冬の朝 目を覚ました時、首から上が凍えそうなほどに冷たかった。迫り来る冷気に耐えきれなくて、僕は布団の中に首を引っ込める。体温で温かくなった羽毛布団が、優しい温もりで僕を包み込んでくれた。一度その優しさを知ってしまったら、もう外になど出られそうにない。
布団の中で丸まりながら、僕は右手を布団から突き出す。肌を突き刺すような強烈な冷気が、一斉に襲いかかってきた。手探りで目覚まし時計を掴むと、手元に引き寄せて時刻を見る。デジタル表示の文字盤は、朝の九時を示していた。
乱雑に時計を放り出すと、再び右手を布団の中に滑り込ませる。僕にとっては早めの目覚めだったが、隣にルチアーノの姿はなかった。早起きが得意な彼は、とっくに起きて活動しているらしい。こんなにも寒い中に出ていったなんて、尊敬することしかできなかった。
それからしばらくの間、僕は布団の中で丸まっていた。布団の中から出ようとしても、覚悟が決まらなかったのである。暖房のついていない真冬の室内は、氷点下かと思うほどの寒さである。少し身体を動かしただけでも、布団の隙間から強烈な冷気が襲ってくるのだ。
少しも身動きが取れないまま、時間は刻一刻と過ぎていく。温もりの中に身を委ねていると、段々と眠気が襲ってきた。真冬の休日の朝くらい、二度寝してしまってもいいだろう。そんなことを考えながら、僕はゆっくりと目を閉じる。
その時だった。静寂に包まれた僕の部屋に、軽快な足音が響いたのだ。それは徐々に近づいてくると、僕の真横でピタリと止まる。周りの様子を見なくても、音の主がルチアーノであることはすぐに分かった。
「おい、起きろよ」
僕の真横で動きを止めると、ルチアーノは淡々とした声色で言う。静寂の室内を切り裂くような、脳の奥に響く声だった。意識を現実に引き戻されて、僕は小さな声で返事をする。
「起きてるよ」
「なんだ。起きてるのか。なら、とっとと布団から出てこいよ」
「分かったよ。そのうち行くね」
僕の返事を聞くと、ルチアーノは拍子抜けしたように言葉を返す。その場しのぎの言葉を並べると、呆れたようにその場を去っていった。僕が起きていることが分かったから、実力行使に移る気はないらしい。彼が穏やかなのをいいことに、もう少しゆっくりすることにした。
とはいえ、あまりゆっくりしすぎても、ルチアーノの機嫌を損ねてしまう。冷気と向き合う覚悟を決めると、思いきって片足を動かした。剥き出しになった爪先が、冷えきったシーツと布団に触れる。強烈な冷気が肌を刺して、すぐに足を引っ込めてしまった。
温もりの中に包まれながら、僕は大きく息を吐く。今朝の冷え込みは、今年で一番と言える勢いだった。一度冷気に触れてしまったら、もう外に出る気などなくなってしまう。しばらく決意を鈍らせていると、再びルチアーノがやってきた。
「おい、起きてるんだろ。とっとと出てこいよ」
少しトゲのある甲高い声が、布団の真上から降り注ぐ。僕が布団から出ることを渋っているから、機嫌を損ね始めたようだった。早く起きなければ、強めのお仕置きを受けることになるだろう。しかし、思い切りをつけるには、今朝の気温は寒すぎたのだ。
「分かってるけど、布団の外は寒いんだよ。今日は用事が無いんだから、もう少しゆっくりさせて」
布団の中から顔を出すと、僕は横目でルチアーノを見上げる。視界の端に映る瞳は、鋭い光に満ちていた。休日とはいえ、ずっと一人で待たされているから、彼も退屈しているのだろう。気持ちは分からなくもないが、僕だってのんびりしたかった。
「もう十分ゆっくりしただろ。いい加減起きろっての」
しかし、そんな僕のささやかな願いは、彼には届かなかったようである。いつまでも外に出ない僕の姿を見て、ルチアーノは痺れを切らしたようだった。足音を立てながら僕の元に近づくと、強引に枕元の布団を掴む。僕が止めるよりも先に、彼は布団を捲り上げた。
僕を包み込む膜が剥がされて、一気に温かい空気が逃げ去る。暖房もついていない部屋の空気が、四方から肌を突き刺してきた。脳天を貫くほどの冷気に、片っ端から眠気が吹き飛んでいく。反射的に身体を起こすと、捲られた布団を掴み取った。強引にルチアーノの腕を振り払うと、頭を覆うように被り直す。
「何するの? 寒いでしょう!」
布団の中に顔を埋めながら、僕は鋭い声で叫ぶ。心の準備もなく冷気に晒されて、腕には鳥肌が立っていた。僕の不満に対抗するように、ルチアーノもわざとらしく鼻を鳴らす。再び布団に手をかけると、怒りの滲んだ声で言った。
「何って、君を起こしてやってるんだろ。こうしてわざわざ出向いてるんだから、とっとと覚悟を決めろよ」
僕を引っ張り出すかのように、彼は勢いよく布団を捲る。僕の必死の抵抗も虚しく、あっさりと布団を奪われてしまった。温かい空気が周囲へと流れ出し、代わりに冷たい風が流れ込んでくる。今度は二回目だったから、さっきまでの鋭さは感じなかった。
「うぅ…………。せっかく暖まってたのに……」
小さく声を漏らしながら、僕はベッドの上に座り込む。ここまでされてしまったら、おとなしく起きるしかなかった。まだ寝惚けたままの瞳を擦ると、ベッドの隣に立つルチアーノを見上げる。呆れたように息を吐くと、彼は不満そうな声色のまま言った。
「暖かい部屋にいたいなら、リビングに行けばいいだろ。君が起きてくると思って、温めておいてやったんだぞ」
「ありがとう。…………ごめんね」
流れで謝罪の言葉を口にするが、僕はまだぼんやりとしていた。眠気に頭が支配されていて、動く気持ちになれなかったのだ。呆然とその場に座る僕を見て、ルチアーノは再び溜め息を吐いた。
「いつまで座ってるんだよ。とっとと行くぞ」
「そうなんだけど、まだ眠たくて」
小さな声で呟いてから、僕は枕元に手を伸ばす。昨夜脱ぎ捨てたパーカーを手に取ると、裏起毛の袖に腕を通した。温もりに包まれたことで、ようやく身体の震えが止まる。しかし、身体が温まっても、まだ動く気にはなれなかった。
「そうか。なら、僕が起こしてやるよ」
宣言するように呟くと、おもむろにルチアーノが動き出す。僕の隣に腰を下ろすと、黙ったまま身体を近づけてきた。口づけでもされそうな距離に、心臓が淡く跳ねるのを感じる。しかし、彼が近づいてきたのは、そんな甘い理由ではなかった。
ルチアーノの伸ばした手のひらが、僕の首筋に近づいてくる。何をされるのか分からなくて、心臓がドキドキと音を立てた。真っ直ぐに伸ばされた指先が、僕の首筋を縦になぞる。肌に触れる指の感触は、心臓が止まりそうなほどに冷たかった。
「ひゃっ…………!?」
肌を突き刺す強烈な冷気に、思わず唇から声が漏れる。身体を大きく震わせると、僕はその場から飛び退いた。身体を引いた勢いで、ベッドの上からも立ち上がる。強烈な一撃を食らったことで、すっかり目が覚めてしまった。
「今ので目が覚めたみたいだな。じゃあ、とっととリビングに行くぞ」
目を白黒させている僕を見て、ルチアーノが楽しそうに笑みを浮かべる。確かに目は覚めたのだが、それどころではなかったのだ。僕に触れた彼の指先は、氷のように冷たかったのだ。心の準備をしていなかったから、心臓が止まりそうになってしまった。
「びっくりした。変なことしないでよ」
にやにや笑いを浮かべるルチアーノを見ると、僕は反論の言葉を吐く。しかし、当のルチアーノには、反省の色など浮かんでいなかった。いたずらっぽく笑い声を漏らすと、目を細めて僕を見上げる。
「それは、君がいつまでたっても起きないからだろ。起こしてやったんだから、感謝してほしいくらいだぜ」
くすくす笑いながら席を立つと、彼は僕の部屋から出ていく。布団に戻るわけにもいかないから、僕も彼の後に続いた。やはり、他者をからかうことにおいては、彼が一枚上手なようである。苦笑いを浮かべながら、僕はリビングへと向かったのだった。