ご褒美 夕食の片付けを終えると、僕はソファに腰を下ろした。テレビのリモコンを手に取ると、片手でチャンネルをザッピングする。この時間のテレビ番組は、いつも同じようなバラエティばかりだ。気まぐれに衛星放送を表示させていると、興味深い画面が視界に映った。
それは、デュエルの講座番組だった。これからデュエルモンスターズを始める初心者に向けて、カードの種類や効果を説明している。さすがは専門番組といったところで、主流になっているシンクロ召喚だけではなく、儀式召喚や融合召喚まで説明していた。とはいえ、このチャンネルの視聴者に完全な初心者はほとんどいないから、そのコーナーはすぐに終わってしまう。
コーナーが切り替わると、今度はデュエルをしている子供たちが映し出された。側には赤いシャツを着た男性が付き添っていて、子供に何かを囁いている。対戦相手の子供の側にも、同じように男性が付き添っているようだ。カメラが引いたところで、ナレーションと共に『デュエル教室の風景』というテロップが流れ始めた。
ナレーションによると、ここはデュエル教室らしい。地方に住む子供たちにデュエルの面白さを伝えようと、引退したプロデュエリストが開設したのだそうだ。彼らによると、シティから離れた地方に住む子供たちの中には、あまりデュエルに触れないまま育つ子達も多いらしい。僕の住んでいた町はそうではなかったから、あまり実感が湧かなかった。
画面の中では、小学生くらいの女の子がデュエルディスクを触っている。辿々しい手付きで両手に抱えると、苦戦しながらも腕に巻き付けた。他の男の子もデュエルには不慣れなようで、辿々しい手付きでディスクを操作している。側で教えている男の人は、そんな子供たちの一挙一動を褒めていた。
「このデュエル教室では、褒めて伸ばすことを重視しているんです。ここに教わりに来る子供たちは、デュエルが初めての子がほとんどですから。まずはデュエルという遊びに触れて、楽しいものだと知ってもらいたいんです」
スタッフにマイクを向けられると、男の人は弾んだ声で言う。確かに、画面に映る子供たちは、みんな楽しそうだった。重そうにデュエルディスクを構えると、辿々しい手付きでカードを操作する。プレイングを間違えたり、発動条件のエラーを起こしてしまうこともあるのに、彼らは楽しそうに笑っていた。
僕がテレビを眺めていると、背後から足音が聞こえてきた。お風呂から上がったルチアーノが、リビングまで僕を呼びに来たのだ。室内に足を踏み入れると、彼はテレビに視線を向けた。
「上がったぜ。…………またテレビかよ。君も飽きないな」
呆れたように呟きながらも、彼は僕の隣へと腰を下ろす。何だかんだ言ってはいるものの、僕の見ているものには興味があるのだろう。それがデュエル番組だと分かると、興味深そうに眺め始めた。
画面の中では、初めてのデュエルに挑む男の子が、講師にデュエルディスクの使い方を教わっている。男の子がカードを動かす度に、講師の男性は男の子を褒めていた。モンスターの召喚に魔法カードの発動、トラップのセットなど、その内容は誰にでもできることである。それでも、褒められた子供たちは、嬉しそうに表情を和らげていた。
「褒めて伸ばす指導、か。こんな当たり前のことを褒められて喜ぶなんて、子供ってのは単純だな」
テレビ画面を眺めながら、ルチアーノは小さな声で呟く。感性の大人びた彼らしい、辛辣で的を射た意見だった。外見には似合わない冷めきった反応に、僕は苦笑いを浮かべてしまう。ルチアーノに視線を向けると、言葉を選びながら答える。
「些細な成功を誉めることも、教育の面では重要なんだよ。注意されてばっかりだと、続かなくなっちゃうから」
僕の言葉を聞くと、ルチアーノは呆れたように息をついた。わざとらしく足を組むと、尊大な態度で言葉を紡ぐ。
「褒められないと続かないなんて、人間ってのは面倒だな。自分の力で勝利を掴んで、相手の悔しがる顔を原動力にすればいいじゃないか」
「ルチアーノにとってはそうなのかもしれないけど、誰もが成功体験だけを積めるわけじゃないんだよ。それに、デュエルは元々ゲームだからね。勝つことよりも楽しむことの方が大事なんだ」
「そんなこと言ってるから、人間は強くなれないんだよ。身を守るための手段だと思えば、嫌でもやる気になるだろ」
恐ろしいことを語りながら、ルチアーノはきひひと笑い声を上げる。一緒に過ごしていると忘れがちだが、彼にとってデュエルは戦争の手段なのである。この時代の人間と戦うために、神なる者が彼らに与えた最強の武器。それが、彼らにとってのデュエルモンスターズなのだ。
触れてきた世界の差を見せつけられて、僕は言葉に詰まってしまう。そんなことは気にしてもいないのか、ルチアーノは平然とテレビを見ていた。画面の中では、教室で基礎を学んだ子供たちが、店舗でのデュエル大会に参加している。参加景品のパックを受け取ると、彼らは嬉しそうに袋を開けていた。
しばらくテレビを眺めた後に、ルチアーノは不意にこっちを向いた。何かを思い付いたような顔をすると、前置きも無く問いを投げ掛ける。
「なあ、君も、褒められると嬉しいのか?」
「えっ?」
唐突すぎる質問に、僕は間抜けな声を上げてしまった。これまでの話と彼の問いには、あまり関連性が無いように感じたのだ。彼は大人ぶりたいお年頃だから、僕を子供扱いしたいのかもしれない。まだ真意が分からないから、返事も探りを入れるようなものになってしまう。
「えっと、状況にもよるけど、褒められたら嬉しい、かな……?」
「ふーん。そうか。君もまだまだ子供なんだな」
曖昧な答えだったけれど、彼は気にする素振りを見せなかった。満足そうに腕を組むと、納得した様子で頷いている。何かを考えている様子だったが、何をというところまでは分からない。表情に不穏な笑みが浮かんでいるのを見て、少し嫌な予感がした。
「どうしたの? 急にそんなことを聞いて」
僕が尋ねると、ルチアーノはにやりと笑みを浮かべる。意味深な瞳でこっちを見ると、はぐらかすように言葉を発した。
「なんでもねーよ。ほら、とっとと風呂に行きな」
強引にソファから追い出されて、僕は洗面所へと移動する。入浴の準備を進めながらも、頭の隅で考えていた。ルチアーノのあの表情は、確実に何かを企んでいる。それが何か分からないことが、不安で仕方なかった。
その謎が解けたのは、翌日の午後のことだった。いつものように向かったデュエル練習の後に、彼の企みは明かされたのである。その時、僕たちはタッグデュエルの練習のために、コートに来ていたデュエリストチームと対戦していた。そのデュエルの終わった直後に、ルチアーノは行動を起こしたのである。
相手からターンが返されたとき、僕たちは劣勢に立たされていた。LPは倍近くの差がついていたし、僕たちはフィールドががら空きだったのだ。頼みの綱となっているのは、ルチアーノが残したスカイコアだけだった。
しかし、デュエルというものは、最後まで決着の分からないものである。相手からターンを受け継いだ僕は、カードによってスカイコアを破壊したのだ。一度は墓地に送られていたスキエルが、僕たちの前に現れる。それは相手フィールドのモンスターを吸収すると、圧倒的な破壊力でLPを削った。
無事に勝利でデュエルを終えると、僕たちは相手チームにお礼を告げる。二人が背中を向けると同時、ルチアーノが歩み寄ってきた。いかにも何かを企んでいる笑顔を浮かべて、僕の耳元に顔を近づける。
「今回は、君のおかげで勝てたな。よく頑張ってくれたから、特別にご褒美をあげるよ」
にやにやと笑いながら言うと、彼は僕の方へと顔を近づける。何をしているのかと思っていると、頬に柔らかいものが触れた。一瞬の間を開けてから、それは僕の身体から離れていく。キスをされていたのだと気がついたのは、彼が顔を離してからだった。
唇が触れていた部分が、燃えるような熱を放ち始める。それは周囲へと伝わって、すぐに顔全体が赤くなった。慌ててルチアーノから離れると、彼の方へと視線を向ける。
「ちょっと、何をするの!?」
「君がいい働きをしてくれたから、ご褒美をやろうと思ってさ」
動揺する僕とは対照的に、ルチアーノは余裕の笑みを浮かべている。きひひと笑い声を上げると、再び僕の側へと歩み寄ってきた。キスをされるのかと思って、僕は慌てて顔を覆う。その仕草が面白かったのか、ルチアーノはさらに笑い声を上げた。
「何してるんだよ。もう褒美はないぞ」
「そういうことじゃないんだよ。こんなところでキスするなんて、誰かに見られたらどうするの?」
顔を真っ赤に染めたまま、僕は周囲に視線を向ける。デュエルコートであることが幸いしたのか、周りに僕たちを見ている人はいなかった。
「何を気にしてるんだよ。ここはデュエルコートなんだぞ。他人を見てる奴なんかいないって」
ケラケラと笑うルチアーノを見て、僕は大きくため息をつく。どうにもこの男の子には、危機感というものが欠けているのだ。ルチアーノが子供の姿をしている以上、見られて困るのは僕の方なのである。もしかしたら、そうと分かっているから、こうまでして僕をからかうのだろうか。
「万が一があるでしょ。こういうことは、人前でするべきじゃないんだよ」
「なんだよ。見られて困ることでもあるのか? 君は、僕にいかがわしい視線を向けてるからな」
必死に説得するが、彼は聞く耳を持たなかった。くすくすと笑みを溢しながら、追い詰めるように僕を見上げている。こうなってしまったら、もう彼を説得することはできないのだろう。彼の手のひらの上で転がされてる気配を感じながら、僕は大きくため息をついた。