出られない部屋 目が覚めると、見知らぬ部屋の中にいた。周囲を覆う白と電灯の灯りが、正面から僕の瞳を焼き付ける。目が眩んで視線を隣に逸らすと、そこにはルチアーノが座っていた。必死に何かを口にしながら、僕の身体を揺らしている。
「おい、起きろよ」
脳を揺らすような鋭い揺れに、僕は喉の奥から呻き声を漏らした。必死の思いで身体を起こすと、ルチアーノが身体を支えてくれる。彼の背後に見える室内にも、一切の装飾は見えなかった。唯一あるとしたら、大きなモニターと別室に続く扉だけだ。
「ここ、どこ……?」
半分寝惚けた頭のまま、僕はルチアーノに問いかける。隣に座っていたルチアーノが、不機嫌そうな声色で言葉を発した。
「例の部屋だよ。僕を閉じ込める力を持ってる奴なんて、この部屋を運営してる奴しかいないだろ。今度は何を企んでるんだか」
彼の鋭い言葉を聞いて、僕はようやく状況を理解する。どうやら僕たちは、再び奇妙な部屋に閉じ込められたらしいのだ。誰がこんなことをしているのかは分からないが、僕たちは白い部屋に閉じ込められることがある。ここではルチアーノの特殊な能力も、全て無効化されてしまうのだ。
「そっか。何もないってことは、今日のミッションは簡単なんだろうね」
返す僕の言葉も、妙に落ち着いたものになってしまった。何度も閉じ込められているうちに、僕の方も慣れてしまったのだ。この部屋は内部からの脱出こそできないが、僕たちに危害を加える意思は感じられない。提示された条件を満たしてしまえば、扉の鍵は開くのだ。
「どうだろうな。僕にとっては簡単でも、君にとっては難しいものかもしれないぜ。辱しめとしか思えない内容だったら、僕は簡単には応じないからな」
不満そうに唇を尖らせながら、ルチアーノはそんな言葉を吐く。脱出の壁となるのは、決まって彼のプライドの高さだった。神の代行者として産み出された彼は、プライドも人並みではない。他者に恥ずかしい姿を見せるなど、決してありえないことだと思っているのだ。
「そんなこと言わないでよ。ルチアーノが協力してくれないと、僕もここから出られないんだよ。食料も水も無い部屋に閉じ込められたら、人間はすぐに死んじゃうんだから」
そんなルチアーノを説得するように、僕は言葉を重ねる。チラリとこちらを横目で見ると、彼は小さな声で呟いた。
「君は、いつもそうやって僕を辱しめるよな。もしかして、この部屋を作った張本人は君だったりするのか?」
「そんなこと無いって」
下らない会話を重ねていると、視界に光が瞬いた。僕たちの正面に取り付けられたモニターが、目映い光を放ったのだ。電源が入ったかと思うと、作り付けのムービーを再生していく。チープな文字で作られたメッセージは、このような内容だった。
──パートナーをときめかせないと出られない部屋
予想以上に奇妙な文字の羅列に、僕たちは顔を見合わせる。表示されたタイトルだけでは、部屋の意図が分からなかったのだ。ポカンとする僕たちに応えるように、モニターは文字を並べ始めた。
──今からお二人には、倉庫に収められたコスチュームでパートナーをときめかせてもらいます。お互いに衣装を着ても構いませんし、どちらか片方のみでも構いません。どちらかがときめきを感じた時、この部屋のロックは解除されます。お二人の愛の力で、無事脱出を目指してくださいね。
一方的に条件を告げると、モニターは唐突に電源を落とす。後に残された僕たちは、呆然と画面を眺めてた。しばらく沈黙を保った後に、どちらからともなく顔を見合わせる。お互いに様子を窺うと、ルチアーノの方から口を開いた。
「ふーん。要するに、コスプレで相手を喜ばせたらいいのか。もちろん、君が着替えてくれるんだよな?」
辱しめを嫌うルチアーノらしい、他力本願な発言だった。こうなるだろうとは思っていたものの、実際に告げられると横暴に感じる。それに、彼の発言をそのまま受け入れるのは、脱出に対して懸念があった。
「僕はそれでもいいけど、本当に脱出できる目処が立ってるの? 僕がコスプレしたとして、ルチアーノがときめいてくれるとは思わないんだけど……」
反応を窺うように言葉を返すと、彼は困ったように言葉を詰まらせた。その視線は僕を捉えているが、微かに左右に泳いでいる。どうやら、発言者である彼自身にも、あまり自信がないようだった。
「それは…………」
小さな声で呟くと、もごもごと口元を動かす。この反応であれば、僕の意見も通せそうだ。正面から彼を見つめ返すと、僕はさらに言葉を重ねる。
「真面目に脱出を考えるなら、ルチアーノが着た方がいいんじゃない? 僕なら、ルチアーノがどんな格好をしてもときめける自信があるよ」
堂々とした態度で口を開くと、彼はほんのりと頬を染めた。唇を尖らせると、拗ねたような声色で言う。
「そんな自信要らないんだよ。僕のこといやらしい目で見やがって」
彼の言葉に、今度は僕が頬を染めた。そんな言い方をされると、僕が下心しか持ってないみたいだ。いや、実際にそうなのかもしれないのだけど、直接言われるのは恥ずかしい。
僕が黙りこんでいると、彼は勢いよく立ち上がった。僕に背を向けると、押し殺したような声で言葉を紡ぐ。
「分かったよ。僕が着ればいいんだろ」
そのまま部屋の隅へと歩を進めると、倉庫らしき扉に手を伸ばした。彼の後を追いかけるように、僕も部屋の隅へと足を運ぶ。ルチアーノが開いた扉の奥には、山のような衣装が詰め込まれていた。僕の位置から見えるだけでも、衣装の量は膨大だ。
「すごいね。これだけあれば、どんな格好でもできそうだ」
ルチアーノの後ろから室内を覗き込むと、僕は感心の声を漏らす。着替えを目的にしているだけあって、多方面のコスチュームを取り揃えているのだろう。室内に足を踏み入れると、彼は呆れた声で言葉を漏らす。
「この部屋を作った奴は、相当な暇人なんだろうな。下らない娯楽のために、この量の衣装を集めるなんてさ」
ぐるりと室内を見回すと、僕の方を振り返る。苦虫を噛み潰したような顔をすると、鋭い声で宣言をした。
「じゃあ、僕は着替えてくるぜ。君が好きそうなものを見繕ってやるから、絶対に覗くんじゃねーぞ」
言い終わると同時に、勢いよく部屋の扉を閉める。大きな音が部屋を満たすと、すぐに沈黙が訪れた。あまりにもすぐに閉じられたから、部屋の中を見ることすら叶わなかった。僕に中を覗かれたら、リクエストを出されるとでも思ったのだろうか。
狭い室内に取り残されたまま、僕はルチアーノの帰りを待つ。ここには椅子の類いもなかったから、直接床に腰を下ろした。暇つぶしの手段すらなかったから、ただぼんやりと空中を眺める。それでも時間が潰せなかったから、頭の中でデュエルをすることにした。
脳内デュエルが三戦目に入ったところで、ようやく倉庫の扉が開いた。ドアノブが開く音が聞こえて、思わずそっちに視線を向ける。デュエルは僕のターンに入ったところだったが、そんなことを気にしている暇はない。ルチアーノがどんな服を選んだのかが、気になって仕方なかったのだ。
扉が完全に開くと、中から彼の頭が覗いた。姿を見せるのが恥ずかしいのか、こちらの様子を窺っている。真っ直ぐに視線を向ける僕を見て、彼は不満そうに口を開いた。
「なんでそんなに見てるんだよ」
「だって、ずいぶん待たされたから」
小さな声で答えると、彼は呆れたように溜め息をつく。迷ったように身体を揺らすと、思い切ったように足を踏み出した。
「そんなに期待するなよ。…………ほら」
彼の言葉とは裏腹に、僕は息を飲んでしまう。僕の前に現れたルチアーノは、子供らしい格好をしていたのだ。上はTシャツにパーカーを羽織っただけだし、下は膝丈のハーフパンツだ。靴下とズボンの間からは、真っ白な足が覗いていた。
「おい、何か言えよ」
黙り込む僕を横目で睨むと、ルチアーノは不満そうに口を開く。子供らしい服装が恥ずかしいのか、頬を赤く染めていた。りんごのように赤い顔色が、余計に服装と似合っている。上から下へと視線を流すと、感動を噛み締めながら答えた。
「すごく似合ってるよ」
「そういうことじゃないだろ。ときめいたかって聞いてるんだ」
能天気な返事を返す僕に、ルチアーノは鋭い声を投げる。しかし、その言葉に対しての返事は、僕の口から告げる必要はなかった。僕たちの前に設置されたモニターが、再び目映い光を放ったのである。そこに記された文字列は、『mission complete』の文字を示していた。
モニターの灯りが消えると同時に、左側の壁が動き始めた。重い音を立てながら、脱出の経路を開いていく。チラリと横目で僕を見ると、ルチアーノは低い声で言った。
「君は、こういう服が好きなのか。やっぱり変態なんだな」
捨てゼリフを残すと、倉庫の方へと歩を進める。一人取り残されながら、僕は釈然としない思いを抱えていた。僕にこの服装を見せようとしたのは、当のルチアーノ本人である。だとしたら服を選んだ彼自身も、変態ということに成るのではないのだろうか。
しかし、僕が不満を持ったところで、直接告げることなどできなかった。僕がそんな言葉を口にしたら、彼は機嫌を損ねてしまうのだ。平穏にこの場をやり過ごすには、お腹の底に留めておくしかない。自分の不甲斐なさに、僕は小さく溜め息をついた。