電車@モブ視点疲れた。
仕事を終えて電車に揺られたまま、もう駅をいくつ通過したかわからない。
降りるはずの駅はとっくに過ぎてしまった。
服はしわくちゃだし、お腹の中がねとねとして気持ち悪い。
なんだか、ここは自分がいるべき場所じゃない気がする。
座席の上でぼうっとしていたら、ふいに視界がひらけた。
どうやら大きな駅で人がたくさん降りていったらしい。
ひらけた視界に、紅い何かが飛び込んできた。
きれいな紅。
あざやかで目を引くのに、いやらしくない。上品な美しい紅だ。
向かいの席の人が着ているパーカーの色だった。
――素敵だな。でもこんなに目立つ色、いったいどんな人が……。
そう思いながら視線を上げると、そこに座っていたのは超ド級の白皙の美少年だった。
――うわあ選ばれし人だった申し訳ございませんでしたああああああ。
モデルか俳優だろうか。黒いキャップを深めにかぶり、表情はよく見えない。
おまけに片目は眼帯で隠れている。
それでもとんでもなく綺麗な顔立ちなのはわかった。
紅いパーカーの下からはすらりと長い足が伸び、もてあまし気味に座席の前に投げ出されている。
そして。
となりにはこれまたとんでもなく美しい青年が座っていた。
――うわああああ美美美美美美美美美美美美美美美美美美美美美美美美……。
やさしい風合いの真っ白なセーターが、栗色のふわりとした髪によく似合っている。
となりの彼とはまた違う整った顔立ちで、少しうつむいたその姿は思わず手を合わせたくなるような慈愛に満ちていた。
ついぶしつけに見とれてしまったけれど、二人がこちらを見とがめることはなかった。
白いセーターの人は半分目を閉じて眠りかけていたし、紅いパーカーの人はそんな彼をやさしい目でずっと見つめていたからだ。
紅い人が少し頭を寄せて、ささやいた。
「兄さん、肩、いいよ」
「ん……」
紅い人が白い人の腕をそっと引きよせると、白い人は栗色の頭を遠慮がちに彼の肩に乗せた。
ちょうどその時電車が動き出して、反動で二人の体がぴたりとくっついた。
白い人は、まるで世界で一番安心できる場所を見つけたかのように、紅い人の肩に頬をすりよせて微笑むと、そのまま体重をあずけて寝息を立て始めた。
――はあ………尊…………。
本物の宗教画というものを見たことはないけれど、きっとこういうのを言うのだろう。
それくらい完璧な二人だ。見ているだけで心が浄化されそう。
しばらくそのまま何駅か過ぎた。
紅い人は一瞬たりとも白い人から目を離したくない様子で、ずっと口元に微笑みをたたえながら、白い人を見つめていた。
目を離したのは一度だけ。隣の車両から酔っぱらいが入ってきた時だ。
酔っぱらいは大声で歌いながら、二人のいる席に近づいてきた。
紅い人の顔からすっと微笑みが消えた。
次の瞬間、絶対零度を軽くこえるような冷たい目が酔っぱらいを射ぬいた。
うるさい。失せろ。
口にしなくても、目が明らかにそう言っている。
酔っぱらいはあわてて逃げていった。
紅い人は白い人がおだやかに眠ったままなのを確認すると、ほっと息を吐き、宗教画の世界に戻っていった。
やがてとある駅が近づくと、紅い人はそっとうつむいて、低い声で言った。
「兄さん、そろそろ着くよ」
「ん……ああ、ごめん、すっかり寝てしまった。重くなかった?」
「全然」
白い人がまだ眠そうに目をこすっているうちに、紅い人は二人分の荷物を持って立ち上がり、白い人に片手を差し出す。
物腰はどこまでもスマートで、およそこんな普通の電車には似つかわしくない。
外国の王宮での一幕でも見ているかのようだった。
その時。
立ち上がった白い人が、ふとこちらを見た。
目が合った。
え、うそ、近づいてくる。
紅い人は、白い人の視線の先を見て、初めてこちらに気づいたようだ。
…まあ、そうだろうな。だって彼、白い人のことしか見ていなかったし。
紅い人は私を一瞥し、それからもう一度白い人を見て、しかたないというように軽く息を吐いた。
白い人が身をかがめて手をのばし、――――指先で私をつまみ上げた。
✼ ⋈ ✼
「兄さん、それくらい僕が」
「三郎は手がふさがってるだろう」
「……あとで指を拭かせて」
「大げさだなあ」
謝憐は軽く笑うと、座席の上に置き去りにされていたガムの包み紙を拾い上げた。
雑にまるめられた紙のすきまからは、誰かが噛み終えたガムがねっとりとはみ出している。
たとえ紙ごしにでも、謝憐がそんなものにさわるのを、花城は許せなかった。
だが謝憐は気にすることなく、包み紙を持ったまま電車を降りた。
ちょうど目の前にゴミ箱がある。
「ゴミはゴミ箱に、ね」
あるべきものはあるべき場所に。
落ちていく包み紙が何か言いたげにかさりと音を立てたが、ゴミの言葉が届くことはなく、二人は駅の出口に向かって楽しそうに話しながら歩き去っていった。