スナップ 微睡みの中で、閉じた視界が前後に揺れた。彷徨っていた意識が引き戻され、身体の感覚が現実へと戻り始める。視界が白く眩しいのは、日が高くまで昇っているからだろう。頬に触れるさらさらとした感触は、あまりよく分からなかった。
僕はゆっくりと目を開けた。ふわついた意識の中で、目の前に陣取る男の子に視界を向ける。彼は赤い髪を後ろに垂らしながら、お腹の上に座って僕の顔を見下ろしている。僕は朝が弱いから、この光景もお約束になっていた。
いつものようにルチアーノの姿を見て、小さな違和感に気がついた。閉じかけた瞳を大きく開けて、寝ぼけた頭で思考を巡らせる。顔を真っ直ぐに捉えて、ようやく違和感の正体が分かった。
「おはよう。どうしたの、その格好」
ルチアーノは、女の子の衣服に身を包んでいたのだ。髪はハーフツインに結われ、フリルで彩られた青いワンピースに身を包んでいる。いつも片目を隠している仮面は取り外されていて、宝石のような瞳が朝日を跳ね返していた。
「どうって、ただの変装だろ。寝ぼけて忘れたのか?」
僕の質問を聞いて、ルチアーノ呆れた声を出す。メイクを施した顔を歪めると、意地悪な笑みを浮かべた。
「そうじゃなくて、どうして変装してるのかなって思ったから」
ルチアーノが変装をしていること自体は、そう珍しいことではない。WRGPが近づいてからは、正体を隠すために変装をすることがあったのだ。彼曰く、精霊の力を借りているデュエリストには、イリアステルの力が効かないのだと言う。いつものようなホログラムを利用した変装では、敵に見破られてしまうかもしれないのだ。
しかし、今日は心当たりがなかった。大会関係者のリサーチもしなければ、参加者の集まりそうな場所に向かう予定もない。彼がどうして変装をしてるのか、少しも分からなかった。
僕の答えを聞いて、ルチアーノはくすくすと笑い声を上げる。艶かしい姿に、少し体温の上がる感覚がした。
「君は、何にも調べてないんだな。今日はシティ繁華街で、デュエリスト雑誌の撮影があるんだぞ。スナップ写真の撮影もあるから、売り出し中のデュエリストも集まるって噂だ。もしかしたら、WRGPの参加者もいるかもしれないぜ」
「そうだったんだ……」
僕は呟いた。そんなことは初耳だったのだ。僕もインターネットには触れているけれど、デュエルに関しては大会のことしか調べていない。デュエル雑誌のイベントなんて、知るよしもなかったのだ。
「つまり、これは敵情を視察する絶好のチャンスってことだぜ。君も気になるだろ? デュエリストの撮影ってやつがさ」
楽しそうに笑いながら、ルチアーノは言葉を進続ける。彼の話を聞いていたら、何だか気になってしまった。
「確かに、ちょっと気になるかも」
「決まりだな。そうと決まったら、とっとと支度しな。同じことを考えているやつは、山のようにいるからな」
その場所はすぐに分かった。撮影をしていると思わしき繁華街の一角が、野次馬の姿で溢れているのだ。周囲には警備員が配置され、通行の妨げになると判断された人たちが場所を移動させられていた。
集まった人々は、やはり男性が多かった。いくら人々の間に浸透したと言っても、デュエルでプロを目指すのは男が多いのだ。若者を中心とした集まりの中に、ぽつりぽつりと女性の姿がある。皆がデュエルディスクを装着していた。
「ここだな」
呟くと、ルチアーノは人々の輪の中に入っていった。ルチアーノの美しい容姿と、怖いもの知らずな態度に、周囲の人たちが道を開ける。周りに頭を下げながら、慌ててその後を追った。
「急に離れないでよ。迷子になったらどうするの?」
彼の隣に並ぶと、しっかりと手を繋ぐ。小さな声で言うと、彼は演技じみた声を返してきた。
「わたしがはぐれないように、ちゃんとついてきてよ。今日は、わたしの付き添いなんでしょう?」
完全にからかわれていた。彼は、女の子のふりをして僕の困らせるのが好きなのだ。今日はどんなことを言い出すのかと、いつもひやひやしてしまう。
「そんなこと言われても、僕はそんなに身軽じゃないんだよ」
周囲の人々は、ちらちらと僕に視線を向けている。女の子の格好をしたルチアーノは、どこからどう見ても美少女だ。デュエリストばかりの集まった集団に、平々凡々な男を連れた美少女がやってきたら、何事かと思うのだろう。
「ほら、向こうを見てよ。撮影してるよ」
話を切るように、彼は正面を指差す。建物の並んだ町の中で、男の人がポーズを取っていた。周辺にはカメラマンやスタッフが取り囲んでいて、本格的な撮影であることが分かる。デュエルディスクを構えたり、カードを手に取ったりと、デュエリストらしいポーズばかり取っていた。
「プロデュエリストって、こういう撮影をするのね。わたしもかわいく撮ってもらえるのかしら」
隣でルチアーノが囁く。僕は、何も答えずにその言葉を聞いていた。下手に答えてからかわれたらたまらない。
「もう、何か言ってよ」
僕が黙っていると、彼は僕の腕をつねった。頬を膨らませながら僕を見上げる。
「何かって、難しいこと言わないでよ」
「難しくないでしょ。いつもはかわいいねって言ってくれるのに、こういうときだけ黙るんだから。もしかして、照れてるの?」
僕が答えると、ルチアーノは饒舌に言い返してきた。こんなの、どこからどう見てもバカップルだ。周囲の視線が恥ずかしくて、頬が熱くなってしまった。
「もう、照れちゃって」
ルチアーノはからかうように笑う。いつものような甲高い笑い声ではなくて、花が咲くような可憐な笑顔だった。
結局、答えても答えなくてもからかわれるのだ。理不尽だが、黙って受け入れるしかない。僕も僕で、好き勝手するときはあるのだから。
そんなことをしているうちに、デュエリストの撮影は終わっていた。ストリートスナップに入ったのか、雑誌のスタッフと思わしき人が、町に集まった人々を見渡している。めぼしい人を見つけると、声をかけて写真を撮っていた。
「雑誌の撮影は終わったみたいだけど、まだここに残るの?」
尋ねると、ルチアーノは僕を見上げた。
「残るに決まってるでしょう。わたしは撮影をしてもらいに来たんだから」
そう言うと、自分から人混みの中心へと近づいていく。手を繋いでいる僕も、引きずられるようにその中へと向かった。
「ねぇ、そこの君、ちょっといいかな」
人を掻き分けて歩いていると、背後から声をかけられた。振り向くと、ロゴの付いた上着を着た男の人が僕たちに視線を向けている。どうやら、さっきまで撮影をしていた雑誌のスタッフらしい。
「なんですか?」
「僕、○○って雑誌のスタッフをしてるんどけど、良かったら写真を撮らせてもらえないかな」
「えっ!?」
びっくりして、大きな声が出てしまった。周囲の人々の視線を感じて、慌てて口を塞ぐ。こんなことをしたら、余計に目立ってしまうと思った。
「ああ、ごめん。撮影したいのは君じゃなくて、隣のお嬢さんなんだ。君は、彼女の保護者なんだろう?」
悪気の無さそうな様子で、男の人はそんなことを言う。確かに平々凡々な僕と絶世の美少女であるルチアーノなら、ルチアーノを撮るのが普通だ。声をかけられたからと言って、自分が撮られるのかと思ってしまったことが恥ずかしかった。
「わたし? わたしのことを撮ってくれるの?」
隣で、ルチアーノがキラキラと目を輝かせる。演技なのか本心なのかは分からないが、撮影されることが嬉しいらしい。ルチアーノに視線を向けると、男の人は優しい声で言った。
「デュエルディスクを持ってるってことは、君もデュエリストなんだよね。良かったら、撮らせてくれないかな?」
「わたしはいいわよ。……ね、いいでしょ、お兄ちゃん」
「ルチ……ナタリアがいいなら、いいんじゃないかな」
「やったぁ! かわいく撮ってもらえるかしら?」
楽しそうに笑いながら、ルチアーノは男の人についていく。その後を、僕は複雑な気持ちになりながら見送った。写真なんて、僕だってあんまり撮らせてもらえないのに。カメラマンが羨ましい。
撮影は、ほんの一瞬だけだった。雑誌に載るスナップは一枚だけだから、撮影枚数は大したことないのだ。デュエルディスクを構えた姿で、何枚か写真を撮ったら、ルチアーノはすぐに解放された。
「ありがとう。雑誌に載ったら連絡するから、連絡先を教えてくれないかな」
男の人に言われ、僕は端末の電話番号を伝える。用を済ませると、彼は踵を返して立ち去っていった。小さくなっていく後ろ姿を見ながら、小さな声で呟く。
「なんか、複雑な気持ちだよ。僕だって、ルチアーノの写真を撮りたいのに」
僕の呟きは、彼の耳に届いていたみたいだった。僕の手を引いて顔を近づけると、からかうような声色で囁く。
「もしかして、嫉妬してるのか? 子供みたいなやつだな」
「ルチアーノに言われたくないよ。…………それよりも、写真を撮られて良かったの? いつものルチアーノは、写ることを嫌がるでしょ」
尋ねると、彼はにやりと笑った。誇らしげな態度で口を開く。
「何を言ってるんだよ。今の僕は、世界的人気チームのメンバーなんだぜ。雑誌の写真撮影くらい、何十回とこなしてるさ」
「あっ…………」
そういえばそうだった。今のルチアーノは、チームニューワールドのメンバーなのだ。デュエル雑誌の表紙を飾ったこともあるし、インタビューも何回も受けているのだ。
「そっか、そういえばそうだったね」
「なんだよ。忘れてたのか? 失礼なやつだな」
呆れたように言うと、彼は僕の手を引いた。用は済んだと言わんばかりに、人混みの中から離れていく。澄ました女の子の表情に戻ると、甘えるような声色で言った。
「せっかくだから、このままデートをしようよ、お兄ちゃん」
ルチアーノは、雑誌の写真撮影を受けているのだ。僕が写真を撮らなくても、世の中には彼の写真が出回っている。後で彼が取材を受けた雑誌を確認しようと、心の中で誓ったのだった。