着せ替えゲーム ルチアーノが部屋から出ていったことを確認すると、僕はゆっくりとソファから立ち上がった。リビングと廊下の境目から顔を出すと、息を潜めて洗面所の様子を窺う。精一杯耳を澄ませると、廊下の先からは物音が聞こえてきた。浴室の扉が閉まる音を確認すると、僕は足音を立てないように自室へと向かう。
迷うことなく押し入れの扉を開くと、隅に置かれていた棚に手を伸ばした。ポケットから鍵を引っ張り出すと、鍵のついた引き出しに差し込む。引き出しの奥深くに収まっていたのは、最近発売されたばかりの着せ替えゲームだ。丁寧にパッケージからソフトを出すと、手元に用意していたゲーム機にセットする。
電源を入れてソフトを起動すると、賑やかなタイトル画面が表示された。ボタンを押してメニュー画面を開くと、そこにはプレイヤーの分身となる主人公が現れる。僕の画面に映し出されているのは、赤い髪と緑の瞳を持つ小学生くらいの少女だった。知り合いなら誰もが分かるくらいの、ルチアーノによく似た姿である。
ボタンを操作してゲームモードを選ぶと、少女は着せ替えルームへと移動する。賑やかな画面の右半分には、入手済みの着せ替えアイテムが並べられていた。どれもこれもフリルのたくさんついたブラウスや、膝丈のワンピースのようなかわいいものばかりである。ミニスカートやヒールのついたパンプスに至っては、現実のルチアーノが絶対に着ないものだろう。
そう、僕が遊んでいるこのゲームソフトは、女の子向けの着せ替えゲームだった。自分の分身となるアバターを着せ替えして、芸能活動をするというシステムである。選べる職業も女の子の好きそうなものばかりで、アイドルやモデルや歌手などがあった。フレンド機能を使えばともだちと交流もできるようで、女の子の間ではそれなりに流行っているらしい。
しかし、そんな女の子向けのゲームを使って、僕は邪な遊び方をしていた。ルチアーノそっくりなアバターを作って、着せ替えと芸能活動をさせているのである。主要要素となる職業の選択も、現実では絶対にあり得ないアイドルだ。日々、フリフリでヒラヒラな衣装を着せては、アイドル生活を楽しんでいるのである。
指先でボタンを操作すると、僕は着せ替えパーツの一覧を確認する。ルチアーノのメンバーカラーを中心に揃えているから、持っている衣装は青色ばかりだった。左上にNewの文字が光っているのは、入手してから一度も着せていない洋服である。一番華やかなワンピースを選択すると、今度は靴とアクセサリーを選択した。
全ての着せ替えパーツを選んだら、いよいよライブパートが始まる。アイドルを選択したキャラクターのミニゲームは、ノーツに合わせてボタンを押すリズムゲームだ。タイミングを合わせてゲージを溜めると、ゲーム内の演出は豪華になっていく。一通りの流れをクリアすると、僕は画面から顔を上げた。
ゲームをスリープモードに移行すると、僕はゆっくりと廊下に出る。息を潜めて耳を澄ませると、洗面所の気配を窺った。まだ浴室が使用されているようで、微かに水の音が聞こえてくる。しばらくはルチアーノが戻って来ないことを確認すると、僕は再びゲームに手を伸ばした。
着せ替えからミニゲームまでの一連の流れを、同じ操作を繰り返して進めていく。リザルト画面が表示されると、今度はショップ機能を選択した。画面の中をずらりと並んでいるのは、現在購入できる衣装の一覧である。ランクに応じて解放される衣装もあれば、日替わりでショップに並ぶランダム要素もあった。
手早く横ボタンを連打すると、新しい衣装が解放されていないかを確認する。残念ながら、今日の日替わりランダム衣装は、既に持っているものばかりだった。このゲームもしばらく遊んでいるから、序盤で入手できるものは大方揃ってしまっているのだ。ボタンを押して画面を閉じると、ゲーム機からソフトを取り出した。
廊下から洗面所の様子を窺うと、ドライヤーの送風音が聞こえてくる。お風呂から上がったルチアーノが、洗面台で髪を乾かしているのだろう。ここまで来たら、彼がリビングに戻ってくるのは時間の問題だ。少し名残惜しいが、ゲームを押し入れに片付けると、僕は駆け足でリビングへと戻った。
緊張する心を押さえつけるように、僕はテレビのリモコンに手を伸ばす。赤外線部分を本体に向けると、つけっぱなしだったテレビをザッピングした。僕がわざわざこんなことをしているのも、ルチアーノからゲームを隠すためである。僕があんな遊び方をしていると知ったら、彼は絶対に怒るだろう。
適当な番組を選んでリモコンを置くと、廊下から足音が聞こえてきた。寝間着に身を包んだルチアーノが、廊下から室内を覗き込む。ゆっくりした足取りで僕の隣まで近づくと、何気ない仕草でテレビ画面に視線を向ける。彼がこちらに声をかけるまで、僕は首を動かすことができなかった。
「上がったぞ」
「うん。ありがとう」
平静を装って返事を返すと、僕はソファから立ち上がる。真っ直ぐに部屋を出て自室へと向かうと、クローゼットから着替えを取り出した。もと来た道を引き返すと、今度は洗面所へと歩を進めた。扉を閉めて空間を遮断すると、僕は大きく息を吐き出す。
さすがに、洗面所の中まで入ってしまえば、ルチアーノも追いかけてはこないだろう。身体を満たしていた緊張がとけて、僕は肩から力を抜く。どうやら、彼の反応を見ている限り、僕のゲームデータは見つかっていないようだ。とは言え、まだ油断はできないから、急いでお風呂に入ることにする。
洗濯機の上に着替えを置くと、僕は一枚ずつ服を脱いだ。シャワーで軽く身体を流すと、湯船の中に身体を押し込む。勢いで水面が大きく揺れて、浴用からお湯が溢れていく。ザバザバと響く水の音を聞きながらも、僕の頭はゲームのことだけを考えていた。
ある程度身体が温まると、重い腰を上げて湯船から這い出る。手早く髪と身体を洗うと、そのまま浴室の外へと出た。ルチアーノの様子が気になって、ゆっくり湯船に浸かっている余裕がなかったのだ。急いで身体を拭いて寝間着を纏うと、足音を潜めてリビングへと向かう。
室内に入る前に足を止めると、こっそりと中の様子を窺った。賑やかな音が聞こえてくるのは、テレビがつけっぱなしになっているからだろう。頭を覗かせて中へ視線を向けると、ソファに座る男の子の姿が見えた。普段と変わりがないことを確認すると、改めて部屋の中に入る。
「今日は、こっちにいたんだね」
彼のすぐ隣まで歩み寄ると、僕はさりげない態度で声をかける。真っ直ぐにテレビに視線を向けていたルチアーノが、ちらりとこちらに視線を向けた。一瞬だけ目と目が合うと、すぐにテレビへと視線を戻す。僕が隣の席に腰を下ろすと、彼は投げやりな声で言った。
「今日は、随分早かったな」
鋭い言葉を投げかけられて、僕の心臓はどきりと音を立てる。僕の浅はかな企みなど、ルチアーノには既にお見通しなのではないかと思ったのだ。探るように視線を向けてみるが、彼の横顔は何も語らない。さりげなく視線を前に戻すと、僕は平静を装って答える。
「ちょっと、気になることがあって」
再び様子を窺ってみるが、彼は何も答えなかった。視界の隅で覗き見た横顔も、テレビの方へと向けられたままだ。意識がこちらに向いてないことに安心して、僕は内心で息をつく。しかし、そんな僕の姿を見計らったかのように、彼はよく通る声で呟いた。
「ふーん。それは、これのことか?」
「えっ?」
意味深長な物言いにびっくりして、僕は隣へと視線を向ける。勿体つけるように時間を開けると、ルチアーノはこちらに身体を向けた。にやにやと不敵な笑いを浮かべると、手に持っていたものをこちらへと差し出す。そこに握りしめられていたのは、僕が隠していたはずのゲームソフトだった。
「えっ……!?」
状況が理解できなくて、僕は大きく声を上げる。どうして、今このタイミングで、このゲームソフトが出てくるのだろう。一瞬だけ思考を巡らせた後に、すぐにその理由に思い至った。ルチアーノは始めから、僕が隠し事をしていることに気づいていたのだ。
「君は忘れてるかもしれないけどね、僕には、ターゲットの動向を追跡するシステムが搭載されてるんだ。君がいくら隠したつもりになってても、僕には全部筒抜けだぜ」
にやにやと嫌らしい笑みを浮かべながら、ルチアーノは僕にソフトを突きつける。カラフルに飾られたパッケージには、かわいらしい女の子のイラストが印刷されていた。端から見ていればかわいらしいだけのゲームだが、今の僕には恐ろしい代物にしか思えない。このゲームのデータには、ルチアーノそっくりの女の子が保存されているのだ。
「で、これはどういうつもりだったんだよ。弁明するなら今のうちだぜ」
「弁明の余地もございません…………」
恐ろしい威圧感で迫られて、僕はしぶしぶ言葉を返す。ここで下手に言い返してしまったら、後でどんな目に遭うか分からないのだ。うっかり機嫌を損ねるようなことを言ったら、それこそお仕置きコースである。だったら、今のうちに認めてしまった方がいいと思った。
「そうかよ。君は、自分の趣味でこんなものを作ってたんだな」
勝ち誇った声色で言葉を並べると、彼は片手を宙に向ける。光の中から浮かび上がってきたのは、ソフトを起動するためのゲーム機だった。乱雑な仕草で本体を掴み取ると、取り出したソフトを押し込んでいく。ボタンを押して電源を入れると、流れるような手付きでソフトを起動した。
画面の中に映し出されたのは、見慣れたオープニング画面である。ボタンを押してメニュー画面を開くと、そこには見慣れたアバターが表示された。流れるような赤毛と緑の瞳を持つ、ルチアーノによく似た子供の姿だ。違うところを上げるとすれば、その子がフリルのワンピースを着た女の子であることだけだった。
「それにしても、とんでもない趣味をしてるよな。わざわざ恋人を女にして、こんな衣装を着せるなんてさ」
画面の中の女の子を突き付けながら、ルチアーノは鋭い声で言葉を重ねる。ここまで問い詰められてしまったら、おとなしく聞き入れるしかなかった。勝手に自分の容姿を使われているのだから、不満を感じるのも当然である。とはいえ、いくら僕が悪いと言っても、一方的に言われ続けるのは納得がいかなかった。
「だって、ルチアーノに似合うと思ったから……」
彼の言葉が切れた隙を狙うと、僕は割り込むように声を発する。しかし、僕の発言を聞いたことで、ルチアーノは余計に気を悪くしたみたいだ。不満そうに眉を吊り上げると、鋭い瞳でこちらを睨み付ける。再び威圧感に気圧されていると、彼はようやく口を開いた。
「だってじゃないだろ。わざわざ女を着せ替えするなんて、僕に不満があるって言うのか? 本当は女が好きだって言うなら、無理して僕と付き合う必要もないんだぜ?」
「違うよ! アバターを女の子にしてるのは、女の子しか選べないからなんだ。本当だったら、男の子に着せ替えしたいんだよ!」
予想外の反応にびっくりして、僕はついつい声を荒らげてしまう。その勢いに驚いたのか、ルチアーノは微かに頬を染めた。こちらを向いていることに抵抗を感じたのか、迷うように視線を前へと逸らす。急な態度の変化に驚いていると、彼は小さな声で言った。
「やっぱり、そういうことに使ってたのか?」
「え?」
飛んできた言葉の意味が分からなくて、僕は間抜けな声を上げてしまう。視線を逸らしたままのルチアーノが、苛立たしげに鼻を鳴らした。とはいえ、機嫌を損ねられたとしても、分からないものは分からないのだ。僕が間抜けな顔を晒し続けていると、彼は尖った声で言葉を重ねる。
「だから、いかがわしいことに使ってたのかって話だよ。男ってやつは、こういうのをいかがわしい目で見てるんだろ?」
彼の言葉を聞いて、僕はようやくその意味を理解する。ルチアーノは、僕が着せ替えアバターをそういう意図で育てていると認識したようなのだ。しかし、彼のその認識は、全くの誤解でしかなかった。
「違うよ! さすがに、そんなことに使ったりはしないって! 僕がルチアーノを着せ替えしてるのは、ルチアーノにかわいい服を着てほしいからだよ」
「嘘をつくなよ。君のことだから、いつもいかがわしいことばかり考えてるんだろ? 誤魔化しても、僕はお見通しだからな」
「違うって! だって、そういうことがしたかったら、ルチアーノに直接お願いしてるでしょ」
重ねられる追及から逃れようと、僕は再び声を荒らげる。それが言い終わるか終わらないかのうちに、ルチアーノはぴたりと動きを止めた。僕の目の前に晒された横顔が、みるみる赤く染まっていく。気を取り直したようにこちらを向くと、彼は大きな声で宣言した。
「とにかく! このソフトは没収するからな!」
空中に光を発生させると、彼はその中にゲーム機を押し込む。賑やかな音を奏でていたゲーム機が、フェードアウトするように光の中に消えていった。粒子の残骸が消え去った後には、沈黙する僕たちだけが取り残される。つけっぱなしにされていたテレビの音だけが、やけにうるさく僕の耳に響いた。
「ちょっと、それは僕のゲームだよ。勝手に持っていかないでよ!」
必死の思いで反論の言葉を告げるが、彼は聞く耳を持たなかった。見せつけるように鼻を鳴らすと、ソファの上から立ち上がる。真っ直ぐな足取りでリビングから出ると、そのまま廊下の奥へと消えてしまった。
何も見えなくなった廊下の奥を、僕は呆然と見つめ続ける。彼が機嫌を直してくれるまで、着せ替えゲームはお預けになりそうだった。