グッズ リビングのソファに腰を下ろすと、時空の狭間から端末を取り出した。簡単にホーム画面を操作して、取引相手からのメッセージを確認する。たったの一晩しか経っていないというのに、未読通知は数十件にも及んでいた。人々の寝静まった夜中でも、お偉いさんは忙しく働いているようだ。
上から順に詳細を開くと、折り返しのメッセージを送る。慣れないボタン操作での文字入力は、なかなかに骨が折れる仕事だった。こんな遠回しな手段など使わずに、直接メッセージを送ってくれたら助かるのだが、そこまで高望みをすることはできない。機械である僕たちと違って、人間は電波を送れないのだ。
一通りメッセージを確認すると、僕は大きく息をついた。面倒な朝のルーティーンが、ようやく終わりを告げたのである。できることなら後回しにしてしまいたいが、どうしてもこの時間に済ませなければならなかった。寝坊助なあの青年は、絶対にこの時刻には起きて来ないからだ。
端末を元の場所にしまうと、僕はソファに身を委ねた。背後に体重を預けると、束の間の安息を堪能する。壁掛け時計に視線を向けると、短針は九と十の間を指していた。彼が起きてくるまでは、まだしばらく時間がかかるだろう。
ソファに背を預けたまま、僕はテレビのリモコンを手に取る。退屈な時間を潰せるのは、やはりテレビかゲームなのだ。電源をつけて音量を調節すると、適当にチャンネルをザッピングする。見るともなく画面を眺めていると、室内にチャイムの音が響いた。
インターホンに視線を向けると、モニターが明るく点灯している。画面の中に映っているのは、運送会社の制服を着た男だった。どうやら、こんなに朝早くから、荷物の宅配に来たらしい。しかし、受取人であるあの青年は、まだぐっすり眠っていた。
一瞬だけ思考を巡らせてから、僕はソファから立ち上がる。インターホンに向かうと、機械越しに男と応対した。今度は彼の部屋へと向かうと、ベッドの前で足を止める。予想通り、寝坊助なこの青年は、まだすやすやと寝息を立てていた。
「おい、起きろよ!」
思いっきり身体を揺らすと、彼は不満そうな唸り声を上げる。いつもと変わらない目覚めの悪さに、僕は苛立ちを感じ始めた。こうしている間にも、外では宅配の男が待っているのだ。悠長に起こすこともできなくて、苛立ちを抱えながら部屋を飛び出す。
「まったく、もう!」
猛スピードで廊下を走ると、僕は玄関の扉を開けた。外に立っていた四十代くらいの男が、僕を見て驚いたような表情を見せる。それもそのはず、今の僕の姿は、小学生の子供そのものなのだ。いくら相手が宅配業者だと分かっていても、一人で出ていくのは無防備だろう。
「すみません。遅くなってしまって」
優等生を演じながら謝ると、男はすぐに表情を緩めた。一人で留守番をしている子供として、都合のいい解釈をしてくれたようである。手にしていた箱をこちらに差し出すと、サインか印鑑を要求する。印鑑など持ち合わせていなかったから、青年の姓を書き付けた。
箱を受け取って室内に戻ると、青年は再び寝息を立てていた。能天気な表情に腹が立って、ダンボールの角で頭を小突く。それなりに衝撃があったのか、彼はすぐに顔を上げた。
「なに!? どうしたの?」
「君に荷物が届いてたぞ。全然起きる気配がないから、僕が受け取ってやったんだ」
苛立ちを含みながら言葉を吐くと、青年の前に箱を差し出す。しばらく呆けた顔で箱を見た後に、状況を理解したように呟いた。
「ああ、そういえば、今日だったね。ありがとう」
まだ寝惚けた声で答えると、彼は箱を受け取る。怪しい足取りでベッドから立ち上がると、机の上に箱を置いた。そのまま僕の元に戻ってくると、少しぎこちない態度で謝る。
「ごめんね。こんなことさせちゃって」
「全くだよ。起きもしないのに、配達時間を午前にするなんてさ。僕がいたから良かったものの、そうじゃなかったら相手に迷惑をかけてるぞ」
「そうだね。ごめん」
僕が正面から説教をすると、彼は反省したように項垂れた。こういうことを言うのも変な話だが、今日の彼は妙に素直だった。普段なら反論のひとつでも返してくるところだが、何も言わずに謝っている。何か裏がありそうな態度だった。
「じゃあ、目も覚めちゃったことだし、今日の予定を決めようか」
明るい声でそう言い放つと、彼はベッドから腰を上げる。わざとらしさを感じる物言いで、ようやく彼の真意が分かった。彼は部屋の外へと誘導することで、僕の意識を荷物から逸らそうとしているのだ。つまり、さっき受け取った荷物の中には、彼の隠したいものが詰められているのだろう。
そうなったら、放っておくわけにはいかなかった。僕は寝坊助な誰かさんのせいで、自分のものでもない荷物を受け取らされたのだ。その上、見ず知らずの宅配業者の人間に、一人で留守番をしている寂しい子供として同情されたのである。ここまでの不利益を被ったのだから、僕には中身を見る権利があるはずだ。
「その前に、ひとつだけ教えてくれよ。さっき君は、一体何を受け取ったんだい?」
正面から尋ねると、彼は気まずそうに視線を逸らした。眼球を左右に揺らすと、小さな声で返事をする。
「それは…………。たぶん、ルチアーノが見ても、そんなに面白くないと思うよ」
そんなことを言われたら、余計に気になってしまうのが人情だ。僕は人間ではないけれど、感じる好奇心は人間と変わらない。彼の隣をすり抜けると、早歩きで机の前まで向かった。送付状が貼られたままの箱を引き寄せると、周囲を覆うテープを剥がしていく。
「なら、勝手に見させてもらうよ」
そんな僕の姿を見て、彼は慌てたようにこちらへと駆け寄った。僕の手から箱を奪い返そうと、必死に腕を伸ばしてくる。しかし、彼が箱に触れるよりも先に、僕が箱を持ち上げた。チャンスを無駄にした青年が、情けない声を上げながら追いかけてくる。
「待ってよ。僕のものなんだから、勝手に見ちゃダメだって」
「僕が受け取ったんだから、僕にも見る権利があるだろ。そんなに隠したかったなら、こっそり受けとればいいじゃないか」
そうこうしているうちに、箱のテープが全て剥がれた。期待に揺れる胸を抑えると、ダンボールの蓋を開ける。紙の緩衝材を引っ張り出すと、ようやくそれは正体を明かした。
「なんだよ。これ」
中に入っていたのは、何かのグッズみたいだった。真っ白な布地に黒い文字で、何らかの言葉が書かれている。奇妙に思って引っ張り出すと、商品名を記したシールが視界に入った。そこに並ぶ文字を見て、僕は言葉を失ってしまう。
「もう。だから、面白くないって言ったのに」
固まったままの僕に歩み寄ると、彼はグッズの袋を開ける。中から布地を引っ張り出すと、僕の前で左右に広げた。装飾で囲まれた中央には、大きくチーム名のプリントが施されている。その文字列は、僕もよく知るものだった。
『チームニューワールド』
頭に血が上って、一気に頬が熱くなる。どうして、よりにもよってこの男が、僕たちのチームのグッズを持っているのだろう。僕は、彼にチームのことを話したこともなければ、グッズの情報も漏らしてない。それなのにここにあると言うことは、彼が自ら調べたのだ。
「なんで、君がそんなグッズを買ってるんだよ! どこで調べたんだ!?」
勢いよく詰め寄ると、彼は困ったように視線を逸らした。タオルを綺麗に畳み直すと、箱の奥からアクリルの板を取り出す。
「これは、インターネットで調べたんだよ。ルチアーノのチームは有名だって聞いたから、グッズがあったら買おうと思って」
「そんなことしなくても、君も僕のチームメイトだろ。よりにもよって僕の写真を買うなんて、一体どういうつもりなんだよ!」
彼の手の中に握られた板には、僕の写真が印刷されていた。グッズに掲載する写真になるからと、個別で撮られたものである。変なものに使用されていることは知っていたが、まさかこの男の手に渡るなんて。
「アクリルスタンドのこと? ルチアーノのグッズだったから、一緒に買ってみたんだ。これがあれば、いつでもルチアーノと一緒にいられるね」
能天気な笑みを浮かべながら、彼は僕の写真を見せつける。そこに印刷された僕は、恥ずかしい姿を見せいた。スタッフとカメラマンの要求で、正気では恥ずかしいポーズをさせられたのである。彼に見られていたと思うと、羞恥に頬が熱くなった。
「そういう問題じゃないだろ! こんな姿、君にだけは見られたくなかったのに!」
必死に喚き散らかすが、もうどうすることもできなかった。写真はグッズとしてこの世に放り出されて、彼はそれを入手したのだ。正当なルートを通っているから、僕には咎めることなどできない。彼が恥ずかしい写真を愛でていると知りながら、日々を過ごすだけだった。
「そんなに怒らないでよ。僕は、ただルチアーノのグッズがほしかっただけなんだよ。恋人がお仕事をしてる姿なんて、滅多に見れないでしょ」
僕が肩を怒らせていると、彼はそんな言葉をかけてくる。僕の機嫌を取りたいのだろうが、そんなものでは慰めにもならなかった。これ以上罵倒が飛び出さないように、必死に唇の端を噛む。ようやく感情が落ち着いてくると、僕はなんとか言葉を発した。
「それ、絶対に人前では見せるなよ」
探るように視線を向けると、彼は優しく微笑みを浮かべた。グッズを箱の中に戻しながら、少し嬉しそうな声で答える。
「分かったよ。ルチアーノがそう言うなら、僕だけの秘密にするね」
能天気すぎる返事に、ついついため息が漏れてしまう。僕がどんな思いでこれを見ているのか、さっぱり分かっていないようだった。とはいえ、そういう大胆さこそが、彼の強みのひとつなのかもしれない。起きてしまったことは仕方ないから、今回は許してやることにした。