勤労感謝の日 目を覚ますと、日が高く昇っていた。ゆっくりと布団から這い出して、枕元の時計を見る。時刻は、午前十時を指していた。
当たり前だが、隣にルチアーノの姿はない。とっくに目を覚まして、リビングに移動しているのだろう。いつもなら僕を叩き起こすのに、今日は起こしてくれなかったみたいだ。
顔を洗うと、服を着替えてリビングに向かった。扉を開けると、暖かい空気が流れ出してくる。彼は温度調節を必要としないから、これは僕のためなのだろう。いつもの彼は、こんな気遣いなんてしてくれない。雨でも降るのではないかと思った。
肝心のルチアーノは、リビングのソファに座っていた。コントローラーを握りしめて、ゲーム画面を睨み付けている。しばらくすると、彼はコントローラーを置いてこっちを向いた。
「ああ、起きたのかい?」
にやりと笑みを浮かべると、からかうような声で言う。そんな彼を横目で眺めながら、僕はキッチンへと向かった。
グラノーラをボウルに流し込むと、牛乳を注いでからテーブルに運ぶ。僕が席につくと、ルチアーノも向かい側に腰を下ろした。ついてくるということは、何か言いたいことがあるのだろう。
「起こさなくてよかったの? いつもなら、任務があるからって言って起こしてくるでしょ」
尋ねると、彼はにやりと笑った。何かを企むような笑みを浮かべると、見せつけるように足を組んだ。
「今日くらいは寝かせてやろうと思ってな。君にだって、休みは必要なんだろう?」
「そうだけど」
なんか、裏のありそうな発言だ。普段の彼であれば、そんな気を使うようなことはしない。……いや、全く無いわけではないのだけど、そういうときは大抵裏があるのだ。
「珍しいね。ルチアーノが休みをくれるなんて」
そう言うと、彼は不満そうに頬を膨らました。僕を睨み付けると、尖った声で言う。
「なんだよ。そんな言い方をしたら、僕が部下に休みを与えない上司みたいじゃないか」
その通りだと思うのだけど、口には出さないでおく。彼は、機嫌を損ねると何を言い出すか分からないのだ。せっかくのお休みを、そんなことで潰してしまいたくはない。
「言っておくけど、僕は公正な上司なんだ。勤労感謝の日に部下を働かせるなんてことはしないのさ」
彼の言葉を聞いて、ようやく僕は思い出した。そういえば、今日は国民の祝日だった気がする。僕には縁がないから、すっかり忘れていた。
「そういえば、そうだったね」
そう言うと、彼は拍子抜けしたような顔をした。まじまじと僕の顔を見ると、呆れ声で言う。
「もしかして、忘れてたのか?」
「すっかり忘れてたよ。学校に通ってないと、平日も祝日も同じだから」
「ふーん。……まあ、そういうことだから、今日は一日オフにしてやるよ。やりたいことが山ほどあるんだろ。今のうちに片付けな」
それだけ言い残すと、彼はゲーム機の前に戻っていった。僕の反応が乏しくて、興味を失ってしまったのだろう。
グラノーラを食べ終わると、僕はぼんやりとテレビ画面を見つめた。ルチアーノが遊んでいるのは、定番のアクションゲームだった。子供の頃に僕が遊んでいたゲームだけど、彼は難易度の高いモードを選んでいた。
画面を眺めながら、僕は頭を巡らせる。急にオフにしていいと言われても、何をしていいのか分からなかったのだ。彼は強引な性格をしているが、僕にとって必要なことをする時間はそれなりに取ってくれている。改めてやりたいこともなかった。
僕が椅子に座っていると、ルチアーノはコントローラーを置いた。くるりとこちらを振り向いて、不満そうな声を漏らす。
「なんだよ。せっかくの休みなんだから、ボーッとしてたらもったいないぜ」
彼の言う通りだ。せっかく休みをもらったのに、何もしなかったらもったいない。そうは分かっているのに、何も思い付かなかった。
「そうなんだけど、改めて言われると、何をしていいか分からなくて」
素直に答えると、彼は呆れたように笑った。
「変なやつ。いつもは休みがほしいって言ってる癖にさ」
畳み掛けるように言われ、僕は何も言えなくなってしまう。ルチアーノは本当にいい上司なのかもしれない。性格はともかく、仕事と生活の維持に対してはすごく公平なのだ。
そんなことを考えていると、彼は再び口を開いた。
「どうしても思い付かないなら、僕の相手をさせてやってもいいぜ。勤労感謝の日ってのは、そういう日なんだろ?」
「え?」
間抜けな声を上げると、彼はにやにやしながら僕を見上げた。ちらっと舌を出すと、からかうような声色で言う。
「勤労感謝の日ってのは、働かせてもらえることに感謝する日なんだろ。だったら、僕を労ってくれてもいいんだぜ」
予想外の発言に、僕は間抜けな顔を晒してしまった。口を大きく開けて、まじまじとルチアーノを見つめてしまう。
「なんだよ。違うのか」
「全然違うよ!」
勤労感謝の日というのは、働く人々全てを労う日である。働かせてもらえることに感謝するなんて、ブラック企業の社訓みたいな思想の日ではない。それを伝えると、彼は退屈そうにテレビへと視線を戻した。
「なんだよ。つまんねーの」
ルチアーノは、やっぱりブラック上司なのかもしれない。そうも思ったが、僕にとってはどっちでもいいことだった。