音楽ライブ デュエルコートを出ると、僕は繁華街へと足を向けた。人の行き交う広場を横切って、大通りへと合流する。いつもなら家の方へと向かうのだが、今日はもうひとつ用事があったのだ。斜め後ろを歩いているルチアーノを振り返ると、周囲に掻き消されないように話しかける。
「今日は、ついでに買いたいものがあるんだ。すぐに終わるから、駅の方に行ってもいい?」
「いいぜ。とっとと終わらせろよ」
少し離れたところから、ルチアーノの声が聞こえてくる。周囲は人間の雑踏で満ちているのに、彼の声ははっきりと聞こえてきた。人混みでも声が届くように、声帯に特殊な加工がされているのだろうか。少し不思議に思うが、わざわざ聞くほどのことでもないだろう。
「ありがとう。じゃあ、行こうか」
少し後ろに下がって手を差し出すと、彼は素直に握ってくれた。僕は身体が大きいから、人混みを抜けるのが不得手なのだ。身軽なルチアーノに置いていかれないように、こうして手を繋いでもらっている。彼も、僕の面倒を見ているという認識だからか、嫌がったりはしなかった。
しっかりと手を握りしめると、僕は駅の方へと歩を進める。人の流れに押されるような形で、ゆっくりと目的地を目指していった。のろのろした進みが気になるのか、ルチアーノはちらちらと前方を窺っている。対する僕はというと、手を揺らしながらのんびり歩いていた。
いつもの倍ほどの時間をかけて、ようやく駅が見える通りに出る。背の高い建物が立ち並ぶ大通りは、さらにたくさんの人で溢れていた。今は土曜日の午後だから、特に人が多いのだろう。人の波を掻き分けるようにして、なんとか横断歩道を渡った。
僕の目指している店舗は、駅と直結するビルに入っている。ここから目的地に向かうには、駅前の交差点を横切るのが一番だろう。ルチアーノに了承を得ると、僕は人混みへと足を踏み入れる。先導しようと手を引いてはみるものの、何度も人につまずいているうちに、逆に手を引っ張られてしまった。
「おい。君は、人を避けるのが苦手なんだろ。無理に進もうとしないで、僕の後についてこいよ」
ルチアーノに引きずられるままに、僕は人の波を掻き分けていく。下手に自分で道を開くよりも、小柄な彼に任せた方がいいと思ったのだ。通行人も子供には優しいようで、左右に道を開けてくれる。なんとか交差点を横切ると、駅へと続く通りに出た。
「後は、建物の中に入るだけだな。全く、なんでこんなに人が多いんだよ」
面倒臭そうに呟きながら、ルチアーノは前へと歩を進める。彼が言う通り、駅前広場へと続く大通りは、たくさんの人で溢れていた。いくら休日だと言っても、さすがに人が多すぎるだろう。
「どうしてだろうね。何かイベントでもあったかな……」
曖昧な言葉を返しながら、僕は建物へと歩を進める。しっかりとルチアーノの手を握ると、彼を守るように人混みを掻き分けた。広場に近づけば近づくほど、人の流れは滞ってくる。その渋滞の正体は、思ったよりもすぐに発覚した。
駅前広場の奥の方から、賑やかな音楽が響いていたのだ。その音楽に重ねるように、女性の歌声が聞こえてくる。音のする方に視線を向けると、人の密集している一角があった。中央にはステージが設置されていて、ワンピースを着た女性が歌っている。
「見て。向こうで音楽イベントをやってるみたいだよ。だから、こんなに混んでるんだね」
ルチアーノの手を引っぱると、僕はステージを指差した。怪訝そうに眉を歪めたルチアーノが、真っ直ぐにステージを視界に捉える。いくら現世の知識があると言っても、この手のイベントは知らなかったらしい。ステージで歌う女性を眺めながら、奇妙なものを見るような声で呟く。
「音楽イベント? ただの路上ライブじゃないのか?」
「路上ライブじゃないよ。これは正式なイベントだから、企業や団体が主催してるんだ。ステージの横に、ちゃんとCDの売店があるでしょ」
そう言って僕が指差したのは、ステージの横の小さなスペースだ。人混みに隠れてはいるものの、CDの積まれた横長のテーブルが、隙間からちらりと見えている。
「ああ、あれか。確かにCDを売ってるみたいだけど、本当にショップのものなのか? こんなんじゃ、個人販売と見分けがつかないだろ」
「じゃあ、ステージの横のポスターは見える? イベントの登壇者の名前が書いてあるでしょ。これなら、公的主催の証拠にならない?」
「なんでそこまで説得しようとするんだよ。これがイベントでも路上ライブでも、僕たちには関係ないだろ」
そうこうしている間に、ステージ上の女性は曲を歌い終わっていた。周囲に集まった人々の拍手の音が、広場周辺を包み込んでいる。入れ替わりにちょうどいいタイミングだったのか、新しく足を止める人もいれば、その場から離れていく人もいる。ルチアーノに視線を向けると、僕は手を引いて歩き出した。
「せっかくだから、一曲だけ聴いていこうよ。こんな機会滅多にないよ」
「はあ? 買い物はどうするんだよ。すぐに終わるって言ってただろ」
「一曲だけだから、そんなに時間はかからないって」
不満そうに言い返すルチアーノの手を引くと、僕はステージの前へと向かった。人と人の間をすり抜けると、前の方へと入っていく。丁寧に整列しているわけてはないが、前から二列目くらいだろう。僕たちが足を止めるのとほぼ同時に、スピーカーが次の曲を流し始めた。
駅前イベントに相応しいポップな音楽が、左右に設置されたスピーカーから溢れ出す。大きく息を吸い込むと、女性がそこに歌を乗せた。可愛らしい見た目とは裏腹に、歌声は延び延びとしていて力強い。音質はあまり良くなかったが、生歌ならではの迫力に満ちていた。
売り出し中のアーティストらしく、曲は全く知らないものだ。しかし、会場の雰囲気と勢いに押されて、ついつい聴き入ってしまった。思えば、シティに引っ越してきてからというもの、めっきりライブイベントに行かなくなってしまった。久しぶりに聴くアーティストの生歌というものは、こんなにも身体に響くものだっただろうか。
曲がサビに差し掛かると、観客の一人が手拍子を始めた。そのリズムに呼応するように、誰かもまた手拍子を始める。観客のほとんどがリズムを取り始めた頃には、僕も両手を叩いていた。気になって隣に視線を向けると、ルチアーノも控えめに手を叩いている。
リズムを取りながら歌声を聴いているうちに、あっという間に曲が終わってしまった。拍手をする観客に紛れて、僕も女性に拍手を送る。既に何曲か歌った後なのか、彼女はマイクを手に取ると、観客に向かって話を始める。前列にいたファンらしき男性たちが、大きな声で女性の問いかけに答えていた。
「終わったな。行くぞ」
乱雑に僕の手首を掴むと、ルチアーノは輪の外へと歩を進めた。半ば引きずられるような体勢になりながらも、僕はステージの前から離れていく。少し名残惜しくも思えたが、一曲だけという約束だから仕方ない。音が小さくなるまで歩き続けると、ルチアーノは吐き捨てるように言った。
「全く、すぐに終わるって言った癖に、こんなものに時間を取りやがって……。何がいいのか分かりゃしないぜ」
「ごめんね。久しぶりにライブを見たから、ちょっと聴きたくなっちゃったんだよ。やっぱり、人間の生の歌声っていうのは、収録した音源とは違うでしょ」
「そうか? 音質は悪いし声はぶれてるし、音源の方がいいに決まってるだろ。あの女と僕だったら、僕の方が上手く歌えると思うぜ」
仮にもメジャーデビューしている歌手を酷評するルチアーノに、僕は思わず苦笑してしまった。どうやら、機械であるルチアーノには、生歌の魅力は伝わらなかったらしい。完璧に歌声を再現できてしまう彼にとって、人間の歌声など大したことないのだろう。
不満そうに鼻を鳴らすと、ルチアーノは建物へと歩を進める。その横顔を眺めながら、僕は黙って後に続いた。ここまで機嫌を損ねてしまったら、しばらくはそっとしておいた方がいいだろう。彼は猫みたいな性格をしているから、目的地に辿り着く頃には機嫌を直しているはずだ。
それにしても、ルチアーノがここまで音楽に興味がなかったとは、僕は考えもしなかった。彼には僕の好きなものを知ってほしかったから、機会さえあればライブイベントにだって連れていきたいと思っていたのだ。早めに好みを知れて良かったのかもしれないが、やっぱりどこか寂しさを感じてしまう。なんとも言えない気持ちになって、僕は僅かに下を向いた。