入ると、アメニティの乗っている台の片隅に寝間着を置く。広めのホテルだからか、浴室と洗面所とトイレは別になっていた。とはいえ、比較的立地のいいビルだから、浴室はそれなりに狭い。二人で湯船に浸かるには、少し小さそうだった。
脱いだ服を床の隅に置くと、僕は浴室へと足を踏み入れる。さっきまでルチアーノがいたから、そこはほんのりと暖かかった。湯船やアメニティの置かれた棚も、シャワーの水滴で濡れている。床に残ったケア用品で指先が滑って、慌てて壁に手をついた。
備え付けの椅子に座ると、蛇口を捻ってシャワーのお湯を出す。一度温度を確認してから、流れるお湯を身体にかけた。ルチアーノの使っていたシャワーは、僕の家よりも少し温度が高い。身体の火照りを感じながら、僕は全身を洗い流した。
そういうことはないと分かっていても、期待してしまうのが男というものだ。身体は念入りに洗ったし、足の付け根のあたりは特にしっかり洗った。身体が洗い終わる頃には、すっかり身体が温まっていた。湯船にお湯を張ることもなく、僕は浴室の外へと出る。
洗面所で手早く身体を拭くと、持ってきた寝間着に身を包んだ。季節は夏に近づいているから、服装は半袖と半ズボンのセットだ。冷房で身体が冷えないように、上に羽織るものも持ってきている。タオルで適当に髪を拭くと、僕は寝室へと戻った。
洗面所の扉を開いた僕の耳に、賑やかな音声が聞こえてくる。寝室で待っているルチアーノが、テレビの電源を入れているみたいだ。寝室へと続く扉を開くと、室内の様子を見渡す。ベッドに横たわるルチアーノを見て、再び心臓が飛び出しそうになった。
ルチアーノは、寝間着に着替えてはいなかったのだ。備え付けの浴衣のままで、シーツの上に身体を投げ出している。浴衣の裾は大きくはだけて、太腿が丸見えになっている。僕の記憶が確かなら、下には何も着ていないはずだ。
「わっ……」
思わず声を上げると、彼は面倒臭そうに振り返った。チラリと僕に視線を向けると、気の無い態度で声を上げる。
「なんだよ。君も早いじゃないか」
「びっくりした……。パジャマに着替えないの?」
動揺を隠しながら尋ねると、僕は彼の前を横切る。僕の後ろから、ルチアーノの声が聞こえてきた。
「面倒だから、このままでいいだろ。僕は機械だから、風邪なんか引かないしな」
そういう問題じゃ無いのだけれど、僕には何も言うことができない。キャリーケースの蓋を開けると、黙ったまま着替えを片付けた。ベッドの上からは、ルチアーノが身じろぎをする音が聞こえてくる。裸同然だと考えると、その音も少し危なっかしく聞こえる。
鞄から端末を取り出すと、僕は空いているベッドの縁に腰をかけた。心を落ち着かせるために、明日の大会の確認をすることにしたのだ。端末のロックを解除すると、メールボックスから目的のメールを探し出す。
そこには、明日の大会の段取りが書き連ねられていた。デッキ登録や大会の注意事項の後に、タイムテーブル形式で予定が並んでいる。集合は朝の八時で、解散は午後四時の予定だ。僕たちはBグループになるから、集合場所もデュエルコートBになる。
文字列を目で追っていると、隣のベッドから衣擦れの音が聞こえた。身体を起こしたルチアーノが、僕のベッドへと移動してきたのだ。僕の後ろに這い上がると、背中に身体を張り付けてくる。肩から顔を覗かせるようにして、手元の端末を覗き込んだ。
「何してるんだよ」
「予定の確認をしてたんだよ。明日は、朝が早いから」
平静を保って答えるが、内心では心臓が音を立てている。背中から伝わるルチアーノの温もりが、僕の身体に火を灯したのだ。下半身に熱が集まって、そこにあるものが疼き始める。
「そんなもの調べなくても、会場に行けばなんとかなるだろ。君は馬鹿に真面目だな」
からかうような声色で言うと、彼はきひひと笑い声を上げた。耳に突き刺さる甲高い声が、余計に僕の熱を加速させる。
「ねえ、ルチアーノ」
声をかけると、彼は僕の肩から頭を離した。いつもよりも少し上機嫌に答える。
「なんだよ」
「熱いから、ちょっと離れてほしい」
僕のこのお願いは、あながち間違いでもなかった。隙間なくくっつけられた背中からは、生温かい汗が滲んでいたのだ。汗は額からも流れ落ちて、僕の首筋を濡らしていく。
「全く、熱いなら、もっと脱げばいいだろ」
本心とも冗談ともつかないことを言いながら、ルチアーノは僕から身体を離す。Tシャツをばたつかせて風を送ると、僕はベッドから腰を上げた。この部屋の中の温度は、距離を詰めるには少し熱いのだ。クーラーのリモコンを探すと、温度を確認してからスイッチを入れる。
ベッドに戻ると、ルチアーノが僕を待ち構えていた。隣に座ったまま、上目遣いで僕のことを見つめている。何かを伝えたがっているようだが、何を言いたいのかはよく分からない。身体の発熱を加速させるような、艶かしい表情だった。
疑問を投げる代わりに見つめ返してみるが、彼は何も語らない。仕方ないから、そのまま明日の打ち合わせに入ることにした。鞄からデッキを取り出すと、ドローしながら翌日のシミュレーションをする。
一度話を変えてしまえば、僕の意識はデュエルへと向いてくれる。デュエルが何よりも優先されるのは、僕の単純なところだった。部屋が涼しくなってからは、ルチアーノの服の裾を直すことも忘れない。いくら風を引かないと言っても、子供が素肌を晒すのは問題があるだろう。
大会について話をしているうちに、すっかり夜も更けてしまった。明日は早起きする必要があるから、あまり夜更かしもしていられない。デッキを鞄の中にしまうと、僕はベッドから立ち上がる。
「じゃあ、そろそろ寝ようか」
僕を見上げるルチアーノは、やはり物足りなげな顔をしていた。理由は分からないままだから、そのまま洗面所に向かって歯を磨く。ルチアーノも後をついてきて、僕の隣で歯を磨き始めた。就寝の準備を整えると、電気を消してベッドの中に入る。
布団の中でごろごろしていると、ルチアーノが隣に潜り込んできた。彼の小さな身体が、僕の身体にぴったりとくっついてくる。しおらしい態度に困惑していると、ズボンの中に手を突っ込まれた。
「っ!?」
びっくりして、身体に力が入ってしまう。彼の手のひらは、確実に僕の足の付け根に触れている。血液が送り出されて、下半身がドクドクと音を立てる。それが膨らみ始めているのを、否定することができなかった。
「ルチアーノ? どうしたの?」
慌てて尋ねると、彼は僕の頭に顔を近づける。小さな声で呟いた。
「……しないのかよ」
「へ?」
「だから、しないのかよ!」
その言葉の意味はさすがの僕にも理解ができた。彼は、夜のお誘いをしているのだ。ずっと僕を見つめていたのは、言い出すタイミングを探っていたのだろう。そう思った途端に、身体が一気に熱を持った。
「でも、ここはビジネスホテルでしょ。汚したらどうするの」
「そんなの関係ないだろ。どうせ掃除するんだし」
「道具だって置いてないんだよ。そのままするつもり?」
「君が荷物に道具を入れてること、知ってるんだからな。さっさと取ってこいよ」
僕が何を言っても、ルチアーノは淡々と追い詰めてくる。僕が道具を詰めていることなんて、いつの間に知ったのだろう。そんなことを指摘されたら、僕には反論などできない。
ルチアーノに挑発されて、僕の下半身はドクドクと音を立てる。大きく膨らんだそれは、更なる刺激を求めて疼いていた。元々期待していたのだから、我慢することなんかできない。這うようにベッドから降りると、キャリーケースの中から例のものを探した。
再びベッドの上に上がると、布団を剥がしてルチアーノの身体を曝け出す。浴衣のはだけた彼の姿は、どこまでも艶かしくて、大人びていた。彼の身体を押し倒すように、僕は彼の上に四つん這いになる。正面から彼を見つめると、囁くように呟いた。
「今日は、優しくできないからね」
瞳を潤ませたルチアーノが、小さく息を飲む音が聞こえた。彼の身体に触れるために、僕はそっと手を伸ばした。