死者の日 ハロウィンが終わると、町は一気に日常へと戻っていく。浮かれた人々は仮装を解き、町にはごみの山だけが残るのだ。町を綺麗にするボランティアの姿と、間近に迫るクリスマスを宣伝する広告が、交互にテレビから流れてくる。人々はイベントさえ楽しめれば、本来の目的などどうでもいいのだろう。
しかし、僕とルチアーノにとっては、ここからがイベントの本番だった。ハロウィンのお祭り騒ぎが終わると、次には死者の日がやって来る。死者の模造品であるルチアーノにとって、この日は何よりも重要な一日らしい。旧モーメントの前に向かっては、悲劇の犠牲者に祈りを捧げていた。
「ねえ、今年も、モーメントの前に行くんだよね」
死者の日が間近に迫った朝、僕がそう尋ねると、ルチアーノはゆっくりと顔を上げた。僕の口から出た言葉に驚いたのか、大きく目を広げている。すぐにいつもの表情に戻ると、淡々とした声で言葉を続けた。
「君、そんなことまで覚えてたんだな。てっきり忘れてると思ってたぜ」
「だって、夜中に叩き起こされたんだもん。そんなひどい目にあったら、誰だって覚えてられるよ」
「別に、ひどいことはしてないだろ。君にも弔いを知ってもらいたかったから、わざわざ起こしてやったんだ」
僕から視線を背けると、ルチアーノはそんなことを言う。相変わらずの横暴な態度に、僕は唇を尖らせてしまった。彼にとっては何事もない日常なのだろうが、振り回される側は大変なのである。
「だとしても、事前に教えてくれたっていいでしょ。朝の四時に急に起こすから、心臓が止まりそうなくらいびっくりしたんだから」
「大袈裟なこと言うなよ。起こされたくらいで死んでたら、命がいくつあっても足りないだろ」
取りとめの無い会話を交わすと、ルチアーノは一度言葉を切った。不思議に思って視線を向けると、何かを考えるように前を見つめている。真面目な表情に怯みながらも、僕はなんとか本題を切り出した。
「今日、この話をしたのは、ルチアーノにお願いがあるからなんだよ。ルチアーノは今年も、死者の日の供養に行くんでしょう? そのための準備を、僕にも手伝わせてほしいんだ」
真剣なトーンで言葉を並べると、彼は再びこちらを向いた。澄みきった緑色の光が、真っ直ぐに僕の瞳へと注がれる。少しだけ悩んだように間を空けると、彼ははっきりとした声で言葉を返した。
「分かったよ。協力者だとは言っても、君もイリアステルのメンバーだもんな。僕たちの仲間の供養なら、参加する権利があるだろう」
建前と言う空気が滲み出た言葉に、僕は苦笑いを浮かべてしまう。これだけ長い時を過ごしたと言うのに、彼は僕を恋人とは呼んでくれないのだ。細やかな対抗心を感じて、僕はわざと話を振った。
「確かに、イリアステルとしては協力者かもしれないけど、僕はルチアーノの恋人なんだよ。ルチアーノが真剣に仲間を弔うなら、僕だって一緒に弔いたいよ」
僕の言葉を聞くと、彼はほんのりと頬を染める。恥ずかしそうに視線を逸らすと、さっきとは打って変わった小声で呟いた。
「それとこれとは別だろ。それに、君がついてきたところで、大して頼むことはないんだよ。わざわざ協力者として誘ってやってるんだから、君は感謝するべきだろ」
「そうだね。ありがとう」
僕が答えると、彼はさらに頬を染める。不満そうに鼻を鳴らす小さな音が、僕の耳へと伝わってきた。
その日の夜は、日付が変わる頃に出かけることにした。そうすれば、ルチアーノが僕を起こさなくて済むからである。あまり自慢できることではないが、僕は眠りが深いタイプなのだ。一度眠りの世界に落ちてしまったら、相当叩き起こされないと起きられないだろう。
周りの人々が寝静まった頃に、僕は寝間着から外出着へと着替えた。外に出ることは決まっていたのだが、いつもの癖で入浴を済ませてしまったのだ。まあ、そこまで汚れるようなことはしないから、帰宅後はシャワーを浴びるだけでいいだろう。寝間着を畳んで上着を羽織ると、僕はルチアーノの隣へと歩み寄る。
「準備、できたよ」
彼にかける言葉は、緊張で少し震えてしまった。僕にとっては、初めての死者の日の供養なのである。ルチアーノも真面目に向かい合っているのか、いつものにやにや笑いは浮かんでいない。そんな彼の姿を見ていたら、僕まで緊張してしまった。
「そうか。じゃあ、行くぞ」
隣に立っていたルチアーノが、おもむろに僕の手を掴む。ワープ機能が作動して、僕たちの周辺が眩しく照らされた。時空が歪む感覚と共に、身体に浮遊感が伝わってくる。一瞬のうちに、僕の身体は別の場所へと運ばれていた。
無重力のような感覚が落ち着くと、僕はゆっくり瞳を開けた。首を左右に動かして、自分がどこにいるのかを確認する。しかし、光の世界に慣れた僕の瞳は、何も映してはくれなかった。キョロキョロと左右を眺めていると、隣のルチアーノが呟いた。
「そう言えば、人間は夜目が効かないんだったな」
白装束の下に手を伸ばすと、四次元空間から何かを取り出す。光の粒子を纏いながら出てきたのは、ランタンのような形をしたランプだった。片手をかざして灯りを灯すと、僕の手元へと差し出してくれる。
「ほら、これで見えるだろ」
ランプの柔らかい光に照らされて、僕にも周囲の光景が見えるようになる。僕たちの足元に広がっているのは、何の変哲もない大地だった。あまり整備がされていないのか、ところどころに草が生えている。ランプを持ち上げて視線を上げると、そこには大きな建物が建っていた。
「ほら、行くぞ」
乱暴に僕の手を掴むと、ルチアーノは建物に向かって歩を進める。半ば引っ張られるような形で、僕も彼の後へと続いた。稼働を止めたモーメントの側面が、僕たちの目の前を壁のように立ち塞がっている。僕には、そのモーメントの姿こそが、巨大な死者のように見えた。
モーメントの前で手を合わせると、ルチアーノは背負っていた鞄を下ろす。音を立てて鞄を開くと、中に入っていたものを取り出した。
乱雑に投げ出された道具たちが、コロコロと地面の上を転がっていく。慌てて隣に駆け寄ると、一つ一つを掴んでその場に立てた。それは、真っ白な蝋燭だったり、手のひらサイズのパンだったりする。中には髑髏まで混じっていて、僕は思わず声を上げてしまった。
「何してるんだよ」
道具を取り出したルチアーノが、呆れたような瞳で僕を見る。髑髏を蝋燭の隣に置くと、僕は息を整えながら答えた。
「だって、急に髑髏が出てきたから……」
「それも、死者の日の飾り物だよ。去年も飾ってたじゃないか。忘れたのか?」
そんなことを言われても、僕が覚えているはずがなかった。去年の死者の日のお祈りの夜は、寝起きを無理矢理連れていかれたのだ。蝋燭の灯りしか無かったし、細かいところまで覚えているはずがない。
僕が黙っていると、ルチアーノは呆れたように息をついた。僕が直した道具を掴むと、モーメントの側面に並べていく。
「まあいいか。支度するぞ」
彼に諭されるままに、僕も蝋燭を並べていった。ルチアーノの並べ方を真似して、等間隔に燭台を置いていく。彼がマッチを擦って火を灯すと、周囲は一段と明るくなった。パンや花のような燃えやすいお供えものは、蝋燭から離れたところに並べる。
弔いの準備を終えると、ルチアーノは再び鞄に手を伸ばした。ごそごそと中身を掻き回すと、中から小さな袋を取り出す。もう一度同じものを取り出すと、片方を僕に差し出してきた。
「ほら、君の分だ」
「……ありがとう」
袋の中に入っていたのは、オレンジ色をした花びらだった。それがマリーゴールドであるということを、僕はよく知っている。太陽を象徴するこの花は、死者を導く目印になるのだと言う。明るいオレンジの花びらは、ルチアーノの姿によく似合っていた。
モーメントを睨み付けると、ルチアーノは袋の中に手を入れる。マリーゴールドの花びらを掴むと、勢いよく周辺に撒き始めた。僕も彼と同じように、マリーゴールドの花を周辺に撒く。無数に折り重なった花びらは、オレンジの絨毯のようだった。明るく輝いているように見えるのは、オレンジの光に照らされているからだろう。
袋の中身が空になると、ルチアーノはこちら側を振り返った。強引に僕の手を掴むと、迷うことなく歩を進める。
「帰るぞ」
淡い光が僕たちを包んで、時空の狭間へと運んでいく。身体が揺れるような浮遊感と共に、僕たちは家の中へと移動した。
軽くシャワーを済ませると、僕は自分の部屋へと足を踏み入れた。薄暗い部屋の中では、ルチアーノがベッドに横たわっている。今日は彼にとって重要な日だから、いろいろも思うことがあるのだろう。灯りをつけずに歩み寄ると、彼の隣へと寝転がった。
僕の帰りを待ち構えていたかのように、ルチアーノが背後へとにじり寄ってくる。静かに両腕を前に伸ばすと、僕の身体に抱きついてきた。ルチアーノの子供らしい体温が、寝間着越しに僕の肌へと伝わる。黙って抱擁を受け入れていると、今度は顔を押し付けられた。
ルチアーノの小さな身体が、僕の後ろで小刻みに震える。その微かな振動で、彼が泣いているのだと理解した。悲しみのすべてを吐き出すように、彼はか細い声で嗚咽を漏らす。涙の気配を感じながらも、僕は何も言うことができなかった。
しばらく身体を押し付けると、彼はゆっくりと顔を上げた。僕の身体から顔を離すと、ごろんと隣に寝転がる。どんな顔をしているのか気になったけど、あえて振り返ることはしなかった。アンドロイドとは言っても、彼は年頃の男の子なのだ。泣き顔を見られるのは恥ずかしいだろう。
「ルチアーノの祈りは、きっと、みんなに届いたよ」
少しの間を置いてから、僕は前を向いたまま声をかけた。しかし、どれだけ待っても、返事は返ってこなかった。