あたまなでなで 手に持っていたカードを机に置くと、僕は携帯端末に手を伸ばした。ボタンを押して電源を入れると、インターネットのブラウザを起動する。画面に検索ウィンドウが表示されると、目的の単語を打ち込んでいった。情報を元にストレージのカードを引っ張り出すと、再びブラウザを立ち上げる。
ブラウザのロゴが表示されると、意味もなく画面をスクロールする。モニターに表示されているのは、閲覧履歴を基準にしたおすすめ記事だった。過去に見たサイトの関連記事を表示してくれるから、上手く使えば情報収集に役立つのである。中には、普段は見ないような記事がおすすめされることもあって、ついつい読み込んでしまうこともあった。
そんなこんなで、この日のインターネット検索でも、僕はブラウザのおすすめ記事を見ていた。僕が調べるのはデュエルモンスターズのことばかりだから、記事もデッキ構築や大会に関するものばかりである。タイトルを読み飛ばしながらスクロールしてみるが、あまり心の惹かれるものは見つからない。そんな中で、ある記事のサムネイル画像だけが、唐突に僕の視界に入り込んできた。
すぐには記事のタイトルが理解できなくて、僕はその画像とにらめっこする。そこに表示されていたのは、どう見ても動画サイトの切り抜きだったのだ。しかも、それはメジャーなサイトではなく、若者に人気な新しいツールだ。僕へのおすすめ記事として出てくるには、あまりにもアクティブすぎる内容だった。
いったい、僕の端末のインターネットシステムは、どのような記事をおすすめしようとしているのだろうか。どうしても内容が気になってしまって、僕は記事のリンクを開いた。記事が投稿されているサイトの名前も、これまでに一度も見たことがない。慣れないレイアウトに戸惑いながらも、記事の概要に目を通した。
端的に内容をまとめると、記事がまとめているのは動画投稿サイトの流行りのニュースだった。しかし、ただのニュースと違うのは、それがカップル動画を投稿するアカウントを中心としたものだったところである。トップページに載せられていた画像は、そのブームが起こるきっかけとなる動画らしい。過去にカップル向け商品を検索していたから、この手の動画がおすすめに出てきたのだろう。
現在サイトで流行っているのは、あたまなでなでチャレンジというものらしかった。カップルの女の子の方が、男の子の頭を撫でるという簡単なゲームである。頭ひとつ分は大きい相手を撫でようと、女の子が精一杯背伸びをする姿がかわいらしいと評判らしい。大抵は視聴者に見せるための演技じみたものばかりだが、中にはドッキリで撮影したものも紛れていた。
記事の終わりに添付された写真を眺めながら、僕はぼんやりと考える。ルチアーノがあたまなでなでチャレンジをしたら、ものすごくかわいくなるのではないだろうか。飛び抜けて小柄な彼のことだから、身長差では他のカップルよりも上だろう。もしかしたら、ルチアーノが僕の頭を撫でようと、必死に腕を伸ばす姿が見られるかもしれない。
一度そんなことを考えてしまうと、僕の思考は止められなくなってしまった。彼が必死で手を伸ばす姿を、どうしてもこの目で見たくなってしまったのだ。しかし、誰よりもプライドが高いルチアーノが、そう簡単に誘いに応じてくれるだろうか。下手なことを言ったら、機嫌を損ねて一切口を聞いてくれなくなるかもしれない。
端末の電源を落とすと、僕は椅子から立ち上がった。調整したデッキをケースにしまうと、ストレージのカードを押し入れにしまう。カードの片付けが終わると、今度は後回しにしていた家事に取りかかった。早めに用意をしておかないと、ルチアーノが家に帰ってきてしまうのだ。
そうこうしている間に、ルチアーノが僕の家へと帰ってきた。空間を転移してリビングに降り立つと、挨拶を交わしてからソファに座る。食事の後片付けを済ませると、僕は彼の隣へと向かった。
「ねえ、ルチアーノ。あたまなでなでチャレンジって知ってる?」
ソファの座面に腰を下ろすと、僕はストレートに言葉を切り出す。結局、いくら思考を巡らせたとしても、大した案が思い浮かばなかったのだ。下手に繕って不興を買うくらいなら、直球で勝負した方がいい。彼の方も動画サイトの流行りは知らなかったようで、素直に問いを返してきた。
「はあ? あたまなでなでチャレンジ? なんだよ、それ」
「身長に差があるカップルの小さい方が、大きい方の頭を撫でるチャレンジなんだって。面白そうだから、僕たちもやってみようよ」
企画の内容を伝えるついでに、僕はルチアーノに挑戦を促す。しかし、聡明で誰よりも大人びた彼が、簡単に話に乗ってくるはずがなかった。真っ直ぐに僕の顔を見上げると、訝しむように表情を歪める。僕が胸の鼓動を押さえつけていると、彼は不審そうな声色で言った。
「どうして、僕がそんなことをしなければならないんだよ。そういう茶番は、世間のカップルがやるもんだろ」
正面から否定の言葉を告げられて、僕は返事に詰まってしまう。分かりきっていたことではあるけれど、彼が茶番に応じてくれるはずがないのだ。なんとかしてここで説得しないと、僕の望みは叶えられないだろう。必死に思考を巡らせると、思い付いた言葉を並べていった。
「そうかもしれないけど、僕たちだってカップルであることには変わりないしょ。あんまりカップルらしいことをしてないし、たまにはこういう遊びをしてもいいと思うな」
「何を言ってるんだよ。僕たちはカップルである前に、大会のためのタッグパートナーだろ。僕は、恋人らしくイチャイチャするために、君とタッグパートナーになったわけじゃないんだぞ」
しかし、どれだけ言葉を並べても、ルチアーノは頑なに拒否を繰り返した。こうなってしまえば、真正面からのお願いを繰り返すだけでは、チャレンジに応じてはくれないだろう。何か、彼の競争心を促すような、効果的な言葉はないのだろうか。そこまで考えを巡らせて、僕はあることを思い付いた。
「もしかして、自信がないの?」
真っ直ぐにルチアーノを見つめると、僕ははっきりとした声で言う。怪訝そうに眉を歪めていたルチアーノが、反射的に眉を吊り上げた。僕に顔を近づけると、今にも掴みかかってきそうな態度で言う。
「はあ? どういうことだよ」
「言葉通りの意味だよ。ルチアーノは、頭を撫でることに自信がないんでしょ。手を伸ばしても届かないと思ってるから、必死になって逃げようとしてるんだよね」
ルチアーノの威圧に負けないように、僕は必死に虚勢を張る。ここまで自尊心を刺激する言葉を並べれば、彼は確実に乗ってくるはずだった。自身の優秀さに誇りを持っている彼が、能力を否定されて黙っているはずがない。そして、僕のその目論見は、大方正解だったようだった。
「そんなわけないだろ! ……分かったよ。君がそこまで言うんなら、あたまなでなでとやらをやってやる」
鋭い瞳で僕を睨み付けると、ルチアーノは勢いよく言葉を吐いた。ソファの座面から立ち上がると、くるりとこちらを振り返る。突き刺さる視線に威圧を感じて、僕も慌てて腰を上げる。すぐ近くまでにじりよると、彼は不満そうに言葉を並べた。
「とにかく、頭を撫でればいいんだろ。そんなの、普通にやれば楽勝じゃないか」
最後まで言い終わらないうちに、彼は僕の頭に手を伸ばす。彼の細くて長い腕が、僕の目の前へと迫ってきた。なんとかして頭を撫でようと、彼は手のひらを左右させる。しかし、それは僕の髪を何度かなぞっただけで、頭頂部に触れることはできなかった。
「おい、動くなよ」
「動いてないよ」
届かないことに痺れを切らしたのか、ルチアーノは鋭い声で言う。しかし、彼のその発言は、盛大な言いがかりでしかなかった。彼が頭を撫でようとしている間は、僕は一度も身体を動かしていないのである。それはルチアーノも分かっているのか、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
結局、一度も頭頂部に指が触れないまま、彼のチャレンジは終了となった。キッチンに取り付けられている給湯器が、お風呂のお湯張りを知らせるメロディを流したのである。その音が終わったのを合図に、ルチアーノは僕の前から腕を下ろす。シャツの首元を掴むと、顔を近づけながら捨て台詞を吐いた。
「ちょっとは屈めよ!」
理不尽な言葉にびっくりして、僕は動きを止めてしまう。呆然とする僕の姿を一瞥すると、ルチアーノはリビングから出ていった。結局、僕の下らないチャレンジは、彼の機嫌を損ねただけだったらしい。下手に欲を出したことを、僕は少しだけ後悔した。