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    8/27開催「蛍火が示す旅情【2巡目】」展示物。新作です!蛍、パイモン、一斗、忍のお話。一斗の出番多め。ギャグ漫画だと思って読んでください!

    ##蛍火が示す旅情2

    空腹沙汰も、モラ次第! ない。
     目をこらしても、ひっくり返しても、元素視覚を使っても。蛍とパイモンは額を突き合わせて、悲しいほどに軽くなってしまったそれの中身を見つめた。しばらく経って、受け入れがたい事実をどうにか認識した二人はゆっくりと顔を上げる。こわばる顔。垂れる冷や汗。どうしてこうなった――二人の思考は今だかつてないほどシンクロしていた。
    「……」
     心当たりがないわけではない。否、ありすぎる。モンドで舌鼓を打った鹿狩りの料理の数々。璃月で買い込んだ希少な鉱石。稲妻の八重堂で揃えた限定の小説本。冒険者協会からの依頼をこなして手に入れた臨時収入は、たしかに蛍とパイモンの手によって等価交換されていた。
     蛍はもう一度だけ、財布をのぞき込んだ。やはりない。ないものはない。からっぽの財布の口が、呆れたように開いているのみだ。
     蛍はそっと財布をしまうと、漂ってくる美味しそうな匂いに後ろ髪を引かれながら、料理屋の前を後にした。その背中を、後ろ髪どころか口元に垂れるよだれまで引っぱられている様子のパイモンが追いかける。
     無言で璃月港を歩く二人のあいだを、秋口の風が通り抜ける。それはまるで蛍とパイモンの懐事情のように、もの寂しく冷え込んでいた。
     そう。このテイワットにおける純然たる富の象徴――モラが、ないのである。

    「蛍ぅ……オイラ、お腹すいた……」
    「私も……」
     蛍とパイモンはとぼとぼと街中を歩いていた。モラがなければ料理はもちろん、食材すら買えない。街の外へ出て木の実や魚を確保しようにも、空腹の状態ではヒルチャール一匹にすらやられてしまうかもしれない。璃月にいる知り合いを頼ろうにも、あいにく皆なにかしらの用事で不在。つまるところ、二人は空腹を満たす術を完全に失っていたのだ。
    「そうだ、蛍! しりとりしよう、しりとり!」
    「しりとり?」
     突然声をあげたパイモンに、蛍が不思議そうにくり返す。パイモンは得意そうな表情を浮かべた。
    「『お腹がすいた』って思うからもっとすいちゃうんだ。別なことを考えていれば、すこしはマシになるかもだろ! ふふん、オイラって頭いい~!」
    「たしかにそうかも……じゃあ、『しりとり』」
    「りんご!」
    「ごみ箱」
    「米まんじゅう!」
    「牛」
    真珠翡翠白玉湯しんじゅひすいしらたますーぷ!」
    「プレゼント」
    「鳥肉のスイートフラワー漬け焼き! あれおかしいな……なんだかもっとお腹がすいてきたんだぞ……」
    「……一斗?」
     ふいに蛍が足を止める。その後ろをふよふよと浮遊していたパイモンは、背中にぶつかりそうになりながら唇をとがらせた。
    「ちがうぞ蛍、次は『き』で……あれ、牛使い野郎!?」
    「おう、二人とも! こんなところで会うたあ、奇遇だな!」
     豪快な笑顔で二人に手を振ったのは、稲妻にその名を轟かせている(本人談である)鬼の青年、荒瀧一斗そのひとだった。彼の右腕である久岐忍も一緒だ。
    「どうして一斗と忍が璃月に?」
     蛍が尋ねると、一斗は「よくぞ聞いてくれた!」と芝居がかった仕草で両手を広げた。
    「荒瀧派の名前は、もはや稲妻だけに留まるにあらず! 英雄欺人、暗中飛躍、迅速果断、極楽蜻蛉ってやつだ!」
     ばばん、と効果音が聞こえるほどバッチリポーズを決める一斗。
    「ええと、つまり……?」
    「なんか牛使い野郎が難しいこと言ってるぞ。変な物でも食べたのか?」
     そろって首をかしげる蛍とパイモンに、忍が補足する。
    「親分の言うことは気にしないでくれ。ここに来る途中の船で璃月の学者と意気投合したらしくてな。新しく覚えた言葉を使いたいだけなんだ。ちなみに最後のやつは褒め言葉ではないぞ、親分」
    「なに!? 俺様としたことがぬかったぜ……!」
     悔しがる一斗を横目に「はあ」とため息をついた忍は続けて説明した。
    「私が璃月で法律の本を買いたいと言ったら、親分も一緒に来ると言って聞かなかったんだ。これから本屋に向かうところだったんだが」
    「俺たちはある大問題に直面しちまったのさ……ちくちょう、青天の霹靂、藪から棒、鬼の耳に二階から金棒ってやつだ……!」
    「正確には私は困っていない。あと最後のはいろいろ混ざってるぞ、親分」
    「それで、問題って?」
     蛍の質問に答えたのは、それはそれは大きな――腹の音だった。音の主である一斗は拳を握りしめ、すっと懐からなにかを取り出した。かえるを模したそれは、手のひらサイズのがま口財布。一斗はそれをひっくり返して塵一つすら落ちてこないのを見せると、真剣な表情で言い放った。
    「腹が……減っちまったのさ……! ついでにモラもねえ……!」

     一斗と忍の話を合わせると、こうだ。稲妻から璃月に向かう道すがら、無計画に買い物をした一斗は早々にがま口の腹の中をからっぽにしてしまい、こうして今、自身も腹をすかせる羽目になったのだ――ちなみに忍はしっかり計画的に自分のモラを残している――と。
    「なんだ、自業自得じゃないか! 目先の欲に振り回されるからそうなるんだぞ、ぷぷぷ!」
    「パイモン、それ私たちに全部返って来てるから。ブーメランだから」
     笑い飛ばすパイモンと、思わず突っ込む蛍。そんな二人に、一斗は「だがな!」と声を張り上げた。突然の大声に近くにいた鳩がくるっぽと鳴いて飛び去る。
    「俺様はツイてるらしい。見ろ、この看板を!」
     そう言って一斗が指差した先にあったのは――。
    「『大食い挑戦者募集』?」
    「そうだ! 出される料理を時間内に食べ切れば、料金は無料! それどころか……」
    「賞金! ここに賞金が出るって書いてあるぞ!」
     パイモンがきらきらと目を輝かせて興奮気味に叫ぶ。賞金と聞いて蛍の目の色も変わった。空腹が満たされて、かつモラも手に入れられるとは、なんという大チャンス。蛍はパイモンとうなずき合って、一斗に身を乗り出した。
    「それ、私たちも挑戦する!」

    「へい、お待ち!」
     どん、どん、どん。重厚な音と共に、三つの大皿がテーブルに置かれる。ほかほかと湯気を立てる料理に、蛍、パイモン、一斗のお腹がはやく食べようとうるさく主張した。
    「それではお三方、もう一度ルールを説明するんでよく聞いてくだせえ」
     こわもての店主が、さながら真剣勝負に挑む侍のように鋭い眼光で三人を射ぬく。三人は緊張と美味しそうな料理を前に、ごくりと唾をのみこんだ。
    「制限時間は三十分、出される料理は三皿。すべて完食したら挑戦クリアでさあ」
    「……ちなみに、食べ切れなかったら?」
     おそるおそる蛍が手を挙げる。店主は鼻を鳴らして不敵に笑った。
    「勝負の前から負けることを考える武人はいねえ、そいつは真なる武の心を忘れたまがいもんだ」
    「!」
     蛍ははっとして目を見開いた。そうだ、自分はいったいなにを弱気になっていたのだろう。輝かしい勝利を、それを掴み取る自分のことを、自分が一番信じられなくてどうする――。
    「本当の勝負師なら、勝つことだけを考えな。俺から言えるのはそれだけですぜ」
    「はい!」
     蛍は武人でも勝負師でもないし、挑戦が失敗した場合のことを知る権利は十分あるのだが、今の蛍にはそれに気づく余裕などない。よだれを拭くことも忘れて今にも料理にかぶりつきそうなパイモンと一斗はなおさらである。そして唯一気づいている忍は、三人の後ろでお茶をすすりながら観戦と決め込んでいた。
    「では、三、二、一……挑戦開始!」
     店主の号令と共に三人が箸を手に取り、「いただきます!」と唱和する。戦いの火蓋は今、切って落とされたのである――。
     
     蛍は目の前の料理を改めて見た。大皿をはみ出さんばかりに乗っているのは、赤子ほどもある焼き魚。そして大量の大根おろし。
    (この場合、大根おろしは後半の味変に取っておくべき……。なら、まず攻めるべきは、魚!)
     軍師さながらに素早く知略を巡らせた蛍は、さっそく魚に箸を伸ばした。ほろりと崩れる白身。口に入れると、程よい塩加減と魚の旨味が口いっぱいに広がる。
    「美味しい……!」
     蛍は思わず声を漏らした。食べ物を、いのちを頂くことの、なんと有難いことか。母なる海よ、豊かな恵みをありがとう――。久しぶりの食事に思わず目頭が熱くなり、あわてて目元をぬぐう。
     と、両隣から鼻をすする音が聞こえて、蛍は顔を上げた。見ると、パイモンと一斗がだばだばと滝のような涙を流している。
    「ぐすっ、オイラ、こんな美味しいもの初めて食べたんだぞ……!」
    「泣くなチビ助! 戦いはまだ始まったばかりだぜ、ぐすっ」
     言いながらも、パイモンと一斗は目にも止まらぬ速さで箸を動かしている。蛍も負けじと箸を運ぶスピードを速めた。そう、これは戦。己の胃袋と矜持、そして財布を賭けた、聖戦なのだ。
     少し食べ進めたところで、蛍はある問題に気づいた。
    (手は動かしてるのに、なかなか減らない……!)
     当然のことながら、魚には骨がある。小骨に当たるたびに、ひとつずつ皿の端に除けているせいで、思うように量を食べられないのだ。事実、既に五分が経過しているというのに、焼き魚は半分も減っていない。蛍の顔に焦りの色が浮かんだ。
    (ふたりは、どのくらい食べたのかな)
     蛍はちらりと横をうかがい、驚愕に目を大きくした。まず、パイモンの皿。蛍と同じく骨に苦戦している様子で、食べた量はやはり半分もいっていない。そして一斗の皿は――。
    「一斗、どうしたの!? 速く食べないと時間が!」
     そう、彼は黙々と箸を動かしているものの、一向に料理を口に運んでいなかったのだ。焦る蛍の声に、一斗はにやりと笑って見せる。
    「そう焦るな蛍。これが俺様の作戦……名付けて『荒瀧・天下第一・急がば回れ』!!」
     一斗はそう言うと箸を持ち直し、一気に魚の身を口に運び始めた。ほぼそのまま残っていた魚は次々と一斗の胃袋に消え、あっという間に残り四分の一ほどになる。まるで魔法のような光景に、あることに気づいた蛍は息をのんだ。
    (そうか! 一斗は先に骨と身を分けていたんだ! そうすることで、骨を取ること、食べることそれぞれの作業に集中できて、効率的に時間を使える……!)
    「へっ、どうやら気づいたみてえだな」
     一斗は悠々と大根おろしに醤油をかけながら言った。
    「来いよ、この頂まで! 俺様は道を切り拓いた。その道をどうするかは……お前ら次第だ! うっ、この大根おろし辛えぞ!?」
    「ああ、そりゃ大根の下の方に当たっちまったな。気張りな、あんさん」
     大根おろしという思わぬ伏兵に苦戦し始めた一斗に、蛍は感謝の念を込めてうなずいた。急いでパイモンの方を見る。
    「パイモン、作戦変更! 先に骨をやっつける!」

     挑戦開始から十分が経過した。
    「よし、まずは一皿!」
    「やったな蛍!」
    「水! 水くれ水!!」
     蛍とパイモンは笑顔でぱちんとハイタッチをした。途中の作戦変更が功を奏し、蛍とパイモンは無事に皿の上の料理を食べ切り、ひいひい言いながら辛い大根おろしを食べていた一斗も、どうにか完食と相成った。
    「見事でさあ、お三方。では、次!」
     間髪入れずに店主が次の料理を持ってくる。大きなどんぶりでもうもうと湯気を立ち昇らせていたのは――。
    「ラーメン……!」
     ラーメンが嫌いなわけではない。むしろ好きだ。しかしそれは食べる時間が十分にある場合のことで。
    「ふっふーん! ラーメンなら楽勝なんだぞ!」
     呑気なパイモンの声に、蛍はあわてて声を上げる。
    「だめ、パイモン!」
     しかし、静止の声も届かずに、パイモンは麺を一気にすくい上げて口に運んだ。そして。
    「あっつぅ!! なんだこれ! めひゃめひゃ熱くて食べられないんだぞ!」
    (くっ! 一足、遅かった……!)
     熱々のラーメンで舌を火傷してしまったらしいパイモンは、涙目になりながら舌を出している。見るも無残な仲間の姿に、蛍は箸を持つ手を震わせた。大食いにおける大敵のひとつ、温度。火傷をしては元も子もない。かといって冷めるのを悠長に待っている時間などない。息を吹きかけたところで、料理の質量が大きいほど熱は逃げにくく、時間だけが無情にも過ぎていく。豚骨の香りただよう難攻不落の城塞を前に、蛍は自分の戦意がぐらりと揺らぐのを感じた。
     残り時間を見るために顔をあげた蛍は、ふいに店主と目が合う。細い目の奥に潜む、挑戦的な光。蛍は確信した。
    (試しているんだ、私たちを――!)
     一皿目の焼き魚といい、二皿目のラーメンといい、どちらもただ食べるだけでは攻略できない。限られた時間という檻の中で、いかにして攻めるか。大食いとはまさに知力と体力の総合格闘技。店主は自分たちが勝利を収めるに相応しいか、実力を測っているのだ。
    (けど、私にこれを攻略することなんて……)
     今の蛍にとって、熱々の大盛りラーメンを時間内に食べ切ることなど、風魔龍に強化もしていない武器で挑むくらい無謀な振る舞い。蛍は唇を噛みしめた。
    (……無理だ。ここは、さらなる傷を負う前に撤退した方が)
     うなだれた蛍は、箸を置き降参の意を示そうとした――と、そのとき。
    「諦めるのはまだ早えぞ、蛍」
     凛と響く声。蛍は隣を見た。状況は同じだというのに、一斗の目はいまだ光を失っていない。
    「一斗……でも、いったいどうすれば」
    「希望ってのはな、いつだって絶望の淵で輝くもんだ。今からそれを証明してやる。……大将、『箸をもう一膳くれ』」
     箸が増えたところで、何も変わらないはず。無駄なあがきだ――。頭ではそう思うのに、蛍は一斗から不思議と目を離すことができなかった。
    「ふ、その言葉を待ってやしたぜ。ほら、使いなせえ」
     満足げな笑みを浮かべた大将は、一斗に新しい箸を手渡した。それをうやうやしく受け取った一斗は、両手に箸を構える。その姿は、さながら長い旅路の果てに聖剣を手に入れた勇者のようだ。
    「見てろ、これが俺様の戦い方だ!」
     一斗はそう言うと、左の箸で大きく麺をすくい上げた。そのまま口に運べば、パイモンの二の舞になることは目に見えている。蛍は見ていられなくて目を閉じた。しかし。
    (あれ……?)
     いつまで経っても、一斗が熱さに苦しむ声は聞こえてこない。蛍はそっと目を開けて――目の前に広がる光景に、あっと声をあげた。
     一斗は器用にも左の箸で麵を持ち上げたまま、右の箸でその麺を取り、口に運んでいたのだ。額には汗が浮かんでいるものの、火傷をしている様子はない。蛍は気づいた。
    (麺をスープから出して冷ますのと、冷めた麺を食べるのを、両手を使って同時にこなしているんだ! 左の箸で一度に大量の麺を冷ますことで、『冷まして食べる』というサイクルを大幅に短縮できる……!)
    「これだけじゃねえぜ! 大将、スイカを一切れ頼む!」
    「えっ!? 一斗、どういうつもり!?」
     大食いに挑戦しているというのに、わざわざ挑戦に含まれない食べ物を追加で頼むとは、正気の沙汰とは思えない。驚きを隠せない蛍に、一斗は運ばれてきたスイカを一口かじってみせた。
    「スイカは夏の食べ物。そして体を冷やしてくれるんだ。それに果肉のほとんどは水分で、水の代わりにできるってわけさ。大盛りラーメンに挑む今の俺たちにぴったりだろ?」
     にっと笑って豪快に口元をぬぐった一斗の姿に、蛍の目にも希望の光が灯る。置きかけていた箸を握り直し、こう叫んだ。
    「私にもお箸一膳! あとスイカも!」
     
     挑戦開始から二十分が経過し、残り時間はあと十分。熱々の豚骨ラーメンを見事食べきった蛍と一斗は、同時に箸を置いた。
    「すごい、すごいぞふたりとも! あと一皿! その調子だ~!」
     残りのラーメンを忍と分け合い、店主の計らいにより食後のミントゼリーを食べていたパイモンは、嬉しそうに手を振り上げた。
    「なかなかやるねえ、お二方。だが、最後の一皿はどうかな……?」
     意味ありげな笑みを浮かべた店主が、次の大皿を持ってくる。真っ白な深皿と真っ白なレンゲ、そして――。
    「おいおい、なんだこの赤さは!?」
    「これってまさか……!?」
     息をのむ一斗と蛍に、店主が言い放つ。
    「そう、最後の一皿は――『激辛麻婆茄子』でさあ!」
    「!」
     店主の気迫に圧倒された蛍は、一瞬だけ動きを止めたが、すぐにレンゲを手に取る。
    (ううん、怯えてちゃ駄目だ。辛いだけなら、むしろ今までより難易度は低いはず――!)
    「ちなみにあんさんの分は豆類不使用ビーン・フリーの特別製。安心して食いなせえ」
    「大将……! その心遣い、しかと受け取ったぜ!」
     蛍は隣で一斗が店主の騎士道精神フェアプレーに感動しているのにも気づかず、危険なほどにスパイシーな香りを放つ麻婆茄子を大きくすくった。
    「っ! 待て、蛍! 死に急ぐな!」
     一斗の警告もむなしく、蛍はレンゲいっぱいの麻婆茄子をぱくりと口に入れる。香辛料の風味と、ジューシーなひき肉、そしてとろける触感の茄子が口の中で踊り出す。そして肝心の辛みは、拍子抜けするほど少なかった。蛍は一斗に微笑みかける。
    「大丈夫だよ一斗。意外と辛くな――うっ!?」
     からん、と音を立ててレンゲを落とす蛍。一斗は「遅かったか……!」と悔しそうに額に手を当てた。
    「どうしたんだ蛍!? 辛くないんじゃなかったのか!?」
     パイモンは蛍に駆け寄ると、その肩に手を置いた。うつむいた蛍が、口元を手で覆いながらつぶやく。
    「か」
    「か?」
     パイモンがおうむ返しに聞く。蛍は顔を真っ赤にして叫んだ。
    「かっらーーい!!」
    「えええ!? どういうことだ!?」
     頭の上に疑問符を浮かべるパイモンに、一斗が言う。
    「こいつは、後から辛さがくるタイプのやつだ……『あ、意外にいけるかも』と油断して飲み込んだところで、喉を焼き再起不能にする。くそ、俺がもっと早く注意していれば……!」
     一気に水を飲み干した蛍は、しびれる口をどうにか動かす。
    「ううん、これは敵を侮った私の失敗。一斗のせいじゃない」
    「だが! お前は、もう……!」
    「分かってる。喉をやられた私はもう戦えない……でも」
     蛍は額に汗を浮かべながら、それでも不敵に微笑んでみせた。
    「一斗はまだ戦える。だから、私の屍を踏み越えて。そして勝利を手にして。散っていった私たちの分まで!」
    「蛍……! くっ、分かった。見とけ、俺様の雄姿!」
     一斗は覚悟を決めるように一瞬目を閉じ、開いた。そして朗々と声を張り上げる。
    「『生卵、チーズ、牛乳』。この意味が分かるな? 大将!」
    「……ちょっと待ちなせえ」
     店主は奥に引っ込むと、すぐにザルいっぱいの卵、粉チーズの大缶、牛乳瓶を手に戻ってきた。
    「俺にできることはもう何もねえ。あとは、あんさんの実力次第だ。魅せてくれよ、至高の戦いってやつをさ!」
     一斗は王より宝玉を賜った勇者のような顔つきで、食材を受け取った。そして麻婆茄子には手を付けないまま、牛乳瓶を一気にあおる。
    「一斗、どういうつもりだ!? 食べてから飲むんじゃないのか?」
     パイモンがはらはらと見守る中、ぷはーっと息をついた一斗は言った。
    「『網無くして淵にのぞむな』!」
    「え? なんて?」
    「網の用意がなくては、魚を取ろうと淵をのぞいても無駄。つまり、十分な準備がなくては、ものごとは成功しないということだな」
     忍が茶をすすりながら答える。蛍はぽんと手を打った。
    「そうか、牛乳を先に飲むことで、後から入ってくる辛いものの刺激を弱めるつもりなんだ!」
    「ああ、そういうことだ。そして、こいつらだ!」
     一斗は麻婆茄子の皿に卵を割り入れ、チーズを振りかけると、豪快に混ぜた。
    「卵とチーズのまろやかな口当たりで、辛さを中和する。ははっ、ここまでたどり着いたのはあんさんが初めてでさあ……」
     店主は腕を組み、感慨深そうに目を細めた。その目尻に小さな雫が光っていたことには、誰も気づいていない。
    「おう、何だか知らんが頑張れ兄ちゃん!」
    「あとちょっとだよ、負けるなー!」
     今や店にいる全員が一斗の戦いに注目していた。様々な困難を乗り越えて、一人の勇者が恐るべき魔王をここに討ち果たさんとしていたのだ。一斗の額に玉のような汗が浮かぶ。毒々しい赤さの麻婆茄子は、卵と乳製品の守りの力を借りてもなお、一斗の舌を粘り強く刺激していた。しかしそれでもレンゲを口に運ぶのをやめない一斗。だんだんと大きくなる観衆の声。手が止まりそうになるたびに牛乳を口にして、一斗はひたすらに挑み続けた。そして――。
    「ごちそうさん!!」
     終了の合図と同時に、空になった皿にレンゲを置き、ぱちんと手を合わせる一斗。観衆がわっと沸く。蛍とパイモンは一斗に駆け寄った。
    「やった、やったな一斗! オイラ信じてたぜー!」
    「本当におめでとう! すごいよ!」
    「いや、俺様だけじゃあここまで来ることはできなかった。これは、俺ら三人の勝利だ!」
    「一斗……! うん、そうだね!」
     感動を分かち合う三人に、店主が歩み寄る。
    「あんさんたち。話し込んでるとこ悪いが、大事なものを忘れてはいやせんかい?」
    「そうだ、賞金! 賞金だぞ、一斗!」
     パイモンが飛び跳ねて喜ぶ。一斗は店主の手から、賞金の入った包みを受け取った。両手のずっしりとした重みに、一斗が感極まっていると――。
    「はい、それじゃこれはお会計の分」
     ぽん、とその上に乗せられたのは請求書。一斗は首をかしげた。
    「……食いきったら、無料じゃなかったのか?」
    「大食いの分はそりゃ無料でさあ。男に二言はねえ。だが、途中で頼みなすったスイカと卵とチーズと牛乳の分は、きっちり支払ってもらいますぜ」
     一斗は大急ぎで請求書を確認し、賞金を数え、そしてもう一度請求書を舐めるように見て――青鬼の角のように青い顔で言った。
    「……ぜんっぜん、足りねえ!!」

     そして数時間後。本屋で目当ての書籍を購入した忍は、再び料理屋に戻ってきていた。店主に断って厨房に顔をのぞかせる。
    「あ、パイモン! そのお皿まだ流してないよ!?」
    「えっ! ほんとだ、布巾があわあわになっちゃったぞ!?」
    「ちくしょう、水の冷たさがしみるぜ……! あとまだ口の中が辛え!」
     流しの前でわいのわいのと賑やかにしているのは、お揃いのエプロンと三角巾を身に着けた、蛍、パイモン、一斗の姿。大食いの挑戦に失敗した蛍とパイモン、そして請求書の金額を支払えなかった一斗は、皿洗いを手伝うことでその対価の代わりとする、と寛大な店主に言い渡されたのだった。
    「ええと、こういう時はなんて言うんだったか……思い出せねえ!」
    「『覆水盆に返らず』、あるいは『痛定思痛』、あたりだな」
     忍が声をかけると、三人が泡をくっつけた顔で振り返る。パイモンがなにか思いついた様子で声をあげた。
    「そうだ、忍も手伝ってくれよ! 四人でやれば速いぞ!」
    「いいやパイモン。こういうときの忍は絶対に手伝ってくれな……」
    「ふむ。手伝ってもいいぞ?」
    「なんだと!?」
     忍は蛍とパイモンに向き直ると、こう言った。
    「今回は親分が言い出したことで迷惑をかけたからな。二人の分に関しては、私も手伝っていいか店主に掛け合おう」
    「ほんとか!?」
    「ありがとう、忍!」
     喜ぶ蛍とパイモン。一斗はそろりそろりと手を挙げた。
    「『二人の分に関しては』って、俺様のは、その、もしかして……?」
    「親分のは完全なる身から出た錆だからな。きっちり自分で働いてもらう」
    「くっ、そんなこったろうと思ったぜ! くそう、後の祭り、猫の手も借りたい、渡る世間に鬼はなし、だ!」
    「親分、最後のは違……」
    「忍~! ぶつぶつ言ってないではやく頼む! じゃないとオイラたち、手がふやけちゃうんだぞ!」
    「……まあいいか。よし、すぐに店主に許可を取ってくる」
     そうして店主の元へと向かった忍は、それぞれに騒ぎ立てながらも楽しそうに皿を洗う声を聞いて、「最後のも、あながち間違っていないのかもしれないな」とひとり微笑むのだった。
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