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    amayadori_kasa8

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    amayadori_kasa8

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    本にしようと思ったけど間に合わないし話が長くなりそうだし完成するかわからないしで、でももったいないからある程度書けたらまとめて更新しようかな、と思います。
    大侵寇の後に迷子の鶴丸を拾った眠れない三日月のつるみかです。

    #つるみか
    gramineae

    天《そら》知らぬ雨は、忘れた花の夢を見る(つるみか)いつかの世界線であったかもしれない話。
    独自設定、捏造がたくさんあります。






     ——ざぁ、ざぁぁぁぁ。
     気が付くと、雨に濡れていた。
     全てを洗い流すような強く冷たい雨だ。激しい雨に周りを見渡すも、ぼんやりと遠くに灯が見えるだけで、他のものは何も見えない。微かに動く人影は、突然の雨に皆一目散に帰路へと急ぐのだろう。雨足は酷くなるばかりだ。
    「――――」
     何故、此処にいるのだろうか。いつの間にか腰を下ろしていた長椅子の真ん中で、記憶の糸を引っ張り出そうとするが、何も思い出せそうにない。まず、この場所が何処であるかさえもわからないのだ。
     かろうじて覚えているのは、手を伸ばしても届かなかったという絶望感。臓腑を抜かれたような虚無感が、身体中を満たしていた。
     両肩にある重厚な防具が身じろぎした拍子に鈍い音を立てる。守りたいもののために修行に出たはずなのに、その守りたかったものがどうしても思い出せない。
     渇望するほどに、会いたかったものがいたはずだった。それなのに、その姿さえも朧げで覚えていない。何も掴むことができなかった手は、ただ虚空を握りしめていた。
     雨音は未だ耳の中に響いている。途方に暮れ見上げた空は真っ暗で、絶えず落ちてくる水は全くもって止む気配はない。昼か夜かさえもわからず、人もモノも今はもう何処にも見当たらなかった。上着など最早無用の長物となっているが、脱ぐことさえ面倒である。打ちつけるような雨は煩わしいが、どうすることもできずに両膝に肘をついて力無く俯いた。
    「おや。濡れ鼠ならぬ、濡れ鶴か?」
     一体どのくらいそうしていただろうか。穏やかな声とともに雨が止んだ。否、誰かが傘を差し出したのだ。雨と土で汚れた足元が目に入る。何処か既視感を覚え、思い出そうとするが、記憶が曖昧でわからない。
    「鶴丸国永」
     ——嗚呼。それは、まごう事なき己の名前だ。
     名前さえも、忘れていた。思い出した瞬間、何処からか現れた花びらが雨にも負けずに舞い散り、本体である刀が右手の中に顕現する。それをしっかりと握りしめながら、鶴丸国永は顔を上げた。
    「——」
     見上げた先には、何処か懐かしい顔。忘れかけていた己の名を口にしたその男は、眉尻を下げ歪んだ口元で美しく微笑んだ。
    「そのままだと風邪をひく」
     美しいかんばせに不似合いの大きな隈を目の下に作った男は、そっと鶴丸の手を取る。手袋越しでも感じる温もりに何故か鼻の奥がつんとした。握りしめたい衝動に抗いながら、優しくその手を包む。自分と変わらない大きさの手だと言うのに、何故か今にも折れてしまいそうだった。
    「鶴丸」
     再び名を呼ばれ、立ち上がり引かれるように彼の持つ藍色の傘の中に入る。肩が触れるほどに近づき、朝ぼらけの空に浮かぶ月と目が合った。長いまつ毛に覆われた瞳の奥は、何を見ているのかわからない。それでも、その瞳には鶴丸を映していた。
    「——三日月宗近」
     この刀を、知っている。名前を呼んだのは、ほとんど無意識だった。天下五剣で最も美しく、鶴丸を打った五条国永の師である、三条宗近の作。足利義輝や高台院を元主に持つ気高き刀を、鶴丸はよく知っていた。
    「行こう」
     口元だけ笑みを浮かべた美しい刀は、鶴丸の手を強く握る。そして、狭い傘の中を身を寄せ合うようにして歩き出した。
     
     ざあざあと烈しく降る春驟雨はるしゅうう。止まない雨の中、鶴丸の足取りは軽やかだった。
     
     
     
     
     ばたばたと本丸中に乱雑な足音が響く。遠くで廊下を走るなと叫ぶ声にすまないと返しながら、鶴丸は目的地の前に急停止した。きっちり閉められた目の前の障子に手をかけ、そして。
    「三日月‼︎」
     腹の底から大声を出しながら勢いよく障子を開いた。
    「……………………鶴丸か」
     鶴丸の声にたっぷりと数秒置いた後。目の前の男はようやく机の上から顔を上げた。天下五剣で最も美しいと言われているはずなのに、髪はぼさぼさで顔色も悪い。そして何よりも目立つのは、目の下にある大きく濃い隈である。初めて会った時よりはだいぶ薄くなったが、それでも目立つものは目立つ。
    「君、また昼食を抜いただろう。光坊が俺に泣きついてきたぞ」
     どす、とわざと足音を立てて近づき、三日月のいる机へとやや乱暴に両手をついた。
    「おや、もうそんな時間だったか。少々夢中になっていたようだ」
     はっはっは、と笑っているが動く様子は全くない。足を悪くしているこの本丸の主のための西洋風の執務室で、椅子に座る三日月は顔を上げているが視線は下を向いている。そんな彼の様子に、鶴丸は大きなため息を吐いた。
    「幸せが逃げてしまうぞ、鶴丸」
     困ったように微笑む三日月がようやく鶴丸をその瞳に映す。
    「誰のせいだと思っているんだ、三日月」
     未だにペンから手を離さない三日月からそれを奪い取り、腕を引いて立たせる。そして、逃げ出さないようにその手を強く握り鶴丸は三日月を連れて食堂へと向かった。
    「そう掴まずとも、逃げたとこなどないだろう」
    「逃げたことは、な」
     じとり、と三日月を横目で睨みつける。鶴丸の視線に、三日月は何でもないように笑うがほんの少しだけ目を逸らした。
     前に同じように三日月を連れて行ったことがあるのだが、食堂に着くなり握り飯をひとつ掴んだと思えば、三口で食べ終わり速攻で出て行ったことを鶴丸はまだ忘れていない。あの時は皿を持ったまま固まってしまい、出て行く三日月の背中をただ眺めることしかできなかった。
     鍛刀や刀装の妖精のように、厨にも妖精がいる。彼らは主も含め刀剣男士たちの生活を支えており、決められた時間に食事の用意をし、皆思い思いに好きなものを自分で取って食べていた。だから、三日月が握り飯を取るのを眺めていた鶴丸だが、まさかそれひとつで済ませるとは思っていもいなかったのである。信じられないという顔をする鶴丸に、三日月の事情を教えてくれたのは燭台切であった。
     燭台切や歌仙のように料理をすることを好む刀もまた厨に立ち、妖精たちの手伝いをしている。そのため、彼らは本丸の皆の様子をよく見ていた。四六時中と厨にいるわけではないが、三日月の場合まだ本丸に顕現した刀の数が少なかった頃から見ないと言う。
     あの手この手で食べさせようとはしているが、結果は芳しくなかった。そこで現れたのが鶴丸である。
    「あまり動かないからな、腹は空かないのだ」
    「人の身は生きているだけで腹が減るんだ。知らないわけじゃないだろう」
     食堂へと続く廊下を三日月の手を引きながら歩く。その間にも三日月は腹は減っていない等とのたまうが鶴丸は聞く耳を持っていない。今日は何を食べさせようか、そう思いながら三日月のを手を強く握った。
     
     三日月宗近。
     何も覚えていない鶴丸を拾った刀は、とんだ仕事中毒者であった。まさか、世話されるのではなく世話をさせられることになろうとは、あの時の鶴丸には思いもしなかっただろう。
    「鶴丸さえよければ、このままうちの刀にならない?」
     何処で顕現されたのか、何故あの場所にいたのか。何処の誰が顕現させたのか、鶴丸に流れる霊力を調べても何ひとつわからない。未曾有の敵の襲撃があった大侵寇で壊滅してしまった本丸の刀なのだろうが、鶴丸自身が何も覚えていないということもあり調査は難航していた。時の政府にて、わけのわからない検査ばかりで退屈していたそんな時、何とも魅力的な提案を出した三日月の主は鶴丸にとっては救世主に等しい。飛びつくようにすぐさま頷き、面倒な手続きはあったものの晴れてこの本丸の刀となったのであった。
    「鶴丸国永だ。俺みたいなのが突然きて驚いただろうが、これからはさらなる驚きをもたらそうじゃないか」 
     新たに顕現しなおしたこの本丸では、鶴丸国永は一振りも顕現していない。主曰く、縁がなかったと言うが、そんなことはあり得るのだろうか。だがしかし、鶴丸としてはこのままあの三日月と離れたくなかった。だから、彼の申し出には一も二もなく頷いたのである。
     別の本丸の審神者を主と呼ぶことに抵抗はあるかと思ったが、自分でも驚くほどにすんなりと受け入れることができたのは自分でも驚きだった。少し前に成人したばかりだという青年が率いるこの本丸は、思ったよりも居心地が良かったことも早く馴染んだ要因でもあるだろう。
    「ようやくこの本丸も全員揃って嬉しいよ」
     学生の頃に運動をして足を悪くし手術したという主は、普通に歩いているように見えるが若干右足を引き摺っている。主の右隣に立つこの本丸の初期刀でもあり近侍でもある蜂須賀は、現在顕現可能な刀剣の中で鶴丸が最後だと言っていた。
     この本丸は、発足してから十年が経っており、本人曰く中堅ぐらいと自称していたが、つい先日起きた大侵寇で前線に立っていたと聞く。上には上がいると蜂須賀は言っていたが、そこまで謙遜するものではないと鶴丸は思っている。朧げな記憶だが、鶴丸が元いた本丸よりもこの本丸の方が全体的な実力は上だろう。
     そんな実力も確かなこの本丸に、鶴丸国永だけが顕現しないことだけが不思議だった。主との相性が悪いのかと考えたが、実際此処にいる鶴丸が思うにそれはない。えも言われぬ違和感。その正体がわからぬまま、鶴丸は日々を過ごしていた。
    「なんか鶴さん、本丸に馴染むの早いよな」
     この本丸にきてから三週間。偶然通りがかった豊前江に声をかけられそれに応えた鶴丸を、伊達のよしみでもあり初鍛刀でもある太鼓鐘が不思議そうに見上げてくる。
    「数は多いが皆、突然きた俺を普通に受け入れてくれているからなぁ」
    「だって百振り近くいるんだぜ。俺だってまだあんまり話したことない刀だっているのにさ」
    「まあ、他の奴らと話すだけでも刺激になるからな。退屈とは無縁で嬉しいぜ」
     記憶が曖昧な鶴丸ではあったが、刀剣男士の顔と名前はたった一振りを除いて覚えていた。元の本丸でもおそらく全振揃っていたのだろう。他に覚えているのは、道具の名前や使い方、人の身で過ごすための知識、そして、戦い方。この本丸所属になった時に判明した鶴丸の練度は七十と高かったため、即戦力として早々に出陣することになったのである。
    「主、帰った、ぜ——⁉︎」
     太鼓鐘と別れ、第二部隊の隊長として報告のために主の部屋を訪れた鶴丸は、何やら一心不乱に机へと向かう刀を見て、動きが止まった。
    「…………鶴丸か。おかえり」
     動揺した気配に気付いたのだろう、その刀——三日月が顔を上げる。その顔を見て、鶴丸は盛大に驚いた。
    「君、何て顔をしてるんだ⁉︎」
     初めて見た時よりも濃い隈を目の下に作った三日月は、今にも倒れそうな程に顔色が悪い。だと言うのに、本刀は何でもないような声音で鶴丸を見上げた。
    「何か、おかしいか?」
    「そんな酷い顔色でおかしくないわけないだろう!」
     薬研に、いや此処は主に手入れを頼むべきか。座る三日月に近付き腕を掴んで立たせようとするが、目の前の刀が動く気配はない。
    「待て。まだこの書類が書き終わっていない」
    「おいおい、そんなものどうだっていいだろう」
     鶴丸がこの本丸にきてから、三日月と会うのは約三週間振りと言っていい程だった。馴染み深い刀の方がいいだろうと伊達の刀たちに鶴丸を押し付けて以来、話すどころか見かけてもいない。眉を顰め鶴丸は、椅子に座ったままの三日月を見下ろした。
    「君、今まで何をしていたんだ? 飯や風呂、出陣しているところさえ見たことがないんだが」
     百振り近い刀剣男士がいるこの本丸では、食事や風呂の時間も全員が揃うことは滅多にない。初日の鶴丸の歓迎会と称した宴会では皆揃っていたが、それくらいでしか揃うことはないと蜂須賀も言っていた。だが、たった一振りだけ全く顔を合わせないことなど、あるのだろうか。
    「偶に遠征や演練には出ているぞ」
    「この三週間、俺はこの本丸をずっと見て回っていたんだ。君が出陣ゲートの近くにいるところさえ俺は見ていない」
    「……俺は練度が上限だからな。皆よりは出陣頻度は下がる」
     だから近侍の仕事を手伝っていると目を逸らしながら三日月は言う。だが、まだ途中だと言うその書類に書かれている締め切りは一ヶ月後だ。
    「急ぎのものではないだろう。いいから、主のところへ行くぞ」
    「気にするな」
     再び三日月の腕を引っ張るが、まるで根が生えたように動こうとしない。利き腕を塞いでいるというのに、まだ筆も手放さない三日月に鶴丸はそれを置けと説得するも、全く聞く気はないようだった。
    「気になるに決まっているだろう。君、自覚はないのか?」
     掴んでいた腕を離し、自身の前で組んで三日月を見下ろす鶴丸の眉間に皺が寄る。が、それに気が付かない三日月はこれ幸いと書類に筆を走らせた。
    「問題はない」
    「何処がだ。今にも倒れそうな顔色だぞ」
    「俺は大丈夫だ」
     青白い顔でなおも拒む三日月。その問答に、鶴丸は額に青筋を立てながら笑みを浮かべた。
    「ほーう。君がその気なら、俺にも考えがあるぞ」
    「そうか、——⁉︎」
     三日月の座る椅子をがしりと掴み、勢いよく机から剥がす。そして、油断している隙に鶴丸はその身体を持ち上げた。
    「鶴丸、一体何を」
    「君が動かないと言うなら、無理にでも連れて行くまでだ」
     降ろせと暴れる三日月を押さえつけ、俵のように肩に担いだ鶴丸はそのまま執務室を出る。記憶がなくても極であることには変わりない。身長のわりに軽い三日月の身体を運びながら、鶴丸は足取り確かに主の元へと急いだ。
    「主」
    「あ、鶴丸おかえりー。部屋にいなくてごめん、ってええ⁉︎」
     まもなく昼時だからだろう、意外と料理好きな主が厨にいたところを呼び出す。入り口から顔を覗かせた主は、鶴丸の肩に担がれた三日月を見て慌ててまだ誰もいない廊下へと飛び出した。
    「三日月⁉︎」
    「酷い顔色のくせして机に齧り付いていたから連れてきた。手入れ部屋に入れた方がいいか?」
     何故三日月を担いでやってきた経緯を早口で主に伝える。だが、主の反応は鶴丸が思っていたものとは違っていた。
    「あー。もしかして、また執務室にいた?」
    「また?」
    「ワーカーホリックなんだよな、三日月」
    「わーかーほりっく?」
     聞き覚えのない言葉に首を傾げる。そんな鶴丸に、仕事中毒という意味だと主が教えてくれた。
    「何でそんなことになっているんだ?」
    「いやー、それは……ってあれ、三日月?」
     鶴丸の肩でぴくりとも動かない三日月に気が付いたのか、主が後ろに周って様子を伺う。そして、慌てて口を押さえながらも信じられないようなものを見るような目で鶴丸を見て小声で叫んだ。
    「三日月が、寝てる……‼︎」
    「そういや、最初の方は暴れていたな。急に大人しくなったから諦めたのかと思ったんだが……何だ、寝ていたのか」
     よくよく聞けば、静かだが寝息が聞こえている。このままでは寝辛いだろうと、なるべく振動を与えないように横向きに抱え込んでもなお、三日月はしっかりと眠っていた。
    「三日月がワーカーホリックになったのはさ、眠れないからなんだ」
    「眠れない? 不眠症ってやつか?」
     主の言葉に、鶴丸の腕の中ですやすやと眠る三日月の顔を眺める。こうして眠る姿を見ていると眠れないというのが嘘のようだが、その目の下ある大きな隈が嘘ではないことを証明していた。
    「……見たくないものが見えるから、眠りたくないって」
    「見たくないもの?」
    「それ以上は、聞いても答えてくれないから知らない。けど、そう言った三日月があんまりにも辛そうで……」
     そう言って首を横に振った主は、眉尻をぐっと下げた顔で眠る三日月の顔を覗き込んだ。
    「最近はその不眠症が特に酷くてさ。どうしようかってはっちと相談していたんだけど」
    「ぐっすりだな」
     声を潜めているとはいえ、頭上で話しているのにも関わらず起きる気配はない。全く動かない三日月の、ほんの微かな呼吸で眠っているとわかるが、あまりにも静かで心配になる。
    「鶴丸、悪いんだけどこのまま三日月を部屋に連れて行ってもらってもいい?」
    「ああ、勿論だ」
     食事は用意しておくと言う主の厚意に甘え、鶴丸は三日月を抱えたまま自分の部屋へと向かう。途中、すれ違った刀たちは鶴丸に抱えられている三日月を見て驚き、それが眠っていると知ると更に驚いた。皆一様に主と同じ反応で、鶴丸は少々愉快な気持ちで静かに目的地まで急いだ。
    「入るぜー」
     勝手に部屋に入るのは気が引けるが、そこら辺に置いておくのはもっと気が引ける。行儀が悪いとは思いつつ、足で障子を開けて三日月の部屋へと入った。
    「……随分何もない部屋だな」
     本丸に来たばかりの鶴丸でさえ、部屋には何かしらの物で溢れている。それは、例えば書物や驚きを提供するための道具、気に入った菓子類や短刀の子らがくれたちょっとした贈り物であったりと様々な物を鶴丸は部屋に置いていた。
     だが、三日月の部屋には何もない。部屋にある備え付けの机に筆やペンがあるくらいだが、おそらくこれは部屋にまで仕事を持ってきているためだろう。主が三日月を不眠症ではなく仕事中毒者ワーカーホリックと称した気持ちがよくわかる。
    「よっこらせっ、と」
     布団を敷こうかと思ったが、胡座をかいた鶴丸の足の間に三日月の身体を降ろした。気持ちよく寝ているのをこれ以上動かすことを躊躇ってのことだが、離れ難いと思ったのも確か。腕の中に囲んだ三日月を見て、鶴丸の表情に満足の色が浮かんだ。
    「よく寝ているな」
     戦場帰りのため砂や埃だらけで、ましてや鎧も付けたままの鶴丸など気にしていないのように三日月はぐっすりと眠っている。その頬にそっと人差し指の背を滑らしながら、鶴丸は疲労の色が残る顔をじっと観察するように見つめた。未だに青白い顔をしているが、心なしか執務室にいた時よりも顔色はいい。人間よりも遥かに丈夫な身体ではあるが、人の身を維持するのには睡眠も大事なものである。
     だと言うのに、目の下に隈まで作るほど仕事が大事なのか。
    「……俺を拾ったのは君だろう。なのに、君が俺の世話をしないでどうするんだ」
     ずっと、鶴丸は本丸を回っていた。拾われて以来、服の端さえ見せない三日月の姿を探して。
     畑当番に馬当番、第一部隊から第四部隊までを出たり入ったり、はたまた厨当番の中にも混ぜてもらっても、三日月を見ることはなかった。誰かに聞いても三日月の行方は知れず、もしかして避けられているのかも知れないと思っていたところだ。
    「三日月」
     それでも、三日月が鶴丸を気遣っていたということは知っていた。
    「……ん」
     ぴくりと、三日月の瞼が動く。名の通りの打ちのけが、朝ぼらけの空にゆっくりと現れる。
    「此処は……」
     寝起きの掠れた声で呟いた三日月は、ぼんやりと視線を彷徨わせた。自分が今何処にいるのかわかっていないのだろう。普段からは想像できない無防備な姿に、少しだけ悪戯心が疼いた鶴丸は、その耳元で三日月の名前を呼んだ。
    「みかづき」
    「⁉︎」
     ようやく鶴丸を映した三日月は、まるで凍ったように硬直して動かなくなってしまった。だがそれも一瞬で、素早く状況を把握した三日月は鶴丸の膝の上から降りようと身体を捻る。しかし、鶴丸の方が動きは早かった。
    「おいおい、急に逃げるのはないんじゃないか?」
    「なっ!」
     がっちりと三日月を抱き込み逃げられないように力を込める。寝起きで力も入らず、なお膝の上という不安定な場所でもなお、三日月は鶴丸から逃げるように暴れた。
    「っ!」
    「ほら、それみたことか」
     これ以上は埒が開かないと鶴丸は力を緩めた瞬間。どすん、と鈍い音を立てて背中から落ちた三日月は息を詰める。呆気に取られる三日月の、その背に鶴丸は手を回して起き上がらせた。
    「君、よく寝ていたな」
    「そのようだな……」
     ようやく頭もはっきりしたであろう三日月は、額に手を当てながら周りの様子を伺っている。そんな三日月を眺めながら、鶴丸は胡座をかいた膝に肘をついて口を開いた。
    「悪いとは思ったが勝手に入らせてもらったぜ」
    「あ、ああ。……すまんな、世話をかけた」
    「君、いつもああして仕事をしているのか?」
    「そうだな。近侍も第一部隊との兼任も大変であろうから、その手伝いだ」
    「手伝いねぇ」
     執務室に積まれていた書類を見る限り、手伝いの範疇を越えている気はするが。だが鶴丸はそれには触れず、前々から思っていたことを口にした。
    「なぁ、三日月。暫く、君の部屋に寝泊まりしてもいいか?」
    「な、何故……?」
    「新しく来た刀は、此処の生活に慣れるまで誰かと相部屋になるんだろう?」
     新しく顕現した刀は、与えられた肉体に慣れていないことが多い。大抵は顕現時に一緒にいた刀、その時の近侍である。
    「なら俺もそうあるべきだ」
     あの雨の日、鶴丸が拾われた時の近侍は三日月だった。おそらく、出不精のこの仕事中毒を外に出してやろうとのことだったのだろう。鶴丸と三日月を出会わせてくれた主の運に感謝した。
    「お前は別だろう」
     何を言っているとでも言いだけな顔をする三日月に、鶴丸は何処吹く顔で首を振る。
    「いーや、俺もこの本丸の新しい刀には変わりない」
     顕現されてからそれなりに経っているだろうが、それでもこの本丸で鶴丸は新参者であることに変わりはない。最初からひとり部屋を与えられてはいたが、本来ならまだ相部屋となっているはずだ。
    「だいたい、俺の世話係は君だ。なら、君は俺につきっきりじゃなければおかしいだろ」
    「そ、それは、伊達の刀たちが」
    「世話係は、君だ」
     本丸の過ごし方は、もう既に知っている。だがしかし、鶴丸が受けるべき扱いをされない道理はない。
    「三日月」
    「だが、」
     三日月から否定の言葉が出るたびに、腹の底からどす黒いものが湧き出てくる。苛立ちを隠しもせず、鶴丸は睨みつけるように三日月を見つめた。
    「拾ったのは君だ。なのに、君は俺を捨てようと?」
     人間だってよく言うだろう。拾ったからには最後まで面倒を見よ、と。すっと目を細めた鶴丸の視線に、三日月は慌てて首を横へと振った。
    「す、捨ててなどいないだろう」
    「いいや、俺の世話をしないなら捨てたも同然だな」
     顔すら見せないのは、あまりにも薄情だ。
    「それとも、君は俺を避けていたのか?」
     強引に三日月に詰め寄っている自覚はある。鶴丸とて本当に拒絶されているならば、潔く身を引くことも考えただろう。だがしかし、三日月は鶴丸を拒むことはしなかった。ただ、壁があるように感じるだけ。だからこそ、鶴丸はその内側へと踏み入りたかった。
    「避けてなど、いない」
     ぽつりと呟く三日月は、困惑したような顔をしながらも真っ直ぐに鶴丸を見る。ようやく、その瞳に鶴丸が映った気がした。
    「なら、君とともにいることを許してくれ」
     畳の上に着いていた三日月の手の上に自分のを重ねる。一瞬、びくりと肩を揺らした三日月だったが、跳ね除けることも拒むこともなく。ゆらゆらと揺れる瞳で鶴丸を見上げた。
    「………………わかった」
     長い沈黙の後。短いため息とともに、三日月は了承の意を示した。
    「よし。なら、早速世話をしてもらおうじゃないか」
    「は?」
     両手で膝を叩き、鶴丸は勢いよく立ち上がる。そして、呆然とする三日月に手を伸ばした。
    「食堂に行こう。主が俺たちの分を用意してくれているからな」
     差し出した手と鶴丸の顔を交互に見上げ、おそるおそる手を伸ばす三日月。その手が触れるか触れないかのところで、鶴丸は自分から握りにいった。
    「……仕方ない奴だ」
     驚いたように鶴丸を見る三日月だったが、自分からも強く握り返し同じように立ち上がる。困った顔をしながらも笑うその姿は、鶴丸の脳裏に懐かしく映った。
    「君は、そうやって笑ってる方がいいな」
     三日月宗近は、いつも笑みをたたえていた気がする。憂いに満ちた顔は美しくも思えるが、鶴丸が見たものはそれではない。かつて見た三日月はそう、もっと――。
    「そ、そうか……」
     素早い動きで三日月が袖で顔を隠す。ほんのりと染まった赤い耳に、鶴丸はかつての記憶を思い出すのをやめ、その隠された顔をじっと見つめた。
    「食堂に行くのだろう。ほら、行くぞ」
     鶴丸の視線に気が付いた三日月は、赤い耳はそのままに顔を背けて部屋から出て行く。存外可愛らしい照れ隠しに、鶴丸は口元に笑みをたたえその背中を追いかけた。
     まさか、この後すぐ三日月が握り飯ひとつ取って食堂を後にすることになろうとは、この時の鶴丸は思ってもいなかったことであるが。
     
    「この本丸に来てからもう一ヶ月以上経つという奴が、何言っているのだか」
     何もない午後の昼下がり。昼餉は済ませたが、鶯丸の茶のお供である駄菓子に釣られ、大包平とともに鶴丸は障子が開け放たれた部屋から庭を眺めながら、話に花を咲かせていた。
    「おいおい、それでもまだまだ新刀だぜ、俺は」
    「此処にいる誰よりも練度が高いくせによく言う」
     数週間前、鶴丸が三日月の部屋に転がり込んだという話は、百振り近い刀がいるというのに瞬く間に噂が広がり、誰も彼もが皆その話を聞こうと訪ねてくる。そんなやり取りが何日と続き、流石に辟易としていた鶴丸は、庭の方に向かって足を投げ出して座り、横向きのまま揚げた麺の菓子を摘みながらそんなおかしなことかと鶯丸に聞いた。
    「三日月は、戦場以外ではまともに部屋から出てこないからな」
    「手合わせにすら滅多に出てこない男だぞ!」
     鶯丸の部屋で、勝手知ったるように戸棚から新たに菓子を出した大包平がやや怒りをにじませながらそれを机の上へと置く。言葉とは裏腹に優しく置かれた揚げた芋の菓子を、我先にと摘んだ鶴丸は口をへの字にさせながら二振を見た。
    「いやいや、近侍が世話係と言ってるがそれは形式みたいなもので、実際は皆経験していることだろ?」
    「いいや、三日月は誰の世話係にもなっていないな」
    「そもそも、自分の世話係もいらないと突っぱねたそうだがな。天下五剣とあろうものが、練度が上限だからと部屋に籠りっぱなしなどと……!」
     本丸が発足してから一年ほどで鍛刀されたという三日月は、自ら志願して戦場に出続けたと言う。そして早々に練度が上限となってからは全くと言っていいほど戦には出ていないらしい。遠征もひとりで行ってしまうと。
    「主はよくそれを許したな?」
    「書類関係は全て三日月に任せているから、頭が上がらないんだろう。大人しくしていることが苦手な主だからな」
     鶯丸の言う通り、主が執務室に居るところをほとんど見たことがない。戦から帰還した時も、玄関で出迎えていることの方が多い気がする。そもそも、執務室に行くまでに出会う確率の方が高い。
    「なるほどねぇ」
     じっとしていられない性格の主の、その仕事を代わりにしているからこそ、三日月の我儘とも言える行動が許されているのだろう。他にも主の手伝いをしたい刀は多いとは思うが、そこは三日月もわかっているらしく、主が苦にはならずかつ手助けは必要な程度の仕事をうまく振り分けているらしい。
     鶴丸が三日月と再会したのは、奇跡とも言える運だったようだ。同じ部隊で出陣していた物吉の幸運を分けて貰えたのかもしれない。今度、太鼓鐘を通して何か菓子でも贈ってやろうかと考えていると、大包平が苦虫を十匹ほど噛み潰したような顔で唸った。
    「戦にも出ず、修行の許可も出ているというのに、全く行く気もない。まだ何を隠しているんだ、あの男は!」
    「修行、か……」
     修行を経て極となった三日月宗近を、鶴丸は演練で見たことがある。気品溢れるゆったりとした戦装束に身を包んだその刀は、何処か清々しい顔だった。
     それに対してこの本丸の三日月は修行どころか部屋からすら出てこない有り様である。鶴丸が三日月の部屋に転がり込んでからは、積極的に外へと連れ回してはいるが。
    「促されて行くものでもないだろうに」
     茶で喉を潤しながら、鶯丸が大包平を窘める。それでも、納得できない顔の大包平は、ぎりぎりと湯呑みを握りしめた。
    「……主は三日月に甘すぎる。なまくらになったらどうする」
     大包平の気持ちは、わからなくもない。刀は、武器として使われてこそ。長らく飾られていた鶴丸としては、戦場で刀を振るい敵を屠ることが嬉しく思う。それと同時に、三日月が刀を振るう姿も見たいとも思っている。打ちのけと美しい刀身、そして青い狩衣を翻す三日月は、想像の中でしか見ることができない。
     早々に練度が上限となり長い隠居生活となった三日月はともに出陣したいという鶴丸の要望には応えてくれないが、それ以外であれば渋々ながらも頷いてくれるのである。
    「そういえば、三日月はどうした。いつもなら捕まえているだろう?」
     また新たに駄菓子を棚から出した鶯丸は、鶴丸にもそれを手渡しながら尋ねてきた。今度は小さなプラスチックの白い容器に入った、ふわふわとした食感の駄菓子だ。木のさじとともに渡されたそれを手のひらで転がしながら、鶴丸は今朝のことを思い出した。
    「あぁ、主の付き添いで朝早くに病院へと行った」
     ほとんど完治している主の足だが、通院は必要らしく今日はその病院へと行く日だ。近侍でもない三日月を連れて行くのは、少しでも気分転換にでもなればいいという主の配慮でもあった。
    「ああ、それでお前はそんなつまらなそうな顔をしているというわけか」
     鶯丸の言葉に、ほんの少しだけぴくりと片眉を上げたが、何でもないように口を開いた。
    「そうか?」
    「あれだけ尽くしておいて、まだ世話し足りないのか?」
     鶴丸の隣で着々と空の器を積み上げていた手を止め、大包平が呆れたようにため息をつく。名目上は三日月が鶴丸の世話係ではあるが、実際は逆であることを本丸の誰もが知っていた。
    「はは、世話するのも楽しいもんだぜ」
     三日月が仕事をすること自体は止めはしないが、何事にも限度はある。それを見極め仕事をしたがる三日月の手を引いて休憩させるのが鶴丸の役目だ。最初は渋っていたが、今では三日月から休憩を持ちかけることもある。鶴丸が戦場から帰還した時も、何度か三日月は様子を見に来ていた。
     そんな三日月に本丸の皆が驚くのも無理はない。何時までも放っておけば、江とお化けよりも見たことがない三日月宗近、などというおかしな話が付くところだったのだ。
    「それに、ああ見えて三日月も意外と世話好きだぞ」
     何気ない話の中で、鶴丸が気に入った菓子の話をすれば次の日には用意がしてあるし、出陣続きで疲れたと零せば内緒だと団子を口に押し込んだりもする。それに、殺風景な三日月の部屋に、鶴丸専用の菓子箱が用意してあった時の衝撃と言えば、筆舌尽くし難いほどだった。その日の出陣では、誉を全て掻っ攫ったものである。
    「戦場で練度の低いものに目をかけていた、という話は聞いたことがある」
    「そうだな。積極的に関わろうとしないが、三日月は本丸のことをよく見ている」
    「……だろ? だから、三日月が主の世話をするのも納得しているさ」
    「よく言う。三日月が主とふたりで出かけたのが面白くないのだろう?」
     意味ありげに鶯丸は片方の口角を上げ、面白いものを見るように鶴丸へと視線を投げる。その問いかけに、鶴丸は無言のまま横目で鶯丸を見た。
    「何だそれは。どう言うことだ?」
    「本丸中に見せつけるように三日月を連れ回して、無自覚とは言わせないぞ」
     不思議そうな顔をする大包平を無視し、鶯丸は冷え冷えするような新緑の瞳で鶴丸を捉える。じっと見つめられることなど気にもせず、投げ出していた足を引っ込め鶯丸を正面から見据えた鶴丸は、胡座をかいた膝に片肘を乗せて頬杖をつき、とんとんと指先で丸い卓の上を叩いた。静かになった部屋で、その音だけが響く。
    「君、もしかして牽制でもしているつもりか?」
     三日月へと向ける想いを、鶴丸は既に理解していた。いつからと言われれば、それは勿論最初からだ。迷子の鶴丸を拾ってくれたからという吊り橋効果かと言われれば、否定はしないが肯定もしない。
     三日月といることで、驚く本丸の面々に優越感を抱く程には、重たい感情を持っていることを鶴丸は早々に自覚していた。それを、隠す気もないことは聡い刀ならば気が付いているだろう。
    「三条の刀たちは、何だかんだお前にも甘いからな。ひとりくらいこういうのがいてもいいと思わないか?」
    「新参者は信用ならない、と?」
     瞬きもせず、見開いた目で鶯丸を見る。この本丸の最初の太刀である鶯丸は、蜂須賀や太鼓鐘と同じように本丸を見てきた刀だ。後々から来た三条派よりも三日月のことを見ていたと言っても過言ではない。
    「お前が、三日月をどうしたいかにもよるな」
     すっと目を眇める鶯丸もまた、瞬きもせずに鶴丸を見下ろしている。姿勢良く正座している鶯丸を見上げながら、鶴丸はぐっと口の端を上げた。
    「はっ。無理やり迫っているようにでも見えるかい?」
    「さて、どうだろうか」
     張り詰めた糸のように、緊張した空気が流れる。口元は笑みを浮かべているにも関わらず、二振の目は笑っていない。内番用の服でなければ、手合わせでもするのかと言うほどの緊張感だ。
    「だから、何のことだ!」
     自身を挟んで殺気立つ鶴丸たちに、大包平がとうとう痺れを切らした。先程まで普通に話をしていたはずなのに、いきなり目の前で一発触発の空気を出されては流石の大包平でも堪らないのだろう。ちゃぶ台に拳を打ちつけた後、びしっと音がしそうなほどの勢いで鶴丸の鼻先へと指を突きつけた。
    「お前たちが何の話をしているかは知らないが、あの男は自分の意にそぐわないことはしない。だから、お前が好き勝手しても何も言わないのならばそれは、三日月の意思でもあるだろう」
     言ってやったぞという顔で鶴丸を見た大包平は、今度は別の棚から羊羹を取り出して切り分けていく。
    「だいたい、あの男が本気を出せば誰にも見つけられん。だが、見つけることができるということは本気で隠れようとはしていないということだ。童でもあるまいし、そこまで気にかけることでもないだろう」
     それぞれ鶴丸と鶯丸の前に綺麗に均等に切り分けられた羊羹を置いて、大包平は自分の分へと手を付けた。心なしか緩んだ顔をして食べる、実は甘党で大食いの大包平に毒気を抜かれた鶴丸は、頭の後ろを乱暴に掻きながら分けられた羊羹を口へと放り込んだ。
    「君は、真っ直ぐだなぁ」
    「大包平はそこが面白いんだ」
    「おい、褒められている気がしないぞ」
     鶯丸もまた羊羹を口へと運び茶を綴る。先程までの冷たい雰囲気は微塵もない。
    「ま、冗談だ。気にするな」
    「おいおい、半分は本気だったろ」
     初めから全て本気だとは思っていないが、それにしても戦場を思わせる雰囲気だった気がする。口をへの字にした鶴丸を見て、鶯丸が笑った。
    「これでも感謝はしているぞ。三日月は、眠れるようになったのだろう?」
    「まだ途中で目が覚めることもあるけどな」
     まだ仕事をしたがる三日月の手を引き、布団に押し込んで鶴丸もその中へと入れば、いつの間にか静かに眠っている。不思議なことに、鶴丸がそばに居る時だけ三日月は眠ることができた。鶴丸が三日月に世話係を強請った日に発覚したことである。眠ることができるというよりは、夢を見ないということらしいが。
     常に気を張り、深く眠ろうとしない三日月が、鶴丸の前では無防備な姿を見せる。それがどれほどの喜びを与えるのか、誰も推し量ることなどできないだろう。三日月でさえも。
    「しまった、もう出陣の時間か」
     カーン、と響く鐘の音が本丸に響き渡る。出陣があることを知らせる合図だ。二つ鳴れば集合、三つ鳴るのは転移門が起動したことを意味する。
     鶴丸は、第三部隊とともに午後の出陣へと向かう予定だ。立ち上がり、ぐっと身体を伸ばす。
    「む、俺たちも遠征だ」
    「そうだったな」
     茶の時間も終わりかと鶯丸と大包平もまた立ち上がる。出陣の準備のため鶯丸の部屋を出ようとした時、やや強い力で肩を掴まれ立ち止まった。
    「お前のその気持ちは、何と呼ぶのだろうな」
     新緑の瞳と目が合う。だが、それも一瞬のこと。二つ響いた鐘の音に、鶴丸は振り返ることなく急いで部屋へと戻った。
     
     赤々とした夕日が燃えている。出陣先から帰還した鶴丸は、だらだらと本丸の廊下を歩いていた。本日の隊長は、極の修行から帰ってきたばかりの南泉だったため、主への報告は彼に任せて鶴丸は戦装束から内番服に着替えようと自分の部屋へ向かうことにしたのである。
    「あ、鶴さん!」
    「ん?」
     部屋の障子へと手をかけた時、自分を呼ぶ声に振り向いた。燭台切、太鼓鐘、大倶利伽羅。伊達の面々がそこにいた。
    「三日月さん、帰ってきていたよ」
    「お、もう帰ってきたのか。ありがとな」
    「執務室にいるから、だって」
    「また仕事してるのか……」
    「でも、すぐに終わるってさ」
     相変わらず、鶴丸が見ていないところではすぐに執務室に籠ろうとする。ため息をつきつつも、すぐに終わると言うのなら急いで向かわないとな、と呟いた。
    「鶴さんが来てから、三日月さんと話すようになれて嬉しいよ」
     ぼやく鶴丸の様子を、燭台切が嬉しそうに見る。それに首を傾げながら、鶴丸は「そうなのか?」と返した。
    「前はほとんど部屋から出なかったし、執務室や部屋でずっと仕事をしていたから……」
    「飯の時間にもこないしな」
    「でも、厨の妖精くんたちによると、偶にやって来て食べ物を持って行くんだって」
    「誰もいない時間を見極めている、らしい」
     聞けば聞くほど、三日月の酷い生活が浮き彫りになっていく。鶴丸が連れ出さなければ、一体どうなっていたのだか。
    「でも、話しかけたらちゃんと答えてくれるし、戦場では頼りになるけどな」
    「伽羅ちゃんも三日月さんとの出陣、楽しみにしてたよね」
    「……必要以上に馴れ合わないからな」
    「でもやっぱり、話したことってほとんどなくて……どちらかと言えば避けられているのかなって」
    「三日月に?」
    「僕の勘違いかもしれないんだけどね」
     鶴丸の知る三日月は、誰にでも分け隔てなく接している。仕事中毒の三日月ではあるが、特定の誰かを避けているとは思えなかった。常に勝負を仕掛けてくる大包平みたいな刀なら別であろうが。
    「あ、だからって不満があったとかそうじゃなくてね。ただ、三日月さんから話しかけてくれて嬉しかった、って言うだけのことなんだ」
     そう言った燭台切は、もうすぐ夕餉だからと二振を連れて去って行った。自分の部屋へと入った鶴丸は、立ったまま腕を組んで考え込んだ。
     鶴丸に、この本丸にくる以前の記憶はない。だがしかし、三日月に関すること全てに、えも言われぬ違和感がある。自由な刀マイペースで面倒臭がり、けれど誰よりも仲間思い。三日月宗近とは、そう言う刀ではなかっただろうか。
    「……」
     まだ何を隠しているのだ、と憤っていた大包平を思い出す。こればかりは、三日月に話そうとする意思がなければ、鶴丸とて口を割らすのは難しい。寝かしつけようとするのとはわけが違う。
    「大侵寇、か」
     本丸を守るために、自ら円環へと乗り込んだ三日月は一体何を考えていたのか。本丸の皆との間に線を引いて、誰も踏み込まないようにしていた三日月の心を、鶴丸は知りたい。
    「……考えるのは後だな」
     砂と埃に塗れた服に手をかけながら、鶴丸が来るのを待っているだろう三日月を思い浮かべる。まだ目の下に隈を作っている三日月だが、鶴丸が姿を現すと途端に花が綻ぶように笑うのだ。その度に、空っぽだった鶴丸の胸は満ちて息が苦しくなる。
     だから、三日月の隠し事とやらを暴かない、などと言う気は全くもってなかった。知りたい、三日月の全てを。でなければ、またあの絶望とも言える虚無感が鶴丸を満たしてしまいそうで恐ろしくなる。三日月でなければ、この虚無を埋めることができないのだから。
     ごちゃごちゃと考えるのをやめ、手早く内番服へと着替えて鶴丸は部屋を出る。早く会いたい、そう思いながら三日月の待つ執務室へと足を進めたのだった。

    「ふあぁ、ぁ」
     三日月の部屋で、鶴丸は布団に転がりながら大きな欠伸をひとつこぼす。そんな鶴丸を見ながら、寝巻きに着替えた三日月が隣に腰を下ろした。
    「眠たいのなら、先に寝ていろと言っているだろう」
    「君が寝るまでは起きているつもりだからな」
     三日月が入りやすいように、掛け布団を捲って鶴丸の横へと招く。ほんの少しの躊躇の後、三日月は鶴丸の腕の中に囲われた。
    「……」
     ほんのりと染まった赤い頬を隠すように、三日月が枕に顔を埋める。それを見ながら、鶴丸は声を出さずに笑った。初めはただ手を繋いで寝ていたのだが、添い寝を繰り返すうちにこの形に収まってしまったのだ。鶴丸とてまさか三日月がこうして素直に応じるとは思っていなかったのである。役得だと思ったことは内緒だ。
     鶴丸がそばに居れば三日月は寝ることができる。だが、本丸の誰もこうして鶴丸が三日月を抱きしめながら寝ているなど思ってもいないだろう。口にするつもりはないが、鶴丸の他に三日月に想いを寄せる刀がいたら牽制してしまうだろうなとは思っている。
    「お前、もう世話係はいらないだろう……」
     とろんとした瞳で鶴丸を見る三日月の表情は、長い前髪に拒まれ全てを見ることができない。朧げに揺れる月の浮かぶ湖だけが隙間から見える。
    「知っているか、三日月。鶴は完全に飛べるのに生まれてから四ヶ月程かかるそうだぜ」
    「それは鳥の方ではないか……」
     他の刀は、世話係は長くとも一ヶ月はいかないくらいで終わるらしい。けれど、鶴丸は何かと理由を付けて三日月の部屋へと入り浸っていた。
    「まあ、気にするな」
     何処ぞの鳥のようなことを言いながら、鶴丸は三日月の目にかかる前髪を後ろへと流してやれば、ふぁ、と三日月が小さく欠伸をする。
    「気になる、だろ……う……」
     うとうととしながらもじっと見つめる三日月に、鶴丸は笑いながら、その肩まで自分ごと掛け布団を引き上げた。まだ、この温もりを手放すのは惜しい。
    「なぁ、三日月」
     今にも瞼が落ちそうなのに、抗おうとする三日月の頬に手を擦り寄せる。軽く目の下に指を沿わせれば、長い睫毛の感触がした。
    「君は、一体何の夢を見るんだ?」
     夢現に微睡む三日月に問いかける。前にも、こうして尋ねた時ははぐらかされてしまったが、今はどうだろうか。鶴丸の傍で眠るようになった三日月の目の下の隈はだいぶ薄れている。
     少しは、気を許してくれたと自惚れても良いと思っているのだが。
    「三日月」
     もう一度名前を呼ぶ。卑怯だとは思うが、はっきりと意識がある時には絶対答えてはくれないのだ。
     ぼんやりとした三日月は、僅かに眉を寄せ苦しそうに呟いた。
    「つるまる」
    「三日月?」
     三日月の手が、鶴丸の頬へと伸びる。その手は、酷く冷たい。その冷たさに驚く間もなく、三日月が口を開いた。
    「鶴丸。お前が、折れた時の夢を、見る」
     つぅ、と一筋の涙が三日月の瞳から零れる。それを目の当たりにした鶴丸は、息を飲んだ。
    「この本丸に、鶴丸がいないのは、俺の、せいだ」
     朧な月が鶴丸を見る。
    「鶴丸」
     否、その目に映っているのは鶴丸ではない。
    「————————」
     前の時間軸で、三日月の本丸にいた、正真正銘この本丸の鶴丸国永だ。
     
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