盆 その1 お盆は、死者の魂が帰る季節だ。先祖や家族の霊を迎え入れ、丁重に弔って供養する。仏壇のある家は精霊馬を供えたりするし、親戚一同が集ったりもするのだ。それは僕も例外ではなく、実家に帰る予定が入っている。
この時期になると、店舗もお盆一色になる。野菜コーナーにはお供え用の果物が並び、精霊馬のイラストが描かれたポップが揺らめいている。パンコーナーの片隅には落雁や果物の器に入った砂糖が並べられ、手土産の和菓子まて並べられている。どこからどう見てもそうと分かるほどの、完璧なお盆の光景だった。
だから、僕がそんなことを思い付いたのも、決して変なことではないのだろう。顔も知らない死者を弔う人だって、この世界にはいくらでもいるはずだ。他者を弔いたいと思う気持ちは、相手がどんな立場であっても同じだろう。それに、僕にとってその男の子は、全くの他人ではないのだから。
野菜コーナーで足を止めると、僕はきゅうりを手に取った。次に足を運んだのは、ナスを売るコーナーの手前である。日本人なら誰もが知っている、精霊馬の材料となる野菜だ。割り箸は家に余りがあるから、新しく買うことはしなかった。
家に帰ると、僕は買ったばかりの野菜を取り出した。キッチンの引き出しを開けて、詰め込まれていた割り箸を二膳取り出す。端末に表示させるのは、精霊馬の作り方がまとめられたサイトである。長い割り箸を二つに折ると、見よう見まねできゅうりに差し込んだ。
精霊馬は、思ったように形にならなかった。四本の足を取り付けてみたものの、上手くバランスが取れないのである。画面とにらめっこしながら、僕は何度も割り箸を刺し直した。形が崩れてしまったものは、夕食に食べることにする。
なんとか形を整えた頃、室内に人の気配を感じた。任務を終えたルチアーノが、僕の元へと帰ってきたのである。お盆が近いにも関わらず、彼は毎日のように家を開けている。神の代行者としての仕事には、連休の概念は無いようだった。
「なんだよ。その、下手な人が書いた動物の絵みたいなものはさ」
僕の手元を眺めると、ルチアーノはからかうような声で言う。作った僕ですら笑ってしまうくらいの、的確な例えだった。その精霊馬たちは、足や胴体が斜めになっていたのだから。
「これは、精霊馬だよ。お盆に死者を迎え入れるために、仏壇に飾るんだ。行きは早く帰って来れるようにきゅうりの馬を、帰りはゆっくり帰れるように、ナスの牛を用意するんだ」
僕が説明すると、ルチアーノは面倒臭そうに眉を寄せた。ちらりと机に視線を向けると、訝しむような声色で言う。
「そんなことは分かってるよ。なんで君が、精霊馬なんてものを作ってるんだ? 君の近しい親族には、仏壇に収まるような人間はいなかっただろ」
「それは……」
ルチアーノに追及されて、僕は言葉に詰まってしまった。精霊馬を作った理由を、彼の前で口にしていいのか分からなかったのだ。これは彼に関わる問題ではあるけれど、きっと聞きたくない回答になるのだろう。僕が迷っていると、ルチアーノは鋭い視線を向けてきた。
「答えられないことなのか? 君は、僕に隠し事をするんだな」
「隠したいわけじゃないよ。ただ、ルチアーノは嫌がるかもしれないと思って」
僕が呟くと、ルチアーノはさらに表情を歪めた。僕に隠し事をされるのが、嫌で仕方ないらしい。いや、嫌で仕方ないと感じているのは、僕に気にかけられている人間がいることだろうか。
どちらにしても、黙っておくわけにはいかなかった。どうせ話さなければならないことなのだ。言うなら早い方がいい。覚悟を決めると、僕はルチアーノに向き直った。
「僕が嫌がること? いったい、何を考えてるんだよ」
「……これは、ルチアーノの元になった人を迎えるための馬なんだ。僕は、ルチアーノのオリジナルに当たる人を、この家に迎え入れようと思ってるんだよ」
そう告げると、ルチアーノは不快そうに眉を寄せた。机の上の精霊馬を睨み付けると、鋭い声で言葉を続ける。
「君は、いったい何を言ってるんだよ。僕のオリジナルは未来の人間で、この時代には生まれてないんだぞ。それに、君にとってあの男は、見ず知らずの他人じゃないか」
「他人じゃないよ。ルチアーノの元になった人なんだから、家族とまでは言えないけど、縁のある相手だと思ってるんだ。それに、その男の子だって、供養してもらえたら救われるかもしれないでしょ」
「だからって、わざわざ精霊馬を用意する必要はないだろ。君は、僕よりそいつの方が大事なのか?」
「僕にとっては、ルチアーノもオリジナルの人も同じくらい大事なんだよ。オリジナルの人がいなかったら、ルチアーノは存在しないんだから」
機嫌を損ねるルチアーノを横目に、僕は精霊馬に手を伸ばした。机の上にペーパーを敷くと、きゅうりとナスを隣に並べる。本当は仏壇に備えるものなのだが、この家には仏壇というものがないのだ。それでも、馬と牛が並んだ姿は、立派にお盆の風景を感じさせた。
一息ついてから、僕は再びルチアーノに向かい合う。僕には、まだ彼に言わなくてはならないことが残っていたのだ。むしろ、こっちの方がメインとまで言えることである。ちゃんと共有しておかないと、彼の機嫌を損ねてしまうのだから。
「実は、もう一つルチアーノに言わなきゃいけないことがあるんだ」
「なんだよ」
僕が口を開くと、彼はわざとらしくため息をついた。さっき交わした会話が、まだ彼の中で引っ掛かっているのだろう。それだけは僕に原因があるから、声を上げて責めることはできない。見なかったふりをすると、思いきって言葉を続けた。
「お盆は、実家に泊まることになったんだ」
「知ってるよ」
ルチアーノから返ってきたのは、淡々とした返事だった。彼には僕の動向を探る能力があるから、どこかで見ていたのだろう。単純に端末を覗いたりして、両親とのやり取りを見たのかもしれない。どっちにしても、話が早くて助かるものだ。
「僕は、一緒には行けないのか」
しばらく間を置いた後に、ルチアーノは小さな声で言った。僕の様子を窺うような、探るような声色だった。はっきりとは口にしないけれど、きっと寂しさを感じているのだろう。さっきのこともあって、重ねて申し訳ない気持ちになる。
「今年は、一緒に行くことはできないんだ。従兄弟が来るみたいだから」
「そうかよ」
寂しそうに俯くルチアーノを、僕は悲しい思いで眺めていた。連れていってあげたい気持ちはやまやまだが、今年はどうしても無理なのだ。さすがに、従兄弟や親戚の伯父さんの前に、恋人の小学生を連れていくわけにはいかない。
僕が言葉に迷っていると、不意にルチアーノが顔を上げた。真っ直ぐに僕を見上げると、トゲを刺すような声で告げる。
「なあ、絶対に浮気するなよ。故郷の知り合いとやらに声をかけられても、ちゃんと断って来るんだぞ」
「大丈夫だって。浮気なんてしないよ」
「君はお人好しだからな。女に誘いを持ちかけられたら、ホイホイついていくかもしれないだろ。一緒に食事を摂りに行くだけでも、僕は浮気として見なすからな」
「分かってるよ。大丈夫だって」
何度も念を押すルチアーノを、僕は言葉を重ねて宥める。彼は心配しているが、僕に浮気の可能性などないのだ。だって、僕はルチアーノにしか興味がないし、他の人に魅力を感じたりはしないのだから。
「絶対に浮気はしないから。帰ったら、たくさんイチャイチャしようね」
からかうようにそう言うと、彼は恥ずかしそうに頬を染める。さっきまでの不機嫌が嘘のような、見事な照れ顔だった。恥ずかしそうに僕を見上げると、小さな声で返事をする。
「約束だからな」
やっぱり、僕にとってはルチアーノと過ごすことが、一番の幸せなのだ。まだ出かけてもいないのに、帰宅後のことが楽しみになった。