エゴサーチ 音を立てながらソファに腰を下ろすと、僕は隣の席に手を伸ばした。乱雑に置いてあったリモコンを引き寄せると、テレビに向けて赤外線を飛ばす。電源を表すランプが光ると、少し遅れてから画面が点灯した。それを追いかけるかのように、機械から賑やかな音声が響き渡る。
画面に流れる映像を眺めながら、僕は音量ボタンに手を伸ばす。キッチンから流れる水の音が煩くて、テレビの音が掻き消されてしまっていたのだ。出演者の声が聞こえるようになると、今度はチャンネルをザッピングする。何度チャンネルを変えてみても、映るのはゴールデンタイムのバラエティばかりだった。
何度かチャンネルボタンを連打すると、僕は再びリモコンを置いた。画面の中に映っているのは、よくある形式のトーク番組だ。雛壇に座った芸能人たちが、テーマに対して思い思いに喋っている。よく見慣れた顔ぶればかりなのは、彼らがシティで名を馳せているプロデュエリストだからだ。
ソファの背凭れに体重を預けると、僕はぼんやりと画面を眺める。カメラに大きく切り取られているのは、つい最近プロになったばかりの男だった。司会者のインタビューに答えながら、プロの資格を取るための手段を語っている。彼によると、シティとサテライトが統合されたことによって、プロへの登竜門はこれまでよりも増えたらしい。
つらつらと語られる人間たちの言葉を、僕は興味深い思いで聞いていた。記録の書き換えひとつでどんな職にも就ける僕には、いわゆる努力という経験がないのである。生まれた時から神の意思に従い、神の力のみを振るってきた。そんな僕にとって、人間の平々凡々な人生というものは、未知の世界と言っていいほど遠いものだったのだ。
そんなことを考えているうちに、スタジオのトークは次のテーマへと切り替わっていった。雛壇の出演者たちを映していた映像が途切れると、音楽と共に画像のカットが入り込む。カラフルな背景にやけにポップな文字で書かれていたのは、『エゴサーチはする派? しない派』という文字だった。
司会者が質問を投げかけると、出演者たちは次々に返答をする。やはり、テレビに出演する程度には有名人であることもあって、多くの出演者がエゴサーチをしていた。頻度は人それぞれで、毎日調べないと気が済まない者から、参加した大会の評価のみ調べる者までいる。中には、大会の情報収集以外の目的では一切インターネットを見ない者までいた。
普段であれば触れない情報に感心していると、キッチンから足音が聞こえてきた。シンクで夕食の片付けをしていた青年が、洗い物を済ませて戻ってきたのだ。乱雑に置かれていたリモコンを手に取ると、迷うことなく僕の隣に腰を下ろす。テレビ画面に視線を向けると、彼は意外なものでも見たかのように言った。
「珍しいね。ルチアーノがこういう番組を見るなんて」
「プロデュエリストの特集らしいぜ。君がプロを目指すなら、少しは役に立つかもしれないだろ」
あまりピンと来ていない様子の彼に、僕は隣から声をかける。僕の言葉を聞いたことで、ようやく彼にも意図が伝わったようだった。感心したように僕に視線を向けると、少し弾んだ声で答える。
「そっか。プロデュエリストになったら、僕たちもテレビに出るかもしれないんだよね。ルチアーノは用意周到だなぁ」
「別に、君のためだけじゃないぜ。僕がデュエリストに擬態するためにも、人間の生の情報は役に立つだろ」
能天気に笑う青年の隣で、僕は呆れた声を上げてしまう。まさかこの男は、自分が将来テレビに出られると思っているのだろうか。念願叶ってプロになったとしても、日の目を浴びるのはたった一握りの人間だけだというのに。そんな現実も知らないとしたら、彼は本当に能天気だ。
「そっか。それもそうだね」
あからさまに呆れを見せる僕にも気づかずに、彼は淡々と返事をする。テレビの中の会話が興味深いのか、それなりに真剣な表情で画面を眺めていた。彼はデュエル専門雑誌を買っているくらいだから、出演者のプロフィールも分かっているのだろう。仮にも隣にプロデュエリストがいるというのに、他の人間ばかり追いかけているなんて、なんだか気に入らない気分になった。
視線を逸らすように画面を見ると、今度は別の男が話をしていた。彼はなかなかに強靭な精神を持っているようで、毎日のように自身への評価を調べているらしい。それも、ただ名前を打ち込むだけではなく、略称やスラングまで見ているそうだ。しかも、気になる発言を見つけた時には、わざわざ反応を残すのだという。
そんな男の話を聞いているうちに、ある疑問が浮かび上がってきた。隣に座っているこの青年は、エゴサーチというものをしたことがあるのだろうか。プロの資格こそ持っていないが、彼だって大会に出場するデュエリストだ。試合状況を中継されることもあれば、インターネットに評判をを書かれることもあるだろう。
「なあ、君も、エゴサーチをしたりするのか?」
「え? どうして?」
思い付いたままに尋ねると、彼は間抜けな顔でこちらを見た。なぜ自分がその問いを投げかけられているかなど、全く分かっていなさそうな表情である。認めたくはないが、シグナーの友人でデュエリストとなれば、シティではそこそこの有名人である。それなのに、彼の中での自己認識は、一般市民のままのようだった。
「どうしてって、君はシグナーの知り合いなんだろう。そんな立場の奴が大会に出てたら、インターネットで話題にもなるさ」
「そんなことないでしょ。シティを救ってる遊星たちと違って、僕はただのアマチュアデュエリストなんだから。そんな人の大会での振る舞いなんて、誰も見てないよ」
「どうだろうな。君はなかなかに目立つから、熱心なファンがついてるかもしれないぜ。情報発信のアカウントを作ったら、女からメッセージが来るかもしれないだろ」
「そんなことないって、ルチアーノは心配性だなぁ」
しかし、僕はどれだけ丁寧に説明しても、彼は能天気な言葉しか語らなかった。仮にも僕のタッグパートナーだというのに、目立っている自覚は無いようだ。まあ、自分が有名人だと思い込むよりは、一般市民だと思ってくれていた方がいいのだろう。そんなことを考えているうちに、キッチンからメロディが聞こえてきた。
「ほら、お風呂が沸いたよ」
僕の方へと視線を向けると、青年は軽やかな声で語る。さっきまでの会話も相まって、話を切り上げるかのようなもの言いだった。断る理由もなかったから、僕もソファから立ち上がる。ドアへと身体を向けた僕の背後で、テレビは賑やかな音を立て続けていた。
風呂上がりの身支度を済ませ、リビングで待っていた青年に声をかけると、僕は寝室へと足を向けた。音を立てながらベッドの隅に腰を下ろすと、ポケットから端末を引っ張り出す。電源を入れた画面に表示させたのは、インターネットのコミュニケーションサービスだった。もちろん、サーチ欄に青年の名前を入力して、彼への評価を検索するためである。
検索ボックスにカーソルを当てると、僕は入力デバイスに手を伸ばした。表示されているキーボードを叩くと、一文字ずつ彼の名前を打ち込んでいく。下に出てくる的外れなサジェストは、入力字数が増える度に少なくなっていった。もしかしたら、最後には彼の名前が出るのではないかと、変なところで緊張してしまう。
しかし、全ての文字を入力し終えても、彼の名前は出てこなかった。まあ、彼のデュエリストとしての経歴は少ないから、当然と言えば当然である。それなのに、いざ検索ボタンを押そうとすると、妙な緊張感に襲われてしまった。大きく息を吸って呼吸を整えると、僕は思いきって検索ボタンを押す。
さっきまで真っ白だった画面の中に、無数の投稿が映し出された。濁流のように視界を埋め尽くす情報を、上から順番に確かめていく。検索に引っ掛かっているのは、ユーザー名や投稿本文の一部だった。彼の名前はよくある姓名の組み合わせのようで、全く別人だと分かる投稿も引っ掛かっている。
もう少し情報を絞り込もうと、僕は入力デバイスに指を伸ばす。彼の名前の隣に打ち込んだのは、僕たちが出場した大会の名前だった。ここまで情報を絞り込めば、欲しい情報まで辿り着けるだろう。その目論みはおおよそ当たっていたようで、今度は青年のことだと思われる投稿が表示された。
画面に表示された文字の羅列に、上から順番に目を通していく。さすがにフルネームで呼んでいる人は少ないのか、ヒットするのは主催者の投稿ばかりだ。今度は条件を変えてみようと、名前を姓だけで入力した。
ここまでの検索を試したところで、ようやく目的の情報が表示された。大会を観戦していたギャラリーたちが、ちらほらと感想を残している。ほとんどがデュエルに関するものだったが、中には気になる書き込みも混ざっていた。
『○○○って人がかっこいい』
『○○○、がんばれ!』
『○○○って人、こんなにかっこいいなら素顔を見せればいいのに』
とんでもない書き込みを発見して、僕は大きく目を見開く。画面をスクロールしてみても、彼の容姿を褒める投稿は混ざっていた。検索条件を名前に変更してみても、やはり彼を褒める投稿が混ざっている。予想外の結果に、僕は瞬きをするしかなかった。
一通りの書き込みに目を通すと、僕は端末の画面を閉じる。捩じ込むようにポケットの奥に戻すと、腹の底からため息をついた。まさか、あのデュエルマシーンのような青年に、既に熱烈なファンがついていたとは。確かにデュエルの腕は悪くないが、それにしてもミーハーすぎるだろう。素顔がいいという理由に関しては、そもそもデュエルすら見ていなかった。
何とも言えない気持ちに襲われて、僕はベッドの上に寝転がった。胸に言い様のない感情を抱えたまま、ぼんやりと天井に視線を向ける。この不快感の原因が何であるかさえも、今の僕には分からない。気分を紛らわせるために、僕は近くに転がっていたゲーム機を手に取った。
本体の電源を押し込むと、本体に差さったままのソフトを起動する。賑やかな音声と共に映し出されたのは、単純な格闘ゲームだった。数日前に暇潰しに持ち出して、そのまま置きっぱなしになっていたらしい。わざわざソフトを変えるのも面倒だから、そのままプレイを続けることにする。
しばらくゲーム機を操作していると、廊下から足音が聞こえてきた。入浴と身支度を済ませた青年が、いつものように部屋へと戻ってきたのだ。彼は長風呂をする習慣がないのか、一時間も経たずに上がってくるのだ。僕と違って髪を乾かす必要がないことも、そのスピードに拍車をかけているのだろう。
「こっちに居たんだね。テレビはもういいの?」
ちらりとこちらに視線を向けると、彼は淡々とした声で言う。真っ直ぐにベッドの近くまで歩み寄ると、僕の隣に腰を下ろした。マットレスにかかる体重が偏って、僕の身体が大きく揺れる。不満を飲み込むように鼻を鳴らすと、視界が揺れないように体勢を整えた。
「いいんだよ。あんなの、ただの暇潰しだからな」
平静を装って答えると、僕はゲーム機に視線を戻す。確実なコンボで相手を叩きのめしながらも、意識は隣へと向かっていた。インターネットの検索結果を思い出してしまうから、彼の顔を見ることすらできない。どうやって話を切り出そうかと、思考領域の片隅で考えていた。
「……なあ、君は絶対に、エゴサーチなんかするなよ」
結局、僕が口に出せたのは、そんな単純な言葉だけだった。直球を避けようと下手に言葉を濁してしまったら、彼には伝わらないかもしれないのだ。この鈍感に鈍感を重ねたような男は、湾曲表現というものに疎いのである。不必要に恥ずかしい思いをさせられることも、片手の数では収まらないほどだった。
「え? どうして?」
そんな僕の意図には気づかずに、彼は間抜けな声で返事をする。胸の奥に抱えた感情の濁流は、彼には伝わっていないようだった。鈍い返事に安心しながらも、僕は用意していた言葉を並べる。これも半ばは本心だったが、残りの半分は虚構だった。
「そんなことをしたって、ろくな投稿がないからに決まってるだろ。そもそも、インターネットに書き込みをするようなやつは、大抵が性格の捻じ曲がった人間なんだから」
「そっか。それもそうだね」
まことしやかに言葉を並べると、彼は納得したように返事をする。全てにおいて疑いを知らない彼らしく、一切の疑念を感じない態度だった。あまりに素直なその言葉に、嘘を吐いたことが申し訳なくなる。まあ、インターネットには悪い書き込みも混ざっていたわけだから、全てが嘘というわけではないのだ。
ゲームの最終ステージをクリアすると、僕は本体の電源を落した。それを見計らったかのようなタイミングで、青年が隣に寝そべってくる。髪の間から微かに見える素顔は、並の女なら振り返る程度には整っている。この顔をミーハーな女に見られるなんて、さすがの僕でも我慢ができなかった。
「あと、君は絶対に大会で帽子を外すなよ」
「え? どうして?」
彼にいいかせるように、僕は本命の言葉を告げる。またしても彼は理解していないのか、彼は間抜けな声で返事をしてきた。しかし、今度の質問に対しては、僕は何も教える気などない。この言葉の意味に関しては、彼自身が理解しないと意味がないのだ。