憧れ 私には、子供頃の思い出と言うものが無い。
頭の中に浮かぶのは、廃墟のようになった町の風景と、逃げ惑う人々の姿ばかりだ。空には巨大な機械が浮かんでいて、眩い光が放たれるごとに、建物が壊れ人の命が失われた。
それ以降の記憶は、全て戦場の出来事で埋め尽くされている。後に機皇帝という名を与えられる巨大な機械と、それに立ち向かう人々の光景だ。銃火器の発砲音と、命を落とした大人たちの悲鳴だけが、私たちの耳に届く『外』の全てだった。
それが当たり前だったのだ。私の人生は。
目が覚めたとき、一番に手を伸ばすのは、決まってこの杖だった。衰えて重くなった身体は、支えが無くては立ち上がることすらできない。重い腰を上げて身体を起こすと、ゆっくりとした動きで寝台から立ち上がる。身体を引きずるようにして向かうのは、この廃墟の中央だった。
この命が長くないことは、自分が一番良く理解している。身体は思うように動かないし、食事もまともに取ることができない。こうして自力で歩いているのも、ほとんど気合いによるものだ。世界が滅びようとしている時に、弱音など吐いていられない。
メンテナンスルームには、既に神の姿があった。『神』と大層な名で呼ばれているが、その容姿は長い白衣に身を包んだ老人の姿をしている。身体は所々が機械に置き換えられていて、長い白衣の裾から武骨なパーツが覗いていた。
「目が覚めましたか」
ゆったりとした、それでいて力強い語調で、神は私に話しかける。私よりも歳上であるはずなのに、少しも衰えは見られなかった。出会ったときと変わらない力強さで、我々の計画の指揮を取る。この強さを知っているからこそ、仲間たちは彼に従ったのだろう。
「もう少し、休んでいても良かったのですよ。データの採取は、脳に負担をかけますから」
神は言うが、聞き入れることはできなかった。私に残された時間は、もうゼロに近いのだ。明日終わってしまうかもしれない命を、休息などに浪費できなかった。
「もう、時間は残されていない。続きを進めてくれ」
答えると、彼は黙って頷いた。手元の装置を手に取り、私の身体に接続する。本当は、彼が一番良く理解しているのだろう。我々に時間が無いことを。
神が機械を操作すると、室内に鈍い音が響き渡った。壁際に鎮座する武骨な機械が、私の脳波データをスキャンしていく。こうして採取されたデータは、後にもう一人の私を形作るのだ。それこそが、私たちの望みなのだから。
──命が尽きたら、この身を貴方の駒として使ってほしい
最初にそう語ったのは、一体誰だっただろうか。アンチノミーだったかもしれないし、我々の総意だったかもしれない。ただ、この身を神に捧げるという意思だけは、皆が共通していた。
「本当に、機皇帝を使用するのですか? 貴方にとっては、一番のトラウマでしょう?」
機械を操作しながら、神は私に問いかける。話題に上がっているのは、『もう一人の私』が使用するデッキについてだ。私には馴染みが薄いが、これから我々の向かう町の人々は、戦闘手段にデュエルモンスターズというカードゲームを使用するらしい。デッキを持たなかった私とパラドックスは、神に希望を聞かれることとなった。
「だからだ。人々にモーメントの恐ろしさを伝えるには、機皇帝が適任だろう」
私の言葉に、神が納得したような笑みを浮かべる。
「貴方らしい答えですね」
再び、室内には沈黙が訪れた。二人きりになってからは、特に静寂を感じることが多くなったように感じる。友として受け入れられてからも、まだ、私たちの間には壁があるのだ。
「要望があれば、今のうちに話しておいてください。貴方の魂の器と戦いのための道具ですから、遠慮は要りませんよ」
壁際の機械を操作すると、神は私の方を振り返った。彼の要求は分かるが、デュエルモンスターズや機械については、私は全くの素人である。要望など何もなかった。
そのままに伝えると、彼は優しく微笑んだ。若年者を前にしたような態度だが、彼にとっての私は若年者なのだろう。
「なんでもいいのです。若い頃の憧れや、平和な世界でなりたかった職業など、そのようなものはないのですか?」
問いを重ねられ、私は頭を悩ませる。私には、子供の頃の思い出というものがないのだ。幼くして両親を失った私は、それまでの記憶のほとんどを失ってしまった。この身に残っているのは、深く刻まれた絶望の記憶だけなのだ。
そんな私にも、ひとつだけ覚えていることがあった。まだ、この世界が平和だった頃の、朧気な記憶である。両親と共に暮らしていた小学生の私には、大好きなテレビ番組があったのだ。機皇帝の恐怖に塗り替えられても、それだけは忘れられなかった。
「笑わないで聞いてほしいのだが……」
小さな声で言うと、神は興味深そうに耳を傾けた。私の言葉を聞くのが嬉しいのだろう。
「笑いませんよ」
「魂の器に、合体する仕組みを入れてほしい」
幼い頃の私は、合体ロボが好きだったのだ。機皇帝に町を破壊されても、その気持ちは変わらなかった。
私の話を聞くと、神はにこりと微笑んだ。画面に器の設計図を表示させ、何かを書き込んでいく。
「それは素晴らしいアイデアですね。三つの絶望を、合体によってひとつにする機構を組み入れましょう。それなら、貴方の希望は満たされるはずです」
突飛な要求ではあったが、神は前向きに受け止めたようだ。それどころか、難しい設計を楽しんでいるようでもある。それが彼の、メカニックとしての性なのだろう。
「貴方は、否定しないのだな。私の、子供のような要望を」
思ったままに口にすると、神はこちらを振り返った。半分ほどが機械に覆われた顔を見せると、遠くを見るような表情で語る。
「否定などしませんよ。仲間の、人生最後の望みですから」
彼は、覚悟を決めているのだ。その世界の、最後の一人になることを。死後も側に仕えることができるのなら、私にこれ以上の望みはない。
私の望みは、直に叶うのだ。別の姿に生まれ変わって、彼のためにこの命を捧げる。そんなことを考えたら、この世に思い残すことなどないように思えた。