生まれた日も、身体も、顔も同じ。違うと言ったら声と髪の長さぐらいで、違った点のほうが少ない。それがすごく嬉しいし、心底安心するんだ。
「おかえり、輝二」
「ただいま」
二人で借りたマンションへ帰ってきたのは2ヶ月ぶり。日本には先月一度帰っていたが、実家のほうに身を寄せていたから輝一と会うのは大分久しぶりだ。
学生の時必死に詰め込んだ講義と講座のおかげで、日本人向けの海外ツアーガイドとしての職につけ、忙しなく世界を巡るようになって一年は過ぎた。子供のころの俺を知っている奴からしたら、知らない人と共に行動する今の仕事を選択した姿に目を丸める。だがその後決まって「なんか、らしい気もする」と言われるし、自分自身天職なんじゃないかと考える。世界を見てみたいって漠然とした夢は何とか叶えられたといえるんじゃないかな。
戸惑うことや咄嗟の行動が出来ないで悔しい思いをすることもしばしば。その度に心が折れそうになるが、院に通いながらバイトや研修を頑張る輝一を思い出して踏ん張れるんだ。アイツも医者というすごい職業に就くために努力してるんだと考えたら、荒れた胸の内も落ち着くし身体が軽くもなる。
「今回は長く居れるんだったな」
「ああ。…なんだ、俺が恋しかったのか?」
「バカいうなよ…俺が会いたかったのは…」
「…はいはい、これだろ?」
リビングに入り、キャリーの中から取り出したアルコールの瓶に顔面をぱぁっと明るくさせ、「うわぁ」と表情と同じ嬉しそうな声を発した。
「…たく、げんきんな奴…」
この表情を見たくて、毎度コイツが喜びそうな酒類を土産で用意してしまう。それだけで満足はするが手放しで喜ぶのは癪で、わざとらしい不貞腐れ顔を浮かべた。
「あははっ…冗談だよ、ごめんごめん。ほらおいで」
「……ん」
広げられた腕の中に身を寄せ、その背中へと手を回した。テーブルへと置かれた瓶に向かって、内心「どうだ?俺が無事に戻ってきたことが一番の土産なんだぞ」と、無機物に対して勝ち誇る。
「…おかえり」
「…ん、ただいま」
額同士をこすり、背伸びすることも屈むこともなく同じ高さの唇に俺のそれを重ねた。合わせた後すぐに離れ、再びお互いの背中へと腕を回した。この瞬間が一番落ち着くし、帰って来たんだなと思えるんだ。
「浮気してないだろうな」
「するわけないだろ?…お前こそ」
「輝一しか見てないよ…」
二人ともわかりきった質問を投げるのも恒例となっている。
唯一無二。恋人よりも深い深い関係。距離が離れていようが関係ない、俺たちはずっと繋がっていたんだ。この先も変わることなんかあり得ない。
「~…久々の輝二だぁ…」
「あッ…ばかっ、こんなとこで…!」
「…ちょっとだけ味見…だめ?」
一本に結わえた髪を持ち上げ、うなじへ舌が這わされた。ぞくりと震えたが、長時間のフライトと電車の移動でかいた汗を流したい俺は、至近距離で妖艶に笑みを浮かべる姿に喉をならしつつも頭を横に振った。
「風呂、入ってくる」
「そのあと抱いていい?」
「…飯が先だ」
「はーい…お前が好きなもの作ってるから、ゆっくり浸かっておいで」
「ありがとう、楽しみだ。…準備もするから、大分時間かかるぞ?」
「…品数、増やしておくね」
舌の代わりに目線を絡ませて、もう一度だけ唇を合わせた後浴室へと足を向けた。
***
浴槽があるホテルなんか泊まれるわけもない駆け出し中の身は、久々の湯船に長湯をしてしまった。疲れがどっと流れ出てまどろみそうになりながらも、騒ぎ立てる腹の虫と、2か月ぶりのセックスのために脚を奮い立たせ浴室を後にできた。それでも小一時間はかかってしまったけどな。
リビングに充満する良い香りに鼻を鳴らし、へこんでる気すらする腹をさすりながらソファへと腰掛けた輝一の前に来た。小難しそうな冊子に落としていた目を上げ、へらりと笑顔を浮かべてくるから微笑み返す。
「ゆっくりできたか?」
「それはもう、満喫した」
「そっかぁ…うん、俺たちの匂いがするね」
「…お前はお酒の匂いがしてるけどな」
もう開けたのか…。先ほど渡した小瓶の赤ワインは、すでに半分近く減っていた。まったく変わらない顔色に、ここにも俺たちの違いがあったなと考える。
「今回もすごく俺好みの味だよ」
「テイスティングだけで酔っ払いそうになったぞ…でもまあ、気に入るだろうなとは思ってた」
「さすが輝二!一緒に飲む?」
「ひと口だけくれ」
「わかった」と発した口で瓶をあおり、口移しでワインが流し込まれた。
「んっ」
「どう?ホント、おいしいなこれ」
「けほっ…あー、まったくわからん」
くすくすと肩を揺らし合い、腕を引かれるまま隣へと腰を落とした。同じ形の瞳と見つめ合い、今日何度目かの口づけを交わす。湯船で気が緩んでしまい、思わず舌を突き出してしまった。瞬時にからめとられ、小さいリップ音を皮切りに、ぴちゃっくちゅっと水音を奏でだす。輝一が俺の頬を両手で包むから、俺も同じようにしてみせた。深くキスを交わしながら笑いを漏らす。
だが、かすめた輝一の耳元に違和感を覚え、思わず突き飛ばしてしまった。
「ぅわッ…なっなに、どうし、」
「お前こそ、それはなんだ!」
「…それ?」
「とぼけるつもりか?!
輝一!お前っ、ピアス開けたのか?!」
触れた耳たぶについた小さい球は、俺の知らないものだった。きょとんとした後、「ああこれね」と黒髪を耳にかけて両耳を晒す。
「特に意味はないよ?ただその…イライラ、しちゃって…」
恥ずかしそうに目線を反らしながら、耳についた銀色のボールをつんと突いた。
「安定したからゲージも…えっと、ピアスの太さも太くしてるんだ。あっ今だけだぞ?来週には研修があるから外すさ」
「……知らないんだけど」
「言ってなかったか?すまない、ただの遊びだから言わなくてもいいかなって思って」
ザッと、自分の中で何かが引いていく音がした。
俺が知らない輝一がいる。俺と違う輝一がいる。
声、髪の長さ、違う点が増えてしまった。
「……」
「そっそんなに、似合ってない…?」
「…そんなことはないが…」
「…嫌、だった?」
「……」
嫌に決まってるだろう。そう叫びそうになったが、ずっとそばに居れない俺がコイツのはけ口になれ続けれないことは理解している。ストレスを抱えながら努力を続けてる最愛の兄に「やめろ」なんて言えるわけがない。
俺が合わせればいいだけの話なんだから。
「すまない、少し取り乱した」
「ううん、伝えなくてごめんな」
「いやいい、ホント、気にしないでくれ。…俺も、ピアス開けようかな」
「……は?」
自らの耳たぶをいじりながら、低い声音に驚き目を戻せば、眼光を鋭くさせた険しい顔つきの輝一と目が合った。
「…どう、した?」
「何言ってるんだ輝二」
「何って…俺も、輝一と同じがいいなって……だから、ピアス…」
「だから、ピアスを開けるって言うのか?」
なぜそんな不機嫌、というより怒っているのかわからない。二人の空間にぴしりと緊張がはしった。冷や汗を流しながら震えそうな唇を舐め、掠れた声で名前を呼ぶ。
「こ、いち…」
「許すわけがないだろ」
「んぶっ」
力いっぱい両頬を捕まれ痛みに顔を歪めた。まぬけな面してるんだろうなと、どこか冷静になりながら目線は恐れがにじみ出る。
「俺の輝二に傷をつけるってことだろ?そんなの…誰がいいって言ったんだ?」
「ッ…っいひゃい…」
「なぁこーじ…ダメじゃないか、そんなこと考えちゃ…」
何を勝手な。お前もやってることじゃないか。ただ俺は、お前と同じがいいだけなのに。違わないで欲しいだけなのに。
解放された頬がじくじくと痛む。これだけ力強く掴まれていたから赤くなっているだろう。怒気を滲ませた瞳を睨みつけたつもりが、反射した表情は弱々しいものであった。
「っあ……ごめん、兄さん…」
「もう言わないよな、そんなこと」
「…いわ、ないよ」
「……よかったぁ」
瞬きした後、さっきまでの鋭い表情が嘘のように、いつもの優しい兄へと戻っていた。うっとりと顔を綻ばせ、ひりつく頬を優しい手つきが撫で上げる。
「ピアス、外して捨てておくね」
「なんで…?」
「お前がまたそんなことを言わないようにするためだよ?…まったく、ホント…輝二って可愛いんだから」
「…意地が悪いぞ。…別に、外さなくてもいいからな。お前に似合いそうなピアスを探すのも悪くない…似合ってる」
「本当か?…嬉しい、ありがとう輝二」
頬から離れた手が後頭部へと回り、そのまま抱き寄せられた。なだめるように一定のリズムで撫でつけられ、安心したのか腹からきゅるると音が鳴る。耳元でふふっと笑われ、別の意味で頬が赤くなった。
「笑うなよ!」
「ごめんごめん…腹減ってたもんな」
「…ああ、早く食事にしよう」
「その後、たくさんセックスしような」
「…もちろん」
くすくすと同じ笑い方をして、もう一度だけ唇を重ねた。
「あ、でもね」
「ん?まだなにかあるのか?」
性欲もだが、それよりも先に満たしたい食欲に引っ張られた頭で輝一の声を拾い上げる。
ばちっ!と同期した目の暗い奥底が流れ込んできた。そして、耳たぶに爪をたてられながらゆっくりと声を流し込まれる。
「ピアスであろうが何だろうが、俺の輝二に傷をつけたら絶対に許さないからな」
なんて、なんて身勝手な男なんだ。
でも湧き上がってきたのは不快感や苛立ちではなく別の欲求で。じわりじわりとどす黒く犯される心の内側に、背中が泡立った。
ああだめだ。輝一と、この男と、この兄と早く交わりたい。
犯されたい。
気が付けばその手をからめとり、唇に噛みついていた。