着せ替え 光の差し込む窓を開けると、僕はベランダへと足を踏み出した。太陽に熱された夏の空気が、風に乗って室内へと入り込んでくる。サンダルに足を突っ込むと、開いた扉を半分くらい戻しておく。こうして熱風を遮らないと、室内まで暑くなってしまうのだ。
ベランダの物干し竿には、乾いた服がぶら下げられていた。僕とルチアーノの夏の普段着と、室内で過ごすときの部屋着である。隅の方で洗濯ばさみに下げられているのは、靴下や手袋のような小物だった。
そんな普段着の間に混ざって、見慣れない衣装が干されていた。長袖の白いワイシャツと、黒のスラックスである。隣に吊り下げられているのは、うさぎの耳がついたカチューシャだ。昨日ルチアーノが僕に着せた、バニーボーイのコスプレ衣装である。
手早く洗濯物を取り込むと、ハンガーから外して裏面を向けた。袖を内側に織り込むようにして、Tシャツの形に畳んでいく。昔からお手伝いをしていたから、これだけは他の家事よりも慣れている。あっという間に、二人分の服は二つの山になった。
畳んだ服を引き出しにしまうと、僕はもうひとつの山に視線を向ける。汚れが染み込まないうちに洗濯をした、バニーボーイ用のシャツとスラックスだ。いつものコスプレ衣装とは違って、質のいい生地で作られている。僕の普段着よりいいものだから、使い捨てにするのはもったいないだろう。
積み上げていた服を手に取ると、僕はリビングへ向かった。エアコンの効いた部屋の中では、ソファに座ったルチアーノが涼んでいる。仕事を片付けていたのか、忙しそうに手元の端末を操作していた。彼の真横までに近づくと、その横顔に声をかける。
「ねえ、ルチアーノ。この服はどうするの?」
顔を上げたルチアーノが、面倒臭そうにこちらに視線を向けた。僕が手元に抱えたものを捉えると、どうでも良さそうな声で答える。
「ああ、昨日の服か。それなら君へのプレゼントだから、君の好きなようにすればいいさ」
完全なる丸投げに、僕の方が困ってしまった。そんなことを言われても、僕にはコスプレの趣味などないのである。着る機会があるとしても、彼とのスキンシップの時くらいだろう。
「そう言われても、僕はバニーのコスプレなんてしないんだよ。そういうことのためにこんなものをもらうなんて、ちょっと申し訳ないよ」
僕が答えると、ルチアーノは呆れたように笑い声を上げた。僕の何気ない発言が、彼の笑いのセンスに触れたようである。口角を上げると、からかうような声色で言った。
「バニーボーイ衣装だからって、普段から耳までつける必要はないだろ。下はただのスーツなんだから、スーツとして着たらいいんだよ。君はイリアステルの協力者になったんだから、これから役に立つと思うぜ」
彼の言葉を聞いて、ようやく僕にも理解ができた。このバニーボーイ衣装は、ルチアーノから僕へのプレゼントなのだ。一般家庭に育った僕は、パーティーに着ていくような作りのいいスーツを持っていない。僕が一張羅にならないように、気を使ってくれているのだ。
「そっか。そういうことなら、ありがたく受け取っておくよ」
正面からお礼を言うと、ルチアーノは恥ずかしそうに頬を染める。視線を前に向けたまま、さっきよりも小さな声で答える。
「別に、礼を言われるようなことじゃないさ。君がいつも同じスーツを着ていたら、僕たちの評判が落ちるからね」
改めて思うが、ルチアーノの所属する組織はとんでもないお金持ちだ。一度着たスーツは着ないなんて、フィクションの登場人物のセリフでしか聞いたことがない。それも、主人公に創意工夫で倒される悪役のようなポジションである。
持ち込んだ服を抱え直すと、僕は自分の部屋へと向かった。畳んだばかりのシャツとスラックスを広げると、ハンガーにかけて洋服かけに吊るす。確か、こういうタイプの服は、畳んだまま置いておくと皺になってしまうのだ。以前にプレゼントされたスーツも、ちゃんと洋服かけに並べられている。
手早く服を片付けると、僕は再びリビングに戻った。今度はソファの近くまで歩み寄ると、ルチアーノの隣に腰を下ろす。ちらりと横に視線を向けると、彼は面倒臭そうに端末を伏せた。
「なんだよ」
「なんか、忙しそうだなって」
僕の返事が気に入らなかったのか、彼は大きく息を吐く。しばらく沈黙を保つと、思い付いたように言葉を発した。
「それにしても、君って変なやつだよな。バニーボーイとかワンピースみたいな、露出の少ない服ばかり持ち込むんだから」
「え?」
唐突に話を振られて、僕は間抜けな声を上げてしまう。言葉の意味を咀嚼するまでに、少し時間がかかってしまった。しかし、理解したらしたで、頬が赤くなってしまった。彼が言っているのは、僕がスキンシップの時に持ち込んだ衣装の話なのだから。
「だって、そうだろ。本来なら、こういうときの衣装はスケスケのランジェリーを選ぶはずだ。わざわざ布の多い服を選ぶなんて、物好きのすることとしか思えないさ」
赤面する僕を追い詰めるように、ルチアーノは言葉を続けていく。心を見透かされたような発言に、余計に顔が赤くなってしまった。
「だって、それは……」
「なんだよ。言いたいことがあるなら、自分の口ではっきり言いな。もごもごしてても、僕には何も分からないぜ」
続きの言葉を躊躇っていると、ルチアーノは鋭い声で詰め寄ってくる。ここまで追い詰められたら、口に出すしか無さそうだった。覚悟を決めると、大きく息を吸って言葉を吐く。
「その…………ルチアーノは、子供の姿をしてるでしょ。だから、露出の多い服を着せると、いけないことをしてる気持ちになっちゃうんだ」
案の定、僕の言葉を聞くと、ルチアーノは不満そうに眉を寄せた。大きく鼻を鳴らすと、さっきとは売って変わった冷たい声で言う。
「なんだよ。この期に及んで、僕を子供扱いするなんて。僕がただの子供じゃないってことは、これまでに散々教えただろ」
「そうだけど、そんなに簡単なことじゃないんだよ。子供の見た目をしてたら、子供にしか見えないの」
僕の言葉は、どうしても不明瞭なものになってしまう。上手く説明することはできないのだが、彼に際どい格好をさせことには、心理的な抵抗を感じるのだ。何度も関係を持っているというのに、スケスケな下着を身に付けたルチアーノのことは、羞恥心に襲われて想像できない。それこそ、そういう人のためのアダルト作品みたいだ。
「ふーん。君は、僕のことを子供だと思ってるのに、そういう関係は持つんだな。人間ってものは、つくづく矛盾してるもんだぜ」
「それは言わないでよ……」
ルチアーノは反論されて、僕は余計に声を小さくなる。彼の言うことは、全くのその通りだったのだ。僕はルチアーノのことを子供だと思っているのに、彼と肉体関係を結んでいる。端から見たら、それは矛盾の中の矛盾だろう。
「つまり、君は、変態の中の変態ってことだな。そんなやつをパートナーに選んじまったなんて、僕は失敗したもんだぜ」
からかうように言葉を吐いてから、ルチアーノはきひひと笑う。その言葉が本心ではないことは、その甲高い笑い声から一目瞭然だった。なんだかんだ言ってはいるが、彼も僕のことが好きだし、それなりに変わった趣味を持っているのである。
ケラケラと笑うルチアーノを見ていたら、少しからかいたくなってしまった。彼は余裕な態度を取っているが、性的なことへの興味は人並みにあるのである。僕たちは対等な恋人関係なのだから、一方的にからかわれるのは悔しかった。
「でも、僕がルチアーノに露出の少ない服を着せるのは、スケスケな服に抵抗があるからだけじゃないんだよ。僕が露出を控えてほしいことには、もうひとつの理由があるんだ」
「なんだよ。もうひとつの理由って」
僕が言葉を吐くと、彼はちらりとこちらを見た。隠しているつもりなのだろうが、そわそわしているのがバレバレである。僅かに口角を上げながら、続きの言葉を口にした。
「ルチアーノの素肌を、誰にも見てほしくないんだよ 。ルチアーノの服の下を見るのは、この世で僕だけであってほしい。だって、その方が、脱がせる時に楽しいでしょう?」
問いかけるように視線を向けると、彼は頬を赤く染めた。ソファの上で身体を縮こめると、鋭い視線で僕を睨む。少しの間を置いてから、耳が割れそうな声で怒鳴った。
「この、変態!」
その赤い顔を眺めながら、僕はさらに口角を上げる。ここのところルチアーノは、どんどん人間らしくなってきている。からかいの言葉を投げると恥ずかしがるし、単純な揺さぶりにも照れるのだ。そんな彼を愛おしいと思いながらも、少し心配にもなってしまう。
「変態じゃないよ。僕は、ルチアーノのことが好きなんだから」
優しい声を作りながら、僕はルチアーノに向かって答える。わざとらく視線を逸らすと、彼は大きく鼻を鳴らした。