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    amayadori_kasa8

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    amayadori_kasa8

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    すごくよく食べるつるみか♀。
    三日月が先天性女体。
    審神者が人外。めっちゃ喋ります。
    他にも人外がいます。
    暗くない黒本丸の話があります。
    闇鍋なので何でも美味しく頂ける人向け。

    完成したら支部にあげる予定。

    つるみか(前編) 食わず女房という名の妖を知っているだろうか。
     あるところに、妻帯していない男がいた。食事をせずよく働く者がいれば嫁に迎えても良いなどとのたまうその男に、ある時望み通りの女が現れる。嫁となったその女は男の望み通り飯を全く食わず、働き者であった。しかし、何故か米をはじめとする食糧の減りが早い。こっそりと食べているのではと訝しんだ男が仕事に出かけるふりをして家を覗くと、嫁が大量の握り飯を作っていた。そして、嫁は結っていた髪を解くとそこにはなんと大きな口が。そこへ握り飯を次々と放り込む女を見て、男は嫁の正体が人間ではないと知った。男は女に離縁を申し出たが、本性を現した女は男を攫い自分の住処へと連れ込もうとする。隙を見て逃げ出した男は菖蒲の生えた湿原に身を潜めることによって、なんとか助かったのだった。

     その件の妖が、この本丸の主である。
    「ふむ、これは奇妙な縁もあったものだな」
    「ふふ、そうですね」
     上品に笑う目の前の女性は、話に聞くような山姥の類とは程遠い。三日月は隣に政府の職員をちらと見れば、その視線を受け、職員は丁寧に説明をしてくれた。
     彼女は現代に生まれ育った妖であり、昔のように人を食うことは滅多にないらしい。ということは食うこともあるのか、と三日月が問えば本丸の主は首を振った。
    「光忠や歌仙のご飯の方が何倍も美味しいと思います」
     その答えは、彼女が人を食べたことがあるようにもないようにも取れる。だが深くは追求せず三日月はそうかと頷いた。
    「さて、以前お伺いした件ですが」
     職員が切り出した言葉に、本丸の主は両の手を口の前で合わせ笑みを浮かべる。
    「ええ、ええ。私たちに異論はございませんわ。三日月宗近、暫しこの本丸で貴方を預かります」
    「世話になる」
    「この本丸の主は妖だけんど、良いところやき、安心せぇ」
     彼女の隣で陸奥守が三日月を安心させるように豪快に笑った。客間に案内されただけではあるが、この本丸が良いところであるのは穏やかな雰囲気が流れていることからわかる気がする。
    「ええ。それに、今やあの男は牢屋の中です」
     妖の主が、手袋を外していた三日月の手を両手でそっと包み込んだ。
    「あんなクソみたいなドクズ男のことなど忘れてしまいなさいな」
     品の良さそうな見た目と仕草からは、かけ離れたと思うほどの暴言を吐きながら本丸の主がにこやかに笑う。三日月の事情を軽く説明してあると聞いていたのである程度は知っているらしく、職員が補足説明しようとしたのだが、陸奥守がすっと前に手を出してそれを止めた。
    「わかっちょる。最後まで言わんでもわしらは気にせん!」
     職員の言葉を遮り、陸奥守が妖の主ごと三日月の手を握る。暖かいふたつの温もりは、血が通う生きているものの証。その感動に声を出せないでいる三日月をどう解釈したのか、ふたりは薄らと浮かべた涙を拭い立ち上がった。
    「それでは、早速歓迎会の準備を致しましょう!むつ!」
    「任せちょけ!」
     まるで嵐。あっという間に部屋から出て行ったふたりに、三日月と職員は呆然と見送るしかできなかった。去り際に後で迎えに来ると陸奥守が言い残して行ったため、三日月はそのまま用意されたカステラに手を伸ばす。一応、話が終わるまでは手を付けずにいたものだ。茶請けにしてはやけに多い量のそれに舌鼓を打っていると、横から戸惑う声が聞こえた。
    「三日月様……」
     今度は職員が三日月を見る。その視線を受け、三日月は困ったように笑った。
    「まあ、折を見て俺から彼女たちに言うとしよう」
     三日月は刀剣男士たちを不当に扱う審神者の元に顕現した、所謂ブラック本丸出身の刀である。昼夜関係なく戦場に出陣させられ、手入れはしない、刀装も持たせて貰えない。審神者の機嫌を損ねればすぐに折られる。そんな典型的とも言えるブラック本丸で顕現された三日月だが、意外なことに被害は何ひとつ受けていなかった。
     と言うのも、三日月が顕現されたのは悪事が明るみに出たその審神者が逮捕される直前、悪足掻きとばかりに手に取った鍛刀されたばかりの刀が三日月だった、それだけである。そのため、元本丸の仲間が誰がいたのかも、すぐに捕まった審神者の顔もほとんどわからぬまま政府に保護されたのであった。
     ただひとつ、問題があったとするのならば。
    「そう言えば、俺が女であることは全く触れなかったな」
     首を傾けた拍子に、長い射干玉の黒髪が肩から滑り落ちる。広がる髪を眺めながら三日月は思ったことを口にした。本来の三日月宗近にはないものがあり、あるものがない。性別が違う三日月のことを、この本丸の主も近侍も何も言わなかった。恐らく、触れてはいけないと思っているのだろう。先程、陸奥守が三日月の手を握ったのは、主である彼女の手の上からだった。
    「一応、彼女には説明はさせて頂いたんですけれど……」
     何でも、審神者になる前の妖の主は男運がほとほと無かったらしく浮気をされては捨てられるを繰り返し、遂に堪忍袋の緒が切れた彼女はその男を食べようとしたらしい。だが、その浮気男というのが現世の仕事と兼業していた審神者であったらしく、そこから時の政府に連絡がいき彼女が妖であることが知られてしまった。本来なら人間に害を成す妖は退治されるのだが、悪いのは明らかに男の方であったことと、審神者の適性があったと判断された彼女は現世には戻らないという約束の元お咎めなしということになったと言う。本人は現世に未練は一切ないらしく、逆に喜んではいたが。
    「人間の男への恨みが強すぎてほとんど聞いていなかったみたいですね」
     置かれていたお茶を飲みながら職員がため息をついた。髪の毛に隠れていない左目が三日月を見て、それからふたりが去っていった方向を見る。
    「それでも、彼女はとても優秀な審神者ですよ。その、全く問題がないとは言いませんが」
     妖である以上、何かしらの問題はあるのではないだろうか。人間を食べないとは言ってはいなかったし、食べようともしたことがあると聞いた。だが、彼女の様子からは邪な気も穢れも感じない。ゲートからここに来るまでに見かけた石切丸やにっかり青江、ふたりの山姥切もいたことから考えれば三日月の心配など杞憂だろう。
    「なに、彼女が何物であろうと気にせんよ」
    「そう言って頂けると助かります。ブラック本丸は掘れば掘るほど出てくるものでして……穢れを浄化できる人も妖も数が少なく、かと言ってそのまま放置するわけにもいきませんからね」
     ふふふと力なく笑う職員に、三日月は労わるように肩を軽く叩いた。元本丸に居た刀剣たちは今政府でカウンセリングとやらを受けているらしい。一振だけ遠目で見えた、同位体の三日月宗近は痩せこけた頬と目の下にくっきりと隈が出来た姿だった。あの本丸では折れた刀も多かったが顕現していた刀も多かったらしく、職員総出でケアにあたっていると聞いている。
     三日月を担当している彼もまた、他に訳アリの何振りかを担当しているのだが、人手不足で今回のブラック本丸騒動に駆り出されたらしい。普段は妖関連の担当であるから、三日月の預かり先も妖本丸なのだそうだ。ちなみにこの本丸の主、食わず女房である彼女は特に浄化の力があるとかでは無いらしい。ただ食に関することに特別な力があるらしいが教えてはくれなかった。
    「さて、僕は政府に戻ります。三日月様、また三ヶ月後に来ますので返事を考えておいてくださいね」
    「……」
     一時預かりと銘打っているが、三日月がこの妖本丸へと来たのは所属先を決めるためである。前の本丸にも主にも未練は無い三日月にとっては、受け入れられるのならば何処の本丸でも良いのだが、決まりだと言われればそれに従うまで。
    「大抵の方は最初に訪れた本丸に行くことが多いですけどね」
    「そうか」
     出陣も手合せもなく、何もすることがなかった政府での生活とは違い、この本丸では他の刀もいて暇になることはないはずだ。何もなくてもブラック本丸出身の三日月は身を寄せていた妖の女性職員用宿舎の中以外は外出禁止であった。流石に本を読んで過ごすのも限界がある。一時預かりとは言え、せめて手合せあたりはできると良いのだが、と三日月はぼんやりと考えた。
    「三日月様なら大丈夫ですよ」
     三日月の心中を察してか、彼がふわりと微笑む。今あれこれと考えても仕方がない。三日月もまたそうだな、と微笑み返す。
    「それでは」
     すっと立ち上がった職員は部屋の中でも手放さなかった赤い唐傘を持ち、三日月に一礼し足音も立てずに去っていった。妖担当と言うだけあって彼もまた妖である。何の妖かまでは知らないが、恐らくは刀剣男士である自分たちと似たようなモノなのだろうと思う。人に使われた、モノの気配がする。
     残りのカステラを平らげ、茶も飲み干した三日月の耳に、こちらに向かってくる音が聞こえた。短刀だろうか、足音はとても軽い。
    「よっ、待たせたな!」
    「おや、迎えか?」
     開け放たれていた障子から顔を覗かせたのは、小柄な影。まさに元気いっぱいという言葉が似合いそうな彼は恐らくは短刀だろう。
    「あぁ! 俺は太鼓鐘貞宗! よろしくな!」
     太鼓鐘貞宗と言えば、伊達に縁のある刀だ。政府で元本丸にいた刀の名簿を見たことがあるため、名前と物語は知っている。
    「俺は三日月宗近。こちらこそ、よろしく頼む」
     太鼓鐘の笑顔につられ口角が上がった三日月は、これから始まるであろう妖本丸での生活に心を躍らせた。


     迎えに来た太鼓鐘が言うには、これから庭で肉を焼いたりして食べながら三日月の歓迎会をするらしい。政府で様々な年代の書物を読み漁り知ったばーべきゅーというやつか、と問えば、まぁ似たようなもんだと返ってきた。
     三日月が来ることは事前にわかっていたため、三日前から準備やら仕込みやらをしていたのだと楽しそうに話す太鼓鐘の言葉を聞いて嬉しく思う。顕現した時はわけもわからず政府に保護されてしまったため、こうして歓迎されているというのは、とても嬉しいことだと知った。
    「ここの本丸は何か祝い事があればすぐ宴会を開くからな。皆張り切ってんだ」
    「それは楽しみだ」
     庭が近付いてきたのだろう、肉の焼ける良い匂いが漂ってくる。先程一本の半分くらいあったと思われるカステラを食べたのにも関わらず、三日月のお腹がくぅと鳴った。それに気が付いた太鼓鐘は歯を見せて笑い、くいと三日月の袖を掴んで早足で庭への道を急ぐ。
    「おーい、連れてきたぜー!」
     廊下の角を曲がった先。思いもよらない光景に三日月は目を見開いた。太鼓鐘に袖を引かれていなければ足を止めていただろう。
     目線の先の庭の中央には、沢山の料理が簡易の机の上に所狭しと並んでる。周りには鉄板やらなんやらで肉や三日月にはわからないが何かの食べ物が焼かれていた。更に奥の方では、そこそこ大きな脇差でもすっぽり入れそうな程の大鍋が火にかけられている。それも五つほど。
    「これは、壮観だな」
     現在、顕現可能な刀剣男士は三桁に近い程。この本丸には全振とはいかないが五十以上の刀がいると聞く。食事の準備だけでも大掛かりになることは想像に容易い。だが庭の景観は何処へやら、ここまで全てが食一色に染まるのは初めて見た。
    「いやいや、これくらいで驚くにはまだ早いぜ」
     惚けている三日月の元に、大量の肉を持った白い刀が近付いてくる。見覚えは無いが知っている刀だ。
    「よっ。鶴丸国永だ」
    「俺は三日月宗近。よろしく頼む」
     驚きを好む刀だと、政府の女性職員が言っていた。そしてその驚きの被害に遭う職員も多い、とも。しかし皆一様に楽しげに話しているところを見るに、単に悪戯好きだと言うわけではないのだろう。
    「まさか、女性の姿で顕現する刀がいるとはなぁ。噂には聞いていたが、こうしてお目にかかれるとは」
    「ちょっと、鶴さん」
     じぃっと、上から下まで鶴丸の目が動く。慌てて隣の眼帯の刀――恐らく燭台切光忠だろう――が止めるが三日月は気にするなと笑った。鶴丸の瞳には純粋な好奇心しかない。無粋さが一切感じられなかったこともあるが、三日月自身気にしていないのである。
    「驚いたか?」
     同情や憐れみの目で見られるより全然いい。妖の主により最近の人間の男にはろくな奴はいない、と刷り込まれているであろうこの本丸の刀剣たちに、誤解を解くにはこのくらいの不躾さは必要だと三日月は思う。何せ一切被害は被っていないのに、勝手に同情されるのは少々腹を据えかねるものがあった。
    「あぁ、驚かせてもらったぜ。次はこちらの番だな」
     すっと三日月の目の前に鶴丸の何も持っていない手が差し出される。高さがあるからか、ただ庭に降りるために手を貸してくれるのだろう。だがしかし、その仕草が余りにも様になっていたものだから、三日月は思わず照れてしまった。
    「すまんな」
     触れた鶴丸の手は暖かく、華奢そうに見える手首とは裏腹に三日月を支える力は強い。ほとんど女性としか過ごしていなかった三日月にとって、こうして男性に触れられるというのはなかなか気恥しいものがあった。顔が赤くなる前に、用意されていた履物にさっと足を通す。
     三日月がきちんと地に足をつけたことを確認してから、鶴丸の手が自然と離れた。その手際の良さに、流石伊達男の刀と政府の職員たちが噂していたのも頷ける。
     ほら、と箸と紙皿を渡され、早速焼かれた肉が置かれた。またしても腹が鳴る程の食欲の湧く匂いが、三日月の鼻腔をくすぐる。
    「ははっ、君を待って皆腹を空かしている。飯にしようじゃないか」
     鶴丸の一声で、襷をかけ何やら鉄板で焼きそばらしきものを作っていた妖の主がそうですね、と大きく頷き片手を上げた。
    「皆様!宴の始まりです」
     どっと大歓声が湧く。あれよあれよと言う間に三日月は本丸の刀に囲まれてしまった。馴染みある三条の刀を初めに粟田口の短刀たちや新選組の刀たちが自己紹介がてらにおすすめだと様々な料理を三日月の皿に乗せたり、机の上に置いていったりする。それに目を回しながらも三日月はこんなに楽しく美味しい食事の時間は初めてだと、心と腹が満たされていくことに笑みが溢れた。
    「三日月、食べているかい?」
    「あぁ。もちろんだとも」
     次から次へと皿に乗せられる肉の山がなかなか減らず、休憩と称して縁側に座る三日月の元へ、両手に肉の山と大盛りのご飯を持った鶴丸がやってくる。どす、と隣に座った鶴丸は三日月が湯呑みしか持っていないことに気付き、食べるかと肉の山を差し出してきたがやんわり断った。
    「それはお前のだろう。俺は少し休憩だ」
    「ま、確かに五十以上の刀とあいさつ交わすだけでも一苦労だよなぁ」
     そう言いつつ、肉と米を交互に大口で頬張る鶴丸の皿からどんどんと肉の山が減っていく。その様子を見ながら三日月は良い食いっぷりだなと呟いた。
    「ん? あぁ、主がああだからな」
     三日月の声を聞いていた鶴丸がちら、と目を庭の方へと送る。その目線の先を辿ると、短刀に囲まれている妖の主がいた。きっちりと結っていた髪を下ろし、その後頭部へと短刀たちが食べ物を差し出している。食わず女房の後頭部にあるという口に食べ物を放り込んでいるのだろう。肉の山が一気に消えた。もちろん、顔にある口でも上品に食べてはいるがその速度と量が刀剣男士と変わらない程だ。頭と顔、食べた物は一体何処へと向かうのだろうか。
    「そんなことより、歓迎会なんだから主役が端っこにいるもんじゃないぜ」
     いつの間にか肉と米が消えた皿を持った鶴丸に連れられ、三日月はまた庭へと向かうと、そこには最初と変わらず肉の山が築き上げられ、先程までは見なかった新たな料理も追加されていた。
    「お、ピザも焼けてるじゃないか。三日月、どれがいい?」
     こんがりと焼けたチーズの匂いが漂う机の上に置かれている色とりどりの丸いピザは見ているだけでも楽しい。鶴丸曰く、本丸の裏庭部分に専用の窯があるとのことだ。
    「では、お前がおすすめだと言うものをもらおう」
     選べと言われたが、量が多すぎる上に大きい。三日月が抱えられるかどうかというくらいの大きさである。
    「そうだな……。これなんかどうだ?」
     鶴丸が専用だという丸い刃のついたかったーというもので切り分けてくれたピザは三日月の顔よりも大きかった。漂ってくるの甘い匂いに、三日月は首を傾げる。
    「これは、甘味か?」
    「マシュマロだ。聞いたことはあるかい?」
    「本で読んだことはあるぞ……おお、甘いな」
     ふぅ、と息を吹きかけて冷ました三角形の頂点、そこにかぶりつけば、ましゅまろという白い菓子はとろりとした食感で舌に絡みついてきた。甘すぎないチョコレートが丁度いい。ひと休みしていたおかげかあっという間に食べきってしまった。
    「途中で甘味を挟むのもいいもんだぜ。次はまたしょっぱいものが食べたくなる」
    「なるほど、こういう楽しみもあるのか」
     鶴丸の言う通り、とびきり甘いものを食べた後は塩気のあるものが欲しくなる。三日月は残していた皿の肉に再び箸を伸ばした。
    「三日月様、おかわりはいかが致しましょうか」
     皿の肉がやっと減ったかと言う頃。三日月のお茶碗から米が無くなったのをいち早く察した前田がしゃもじを持って尋ねてきた。こうして宴が開かれる度、厨当番だけでは手が回らないため皆がそれぞれ得意な料理を振舞ったり、手伝いを率先して行うらしい。三日月は一応客という立場なので世話される側である。
    「はは、すまんが俺はもうそろそろお腹がいっぱいでな。気持ちだけ受け取ろう」
     漸く皿の上の肉の山が無くなったのだ。腹八分目は通り越している。三日月がやんわりと断りを入れた瞬間、ピタリとざわめきが止んだ。
    「ん?」
     先程まで飲めや歌えの声が聞こえていたはずなのに、誰も彼もが手を止めこちらを見ている。時が止まったような本丸の庭で、肉が焼ける音と火が弾け飛ぶ音が大きく聞こえた。
    「み、み、三日月さま……」
     溢れんばかりに目を開いた前田の手からしゃもじがするりと落ちる。それを見た三日月は慌ててしゃがみこみそれを拾った。
    「前田?」
    「う、嘘ですよね? まだ一杯しか召し上がっていませんよね?」
     信じられないような顔をする前田に三日月も思わず動揺する。確かに、一杯しか食べてはいない。だが、お椀に盛られた米は三日月の顔ほど盛られていたのだ。多く見積っても三合は食べていたかと思う。
    「だ、だが、肉も食べたぞ」
     もちろん、それ以外にも焼いた野菜や大鍋の汁物も、先程のピザも食べた。決して食べていなかったわけではない。
    「おいおいおい! 肉だってまだほんの少ししか食ってないだろ」
     鶴丸が満月のような瞳で見下ろしてくる。だが、驚いたのはこちらの方だ。三日月もまた目を見開き鶴丸を見た。
    「あの肉の山を少しと言うのか」
    「まだ牛肉しか食べてないだろ? 豚も羊も、鶏だってあるぜ?」
    「……」
     人は本当に驚くと声も出ないらしい。目を白黒させる三日月は助けを求め周りを見たが、誰も彼も鶴丸と同じ反応である。
    「君、もしや少食というやつなのか?」
    「……は?」
     聞きなれない言葉に、すぐに反応することが出来なかった。
    「お味噌汁も一種類しか召し上がりませんでしたよね」
    「まだ焼きそばもカレーだってあるのに!」
    「デザートだってまだですよ!」
     粟田口を中心に、短刀たちが三日月の周りに集まってくる。四方八方からまだあれがある、これはまだだと声を掛けられるが全てに答えられるはずがなく。思わず地面に座り込み、あたふたと慌てる三日月を助けたのは一期一振だ。
    「ほらほら、三日月殿が困っているよ」
     冷静に弟たちを窘める一期に、三日月は助かったと思った。まだ一杯、と言われるが何もかもが大きいのだ。汁物は丼ぶりに注がれ、焼いたそばから入れられていた肉は常に山盛り。正直に言うと、そろそろ限界であった。
    「まだ本丸に来たばかりなのだから、緊張してるのでしょう。ゆっくりお食べくださいね」
     違う、そうではない。三日月の心境など知って知らぬ彼らはそうだったのかと納得し再び食べ物を持ってこようとする。更には薬研が胃に優しいものの方が良いと言い出し、ならばあれもこれも作ってもらおうと提案する粟田口の子らに、三日月は全力で、且つ柔らかく断りを入れた。
    「君、本当に遠慮しているんじゃ」
    「してない」
     座り込んだ三日月に鶴丸が手を差し伸べる。その手を借りて立ち上がった三日月は鶴丸の質問に食い気味に否定した。
    「も、もしかして、前の本丸では一切ご飯食べさせて貰えなかった、とかですか?」
     腹がいっぱいだと繰り返す三日月の様子を見て、左手には大盛りの炊きたてご飯、右手の箸にはこれまた大量の肉を挟んだ鯰尾が恐る恐る尋ねてくる。
    「まあ、確かに前の本丸では食べたことなどなかったが、」
     それは、前の本丸には数分しかいなかったからであり、政府では三食おやつ付きでしっかり食べていた。食堂のおばちゃんと呼ばれている女性には「アンタ、いっぱい食べて偉いわねェ!」と言われていた三日月が少食であるはずがない。
     だが、そこまでの事情を知らない本丸の皆は、青い顔で三日月を見た。その目は、明らかに憐れみが含まれている。
    「食べないと胃が縮むと聞いた。三日月が少食なのはそのせいなのか?」
     両手に焼き鳥、しかも大串に大量の肉が刺さった状態でこれまた大量に持つ骨喰が心配そう己を見るが、三日月は違うと全力で否定した。そうしなければとんでもないことになりそうな気がしたからだ。
    「いや、そんなことはないぞ! きちんと政府でも食べていたからな」
    「いやいや、それにしては君、全然食べてないじゃないか! あと五杯はおかわりなんて余裕だろ」
    「五杯は流石に多過ぎではないか」
     鶴丸のおかわり発言に慄いた三日月を、またしても皆が驚愕の表情で見てくる。このいたたまれなさは何だ。おかしいのはどう考えてもこの本丸の方であるのに、三日月の方がおかしいと言わんばかりに見られている。
     どうすれば誤解を解けるのか考える三日月を余所に、そういえばと妖の主が何かを思い出したように声を上げた。まるで嫌な予感しかしない。
    「あの本丸の腐れゴミクズは食事を与えないことはもちろん、無理やり泥や草を食べさせていたと聞きましたわ」
     とうとう元主が人間ではなくなった。いや、今はそんなことはどうでもいい。
    「それは俺ではなく、」
    「そんなひどいことをされたなんて」
    「男の風上にもおけぬな!」
     眉尻を上げて地団駄を踏む今剣と、その隣で怒りの形相をした岩融たちに三日月の否定の声はかき消されてしまった。更に妖の主や陸奥守によって三日月に降り掛かってもいない前の主による悪行が本丸中に知れ渡ってしまう。その非道な行いの大半は三日月も初耳で、いくら否定しても思い出したくないのだなと弁解の余地もない。
    「三日月、どんどん食べるんだよ!」
    「私の油揚もあげますよ」
     石切丸が持っていた山盛りの焼きそばが盛られた皿を渡され、小狐丸からどんどん乗せられる食べ物を無下にすることも出来ず、三日月は半泣きでただただ目の前の皿を持つことに必死だった。
    「うぷ」
     本丸の皆がいる庭から離れた場所にある花壇の近くに、休憩用の長い椅子がある。漸く、本当に漸く解放された三日月は、密やかに咲いている寒白菊の花を項垂れながら虚ろな目で眺めていた。最早匂いすらも受け付けられない。横になるのさえ苦しく、座るのがやっとである。
    「大丈夫か、三日月」
     そんな三日月の頭上から声がかけられるも、顔すら上げる元気が今はない。視線さえも動かさないまま、来訪者の名を呼んだ。
    「……鶴丸か」
     三日月を驚かさないように配慮してか、気配を隠さずにやって来たのは鶴丸だった。
    「悪かったな。皆、君に食の素晴らしさを伝えたかったんだ」
     地面に片膝をついた鶴丸が三日月の顔を覗き込む。その顔がまるでしょぼくれる仔犬のようで、三日月はくすと笑みを浮かべた。
    「わかっている。皆の気持ちも嬉しかったぞ。もちろん、お前の気遣いもな」
     三日月も皆純粋に心配してくれているのは充分に理解しているつもりだ。ただ、基準がおかしい気がするだけである。
    「そいつは何よりだ。君には、早くこの本丸に馴染んでほしいからな」
     そう言って安心したように笑う鶴丸に対し、三日月は少しの居たたまれなさを感じた。だが、そんな三日月に気付かない鶴丸は、そうだとふところから何かが包まれた紙を取り出し持っていた水筒と一緒に手渡してきた。
    「これは?」
    「薬研から食べ過ぎに効く薬を預かってきたんだ。たまに来る客人用のものだけどな」
     妖用ではあるらしいが刀剣男士が摂取しても問題ないらしい。鶴丸は腹が弱い妖もいるんだよなと笑っているが、絶対に違う。原因はこの本丸の異常な食欲に違いない。
    「この本丸は皆、食べることが好きなのだな」
    「そりゃあな。誰かが美味しそうに食べているところを見るとこっちも食べたくなるもんだぜ」
     そろそろ〆に雑炊を作る頃だと言う鶴丸に、まだ食べられるのかと慄く。顕現させた主に刀剣男士は似ることがあると政府で聞いていたことがあったが、本当であったとは。
    「君も食うだろう? 主の作る雑炊は本当に美味いんだ」
     三日月の目の前に、立ち上がった鶴丸の手が差し出される。ふと見上げた先、鶴丸があまりにも無邪気で悪気がない顔で三日月を見ていた。彼的には三日月に美味しいものを食わせてやろうという善意からくるのだろう。それはわかっている。わかっているのだが、腹は今にもはち切れそうだ。
     しかし、同情ではなくただ純粋に笑みを浮かべる鶴丸を拒むことは三日月にはできない。うぐぐと唸り葛藤した末に腹を括った三日月は、渡された薬を急いで水で飲み込みその手に自身のを重ねた。
    「さぁ、行こう」
     力強い手に引かれ、重たい腰を上げた三日月は鶴丸の隣に並ぶ。早く行きたいであろうに、三日月に合わせてゆっくり歩みを進める鶴丸に申し訳なさを感じながらも、皆がいる庭を目指す。
    「君には飛びっきりのものを用意しよう」
     悪気のない鶴丸の笑顔を前に、いらないと言えるものがいるのか。いや、いない。
    「………………程々に頼む」
     今更ながら、全く問題がないわけではないと言うあの政府職員の妖の言葉を実感した三日月であった。


     先日の宴仕様から一転、麗らかな冬の景観の庭の中を三日月は周囲を警戒しながら歩く。美しい冬薔薇の生け垣は歌仙兼定や福島光忠たちの手によるものであり、女性体である三日月の背を隠してくれるほど高い。誰にも見つからないようにゆっくりと生け垣を抜けた三日月は、その先にあった長椅子に腰を下ろしてほっと息を吐いた。
    「出てきても良いぞ」
     声を潜め、そっと声を掛ける。すると、何処からか鳴き声とともに何匹かの小さな生き物が現れた。
    「よしよし、今日は羊羹だ。たくさんあるから、喧嘩せずに食べると良いぞ」
     二股の尾を揺らして擦り寄ってきたり、小さな水掻きのある手で一生懸命長椅子に登る生き物たち――猫又や河童などの小型の妖である――が三日月の元へわらわらと集まってくる。持っていた風呂敷から大量の一口くらいの大きさの羊羹を取り出した三日月がその包み紙を開き小さい妖たちに渡せば、皆喜んで受け取った。その光景に笑みを浮かべる三日月だが、ほんの少し罪悪感もある。
     大量のこの羊羹は本丸の皆が三日月のために、とくれた物だ。何が好きかと聞かれた際に、羊羹だと答えたが故に大量の羊羹を本丸の皆から貰う羽目になってしまったのである。
    「三日月さん、これあげる!」
    「おや、鯰尾に骨喰。これは芋羊羹か? ありがたく頂こう」
    「俺たちのオススメだ」
    「三日月。はい、これ。可愛いでしょ、一口サイズだから食べやすいと思うよ」
    「可愛らしいなぁ。加州、ありがとう」
    「あ、三日月さん。僕のオススメの羊羹もあげるよ」
    「お、おお、ありがとう。大和守」
    「うはは。なら僕のオススメも渡しておこう。ついでだ、この菓子もお前さんにやろうじゃないか」
    「す、すまんな則宗よ……」
     両手に抱えているのにも関わらず、いつの間にか大量のお菓子が積まれていく。それがこの本丸に来て一週間での日常となってしまった。
     腫れ物のように扱われるよりは良い。だが、これは予想外である。まるで祖父母と孫のようなやり取りではないか。三条含めた平安生まれの刀はまだ良い。だが一期や鬼丸以外の粟田口の刀や新選組の刀たちにまで、何かある度に飴や煎餅などのお菓子を貰うのだ。いや、それはまだ良い方である。この間はおやつと称して丸々とした、拳三入りそうなほどの大きいおにぎりを大包平から渡された時は、流石の三日月も顔が引き攣りそうだった。大包平には気付かれていないだろうが。
    「あ、三日月さん!」
     後ろから掛けられた声に肩がびくりと跳ねた。と言うのも仕方がないだろう。そう言って声を掛けられた次の瞬間には、手に何かを渡されているのだ。
    「はい、これ。今日のおやつのひとつだよ」
     思わず受け取った皿に、丸々としたおはぎが乗っている。大きさは三日月の拳ほどだろうか。だが、これでも小さい方である。必死に頼み込み皆より小さく、そして少なめにして欲しいと頼んでこれだ。ちなみに、三日月の皿に乗っているおはぎは三つだが、他のものたちは大きさも量もこれの三倍である。
    「あ、あぁ。ありがとう、燭台切」
     両手で持った腕が重さで震える。もち米は、重たい。色んな意味で。
    「……」
     膝に乗る手鞠くらいの大きさの河童の撫でながら、三日月は虚ろな目で空を見上げた。おやつのひとつ。燭台切の言葉どおり、この後におやつと称した何かが次々と出てくるのだ。三日月がそんなに食べられないと厨当番に直接言うと、悲しそうな顔で「そっか……まだ食べられないよね」と返してくる燭台切たちを見ていられず、受け取って食べきれないものはこうして妖たちにあげているのである。流石に皿ごと持ってくるのは出来なかったのでおはぎは何とかふたつだけ食べて残りは包んできた。美味しかったが夕飯まではもう何も入りそうにない。
     厨当番の作ったおやつは基本早い者勝ち。出陣部隊は優先されるらしいが、それ以外で勝てなかった者たちは自分で作ることもあると言う。三日月は客としてもてなされているため皆譲ってくれているのだが、郷に入っては郷に従えということでそこは本丸のルールに従うとごり押しした。それは、それはもう必死に。それでも三日月を優先させようとするものはたくさんいる。
     小型の妖たちとは、三日月が安寧を求めてふらふらと逃げ込んだこの場所で出会ったことがきっかけで仲良くなったのだ。最初は妖と言えどヒトの食べ物をやってもいいか悩んだものだが、小動物と仲が良いという大倶利伽羅にこっそり聞いたところ、なんでも食べるし与えても問題ないと言う。それから三日月は、安心して皆から貰った食べ物を妖たちに分け与えることにしたのである。ちなみに、聞いた後に大倶利伽羅からも大量の菓子を渡された時はお前もか……と思わざるを得なかった。
    「なんだ君、いつもいなくなると思ったらこんな所にいたのか」
    「」
     予想もしない声に長椅子から尻が浮く。驚愕で早鐘を打つ心臓に胸を抑えながら、三日月は鈍い動きで後ろを振り返った。そこには、毎日見かける顔。
    「つ、つ、つるまる……」
     よっ、と片手を上げた鶴丸は長椅子の背もたれを飛び越え、空いた場所、つまり三日月の隣へと腰をかける。膝や足元にいた妖たちは逃げてしまったようでいつの間にかいない。ふたりだけの空間で、三日月はまだ落ち着かない胸を抑えながら鶴丸から目を逸らし、自分の膝を眺めた。
    「君の、」
    「俺の分は他のものにあげると良いぞ」
    「おいおい、まだ何も言ってないだろ」
     呆れたように、鶴丸が肩を竦める。そうは言うが、鶴丸が何を言うのか三日月はこの数日でよく学んでいた。
    「何を言おうとしているかはわかっている。だが、八つ時に間に合わぬものは自分で用意するのだろう。毎回律儀に持ってこなくとも良いぞ?」
     おやつ争いで三日月を優先させるもの、鶴丸はその筆頭と言っても過言では無い。いくら八つ時――と言っても日に何度もある――を逃しても鶴丸は必ず三日月を探し出しその手に何かしらの食べ物を渡してくるのだ。
    「だってなぁ。自慢じゃないがうちの本丸の飯はそこらの食事処よりも美味いんだぜ? 君に食べてもらいたいと思うじゃないか」
     ほら、と手に紙に包まれた温かいものを渡される。三日月の小さい手のひらほどのそれは、丸い形をした厚みのある焼き菓子だった。
    「地方によって呼び方が多々ある菓子だが、本丸では主の出身地に因んで御座候と呼ぶな」
    「ござそうろう……」
     聞きなれない言葉に、この本丸では珍しい小さなその菓子をまじまじと見つめる。まだ温かいそれを一口かじれば、中からしっとりした餡が出てきた。
    「そっちは白あんだな。こっちは赤あんだ」
     あっさりとした餡の甘さに自然と頬が上がる。先程のおはぎも甘く美味しかったが、こちらにはまた別の甘さがあった。
     三日月がちまちまと食べ進めていると、隣からやたら視線を感じる。気になってちらりと横目で見れば、長椅子の背に肩肘をついた鶴丸が三日月を見つめていた。
    「……そんなに見られると食べづらいのだが」
     そう三日月が言えば、鶴丸はハッとしたように顔を背ける。そして後ろ髪を乱暴に掻き回しながらすまん、と呟いた。
    「その、君は口が小さいなと思ってな」
    「そ、そうか?」
    「俺なら一口で食べる」
     あ、と口を開けた鶴丸は持っていた自分の分の菓子をそのまま放り込む。そして、物の見事に全て口の中へと収まってしまった。
    「」
    「君のために作ったが、これじゃあ食べ応えがないんじゃないか?」
    「いや、充分な大きさだと思うが…………作った?」
     ひょいひょいと三日月が数口かけてやっと半分食べる大きさの菓子が次々と鶴丸の口の中へと消えていく。いや、そんなことよりもこれを鶴丸が作ったということの方が驚きだ。
    「お前が作ったのか?」
    「あぁ、君が小さい方がいいと言っていたからな。だからなるべく小さく作ってみたんだ。どうだ、驚きだろ?」
     大きいか大きくないかで言われると恐らく世間一般的には大きいのだろうが、三日月のために態々作ってくれたのかと思うと素直に嬉しい。
    「……ありがとう、鶴丸」
    「いいってことさ。ほら、君も冷める前に食べちまえよ」
     ほんのりと顔を赤くした鶴丸が照れくさそうに、またひとつ菓子を口に放り込む。その様子に微笑む三日月だったが、正直もう腹がいっぱいである。残り半分になった菓子と、美味しそうに食べる鶴丸を見て、三日月は恐る恐る声をかけた。
    「鶴丸。その、食べかけで悪いのだが……いるか?」
    「…………は?」
     行儀が悪いのは重々承知しているのだが、如何せんこのままでは食べ切れそうにない。半月となった菓子を差し出せば、何故か鶴丸は固まってしまった。
    「や、やはり食べかけは駄目だな」
    「い、いや! き、君が良いなら俺は構わない!」
     出した手を引っ込めようとしたが、鶴丸によってそれは阻まれてしまう。
    「そうか?」
    「ああ! まだ食べ足りないと思ってたところだ!」
     鶴丸の勢いに圧倒される三日月だったが、その一言にほっと胸を撫で下ろした。
    「なら良かった。ほら、口を開けろ」
    「へ?」
    「お前ならこれもあっという間に食べてしまうのだろうな」
     腕を掴まれたまま、菓子を摘んだ手を鶴丸の口元へと持っていく。だが何故か鶴丸はなかなか口を開けてくれない。
    「鶴丸?」
    「あ、ああ……」
     どこかぎこちない、漸く開けた鶴丸の口の中に菓子を放り込む。口を結んでいる時はわからないのだが、こうして見るとよく開く。今度は三日月がじっと鶴丸が口を動かすのを見ていた。
    「み、みかづき」
     先程までの勢いは何処へやら、ゆっくりと飲み込んだ鶴丸の顔がじんわり赤く染っていることに気が付く。
    「す、すまん。食べにくかっただろう」
    「い、いや、大丈夫だ」
     先程は鶴丸に注意をしたくせに、自分はやってしまうとは。無作法だったと謝れば鶴丸はぶんぶんと首を横に振った。
    「そ、それよりもうすぐ夕餉だ! ほら、三日月」
     ばっと立ち上がった鶴丸が手を差し出す。事ある毎に鶴丸にこういう扱いを受けるのだが、それを指摘する気は起きない三日月は、今日もその手に自身のを重ねるのであった。



     今日も今日とて八つ時には大量の食べ物が用意されている。幸いなのは本日のおやつは豊作だったと言って桑名が持ってきた夏野菜を各自で自由に持っていけという方式だったことだ。たまにはシンプルなのもいいよね、ということらしい。三日月は部屋の端の方で小さめに切ってもらった胡瓜に歌仙特製の味噌を付けて食べていた。
     この本丸、というよりかは主である食わず女房の彼女の力のおかげで季節関係なく作物が育つ。そしてなにより特徴的なのはその大きさである。三日月の手よりも大きいトマトを見た時は最初何の野菜かわからなかったほどだ。
     今三日月が咀嚼している胡瓜も普通のものより三倍はあったと思う。これだけで腹がいっぱいになりそうだが、他の刀たちは山盛りの野菜に次々と手を伸ばしていた。もう慣れてしまったが、この本丸のものたちはよく食べる。いくらある程度自給自足出来るとはいえ食費も相当かかるのでは、と博多藤四郎に聞いたところ驚愕の事実を聞いた。
    「みんな腹が強か!」
     良い笑顔だ。三日月はそれ以上聞くのを止めた。この国の食料廃棄量に嘆けばいいのか、妖の主の影響を受けすぎている刀剣たちに驚けばいいのか。ついでに三日月用には消費期限が新しいものを用意していると聞いてその場で土下座したくなった。周りに止められてしまったが。
     だがしかし。三日月は遂に見つけた。食べなくても誤魔化せる、唯一の方法を。
    「厨に立ちたい?」
     割烹着姿の歌仙が寸胴鍋をかき混ぜながら三日月の方へと振り向く。忙しなく働く厨で申し訳ないと思いながらも、三日月はぶんぶんと頷いた。
    「あぁ。俺も料理をしてみたい。いつも美味いものを馳走になっているのでな」
    「そう言ってもらえるのは嬉しいね。けど、今はお客さんとしてきてるんだから、三日月さんはゆっくりしてて良いんだよ?」
     三日月がすっぽりと座れそうなほど大きい中華鍋を火にかけながら燭台切が困ったように笑うが、事態は深刻なのである。これ以上、三日月が食べきれないほどの量を作ってもらうのも困るが、厨当番に負担をかけたくないのも事実。
    「充分ゆっくりしているぞ。それとも、俺には無理だと思われているだろうか」
     三日月自身、器用では無いことはわかっている。だが、引くわけにもいかなかった。大食間の集まりであるこの本丸の食事は用意するだけでも大変である。そのため、厨当番は常に忙しい。有志の手伝いはいるがそれでもてんやわんやである。だからか、厨当番たちは食事中でも頻繁に席を立つ。
     そこで三日月は思ったのだ。自分ならば食べ終わればずっと厨に立てるし、後片付けは当番以外の仕事のため皆が食べ終わるのを待っている間にあれもこれも食べろとは言われない。現代風に言うならばうぃんうぃんの関係と言うやつである。
    「いや。僕たちだって最初は上手くいかないことも多かったからね」
     歌仙が言うには新しい刀が来ると、一度は厨に立ってもらうとらしい。教えるのは得意だと胸を張った歌仙に三日月は安堵する。これで駄目だと言われたらどうしようかと思ったところだ。
    「三日月さんも、僕たちと一緒に料理をするの? 嬉しいなあ」
     通常の十倍くらいありそうな太さの太巻きを作りながら、日向が嬉しそうに微笑む。最早中に何が入っているのかわからないが、美味しそうであるのは確かだ。
    「よろしく頼むぞ、日向」
    「うん、任せてよ!」
     広い厨の中、奥の方から他の厨当番たちも顔を出してきて三日月に声をかける。
    「すいーつならまかせてくれ」
    「俺も色んな地域の郷土料理を調べてるから、気になるのがあったら教えてね」
    「よろしくねぇ」
     こうして歌仙たちの他、小豆と小竜、北谷菜切たちに教えてもらい、三日月は厨に立つことになった。
     とは言え、流石にすぐに作れるようになるわけでも無く。妖の主に許可を貰い、離れにある厨で三日月は料理の練習をすることにした。本丸の厨が混んでいても他に使えるようにと用意されているこの場所は、いつも三日月が避難しているあの薔薇の生け垣に近く、皆の自室からは少し遠い。そのため、夜はほとんど使われないのだ。
     早いものはもう夢の中であろう時刻、静かに離れにある厨に訪れた三日月は周りに誰もいないことを確認して明かりを点けた。離れとはいえ全て現代風であり、業務用という大きな冷蔵庫には常に食料がたくさん入っている。名前の書かれていないものは好きに使っていいらしい。今日は卵がたくさん取れたと聞いたのでそれを使う料理を練習しようと思う。丁度昼に歌仙に教えてもらった料理がある。
     三日月は卵を溶きながら、初心者はこれを使うといいと教えてもらっためんつゆを適量入れた後、四角いフライパンへと流し込んだ。じゅうと卵が焼ける良さげな音がなる。少しずつ片側に集めて空いた場所にまた更に溶き卵を少しずつ流し込む。ある程度の大きさになったらフライ返しで引っくり返すように巻く。一回、二回、三回。そしてまた溶き卵を流し込む作業を繰り返すこと数回。
    「……よし」
     少し焦げてしまったが何とか形を崩さずに巻くことができた。もう二時間ほどずっと玉子焼きを作っているが、こうして上手に巻けるのは三回に一回である。他は残念ながらスクランブルエッグと化してしまった。失敗しながらも三回、四回と作り続け四人がけのテーブルの上に料理が乗り切らなくなってしまった頃。
    「今回は上手くいったのではないか?」
     程よい大きさになった玉子焼きをそっとまな板に乗せ包丁で切る。少々歪だが、断面は良い感じにとろっとしているように見えた。フライパンを持つ腕も限界で最後にと作った玉子焼きは今まででいちばん良い出来だと思う。
    「三日月」
    「ひあっ⁉︎」
     薄く切った玉子焼きの端を口にしようとした瞬間、背後からかけられた声に三日月は飛び上がった。ついでに玉子焼きも一緒に上に飛んだ。
    「おっと危ねえ! 何だこれ、玉子焼きか?」
     高く飛んだ玉子焼きは何とか乱入者の手により救済されたらしい。口から飛び出そうな心臓を落ち着かせるために胸を抑えた三日月は、ゆっくりと振り返った。
    「つ、鶴丸」
    「すまん。そこまで驚かせようと思ったわけじゃないんだ。それより、こんな時間に飯か?」
    「いや、その……練習を、していた」
     三日月の驚きっぷりに逆に驚かせられたと笑う鶴丸は、手の中の玉子焼きの切れ端をじろじろと眺める。その反応に三日月は慌ててその空飛んだ玉子焼きの切れ端を回収した。
     隠す程のことではないのだが、こうして見られると気恥ずかしいものである。照れ隠しに三日月は内番服の上に着けていた白いエプロンの端で何もついていないのに手を拭った。
    「練習?」
    「俺も、料理が上手くなりたいと思ってな」
    「へぇ? 君が料理とは、他の三条にも見せてやりたい光景だな」
     顎に手をやる鶴丸を、三日月は顔を動かさないまま恐る恐る見上げる。らしくないことだと思われているのだろうか。動機は不純であるが、三日月は料理がだんだんと楽しくなってきていたのだ。
    「おかしいか?」
    「っ、だ、だってなぁ。君、世話される方が好きだろ?」
     三日月が見上げた瞬間。何故か固まってしまった鶴丸が顔を逸らした。だが、目線だけは三日月を見ている。
    「……否定はせん。だが、世話する方に回るのも存外楽しそうだと思ってる」
    「ふぅん」
     意外そうな顔をする鶴丸だったが、ふと机の上に所狭しと並べられた玉子焼きを指差した。
    「なぁ、それはどうするんだ?」
    「どう、とは?」
    「少食の君に、この作った玉子焼きが食べ切れるのか?」
    「だから、俺は少食などではないというに……」
     何度も少食ではないと主張しているが、如何せんこの本丸の食欲が異常のため生暖かい目で見られてしまう。思わずムッとした三日月に鶴丸が肩を竦めた。
    「はいはい。で、何処にいくんだ?」
    「それは……」
    「まさかとは思うが、捨ててるわけじゃあないよな?」
    「当たり前だろう。バチが当たるぞ」
     食の大切さはこの本丸に来てからしみじみと感じている。量はともかく、米粒どころか胡麻ひとつも残さない彼らの食べっぷりは見ていて気持ちいいものだ。ちなみに、意地汚い食べ方をすると、歌仙から痛いお仕置を食らうらしい。
    「それで?」
    「……たまにやってくる猫又や小さい河童たちにあげている」
     失敗作を上げるのは忍びないのだが、三日月が消費するには限界がある。食べきれないものの中で、味に問題がないものは妖たちに食べてもらっていた。
    「あいつらか! 本丸にいるやつじゃないのかよ!」
    「お前たちは厨当番の作るものを食べるだろう」
    「それはそれ、これはこれ、だ。あいつらがいいなら、俺も食べて構わないよな?」
    「そ、それはだめだ……!」
     隠せないとはわかっていても、三日月は鶴丸の視界を逸らすようにテーブルの前に立つ。自分的には上手くいったと思ってはいるが、人前に出せるかどうかと言われると答えは否だ。
     形は良くない、焦げている、味が、と必死に首を振る三日月だが、鶴丸は食べたいの一点張りでまるで聞く耳を持たない。挙句の果てには眉じりを下げ、懇願するように三日月を見てくる。
    「そんな焦げなんてあってないようなもんだ。な、いいだろ?」
     腹が減っているんだと、捨てられた仔犬のような瞳で見つめられた三日月は、夕餉をたらふく食べておいてそれはないだろうという言葉をつい呑み込んでしまった。なぁ、と横へ首を傾げる鶴丸に三日月は胸がきゅうと苦しくなる。
     これが、政府の女性が言っていた母性と言うものなのか。ふとした時に見せるあどけない表情が良いのだと、彼女たちは言っていたが、わかる気がする。
    「す、好きにしろ」
    「いいのか! なら、遠慮なく頂こう!」
     照れから素っ気なくなってしまったが、鶴丸は三日月の言葉で花が開くように破顔した。その表情に三日月の胸がまたきゅうと締め付けられる。
     椅子に座った鶴丸の前に、先程作った玉子焼きの皿を置く。吹っ飛ばしてしまったものや形にならなかったものは避けて上手く出来たものだけを出せば、鶴丸は不満そうに口を尖らせた。
    「好きにしろと言ったのは君だろう? まさかこれだけってことはないよな?」
     じっと見上げてくる鶴丸に、三日月は思わず目を逸らし視線をウロウロとさせる。形が崩れている方が大半の玉子焼きを、普段厨当番たちの作るものを食べている鶴丸の前に出す勇気は三日月にはない。だがしかし。
    「三日月」
     長い沈黙の攻防の末、無言の圧力に負けた三日月は全ての料理を机の上へと置いた。それに満足そうに頷いた鶴丸はいただきますと手を合わせて玉子焼きへと箸を伸ばし、大きく開けた口へと放り込んだ。
    「なんだ、美味いじゃないか!」
     ばっと鶴丸が三日月を見る。その顔には驚きが浮かんでいた。
    「……本当か?」
    「嘘をついてるように見えると?」
    「いや、だが……」
     心配する三日月を余所に、鶴丸は次々と皿を空にしていく。とんでもないものが出てくるのだと思っていたらしいが、想像以上だと笑う鶴丸に三日月の顔が熱くなる。
    「ごちそうさま」
     そうこうしているうちに、テーブルの上にあった料理は全て空になっていた。本当に全部食べきってしまったらしい。夕餉も盛りに盛った米とともにおかずを掻きこんでいたというのに、よく食べるものである。
     広い流し台で片付けると言い張る鶴丸が洗った皿を、これまた片付けると譲らなかった三日月が拭いて棚へと戻していく。両者とも譲らなかったための妥協案である。
    「なぁ、三日月」
    「うん?」
     他愛のない話をしながら、最後の一枚を棚へと戻し終えた三日月がエプロンを外し畳んでいると、突然鶴丸が手を合わせて頭を下げてきた。
    「頼む! 次からは俺も君の練習に付き合わせてくれ!」
    「……え?」
     突拍子もない鶴丸の行動と言葉に、三日月の動きが止まる。下げられた頭の旋毛を眺めながら言葉の意味を考える三日月に焦れたのか、ほんの少しだけ頭を上げた鶴丸が上目遣いに見てきた。
    「駄目か?」
     鶴丸の頭に垂れた犬の耳が見える。気がした。少し前、歌仙が大倶利伽羅のことを仔犬と呼んでいたことをふと思い出したからだ。打刀の彼が仔犬ならば太刀である鶴丸は成犬だろうか。そんなことを考えていると段々期待に揺れる尻尾も見えてきた。
    「だ、だが……」
     きゅうきゅうと胸が締め付けられる。見た目は成人したいい大人の男であると言うのに、だんだん可愛いという気持ちが湧き出てくる。
     だがしかし、練習に付き合うと鶴丸は言うが、言い換えれば失敗作の処理だ。それに付き合わせるのも申し訳なく、言い淀む三日月に鶴丸はさらに言葉を重ねる。
    「いいだろ? だいたい、あんまりあいつらを餌付けると後々困るだろ。妖は愛玩動物じゃないんだ」
    「それは、そうだが……」
     ならば大倶利伽羅はどうなのだと思ったが、そもそも三日月は一時預かりの身でこの本丸の刀ではない。自由にしていいとは言われているがあまり好き勝手にするのは確かに良くないだろう。三日月がそう考えている間にも鶴丸の口はよく回る。
    「君は存分に料理の練習ができるし、俺は腹も膨れる。なんなら俺も光坊たちほどではないが教えることができる。な、お互いにいいことばかりだろ?」
     その割には三日月の方が利点は大きい気もするが、結局は鶴丸に押し切られるように頷いた。
    「ありがとう、三日月!」
     今にも飛び上がりそうなほど喜んだ鶴丸がにっこりと笑う。どうやらこの笑顔に弱いらしい。三日月は思わず赤くなった顔を隠すように頭の手拭いを下ろした。



     料理の練習を始めて間もなく三ヶ月。離れの厨に行く前に三日月の部屋を訪れるようになった鶴丸を伴い夜の庭を歩く。鶴丸の手元にある白い提灯が周りをぼんやりと照らすのを眺めながら、三日月は何を作ろうか考えていた。
    「今日は何を作るんだ?」
    「そうだな……久しぶりに、洋菓子でも作ってみるか」
    「お、そいつはいいねぇ」
     夕餉もまた大盛りに大盛りを重ねたような量を平然と平らげたにも関わらず、鶴丸は腹が減ったと言って笑う。その振動は、鶴丸の腕に手を組んでいる三日月にも伝わった。
     闇夜では太刀の目が効かないのは戦場だけではない。本丸でも、暗い場所では度々三日月は何かにぶつかっていた。それに離れの場所までは所々明かりはあれどとても暗い。そのため、よく躓く三日月を見かねた鶴丸が自分は慣れているからとこうして腕を貸してくれているのだ。それでも、今日はよく躓いた。
    「昨日の苺大福も美味かった」
     三日月の歩幅に合わせて歩く鶴丸が思い出すように舌で唇を舐める。まるで酒飲みのような仕草に三日月は目を細め、それは良かったと唇が弧を描いた。
     厨当番には劣るが、自信でも料理の腕は上達したのではないかと思っている。今では、食卓に三日月の作ったものが並ぶのも珍しくない。
     それでも、練習と称して離の厨へと通うのは止めなかった。厨当番に太鼓判は押されたが、三日月はまだ練習すると言い張り、離れの厨を継続して使いたいと妖の主には話していたのである。
     それはひとえに、目の前の男に食べて欲しかったからだ。
    「鶴丸は、何が食べたい?」
     組んだ腕にもう片方を添え、鶴丸を見上げる。普通の男性体の三日月宗近なら、ほとんど身長は変わらないのだろう。三日月の方が数センチほど高いと聞いている。だが、こうして見上げるのも悪くない。三日月の方へ少し首を傾げる鶴丸と、ほんの少し距離が近くなる。これは、この身長差であるからできることだ。三日月の身長は人間の女性の平均より少し高いくらいらしい。それでも、鶴丸とは十センチ以上の差がある。
    「そうだな……」
     鶴丸がううんと唸った。三日月が今まで作ったことのある菓子の名前があがり、その度に美味かった、また食べたい、でもあれも食べたいなどと声が漏れる。
     その姿の、なんと愛しいことか。三日月は、これが恋であるとはっきり自覚していた。初めは、女性体故の母性とやらが刺激されているかと思ったのだが、この感情は鶴丸だけにしか動かない。胸が苦しくなるほど、感情が揺さぶられる。
    「なら、これはどうだ?」
     三日月は懐からひとりづつに支給されている端末を取り出し、予め保存しておいた画像を鶴丸へと見せた。
    「ふぉんだんしょこら、か」
     見た目は普通の丸いケーキのようだが、中身を割るとそこから溶けたチョコレートが出てくる如何にも甘そうな洋菓子だ。配れるようにとマフィン等は作ったことはあるが、これはまだ作ったことはない。
    「本で見たことはあるが、俺は食べたことがなくてな」
     生地自体も甘いのに、更に甘いチョコレートが出てくるとはなんとも鶴丸好みそうな菓子だろうと思ったのだ。それに、とある行事が近くなっている、と言うのも理由の一つである。
     その日は、お世話になっている人や好きな人にチョコレートをあげると言う日らしい。いつもならひとりだが、せっかくなら三日月も一緒に作らないかと妖の主に誘われて知ったことである。
     当日は彼女と一緒に本丸の皆に渡す予定だ。だが、どうしても鶴丸に特別なものを渡したかった。だから、一週間ほど早いがこうした機会を狙っていたのである。
    「そいつは勿体ない。いいぜ、俺も手伝おう」
     随分前から、いつの間にか隣に鶴丸が立っていた。最早料理の練習というよりは、三日月にとっては鶴丸と一緒にいられることの方が目的となっていたりする。第一部隊でありこの本丸の古参なだけあって、厨に立つ鶴丸の手際は大変良い。驚きを好む刀らしく、様々な形をした飾り切りは素人目に見ても素晴らしいものだ。今は刀も増え滅多にしないと言うが、こうしてふたりきりの時は花や鳥などの形に切って楽しませてくれる。
    「おや、いつものボウルがないな」
     料理の邪魔になるからと長い髪を慣れた手つきでくるくると纏めながら、シンクの下にある棚を覗き込んだ三日月は首を傾げた。食事は綺麗に片付けるまで、という信条の妖の主に倣う本丸では珍しい。誰かが持って行ってしまったのだろうか。
    「そういや、どこかの国の料理を作るのに足りないからって光坊たちがこっちのボウルやらなんやらを持ってったんだった。確か、奥の棚の方にガラスのボウルならあったと思うが……」
    「あいわかった。ならばそれを取ってこよう」
    「俺が取ってくるぜ」
    「いや、お前はその大量の生クリームを泡立てておいてくれ」
     ボウルではなく大きな中華鍋にまだ液体の生クリームを大量に入れた鶴丸が名乗り出る。だが、機械があるとは言えその量を泡立てるのには時間が掛かるだろう。付け合せの域を越えた生クリームの量に三日月は今からでも胃もたれをしそうだが、鶴丸は嬉しそうに泡立てているのを邪魔するわけにもいかない。
    「わかった。いつも使ってるやつより重たいから気を付けろよ」
     了承の返事をして三日月は少し離れた場所にある棚の扉を開けた。恐らくこちらの棚はまだ本丸が発足したばかりの頃のものなのだろう、普段使っているものより小さいものばかりが仕舞ってある。
    「ふむ、これで良いか……」
     棚の中、少し屈んで三日月の腰辺りにあるガラスボウルに手を伸ばし持ち上げた。そのはずだった。
     手に取ったはずのボウルは、まるで形のないもののように滑り落ち、そして。
    「あ……」
     足元で、けたたましい音と共にガラスが砕け散った。
    「三日月」
     その音に鶴丸が何事かと駆け付けて来る。だが、三日月は床に落ちたガラスの欠片から視線を外せずにいた。僅かに、手が震える。
     本当は、持ち上げたつもりだった。しかし、手に力が入らなかったのだ。
    「す、すまん、割ってしまった……」
     ハッとして慌てて足元に散らばった破片を拾おうと手を伸ばす。だが、ガラスに触れる前に腰から身体が後ろへと引っ張られた。
    「そのまま触ったら危ないだろ。足は怪我してないか?」
     身体が浮いた、と思った瞬間。間近に鶴丸の顔があった。抱き上げられ、鶴丸の腕に座る形となった三日月は余りの顔の近さに背をそらそうとする。だが、降りようとしていると勘違いした鶴丸にさらに密着させられてしまった。
    「待て待て、落ち着け!」
     混乱状態の三日月を難なく抱き上げた鶴丸は、スタスタとテーブルと椅子の方へと歩いていく。
    「つ、鶴丸」
     そっと椅子に座らされた三日月の、その足に傷がないかを確認した鶴丸は安心したように微笑んだ。
    「良かった、怪我はないみたいだな。破片を片付けるから、君はここに座っていてくれ」
     危ないから動くなと少し強めに言われた三日月は、掃除道具を取りに行く鶴丸の背中をただ眺めることしかできない。その姿が見えなくなって、改めて未だ小刻みに震える手を眺めた。力が入らなくなる、その心当たりはある。今まで見て見ぬふりをして誤魔化していたことが、無視できなくなっていた。
    「…………っ」
     ぎゅっと手を握りしめる。三日月は力一杯握っているつもりでも、簡単に解かれてしまうのだろう。それほどまでに、この身体は弱い。
    「三日月、大丈夫か?」
     掃除を済ませた鶴丸が、座る三日月に合わせてしゃがみこみ顔を覗かせる。心配そうに見つめる鶴丸の顔が見れず、三日月は目を合わせないまま謝罪の言葉を口にした。
    「すまない……」
    「いや、今日は初めて出陣したんだろう? 疲れていたのに悪かったな」
    「そ、そんなことはない。俺の方こそ、片付けまでさせてすまなかった」
     逆に鶴丸に謝らせてしまったことに、三日月は慌てて否定した。
    「……戦場に出るのは初めてで、庇われてばかりだったからな。役には立てなかった」
     見知った刀の方が良いだろうと、今日の出陣は三条の刀と脇差の骨喰の編成であった。手合わせのみで演練にさえ出たことがない三日月ではあるが、刀剣の付喪神として戦い方は身に染み付いている。とは言えども、三日月は弱い。敵を一撃で仕留めれないほどに。
    「なぁに、君ならすぐ追いつくさ。そう気落ちしなくても良いと俺は思うぜ」
     練度が低いと言われれば、それは間違ってはいない。だが、それだけではないことを三日月は自覚していた。
    「場数を踏まなきゃわからないこともあるだろ? 戦も、料理も、な」
     鶴丸の手が三日月の背中を優しく擦る。その温かさは、じんわりと三日月の心をも暖めていく。
    「ありがとう、鶴丸」
     素直にそう伝えれば、いつか見た時のようにほんのりと顔を赤く染めた鶴丸は、そうだと声を上げた。 
    「今日は俺が作ろう!」
    「え?」
    「手伝っているとは言え、いつもは君が作っているからな! たまには俺が作る日もあっていいだろ?」
     くるりと三日月に背を向けて颯爽と厨を動き回る鶴丸の、その耳は赤い。照れ隠しに料理とは、本当に食べることが好きなのだなと、そんなことを思いながら三日月は目を細めてその背を眺めるのだった。
    「そら、召し上がれ」
     あっという間に出来上がったそれは、とても美味しそうな甘い匂いをさせている。三日月のためにと作られたそれは、ホールケーキのようではあったが、小さいフォンダンショコラだ。スっと切込みを入れれば、中から溶けたチョコレートが流れ出してくる。それを零れないように口へと含めば、甘さに自然と口角が上がった。
    「どうだ?」
    「……美味しい」
    「だろ?」
     そう言って、三日月のものよりも何倍もある大きさのそれを鶴丸は大きな口で食べ始める。大量の生クリームもまたどんどんと減っていく光景は、見慣れたとはいえまだ慣れない。けれど、その食べっぷりは見ていて楽しいものだ。
     今日は作れなかったが、次こそは自分が作ったものを食べてもらいたい。思わぬ事故だったが、好いた刀からチョコレートを貰った三日月は、食べている間ずっとにやけていたのだった。

     

    To Be Continued……
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