現代AU冰秋夏も終わったはずなのにまだ蒸し暑さをおぼえる午後、いつものように憧れの家庭教師である沈垣先生を迎えるといつもと違う彼が玄関前に立っていた。
「垣先生、これは?」
「プレゼント」
喜んでくれるか、というか押し付けるみたいなものだから要らなかったら置物にでもしといてよ、と手渡されたのは可愛らしいキラキラとした紙に包まれたいわゆるゲーム機だった。
「こんな高価なもの、俺なんかに⋯!」
「受け取ってくれると嬉しい、そして⋯」
「そして?」
「俺と一緒に大会に出てほしいんだ⋯!」
先生の話をまとめるとこういう事だった。
さかのぼること2日前、先生は御学友と大学にてサークル活動を行っている際に、議論がちょっとだけ、少し、いやかなりヒートアップしてしまい、2人がハマっているこのゲームで決着を付けることになったらしい。
ただこのゲーム4人1組でやるものらしく、1人は集めきれたがあともう1人たりないという。
そこで俺に白羽の矢が立ったという事だった。
「頼む!受験が終わってすぐの冰河に無理を言っている自覚はあるんだけど、どうしても勝ちたいんだ!」
すぐに返答しようとしたのにお願い!とギュッと先生が両手で俺の手を包み込むものだから上手く言葉を紡げない。
きっと耳まで赤い自覚がある。
「⋯せ、先生⋯」
「⋯駄目かな」
先生はどうやら本や音楽、ゲームを含めて色々なものを嗜む世間一般的にいうオタクという事は知っていたけど、ここまでとは思わなかった。
(好きこそ物の上手なれという言葉もある。先生はいろいろな事に手を抜かない事を俺に教えてくれようとしているんだろう。)
「わかりました、先生!この俺を⋯いや弟子を鍛えてください!」
「ありがとう、冰河!」
こうして俺と先生、いや師尊のゲーム合宿が幕を開けたのだった。
◇◆◇
自分が他とは違うと気付いたのはいつだっただろうか。
人と同じように進めてる筈なのにいつも俺は皆より先にゴールしてしまった。
最初は良かった。周りも褒めてくれるし、喜んでくれる。母さんももう1人の母も凄く嬉しそうでなんだか自分が誇らしくなった。
けれどいつからか周りがよそよそしくなったり、怒られてしまったり、家族は皆気にするなと言ってくれたけど、そんな煩わしい事がどんどん増えてきて───────。
そんな時に俺を見つけてくれたのは先生だった。
受験の為という事で父が俺に付けてきた家庭教師。
多分先生に会えてなかったら俺はもっと酷く世界を斜めに見てた酷いやつだっただろう。
先生はそう生きている俺を見たらきっと悲しい顔をすると思う。
(だから、俺は先生の隣で胸を張って立てるようになりたい。)
閑話休題。
だからゲームなんてちょっとコツを掴めば大丈夫だろうと思っていた。自分の見通しの甘さが恥ずかしい。
「師尊、すみません⋯」
画面にはデカデカとLOSEと大きく表示され、自分の操作していたキャラクターが思いっきり地団駄を踏んでいた。先生がいなかったら俺も同じようにしていたかもしれない。
「いや気にすることないさ」
大丈夫だよ、といつも褒めてくれるように優しく頭を撫でてくれる先生、いや師尊。
(不甲斐ない⋯せっかく先生が俺を頼ってくれたのに⋯)
「さっき見てた限りだと途中で動きを止めていたよな、初心者にはこのコントーラーだと厳しいかも」
プロコンのほうが俺はやりやすいんだけど、64のコントーラーどこにやったかな、とよく分からない単語が飛び交っているが自分のせいで悩ませてしまったことだけはわかった。
「いえ違うんです!その⋯」
「その?」
「目がぐるぐると回ってしまうんです⋯」
そうなのだ。このゲーム、ルールもわかってきたし、先生のいう塗っている時に敵が来たら撃つことも出来てきたのだが、いかんせん視界がよくわからなくなるため、その都度休憩していたのだった。
「なるほど、借りていいか?」
はい、と返事をし先生に手渡そうとすると先程まで横にいたはずの先生がいつの間にかいなくなり、代わりに俺に後ろからのしかかってきていた。
(こ、これはどういう状況だろうか!)
先生は以前4人兄妹だと伺った事がある。
だからなのかはわからないが、肩を組まれたり、頭を撫でられたり、手を繋いでくれたり、なにかと距離が近く、心臓に悪いのだった。
それにしたってここまで距離が近いのは初めてでバクバクと心臓が破裂しそうなくらい動いている。
「後ろからごめんな、でもこの操作慣れると楽しいから」
耳元から柔らかい熱気と共にいつも寝る前に反すうしている優しい声が通る。
先程までクーラーの冷気で冷えていた背中が先生からの熱でじんわりと温まっているのがわかった。
(先生の香りだ…)
柔らかい花のような優しい香りと先生がお好きな友人から貰ったらしい香水、そして先生自身の香りがいつもよりより良くわかって───────。
「冰河?聞いてる?」
「は、はい!」
いけない、緊張しすぎて先生からの言葉を逃してしまうところだった。
「1度やってみせるから画面見てて」
「わかり…先生?!」
いつも俺の間違いがあるとやさしく示してくれる指先は俺の人差し指と重なっており、関節はふしばっていてやっぱり先生は同じ男なんだな、と感じる。そう、先生は私の手のひらごとコントローラーを握って下さっているのだった!
「よ、横で見せていただくだけで大丈夫です!」
(抱きしめられているかのような体勢だけで目いっぱいなのに、こんなに寄り添われては本当に理性がダメになってしまう!)
それでも嬉しくて払いのけることが出来ず、一生懸命頭を振ってやめてください!と主張するが先生は更に強く私の掌ごとコントローラーを握りしめる。
「見てるだけじゃわかりづらいだろうし、俺も教え辛いから…ちょっとだけ我慢して」
「…はい…」
こうなったら早めに習得してこの生殺し状態を打破する事に切り替えよう、と決意した。
◇◆◇
「冰河、やったな!」
「はい!」
それから先生に据え膳ではなくマンツーマンの指導を受け、最初はぎこちなかった動きもなんとか形になってきた。
途中指導に熱くなってきた先生からもっと強く抱きしめられたり、その影響で愚息が立ち上がってきそうになったり、そんな折りに不意にコントーラーが振動するものだから驚いてしまったりなど様々な困難があったが乗りこえてきたかいがあったと思う。
「冰河は本当に何でも出来るな」
「とんでもないです!それもこれも先…師尊からの教えあってこそです!」
興奮気味に答えるとやさしく手を頭に添えてくださりながら弟子が優秀でこの師は鼻が高い、と若干かしこまって演技される先生は優しくなんだか…。
(かわいい、と思ってしまうのは俺が愚かなせいでしょうか…?)
「よし、もう1戦やったら休憩としよう」
「はい!」
ゲームなどには元々興味がなかったけど、この人が喜んでくれるならどんなものにも触れてみたいと思える。
(待機時間が長いゲームで良かった)
「先生、いつか」
「ん?」
「また何かあった時俺も呼んでくださいますか?」
「もちろん!」
いつか───────。
(いつか胸を張ってあなたの隣に立てる自分になった時、その時は俺から抱きしめてもいいですか?)
そちらの言葉は飲み込んでポップな文字が表示される画面へと向かい合った。