怪我 とことこと鳴る足音と共に、遊矢が僕の部屋に入ってきた。髪に水を滴らせながら、タオルを片手に僕の前へと歩いてくる。身体は寝間着に包まれていて、両目は少し眠そうだった。ベッドに腰かける僕に視線を向けると、まだ少しだけぎこちない声で告げる。
「上がったよ」
僕は手に持っていた雑誌を置いた。今月発売のデュエル雑誌である。この号には、少しだけ遊矢の記事が載っているのだ。雑誌の表紙を見ると、彼は恥ずかしそうに問いかけた。
「それ、読んだの?」
「遊矢の載ってるところは読んだよ。「赤馬零児が認めた現役中学生デュエリスト』なんて、すごくかっこいい響きだよね」
「あんまり茶化すなよ。恥ずかしいだろ」
「茶化してないよ。誉めてるんだ」
答えると、遊矢は僕の隣へと腰を下ろした。その仕草に、少しだけ違和感を感じる。具体的には言えないが、身体の動かし方がいつもと違うように感じた。
「ねぇ、遊矢」
声をかけると、彼は不思議そうに僕を見上げた。光を反射する赤い瞳が、真っ直ぐに僕へと向けられる。いつもと変わらない態度だった。
「なに?」
答える声もいつも通りで、少し気圧されてしまう。もしかしたら、僕の思い過ごしかもしれない。自信を失いながらも、思いきって尋ねてみた。
「何か、僕に隠してたりしない?」
遊矢は一瞬だけ考えるような顔をした。すぐに、はっとした表情を浮かべて足元を見る。左足をベッドの上に乗せると、寝間着の裾を捲った。
「もしかして、これのこと?」
そこには、包帯が巻き付けられていた。足首からふくらはぎまでを覆っているが、頓着が無いのか、所々がほつれたり崩れている。動かすと痛むようで、足を上げる仕草はぎこちないものになっていた。
「遊矢、怪我したの!? 大丈夫!?」
驚きで、思ったよりも大きな声が出てしまう。さっき感じた違和感の正体は、足を庇う仕草だったのだ。包帯を巻くくらいの怪我だから、相当範囲が広いのだろう。心配になる姿だった。
心配する僕をよそに、遊矢はけろっとした語調で言葉を返す。怪我くらい日常茶飯事と言わんばかりの、慣れきった態度だった。
「心配いらないよ。これくらいの怪我なら、大したことないから」
「そんなことないでしょ。傷口を見せてよ。手当てするから」
僕は無理矢理に包帯を剥がしていく。大丈夫だと言いながらも、彼は抵抗しなかった。僕が、こうなったら引かないということを知っているのだろう。おとなしく傷口を晒してくれる。
そこにあった傷は、僕が想像していたよりも深かった。ふくらはぎを裂くように、十センチほどの裂傷が走っている。血は止まっているが、傷は皮膚の下まで達しているようで、奥には赤い肉が姿を覗かせていた。込み上げてくる吐き気を堪えながら、僕はその傷口に向き合った。
「大怪我じゃん。手当てするから、そこで待ってて」
一言だけ言うと、駆け足で救急箱を取りに行く。アクションデュエルには怪我が付き物だから、僕の家には手当て用の道具が常備されているのだ。消毒液やガーゼを取り出すと、グロテスクな断面に視線を向けた。
傷口の手当ては慣れっこだ。ハートランドのレジスタンスに滞在したときに、僕も負傷者の手当てを手伝ったのだ。傷口の種類と応急処置の仕方は、衛生兵の仲間から学んでいた。
「こんな傷、いつの間に作ったの? 教えてくれないとダメでしょ」
手を動かしながら、僕は遊矢に語りかける。ガーゼを押し当てると、丁寧に包帯を巻き付ける。
「デュエルの練習の時に、ちょっと引っ掻けて……」
彼は、申し訳なさそうな声で答えた。心配している僕を見て、反省はしてくれているようだ。それはいいことなのだが、僕の気持ちは収まらなかった。
「全然ちょっとじゃないよ。こんなに深い傷を作って、病院には行ったの?」
「そこまでしなくていいよ。手当てなんてしなくても、明日には治るから」
彼は言う。予想もしなかった言葉に、僕は顔を上げた。遊矢の顔を見つめると、気の抜けた声で言う。
「え?」
「そのままの意味だよ。これくらいの傷なら、一日経てば治るんだ。今までだって、何もしなくても治ったから」
言いづらそうな声色で、彼は言う。言葉の意味が飲み込めなくて、ぽかんとした顔をしてしまった。
「どう言うこと? 明日には治るって?」
「オレは、治癒力が高いんだ。……たぶん、人間じゃないから」
僕は、何も言えなかった。黙ったまま下を向くと、手元の包帯を巻き付ける。
結局、僕には彼にかける言葉が見つけられなかった。救急箱の蓋を閉じると、誤魔化すように言葉を吐く。
「とにかく、明日になったら、また傷口を見せてね。手当てするから」
「分かったよ」
遊矢は答えた。その声色は、どこか寂しそうだった。
翌日の夕方、遊矢は僕の元を訪れた。玄関を通り、リビングにいる僕を見つけると、開口早々こう告げる。
「傷口を見せろって言われたから、見せに来たよ」
彼は、下を寝間着に履き替えた。椅子に座ると、左足に巻かれていた包帯をほどいていく。さらさらと音を立てて、生身の肌が晒された。その下にあったものを見て、僕は言葉を失ってしまう。
「ほら、治ってるだろ」
遊矢の言葉が、静かな部屋に響き渡る。僕は、まじまじと彼の左足を見つめた。
そこにあったはずの傷口は、綺麗さっぱり無くなっていた。癒着した時に僅かに隆起した白い肉だけが、そこにあった裂け目の存在を物語っている。常識では考えられない、驚異的な治癒力だった。
「すごい。綺麗に治ってる……」
僕は呟く。それ以外に、言葉なんて出てこなかった。呆然と傷跡を眺めながら、彼にかける言葉を探す。
「だから、心配いらないんだよ。オレは人間じゃない。オレは、悪魔の生まれ変わりだから」
遊矢の言葉に、きっと他意など無いのだろう。でも、僕にとって、その言葉はあまりにも重かった。彼は人間ではないのだ。事件が解決し、遺業としての姿を失っても、彼の身体機能は人間から外れ続ける。彼は、一生人の身には戻れないのだ。
「ごめん。嫌なこと言わせちゃったね」
僕が謝ると、彼は慌てたように手を振った。少しだけ俯くと、困ったような顔で言葉を続ける。
「違う、そういう意味じゃないんだ」
「分かってるよ。安心して」
彼は、一生人の身には戻れない。それが、彼の宿命であり、背負っていく前世の罪なのだ。彼が望んでいなくても、その傷跡はそう物語っていた。