AI 携帯端末の起動ボタンを押すと、僕はそのまま首を傾げた。モニターにに映し出されたホーム画面は、上半分が黒く染まっていたのだ。不思議に思って画面をつけ直して見るが、状況は依然として変わらない。光を放ってはいるのだが、上半分に画像が出力されなかった。
再び画面を消灯させると、僕は電源ボタンに手を伸ばした。丸いボタンを長押しすると、端末そのものの電源を落とす。機械の調子が悪い時は、一度再起動すると直ることがあるらしい。一縷の望みをかけながら電源をつけるが、画面は黒く染まったなままだった。
淡い光を放つ画面を見つめると、僕は大きく息を吐く。長年愛用してきたこの端末にも、いよいよ寿命が来たようだった。確かに、この端末は僕が中学生の頃に買ってもらったものだから、それなりの年月が経っている。一般的なサイクルで考えると、とっくに買い替えの時期を過ぎているのだろう。
簡単に外出の支度を整えると、鞄を手に家の外へと出た。いつもより早い足取りで向かうのは、繁華街の携帯端末ショップである。この手のショップは混み合うから、向かうなら早い方がいい。入店して受付を済ませると、平日だというのに何人かが並んでいた。
30分ほど待たされた後に、ようやく僕の番号が呼ばれる。窓口に座っていた若い女性が、にこやかに僕の用件を聞いた。鞄から端末を取り出すと、手短に用件を語っていく。一通り話を聞き終えると、女性は快活な声でこう語った。
「故障ですね。修理することもできますが、端末が古いのでおすすめはしません。この機会に、新しいものに買い替えるのはいかがでしょうか」
一切の隙もない、流れるようなセールストークだった。彼女の語る内容はもっともだったから、僕も二つ返事で了承した。今まで使っていたものに近い製品の中から、おすすめの端末を選んでもらう。僕の購入が確定したからか、女性は明るい声で紹介を始めた。
「こちらの端末は、そちらの機種と同じ会社の製品になります。こちらは違う会社の製品ですが、操作方法はほとんど同じです。こちらは最新の機種で、先月発売されたばかりなんですよ」
絶え間なく製品の説明を並べながら、カウンターの上に端末を並べていく。同じような姿をした端末たちを、僕は視線を揺らしながら眺めていた。この手の端末は形が同じだから、僕には違いが分からないのだ。少し困りながら眺めていると、女性はそのうちのひとつを手に取った。
「この端末には、最新のAIが搭載されてるんですよ。良かったら、少し試してみませんか?」
明るい声でそう語ると、端末のロックを解除する。明るく設定されたホーム画面が、僕たちの目の前で輝きを放った。しばらくすると、画面の中に女性の姿をしたグラフィックが現れる。彼女は僕たちの前で一礼すると、落ち着いた声で言葉を紡いだ。
『ようこそ。ご用件をお伝えください』
そこから聞こえてくる音声に、僕は大きく口を開けてしまう。それは、機械から流れているとは思えないほどに流暢な発音をしていたのだ。しっかり聞けば合成音声だと分かるのだろうが、僕には全く違いが分からない。ルチアーノほどではないとはいえ、技術の進歩は素晴らしかった。
「メールを開いて」
答えを待っている端末を手に取ると、女性ははっきりした声で指示を出す。画面の中に映っている女性が、言葉に反応して一礼を返した。すぐに顔を上げると、やはり流暢な声で語る。
『メールですね』
音声が終わると、彼女は画面の奥へと消えていった。誰もいなくなったホーム画面に、手の形をしたカーソルが現れる。メールのアイコンを選択すると、画面に受信メールの一覧が映し出された。
『どちらのメールを確認しますか?』
一番上のメールにカーソルを合わせながら、AIが指示を要求する。端末から聞こえる声が途切れると、女性が次の指示を伝えた。
『○○○からのメールを探して』
彼女がAIに伝えたのは、自らの勤める通信会社の社名だった。彼女の声を聞き取ると同時に、カーソルが真下へと下がっていく。しばらくすると、画面には三通のメールが表示されていた。
『○○○様からの受信メールは3件です』
動きを止めた端末から、女性AIの落ち着いた声が聞こえる。そんな一部始終を、僕は隣から眺めていた。僕にはよく分からないが、これは相当すごい技術なのだろう。画面に視線を向けると、ありきたりな返事を返す。
「すごいですね。全部機械がやってくれるなんて」
「他にも、電話をかけたりインターネットで検索したりもできるんですよ。他にも、アプリの起動やアラームの設定だってできるんです」
そんな僕の目の前で、女性はいくつもの機能を見せてくれた。どれも言葉で指示を出すだけで、AIが自動で片付けてくれる。このAIを使えば動画や音楽を流したり、メールの本文を作ることもできるらしい。僕自身が使うかは分からないが、持っていて損は無い端末だと思った。
「じゃあ、それにします」
僕が言うと、女性は明るい声でお礼を言う。半ば乗せられるような形ではあったが、なんとか新しい端末を入手できた。必要書類にサインをして契約を済ませると、まとめて周辺機器を購入する。端末内のデータを移したら、ようやく手続きが終了となった。
「ありがとうございました。困ったことがあったら、いつでもお越しください」
女性に見送られながら、僕はショップを後にする。下げている紙袋の中には、買ったばかりの端末が入っていた。このAIのシステムを見せたら、ルチアーノはどのような反応をするのだろうか。結局、僕が考えるのは、そんなことばかりだったのだ。
家に帰る頃には、すっかり日が暮れていた。家へと続く通りに足を踏み入れると、リビングに灯りがついているのが見える。どうやら、僕が端末の契約をしている間に、ルチアーノは帰宅していたようである。中が丸見えの室内には、ソファに座る彼の姿が見えた。
廊下を通って室内に入ると、真っ先に開けっぱなしのカーテンを閉める。顔を上げたルチアーノが、ちらりと僕に視線を向けた。
「ただいま」
「おかえり。随分遅かったな」
「ちょっと、急用ができちゃって。繁華街に行ってたんだ」
帰りの挨拶を済ませると、僕は真っ直ぐにキッチンへと向かう。時計の針は六と七の間を指していて、夕食を取るにはちょうどいい時間だったのだ。冷凍庫にストックしておいた食品を取り出すと、電子レンジに入れてダイアルを回す。主食となるお米も、買い溜めしていたパックのご飯だった。
電子レンジが音を立てると、今度はパックご飯を温める。端末の契約に時間がかかってしまったから、夕食を用意する暇がなかったのだ。最近の冷凍食品は種類が多いから、食事の用意も全く困らない。何種類かのおかずを解凍すると、すぐに食卓は整った。
食前の挨拶を済ませると、解凍したおかずを口に運ぶ。市販品特有の濃い味付けが、一気に口の中に伝わった。おかずの味が消えないうちに、温めたばかりのご飯を口に運ぶ。淡々と食事を進めていると、ルチアーノがこちらへと歩み寄ってきた。
「君は、また冷凍食品ばかり食ってるんだな。そんなんじゃ栄養が偏るぜ」
僕の手元を覗き込むと、彼は呆れた声で言う。声と同じくらい呆れた顔を見上げると、反論するように言葉を返した。
「仕方ないでしょ。今日は、お弁当を買ってる時間がなかったんだから。明日はちゃんと用意するから、一日くらい許してよ」
「許すわけないだろ。市販の弁当だって、栄養があるとは言えないんだから。君が体調を崩したりしたら、困るのは僕なんだぜ」
不満そうに息を吐くと、ルチアーノは頬を膨らませる。僕の帰りが遅かったことに腹を立てているのか、少しご機嫌斜めなようだった。彼のご機嫌を取ろうと、さらに弁解の言葉を重ねていく。
「大丈夫だよ。こっちに来てからずっとこの生活をしてるけど、大きな病気にかかったことはないんだから。僕は免疫力が強い家系だから、そんなに心配しなくていいんだ」
「それは、君がまだ若いからだろ。同じ生活を続けてたら、確実にボロが出るぜ」
しかし、どれだけ言葉を重ねても、ルチアーノの機嫌は直らなかった。強い語調で吐き捨てると、僕の正面の席に腰を下ろす。どすんと鈍い音を立てたかと思うと、微かに木材が軋む音が響いた。
「そもそも、どうして帰りが遅くなったんだよ。今日は家にいるって言ってただろ」
正面から詰め寄られて、僕はポケットから端末を取り出す。つい数時間前に契約したばかりの、店員さんおすすめの最新機種だ。性能はアップデートされているのだろうが、見た目は以前のものとあまり変わらない。唐突に端末を引っ張り出した僕を、ルチアーノは訝しげな目つきで見つめていた。
「端末が壊れちゃったから、新しいのを買ってきたんだよ。連絡が取れなかったら、ルチアーノだって困るでしょ」
事の経緯を説明すると、ルチアーノは納得したように身体を引いた。椅子に座ったまま腕を組むと、にべもない態度で答える。
「そんなものなくったって、僕は困らないぜ。君の様子は常に見てるし、直接会いに来ればいいだけだしな」
「ルチアーノはそうかもしれないけど、僕は困るんだよ。僕には、端末でのやり取りしか連絡手段がないんだから」
必死の思いで弁解すると、彼は悔しそうに言葉を詰まらせる。僕からの連絡手段については、納得するしかないようだった。彼が僕の状況を観察していると言っても、心の中まで見ることはできないのだ。僕からの用件は、僕が伝えないと伝わらない。
会話が途切れているうちに、食事の続きを進める事にした。一度置いていた箸を手に取ると、おかずを掴んで口に運ぶ。電子レンジ加熱は冷めやすいから、一部か冷たくなり始めていた。全てが冷めてしまう前に、急いで残りを口に運ぶ。
淡々と食事を進めているうちに、不意にいいことを思い付いた。僕が新しく契約した端末には、高性能なAIが搭載されているのである。自炊についての問いを投げかけたら、相応のサイトを検索してくれるだろう。
再び箸を置くと、僕は端末に手を伸ばた。電源を入れてロックを解除すると、僕はルチアーノに声をかける。
「この端末には、最新のAIが搭載されてるんだって。何か教えてくれるかもしれないから、自炊について聞いてみるね」
彼に見えるように端末を置くと、AIのアイコンを選択する。画面が白く光ったと思うと、すぐに女性のグラフィックが現れた。
『こんにちは。ご用件をお伝えください』
僕たちに向かって一礼すると、女性は落ち着いた声で語る。端末をの画面を見たルチアーノが、一瞬だけ動きを止めた。そこに多少の違和感を感じるが、僕は気にせずに問いを投げる。
「簡単な料理のレシピについて教えて」
『簡単なレシピについて検索します』
淡々とした声で告げると、すぐにインターネットを起動させた。自動で検索ワードを入力したかと思うと、ヒットしたサイトの一覧を並べ始めた。画面の形式から察するに、一番上が最も一致率の高いサイトらしい。サイト名を読み上げると、要約した内容を説明してくれる。
『こちらのサイトには、十五分以内で作れる時短レシピが掲載されています。詳細を表示しますか?』
「ページを開いて」
『かしこまりました』
続けて指示を出すと、AIはページを開いてくれる。それは、どこかの企業が運営している、レシピのまとめサイトのようだった。掲載されているすべてのレシピには、時短のアイコンがついている。ざっと説明を見てみるが、どれも簡単に作れそうだった。
「見て。これが現代のAIだよ。すごいでしょ」
ルチアーノに視線を向けると、僕は弾んだ声で言う。自分が開発したわけではないのだが、少し誇らしくなってしまったのだ。しかし、対する彼の表情は、明らかにご機嫌斜めだった。端末の画面を一瞥すると、お腹の底から出るような声で呟く。
「ふーん。君は、そういうタイプが好みだったんだな」
「え?」
予想外の反応に、僕は間抜けな声を上げてしまった。そんな僕に冷たい視線を向けると、ルチアーノは淡々とした声で語る。
「つまり君は、そのAIとやらに浮気してたんだろ。よりにもよって女を選ぶなんて、君も怖いもの知らずだな」
「え……?」
さらに続けられた言葉を聞いて、僕は思考を巡らせる。一体この男の子は、何に機嫌を損ねているのだろう。何も理解できない僕を見て、彼は見せつけるように鼻を鳴らした。
「まだ分からないのか? 君の目の前にいるパートナーは、人間にプログラミングされて作られたAIなんだ。他のAIを侍らせるってことは、明確な浮気になるんだぜ」
彼の言葉を聞いて、僕は思わず息を飲んだ。そこまではっきりと教えられたら、さすがの僕でも理解できる。つまり、ルチアーノは、端末のAIに嫉妬しているのだ。機械生命体として産み出された彼にとっては、機械としての認識の方が強いのだろう。
「違うよ。これは、そういうつもりじゃなくて……」
怒りを露にするルチアーノを見て、僕は慌てて弁解の言葉を並べる。確かに、これが浮気になり得るということは、少し考えたら分かるはずだ。彼があまりにも人間そっくりだから、機械であるということを忘れてしまっていた。
「なら、どういうつもりだったんだよ。わざわざ他の女を見せるなんて、浮気の自白以外にないだろ」
「違うんだよ。僕は、ルチアーノに最新のAIを見てもらいたかっただけなんだ。浮気するつもりなんて、ほんの少しもなかったんだよ」
必死の思いで言葉を並べると、彼は大きくため息をついた。僕の慌てぶりを見たことで、真意が伝わったのだろう。思えば、僕はさっきから弁明ばかりしている。我ながら情けない話だった。
「そうかよ。……君は何も考えてないから、本当にその気はなかったんだろうな。全く、僕がどう思うかくらい、少し考えたら分かるだろうに」
ぶつぶつと小さな声で呟くと、彼は僕の端末を手に取る。ロックを解除して起動すると、勝手に操作し始めた。当たり前のようにロックわ開いているが、ナンバーは誰にも教えていない。相変わらず恐ろしい男の子だった。
手早く端末を操作すると、再び僕の前へと差し出す。そのホーム画面からは、AIのアイコンが消えていた。僕が画面を眺めていると、ルチアーノは淡々と告げてくる。
「とりあえず、AIはオフにしたからな。浮気だと思われなくなければ、二度と機能を使うなよ」
「分かったよ」
釘を刺すような言葉に、僕は渋々納得を示す。せっかく最新AIのものを選んだのに、全てが台無しになってしまった。まあ、これでルチアーノが安心するなら、僕は指示に従うしかない。彼が安心して日々を過ごせることが、僕の一番の願いだからだ。