噂 休日のショッピングモールは、どこも人で溢れていた。流れる人混みをすり抜けながら、僕はエスカレーターの前へと移動する。もちろん、僕が目指しているのは、専門店街にあるおもちゃ屋さんだ。子供が行き交うフロアを横切りながら、隅に配置された店舗へと向かう。
ようやく辿り着いた店内も、子供の姿で溢れていた。ぶつからないように気を付けながら、僕はお店の奥へと向かう。壁を覆うように作られたエリアに、デュエルモンスターズのパックが並べられている。購入用の台紙を手に取ると、僕はレジへと向かった。
「こちらは、いくつ必要ですか?」
「一箱お願いします」
「かしこまりました。購入特典のパックをお付けしますね」
短い会話を交わすと、店員さんはレジの奥に向かった。ボックスの並んだ棚に視線を向けると、一番左にあった箱を手に取る。僕の元に歩み寄ると、手にしたボックスをこちらに見せた。
「こちらでお間違いないでしょうか」
「はい」
僕が返事を返すと、今度はカウンターからレジ袋とパックを取り出す。慣れた仕草で袋の中に詰めると、僕の方へと差し出した。
「ありがとうございました」
レジ袋を受け取ると、僕は足早にお店の外へと向かう。おまけでもらったパックの中身を、早く確認したかったのだ。近くのベンチに腰を下ろすと、レジ袋の中へと手を突っ込む。
ここまでの流れで分かるだろうが、今日は新しいパックの発売日だったのだ。しかも、ただの発売日ではなく、キャンペーンの開始日でもある。指定された店舗でカードパックを買うと、おまけにトークンパックがもらえるのである。それだけならよくあるキャンペーンなのだが、今回はそれだけではなかった。
青色のパックを引っ張り出すと、カードを下に下ろしてからパックの口を引っ張る。接着されていた部分が剥がれて、パリッと軽快な音が聞こえた。慎重に指を突っ込むと、中からカードを引っ張り出す。中から出てきたのは、虹色に輝くトークンだった。
そう。今回のトークンパックは、全て特別な加工が施されているのだ。表面にはホログラムシートが貼られていて、光を反射して虹色に光っている。その下に印刷されたイラストは、スケープゴーストの羊だった。
小さく息をつくと、僕はカードを中に戻した。一番欲しかったものではないが、全くの外れとも言えないカードである。羊ならイラストもかわいいし、女の子に渡したら喜んでもらえるだろう。そんなことを考えながら席を立つと、背後から声をかけられた。
「あっ。○○○だ。こんなところで何してるの?」
陽気な口調で話しているが、あまり聞き覚えのない声である。顔が思い浮かばなくて、僕は恐る恐る後ろを向いた。視界に映る姿を見て、ようやく安堵の息を吐く。僕の後ろに立っていたのは、アカデミアの制服を着た女の子だったのだ。
「カードを買ってたんだよ。今日は、トークンパックがもらえるから」
僕がレジ袋を見せると、彼女は納得したような顔をした。背負っていたリュックの蓋を開けると、中から同じレジ袋を取り出して見せる。
「そうなんだ。あたしも、パックを買いに来てたんだよ。○○○は、何のトークンが欲しかったの?」
「クリボーかな。やっぱり、デュエルキングのカードだから」
僕が答えると、彼女は嬉しそうに目を開いた自分のトークンパックを取り出すと、中身を出して僕に見せる。
「偶然だね。あたしがもらったトークンはクリボーだったんだ。よかったら交換してあげようか?」
彼女の言葉に、今度は僕が驚く番だった。髪に隠れた瞳を開くと、制服姿の少女を見上げる。彼女の表情が変わらないことを確かめると、ようやくお礼の言葉を口にした。
「本当に? ありがとう」
しかし、僕が返事を返したことで、彼女は僅かに表情を変えた。僕を試すように口角を上げると、手にしたトークンパックを持ち上げる。
「でも、ただでとは言わないよ。このカードが欲しかったら、あたしのお願いを聞いて」
意味深長な物言いに、少し不穏な響きを感してしまう。彼女の言うお願いとは、いったいどのようなことなのだろうか。難しいことを頼まれたりしたら、僕には応えることができない。少し様子を伺っていると、彼女は慌てた様子で言葉を続けた。
「お願いって言っても、そんなに大したことじゃないよ。ただ、ちょっとデッキの相談に乗って欲しかったんだ。○○○はデュエルが強いから、それくらい朝飯前でしょう?」
その言葉を聞いて、僕はホッと息をつく。それくらいのお願いだったら、僕にも叶えることができるだろう。よく考えたら、ただの友達である女の子が、僕に無理難題を持ち込むわけがないのだ。ルチアーノと過ごした時間が長すぎて、変なところで毒されてしまった。
「それくらいのことなら、全然大丈夫だよ。僕もそんなに知識があるわけじゃないから、力になれるか分からないけど」
僕が答えると、彼女は嬉しそうに表情を変える。僕の方に身を乗り出すと、耳に響き渡る大声で言った。
「ありがとう! せっかくだから、一回のレストランに行こうよ。静かなところで調べた方が、デッキ作りもやりやすいでしょ」
言い終わるか終わらないかのうちに、僕の手首に手を伸ばしてくる。強引に腕を引っ張ると、エスカレーターを降りてレストラン街に向かった。ここでカードを広げるわけにもいかないから、僕もおとなしく後に続く。
時刻がまだ早いからか、レストラン周辺はあまり混んでいなかった。手頃な価格の店舗に入ると、机の上にデッキを広げる。彼女のデッキはよくあるシンクロベースのものだったから、僕でもアドバイスをすることができた。途中で昼食を挟みながらも、なんとかデッキを作り上げた。
「ありがとう。これなら、いいデュエルができそう。さすが○○○だね」
弾んだ声で言いながら、少女は嬉しそうな笑顔を浮かべる。
「どういたしまして。僕もちゃんと勉強してるわけじゃないから、ちゃんと動くか分からないけど」
「大丈夫だよ。○○○は、あたしよりも賢いもん。じゃあ、約束のトークンをあげるね」
そう言うと、彼女はレジ袋から青い袋を取り出した。丁寧に両手を揃えると、僕の前へと差し出してくる。
「ありがとう。代わりに、僕のトークンをあげるよ」
僕が鞄に手を伸ばすと、彼女は片手を上げて制した。
「全然いいよ。あたしが持ってても、ストレージの中に入ってるだけだから」
「本当? ありがとう」
無事に取引を済ませると、伝票を片手に席を立つ。お店から出る頃には、二時間近くが経過していた。あまり遅くまで遊んでいると、ルチアーノが心配するだろう。アカデミアの女の子と会ってたと聞いたら、浮気を疑われて問い詰められかねない。
「じゃあ、僕は帰るね」
僕が言うと、彼女も同ように僕に向き合う。手のひらを左右に振ると、明るい声で別れの挨拶をした。
「じゃあ、またね」
手を振る少女に見送られながら、僕は建物を後にする。少し早歩きになりながらも、自宅への道を歩み始めた。
ルチアーノが行動を起こしたのは、それから一週間ほど経った頃だった。いつものように家へと帰宅すると、ルチアーノが待ち構えていたのだ。ソファから立ち上がると、足音を立てながら僕の方へと歩いてくる。
そこにただならぬ気配を感じて、僕は微かに顔をしかめる。こうして彼が待ち構えている時は、いつも何かしらの用件があるのだ。そして、その用件と言うものは、僕にとって都合の悪いことが多い。第六感に近いものが働いて、背筋が冷たく冷えていった。
「なあ君。何か、僕に隠してることはないかい?」
正面から僕を見上げると、ルチアーノははっきりとした声で尋ねる。何のことを指しているのか分からなくて、僕は必死に頭を巡らせた。彼は嫉妬深いから、大抵のことで機嫌を損ねるのだ。何が彼の気に障ったのか、僕には検討もつかなかった。
「隠してること? 別に、何もないけど……?」
不安を抱えながら答えると、ルチアーノは鋭い瞳で僕を見る。小さく鼻を鳴らすと、トゲのある声で言い放った。
「そんなこと無いだろ。こっちには証拠だってあるんだから。しっかり思い出してみろよ。心当たりがあるはずだぜ」
「ええ…………。何もなかったけどな…………」
ルチアーノの圧力に押されて、僕は必死に記憶を遡る。しかし、どれだけ思考を巡らせても、思い当たることはひとつもなかった。黙ったまま首を傾げる僕を見て、ルチアーノは腹立たしげに言う。
「忘れたのか? なら、これを見ろよ!」
言葉を吐いたと同時に、彼は服のポケットに手を突っ込む。光と共に取り出したのは、一般的に普及している携帯端末だった。片手でボタンを操作してから、画面を僕の目の前に突きつける。
「っ…………!」
そこに映し出された画像を見て、僕は言葉を失ってしまった。写真の中に収められているのは、紛れもない僕の姿だったのだ。僕の目の前には、アカデミアの制服を着た女の子の姿がある。少し前にショッピングモールで会ったときの写真だった。
「なんだよ。やっぱり心当たりがあるんじゃないか」
僕の動揺を察したのか、ルチアーノはにやりと口角を上げる。口元は笑みを浮かべていたが、目元は一切笑っていなかった。その不気味な表情に、余計に背筋が冷たくなる。
「その写真、どこで撮ったの?」
とっさに口から出たのは、よりにもよってそんな言葉だった。あの時、僕と少女の近くには、知り合いの姿などなかったはずである。店内はそこまで混んでいなかったし、店員さんも初対面だった。こんなに綺麗な写真を撮るなんて、どう考えても不可能だったのだ。
しかし、僕のその反応は、ルチアーノの機嫌を損ねてしまった。冷たい笑みを浮かべていた彼の表情が、明らかな怒りへと変化する。僕の方に顔を近づけると、お腹の底から吐き出すような声で言った。
「そうか。君は、質問に答えないつもりなんだな」
低くて凄みを感じる声が、僕の耳から脳内を揺らす。本気の怒りを感じて、僕は慌てて言葉を紡いだ。
「違うよ! ただ、どうやって撮ったのか気になっただけで……」
「言い訳は要らないんだよ。なんでこの事を隠してたんだ? とっとと白状しな」
僕の反論を遮るように、ルチアーノは問いかけの言葉を並べる。彼は、僕が浮気をしたと思い込んでいるらしい。こうなったら正面から反論しても、誤解を解くことは難しそうだ。でも、ちゃんと話をしなければ、僕が怖い目に遭ってしまう。
「隠してたつもりはないんだよ。僕にとっては、友達と出かけるのと同じだったんだから。相手が女の子だったとしても、疚しいことなんて無いんだ」
素直に言葉を返すが、ルチアーノの表情は変わらない。心の底を見透かすような、冷たい瞳で僕を見ていた。室内を流れる沈黙が、僕の心を凍りつかせる。たっぷりと間を空けたあとに、小さな声で呟いた。
「まだ言うのかよ。そんなやつには、お仕置きが必要だな」
一切の表情を無くしたルチアーノが、静かに手を伸ばしてきた。予想外の行動に、僕は手を振り払うことすらできない。彼の手は僕の首筋に伸びて、脈を覆うように添えられた。嫌な予感がすると同時に、喉に圧迫感を感じる。
「っ…………!」
必死に声を出そうとするが、喉から溢れたのは僅かな吐息だけだった。手を伸ばしてルチアーノの手首を掴むが、どれだけ力を入れたところでびくともしない。今度は足を動かそうとするが、逆に爪先を踏まれてしまった。一切の動きを封じられて、僕は必死に声を上げた。
「ルチっ…………はなっ…………!」
酸素を失った脳が、少しずつ動きを緩めていく。意識が朦朧として、視界の隅が暗くなっていった。このまま首を絞められていたら、確実に意識を失うだろう。そう確信した時、不意に手のひらを離された。
身体の支えを失って、僕はその場に座り込んだ。曇った脳に酸素が流れて、視界が鮮やかになっていく。上手く息が吸い込めなくて、僕は何度も咳き込んでしまった。ようやく呼吸が落ち着いてくると、僕はルチアーノを見上げた。
「急に何するの!?」
「お仕置きだよ。君は不貞を働いたんだ。これくらいの罰は必要だろう」
わざとらしく口角を上げながら、ルチアーノは淡々と言葉を発する。どれだけ言葉で説明しても、彼は納得してくれないようだった。確かに、女の子と二人で食事を摂ったのだから、疑われても仕方がない気がする。アカデミアに通うような年の子供たちは、異性と会話をしただけでも冷やかしたりするのだから。
「不貞じゃないって言ってるのに。あの子はただの友達で、それ以上でも以下でもないんだよ。それに、ルチアーノは知ってるでしょう。僕が、女の子とは付き合えないことを」
震える足で立ち上がりながら、僕はルチアーノに語りかける。危うく転びそうになったが、手は差し伸べてくれなかった。心配性な彼がスルーするなんて、相当腹を立てているらしい。内心でそんなことを考えていると、ルチアーノが口を開いた。
「そういう問題じゃ無いんだよ。相手が誰であっても、女と二人で出かけたら不貞なんだ。ましてや、アカデミアに通う連中なんか、絶対に許せないね。奴らはすぐに噂を立てて、付き合ってるだのと言い出すんだ。君が噂を立てられたら、相手を潰しちまうかもしれない」
そこに本気の響きが含まれていて、僕は思わず息を飲んだ。独占欲の強い彼は、誰よりも嫉妬深いのだ。彼が危惧していると言うことは、本当に危険が迫っているのかもしれない。無関係な他者を傷つけることになったら、僕だって後味が悪かった。
「分かったよ。もう、知らない女の子とは二人きりにならないから」
真っ直ぐにルチアーノの目を見つめると、僕は真剣な声で言う。しばらく見つめあった後に、彼は恥ずかしそうに目を逸らした。
「分かったならいいんだよ」
ようやく詰問から解放されて、僕は洗面所へと足を運ぶ。手洗いとうがいを済ませると、荷物を置いてからリビングに戻った。そこでは、すっかりいつもの調子に戻ったルチアーノが、たんたんと端末を操作している。彼の隣に腰を下ろすと、僕は抱えていた疑問を投げ掛けた。
「あのさ、ひとつ聞いてもいい?」
「なんだよ」
「あの写真、どこで手に入れたの?」
僕の言葉を聞くと、ルチアーノはにやりと口角を上げる。小さく笑い声を漏らすと、からかうような声色で答えた。
「秘密結社には、秘密のルートがあるのさ」
どうやら、写真の入手経路だけは、絶対に教えてはくれないようだった。僕も深入りするつもりはないから、これ以上は尋ねないことにする。なんと言っても、このルチアーノという男の子は、恐ろしい秘密結社のメンバーなのだ。彼が秘密にしたいと思ったことは、知らない方がいいのだろう。