お互いを罵倒しないと出られない部屋 目を覚ますと、そこは真っ白な部屋だった。辺り一面は白い壁に囲まれ、正面にはテレビほどの大きさのモニターがついている。簡易的なものなのか、部屋には家具というものが一切無い。固い床に寝かされて、僕の身体は強ばっていた。
隣からごそごそと衣擦れの音が聞こえた。視線を向けると、ルチアーノがゆっくりと身体を起こしている。部家の中を見渡して、呆れたように声を上げた。
「また、この部屋かよ。今度はなんだ?」
すっかり慣れきってしまっていた。誰がやっているのかは知らないが、僕たちは何度もこのような部屋に閉じ込められている。今さら驚くこともなかった。
彼の声に答えるように、モニターが文字列が表示される。そこには、このようなことが書かれていた。
『お互いを罵倒しなければ出られない部屋』
ルチアーノは黙って画面を見つめる。眉を大きく歪めると、呆れたような声で僕に言った。
「また、奇妙なお題だな。君の差し金なのかい?」
「違うよ」
慌てて否定してから、もう一度目の前の画面を眺める。確かに、奇妙なお題だ。誰が考えているのだろう。
「じゃあ、さっさと脱出するぞ。君から僕を罵倒しろ」
「えっ?」
急にぶつけられる無理難題に、僕は頓狂な声を上げてしまった。彼といると、こういう声ばかり上げてしまう。観測者にバカなやつだと思われてないだろうか。
「当たり前だろ。君は罵倒が下手なんだから」
「ちょっと待ってよ。どういう理屈なの?」
「理屈いいから、とっととやれよ」
よく分からなかったが、こうなったら従うしかない。ここまで言うのだから、先にやりたくない理由があるのだろう。彼の方が罵倒が上手いからだろうか。
「分かったよ。……えっと、『ルチアーノの馬鹿』」
「子供かよ」
思いきって言うと、間髪入れずにツッコミが飛んでくる。本気の罵倒をすると怒るくせに。僕の好意をなんだと思っているのだろう。
「ほら、僕は罵倒したよ。今度はルチアーノの番だ」
無理矢理バトンを渡すと、彼はにやりと笑みを浮かべた。自信満々な顔を見せると、胸を張りながら宣言する。
「君は罵倒が下手だからな。僕が見本を見せてやる」
その言葉を聞いて、僕はようやく彼の意図を理解した。彼は、お手本ごっこがしたかったのだ。こんな状況すら娯楽にしてしまうなんて、危機感のない子だ。
「いいかい、ちゃんと聞いてろよ」
呆れる僕をよそに、彼は言葉を続けた。大きく息を吸うと、はっきりした声で言葉を発する。
「『お見通しなんだよ!』『これでお仕舞いにしてやるよ』『邪魔なんだよ!』『間抜けなやつめ!』『だからお前はダメなんだよ!』…………」
すごい迫力だった。彼の対戦相手は、いつも此のようなことを言われているのだろう。本心じゃないと分かっていても、心が抉られるような言葉の数々だ。龍亞が彼を嫌う理由が少し分かったような気がした。
「おい、何泣いてんだよ」
目の前から、ルチアーノの慌てたような声が聞こえた。頬に手を当てると、熱い水が垂れている。彼の罵倒を浴びせられて、僕の瞳は涙を流していたのだ。
「ごめん。迫力がすごかったから……」
「泣かれたら、僕が悪いみたいじゃないか。本気で思ってるわけじゃないんだから、安心しろよ」
「分かってるよ」
答えながら、僕はモニターに視線を向けた。電源の落とされたモニターは何も映していない。罵倒し合ったにも関わらず、条件を満たせていないようだった。
「開かないな」
ルチアーノが呟く。視線を向けると、彼はじっとりした目で僕を見ていた。
「やっぱり、僕だよね」
冷たい視線を感じながら、僕は呟く。ルチアーノは罵倒のプロなのだ。これくらいの条件くらい、簡単に満たせるはずである。となれば、原因は僕としか思えなかった。
「馬鹿、だけじゃダメみたいだな。もっと何か言えよ」
「そんなこと言われても……」
僕は困ってしまった。急に振られても、僕は罵倒なんてしたことがないのだ。必死に頭を捻らせながら、彼に投げ掛ける言葉を探す。
「じゃあ、いくよ。…………ルチアーノの馬鹿! ドS! 意地っ張り! 万年友達ゼロ!」
必死の思いで絞り出すと、彼は急に雰囲気を変えた。さっきよりもさらに冷たい視線を向けると、いつもからは考えられない重低音で言う。
「最後のは余計だろ」
「えっ……?」
どうやら、友達のことは地雷だったらしい。あまり詳しく聞いたことはなかったが、彼なりに気にしていたのかもしれない。
そんなことをしていると、画面が点灯した。白い背景の中に、『stage clear』の文字が浮かび上がる。ガチャリと音がして、背後で扉の鍵が開いた。
「開いたよ」
話を反らすように、僕は扉の方を示した。ルチアーノの冷たい視線を感じながら、扉の向こうへと歩く。外は、真っ白な廊下に繋がっていた。微妙な顔をしながらも、彼は素直に後ろを付いて来てくれる。
「君は、あんなことを思ってたのか?」
僕の隣を歩きながら、ルチアーノが拗ねたように言う。そんなに気にしていたなんて、予想もしていなかった。
「本心じゃないよ。それに、ルチアーノは友達なんていらないんでしょ。だったら気にしなくていいじゃん」
「『友達がいらない』のと『友達がいない』のは、全く別のことだろ。そんなことも分からないのかよ」
拗ねたような声でルチアーノは言う。なんとか繕わなければ、不機嫌になってしまうだろう。頭を巡らせると、必死になって言葉を探した。
「僕は、ルチアーノに友達がいなくてよかったと思ってるよ。僕が独り占めできるから」
そう言うと、彼はようやく顔を上げた。にやにやと笑みを浮かべながら、僕に視線を向けている。
「ふーん。君もなかなかに独占欲があるんだな」
嬉しそうな声を聞いて、僕はようやく胸を撫で下ろす。なんとか機嫌は取れたようだ。これなら、後のことも怖くないだろう。
長い廊下を抜けると、その先は外に続いている。光を目指すように、僕たちは先へと歩を進めた。